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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 247

2021 10/15
メールマガジン
2011年7月7日2021年10月15日

こんにちは〜。
暑い毎日が続きますが、がんずぅかりうらまずなー?
3週間ぶりのくま・かまです。お楽しみくださいね〜。

目次
  1. 台風と花札
  2. 大震災が変えたもの
  3. やらびぱだ(子供のころ)
  4. おしらせ
  5. 編集後記

台風と花札

宮国勉(城辺・西城出身)

宮古島には年に数回の かじふき(台風)がある。小学生の頃、朝から雨風が強いと今日は学校を休むべきか迷うことがあった。今、考えても何をもって休校にしたか分からないが、休みが決まれば、狭い家の中で退屈な一日をどう過ごすかは大家族の問題でもあった。

今では暇を潰すにはテレビ、DVD、ゲーム機などいくらでもあるが、当時はそのようなものは何もなかった。しかし、そんな時、我が家ではマッチ箱がでてきて花札である。いみーっちゃぬ かじふき(小型の台風)は大人には骨休みであり子供はレジャーの一環で楽しい一時であった。畑仕事が出来ないような大雨の日など、普段忙しく子供の相手もしない父も加わっての花札である。

畳んだ毛布を出し、家族みんなにマッチ棒を配り、それを点数に換算して取り合うが、大人も子供も同じ数である。似た図柄を合わせるだけの遊びなので幼い兄弟も目を輝かせ仲間に加わった。勝った、負けたには何の罰があるわけではないが、かじふきのことなどすっかり忘れて花札遊びに熱中した。私はそのような幼児教育の所為で勝負勘という動物的本能が目覚めたかもしれない。あすが(しかし)、パチンコなどうまく行かないときの方が多い。

父の格好は うすぅんぶーら(四つん這い)で尻を突き出すスタイル、子供等は大抵 ながんび(寝そべる)ているが、手持ちの札が良くなると起き上がって座る。少し知恵が付いて、上から札が見えないようにするのである。

花札は三人が一般的で順番によって優劣が左右されがちなゲームで、親(1番)、中(2番)、子(3番)の順番を利用する知恵が勝負を面白くする。親は場に出た点数の大きいものを取れる確率が多く、子は ふっちる(決まり札を作る)ことで、配布された札が悪くても点数の大きい役を狙える可能性が高く、中は配布された札が良くても、なにかと不利な立場にされる。そんな三人の駆け引きがタマラナイ遊びなのである。

花札は使い古され、中央が折れているのは松のカス、角がかなり解けたのは桜の赤タン、角が擦りきれているのは菊の盃だ、などなど裏を見て判るぐらいによれよれになっていた。札を配るときからバレバレで勝負に影響するからハンデーを抱えている事になる、それでも新しい札は買えなかった。花札を誰が持ち込んだのか定かではないが、叔父さんの土産ではないかと思われる。

花札は1年を12カ月に分けて、各月ごとに花鳥風月をとり入れた日本的で風流な絵柄模様、単純明快な表現と和の艶やかなイメージはうっとうしい台風が掻き消された。1月は松から始まり梅、桜、藤、菖蒲、牡丹、萩、芒(すすき)、菊、紅葉、柳、桐となり、月ごとに季節が描かれている。それで数値を表しているのでゲームの拡張性のある風流な遊びの一つである。

私が小学2〜3年生の頃はいろいろな変動があった。通貨として流通していたアメリカ軍発行の軍票B円から米ドルへと1958年に変わりドルのコインのサンプルを学校の朝礼で回覧した。1959年は台風サラ〔Sarah〕がやって来た。次の年1960年は ない(地震=チリ地震)もやって来て、ないと云う言葉を知った。太陽が三日月ほどになる部分日食も体験した。夕刻になると彗星(すいせい)が東から西に向かって尾を引いて、1ヶ月ぐらい居座っていたこともあった。また、ベトナム戦争もその頃始まったようだが、何年か経って「ベトナム戦争」という映画見学があり、ベトナムの異文化を学んだ。

サラ台風の時はさすがに花札だの、退屈だの余裕もなく、ただ台風の吹き荒れる凄まじい音を聴きながら眠れぬ一夜を過ごした。最初は南から吹いていたが1時間の休みがあり太陽も見えて台風が過ぎ去ったかの様だった。しかし、その後 とぅんまーらーしー きし(引き返してきて)北から吹き返した。

沖縄の木造家屋は基礎石に柱が直に乗っているので、基礎石の南端ぎりぎりにまで柱が移動していたが倒壊は逃れた。自然災害の規模は計り知れなく、被害などは誰にもぶつけようのない、その地域の定めとして受け止めるしかない。

サラ台風の過ぎ去った次の日は晴天だが学校は休みで、兄と倒壊したという小学校の状況を見に行った。音楽教室だけを残して平家の赤瓦葺きの校舎は全て潰れるように倒れていた。今考えると倒れた校舎は東西に長く、それに90度直交し控え壁が付いていた音楽教室は倒壊を免れたと思う。

裏山の松の木林で、授業はしないで給食のパンとミルクが配られ、昼食が済んだら帰宅する日が何日も続いた。二部授業と呼んで上級生は午後から遅くまで授業したのかも知れない。我々下級生は午前中に帰宅したように記憶している。

暫くして校舎は鉄筋コンクリート造の2階建てが建てられた。両端には階段室があるが窓にはサッシュがない。それで風のある雨の日は水浸しであった。しかし、お蔭でその後の台風は凌げた訳である。サラ台風後の宮古島の建物は風圧と錆に強い鉄筋コンクリート造、または補強コンクリートブロック造となり安全な暮らしが出来ている。

<月(季節)と対応する絵柄>

1月松(まつ)松に鶴(つる)
2月梅(うめ)梅に鶯(うぐいす)
3月桜(さくら)桜に幕(まく)
4月藤(ふじ)藤に時鳥(ほととぎす) 
5月菖蒲(あやめ)菖蒲に八橋(やつはし)
6月牡丹(ぼたん)牡丹に蝶(ちょう)
7月萩(はぎ)萩に猪(いのしし)
8月芒(すすき)芒(すすき)に月
9月菊(きく)菊に盃(さかずき)
10月紅葉(もみじ)紅葉に鹿(しか)
11月柳(やなぎ)柳に小野道風(おののとうふう)
12月桐(きり)桐に鳳凰(ほうおう)

大震災が変えたもの

菜の花(伊良部町仲地出身)

3月11日。

未曾有の うぷなゐ(大地震)と うぷ そーあーす゜(大津波)で、壊滅的な被害を受けた東日本。あれから三カ月余りが経ったが、んなみまい(今なお)やー(家)を失い、きない(家族)を失い、すかま(職)を失い、不自由な避難所生活を余儀なくされている数万人規模の人々がいる。大震災に加えて、原発事故による二次的な被害に苦しめられている多くの人々がいる。このことを ゆぬ(同じ)日本人として のーしーがうむぅ(どう思う)?!・・・いつまい(いつも)自分に問う。

私の職場である老人施設にも、福島原発で地元を強制退去させられた方が入所してきた。そのこともあり、大震災や原発事故がいつも身近の問題として在る。

先日、被災者の一人であるおじぃさんが亡くなられた。

故郷を遠く離れた地で、なぜ最期を迎えなくてはならないのか・・・。先祖の墓にすら入れないこの現実に、仕方がないとしか言いようのない家族の無念さを思うと、あまりの理不尽さに なだぬ だだだだてぃ うてぃふい゜(涙が落ちてくる)。

このおじぃさんは、福島県の南相馬市に長男夫婦と住んでいた。2月に88歳の誕生日を迎え、やーのつかふ(近く)のディサービスに通っていた。大震災が起こる前日まで、家族の肩を借りてトイレまでいき、排泄も自立していたという。

それが3月11日の大震災により避難所生活が始まった。避難所での食べ物はパンや冷えたおにぎりで、高齢のおじぃさんには ふぁいん むぬばーき(食べられそうもないものばかり)。それでも家族はなんとか食べさせようとするが、飲み物も十分になく、パサパサした食べ物はおじぃさんには ふぁいん(食べられない・・・)。

身体を動かすこともなく、高齢者は寝ている他ない避難所の生活に、おじぃさんの栄養状態は悪くなり体力も低下していったという。

自宅のある場所が原発事故で強制退去地域となったのを機に、家族は川崎に仕事で出向していた孫の社員寮に身を寄せた。おじぃさん夫婦、長男夫婦、孫夫婦とひ孫の7人の同居生活が始まった。3月21日のことである。

被災地と避難所からは脱したが、もともと気管支と肺の病気があり、心臓も悪いおじぃさん。ペースメーカーも入っていて、福島から川崎までの長時間の移動は体力が衰えたおじぃさんの状態を更に悪化させた。痰がからみ、咳と高熱に苦しむおじぃさんは、近くの病院に入院した。

症状がおさまり退院許可がでたが、自宅では充分に看ることができないと、私の働く施設に入所することが決まった。

5月11日、施設にやってきたおじぃさんは上半身全部を使って苦しそうに息をしていた。おごえ〜!こんな状態で施設生活大丈夫か?!不安がよぎる。

「苦しいですか?!」と聞くと、つぶっていた目を開け、私の目をじっと見てから、にこっと顔を緩め首を縦に・・・いや、急いですぐに横に振る。そしてまた目をつぶる。苦しいのを我慢しているのか、あるいは初めて訪れる場所と人(施設)に対する不安なのか・・・おそらくどちらもだろう。

長男のお嫁さんが「地震の前の日までは歩いていたのに・・・。」と呟くように漏らした言葉が痛々しく耳に残った。

被災地からきたおじぃさんだから特別ってわけじゃないけど、すぐにおじぃさんはアイドルになり癒しの存在となった。のーぬがてぃ(なにがって)・・・お地蔵様のような みぱな(顔)で、くしゅぅって笑う笑顔がたまらなく胸キュン!なのだ。

のーまいふぁん(なかなか食べず)、みずまい ぬまん(水分を摂るのもやっと)のおじぃさんは、浮腫みもひどかった。体重測定も、薬を飲んでもらうのも一苦労だった。食事のときは声をかけながら、スプーンを何度も口に運んだ。このスプーン一杯の食事や水分が施設では命を繋ぐのだ。 

少しずつだけど、おじぃさんの状態がよくなっていった。目を開けている時間も増えた。車いすに座っている時間も少しずつ長くなった。食事も水分も増え、オシッコの回数も増えていった。

人を看る者にとって、良くなっている!と思える瞬間ほど ぷからすむぬ(嬉しいもの)はない。おじぃさんは相変わらず言葉少ないものの、声をかけるといつものくしゅっとした笑顔を投げかけてくれた。ま〜んてぃ(本当に)おじぃの笑顔は最高だぁ。

施設では毎年、春の大運動会が行われる。おじぃさんもハチマキをきりりと巻いて、応援に来てくれたお嫁さんと職員の手を借りながら、玉入れ、大玉ころがしに参加した。

1時間半の運動会が終了し、フロアに戻ったおじぃさんに景品のゼリーと飲み物を手渡すと、満面の笑みでお礼を返してくれた。お嫁さんは「おじいちゃん、こんな笑顔がでるようになったんだね!」と感激で目を潤ませていた。

ゼリーもトロミ剤(水分をトロリとさせる粉末 サラサラの水分だとむせやすいので半流動にするために使用する)入りのお茶もぺロリと平らげた。お昼ごはんもお嫁さんに食べさせてもらい、いつもよりすすんだ。帰り際、お嫁さんは職員に何度も頭を下げていた。

しかし・・・。その二日後、急に呼吸状態が悪くなり病院に緊急搬送した。おじぃさんのいないベッドは、がらんとした空間になった。

一週間後、お嫁さんからおじぃさんが亡くなったとの知らせがあった。おじぃさんの写真があればほしいとのことだった。施設で写した写真が数枚と、私のデジカメに運動会の日のお嫁さんとおじぃさんのツーショットがあった。おじぃさんは目をつぶっているが、お嫁さんがおじぃさんの手を高く持ち上げて ぷからすぎみぱな(嬉しそうな顔)で写っていた。

大震災に遭って生き残り、人生の最期の日々を施設で過ごしたおじぃさん。故郷から遠く離れたところでおじぃさんの最期を看取ったご家族。「短い間でしたが本当にお世話になりました」とお礼を言われても、どんな言葉も思い浮かんでこない・・・。掛ける言葉が見つからない私がいた。

人には生まれた場所がある。住み続けた場所がある。先祖から受け継いだ守るべき土地がある。自らの意思でなく、他力的な事情で生まれた故郷、大切な場所を離れなければならず、いつ戻れるという保証もない・・・。故郷、放射能で汚染されていく故郷・・・。被災地の方々の哀しみの深さや憤りは計り知れない。

未だ瓦礫の山と化す被災地の大地は、かつては緑に覆われ花が咲き、人々の生活の音や気配が満ち満ちていたことだろう。家族が住む家が在り、語り合う仲間が在り、学び舎に集う やらび(子ども)たちの笑い声が響いていたであろう。3月11日の大震災以来、それらを失ったばかりか、生活も、生き方も、人生の最期の在り方さえも、すべてが変わってしまった人々が大勢いる。

同じ日本国民として、私ができることは何?!

震災で亡くなられた方々の冥福を祈り、被災された方々に一日も早く生活の安寧が訪れますように!心に希望の光が射しますように!と祈ることしかできない歯がゆさを感じる。ささやかではあるが、給料日を「募金の日」と決め、毎月続けることに決めた。

今月も募金をしながら、昨日と変わらない生活が今日も当たり前に在る、家族が元気で一日を過ごせる・・・それがどんなに贅沢で幸せなことか、心底そう思った。

震災後、私の幸せのハードルが低くなった。

やらびぱだ(子供のころ)

山雀タヌキ(下地・上地出身)

“やらびぱだ”(昭和20〜30年代前半)の正月は旧正月を祝ったものです。中学生のころから新正月に変わったようにおぼえています。ちなみに、今年の旧正月は2月3日でした。

正月はゲタや着物を買ってもらい、親戚・近所をまわりお年玉の(今の様に現金ではなく)ノート1冊、鉛筆1本をもらい“うかーす ぷからす むぬやたん”(大変うれしかった)。

“さにつ”(旧暦3月3日)は与那覇の“さにつばま”で競馬・相撲大会が開かれ、大潮で遠くまで潮が引いた浜で“あさい”(あさり)をよくとったものです。“あさい”の味噌汁の味がなつかしい。 

シュウーマン・ボウシュウ(梅雨)が始まる前に大豆を収穫する農繁期には3日間ほど小中学校は休校となり農作業を手伝わされたものです。梅雨が始まると大豆を刈り取った畑に、大豆の落ち穂から生えた“まみな”(もやし)を収穫?するのも子供の役目でした。大豆を刈り取った畑を裸足で駆けまわっても足をケガしなかった。今でも大豆もやしを見ると弟らと“まみな”を取った情景が想いだされます。

5月か6月頃、収穫された麦をつかい、収穫したばかりの大豆で味噌つくりがはじまります。うらじゃ”(物置用のざしき)で麦麹をむしろで育て、蒸した大豆を“うす”(臼)でつき、麹と塩を練りこみ素焼きの甕に寝かせていました。味噌は寝かせれば寝かせるほど熟成しまろやかで美味しくなりますが、作って半年くらいの若い味噌を使った味噌汁もおいしかったと覚えています。

大豆を収穫した後の、豆腐作りも懐かしい想い出です。石臼で豆を挽くことや、にがり代わりの海水を汲んでくるのも男の子の役目でした。できたての“ゆうどうふ”(ざるとうふ)に削りたてのかつお節をまぶし、醤油を少したらして食べるのは最高に美味しかった。

梅雨のさなか、“さにむ”(月桃)の花が咲き、“がーんぐ”(ほたる)が舞うようになると “さにむ”の花を虫籠のかわりにして“がーんぐ”を“さにむ”の花の中に入れて“がーんぐ”の淡い光を楽しんだものですが、今“がーんぐ“は宮古にいるのだろうか?

夏休みが始まる前に“がーら”(せみ)が鳴きだすと、“ばそう”(芭蕉)の葉っぱを筒状にして竹竿の先にくくりつけたせみ取りで“がーら”をとり、焼いて食べたものです。おいしかった想い出はありませんが、おやつのない子供には楽しみのひとつでした。ハチの巣も捕獲してハチの子を食べたこともあったケ。

このころ、“まいばま”(与那覇前浜)の岩で親指ほどの大きさの貝を捕り、海水で茹でて針を使い小さな貝の身をほじくって食べたのもいい想い出です。

“じゅうぐや”(旧暦八月十五日のお月見)は子供が主役で、隣近所・いとこなど仲良しどうしで“じゅうぐや”座敷をつくり、“そうみんぶっとる”(そうめんチャンプル)などをつくって満月のもとで食べたものです。心うきうきして“まーんてぃーうむしやたん”(本当におもしろかった)。

このころは、“陸かに”(方言での名前は忘れました)が“あだん”(凧の木)の下から這い出し、卵洗いの為海岸に移動するため、前浜の“あだん”の中をかに捕りに行ったが、このかにを食べた覚えはない。たぶん美味しくないためただ捕るのが楽しかったのではないかと思う。

10月になり“にすかじがま”(北風)が吹き出し寒くなると松林に“まつぬみん”(松のきのこ、“まつたけ”ではない)が生えだし、この“まつぬみん”の味噌しるは“うかーす うまむぬ やたん”(ものすごく美味しかった)。“まつぬみん”の生える場所は皆に内緒にしたものです。畑に農薬を散布するようになったら、“まつぬみん”は消えてしまった。

このころは、“たか”(さしば鷹)の渡る季節にもなり、わが家では“たか”は貴重な現金収入でした。売り物にならない“たか”は“たかじゅーし”(鷹肉おじや)にしてして食べたが、これが“まーんてぃー ぬまむぬやたん”(ほんとうに美味しかった)。

このように1年がめぐり、楽しい正月を待ち焦がれることになりました。

おしらせ

松谷初美(下地・高千穂出身)

■『宮古島まもる君パーフェクトガイド』発売!

今や全国区となった“宮古島まもる君”。その全てを紹介した本が先月発売となりました!電子書籍版も同時に発売。宮古では初の電子書籍です。

この本は(株)あどびずが、発行したもので、作ったのは、あんちーかんちー(現在休刊中)でおなじみのD介さんこと森谷大介さん。森谷さんの取材力、探求心がこの本でも存分に発揮されていると思います。

現在は19体あるという“宮古島まもる君”。テレビやコマーシャルにも登場し、歌になったりグッズが発売されたりと大人気ですね。印刷版が525円、電子版が450円だそうです。みーみーるよ〜(見てみてくださいね)

編集・発行元株式会社あどびず
〒906-0012 沖縄県宮古島市平良字西里778-5-1F
Email info@ad-biz.jp
販 売印刷書籍版は現在、島内の書店・空港売店・土産物店などと、
通販 http://pukarasu-shop.com/?pid=32527151 (自社)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/ASIN/4990589300 (アマゾン)
電子書籍版 http://www.shinanobook.com/genre/book/902
対応端末/PC・iPhone・iPad・Android・Tablet (立ち読みも出来ます)
書籍詳細情報ブックマーク宮古島
http://bk-mk.com/

※“宮古島まもる君”とは・・・宮古のあちこちの道路に立って交通安全を見守っている、おまわりさんの格好をした人形(立像)です。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

先月、日本橋三越の「めんそうれ沖縄展」に行ってきました。夏になると東京でもあちこちで沖縄展が開かれ、だいずな賑わいです。三越では、「アートオブティダ」の田口ゆり子さん、「楽園の果実」の砂川智子さんが出展されたお店に行きましたが、宮古産のものがところせましと並べられ、やまかさのお客さんでした。マンゴーや、マンゴージュース、ジャム、さたぱんびん、島らっきょう、んきゃふ(海ぶどう)など買ってきて堪能しました。島らっきょうは、vol.244で紹介した油味噌を作りましたよ〜。さすがの神童レシピ、大好評でした!

東京新宿では、明日8日(金)〜14日(木)まで「第2回沖縄宮古島マンゴーまつり&観光・物産展」が新宿西口広場イベントコーナーで行われるそうです。

それから、7月27日(水)〜8月1日(月)は、伊勢丹にて「めんそーれ大沖縄展」が開かれ、ばんたが下地勇さん、砂川恵理歌さんがオリオンビアフェスタ(伊勢丹屋上 入場無料)に出演(7月29日)するとのことですよ。んなまから(今から)だいず、楽しみです。


さてさて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

台風の時、花札やっていましたねー。我家では、お父や兄たちがやっていて、まーんてぃ楽しそうでした。(うちは花札以外では、卓上卓球もよくやりました)サラ台風の時の詳細な記憶、当時の建築のことについても詳しいのは、さすが宮国さんですね。

菜の花の福島の方の話は、実際に関わった人ならではの想いが詰まっていましたね。まっすぐに向き合いながら痛みを分かつ菜の花の姿が見えるようです。(どこかのお大臣様とは大違い。)言葉のひとつひとつに、まーんてぃやー(本当にそうだね)と共感しました。

山雀タヌキさんの「やらびぱだ」の話は、1年の折々のことが鮮やかに映し出されていましたね。あの頃は、季節の移り変わりにも敏感で、自然の中でわくわくと楽しんでいたように思います。正月の待ち遠しさといったら!本当の豊かさとは、こういうことのような気がしますね。

宮古島発の本の出版、ぷからすむぬやー(うれしいですね)。初の電子書籍も出版されたとのことで、今後の展開にも期待大ですね。

あなたの感想もぜひお聞かせください。

きょうは、七夕。織姫と彦星は無事に会えるでしょうか。宮古では、息を飲むような素晴らしい天の川が見られます。特に夜中に見るのがずみ!晴れていれば、きょうは一段と輝くはずね〜。

今回も、しみゃーがみ おつきあいいただき、たんでぃがーたんでぃ〜!

次回は8月4日(木)発行予定です。どうぞお楽しみに〜。
夏バテしないようにしましょうね。がんずぅかりうらあちよ〜(お元気で)あつかー、またいら!

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目次
  1. 台風と花札
  2. 大震災が変えたもの
  3. やらびぱだ(子供のころ)
  4. おしらせ
  5. 編集後記