こんにちは〜。
台風6号、大きな被害をもたらしましたね。お見舞い申し上げます。 みなさんのところは大丈夫でしたかー?
第3木曜日、いつも通り、くま・かまお届けです!
凹天さんにプリてから
根間郁乃(平良・久貝出身)
今年は芸術家の故・岡本太郎が生誕100周年ということで、回顧展や関連イベントなどが目白押し。私も先日、こどもたちを引き連れて沖縄県立博物館・美術館へ「岡本太郎と沖縄」展を観に行ってきました。
太郎本人が写した膨大な沖縄関連写真のなかに宮古島で撮影されたものも数点あり、漲水港の風景や人物などが写っていました。「この眉のきりりとした あんな(おばさん)は、今も健在だったりするのかねー?」などと心の中で思いつつ、原色の力強いタッチの絵や、「太陽の塔」のミニチュア、土器などなど、広い場内を回っては〜みるみるしていたのでした。
さて、ここからが本題です。太郎の父親・岡本一平も芸術家で、大正時代に風刺漫画家として活躍した方ですが、実は宮古島生まれのある人物と親交が深かったようなのです!その人物の名は、下川凹天(しもかわ・へこてん)さん。
存在を知ったのは、2008年夏のこと。気の向くままインターネットで検索をしていたら、日本初のアニメーション製作者は下川凹天という人で、宮古島出身だと知りびっくり。その晩から何かに憑りつかれたように調べものを始め、情報元である沖縄キリスト教学院大学の大城冝武教授の論文などを読み漁りました。
凹天さんは明治25年宮古島生まれ。熊本県出身の父親が宮古で小学校長をしていたため、幼少期を主に上野の新里で過ごしたそうです。9歳で父親を亡くし、その後は叔父を頼って上京。縁あって日本の職業漫画家の元祖・北澤楽天に師事します。
当時の花形であった風刺漫画家として頭角を現した凹天さんは、岡本一平らと並ぶ超売れっ子。初めての作品集『ポンチ肖像』では一平が序文を寄せ、凹天さんが琉球生まれであることを書いています。大正初期に自己流で製作した作品が、日本初の劇場公開アニメーション映画だと記録に残っています。昭和48年に千葉県野田市で没しましたが、東京国際アニメフェア2005では“日本のアニメをつくった20人”として、手塚治虫や藤子・F・不二雄と並んで表彰されています。
宮古でよく、何かに夢中になることを「○○ぶり(惚り)、プリる」と評しますが、あのときの私はまさに、凹天さんにプリていました。なんとかして凹天さんのことを地元の方々に知ってもらいたいという一心で、旧友の宮国優子と一緒に埼玉や千葉へ行き、野田市広報の北野さん、最晩年のお弟子さんたち、漫画史研究者の清水勲さんなどを訪ね歩き、作品が保管されている神奈川の川崎市民ミュージアムも回りました。
いろいろな方々の理解と協力があって、2009年秋に宮古島市総合博物館の主催で凹天さんの企画展が開かれました。主軸となった学芸員の小禄さん・川上さん渾身の展示を観たときには、ありがたい気持ちでいっぱいでした。いつか宮古島に帰ってみたい、と親しい人だけに話していたという凹天さんも、天国できっと喜んだことでしょう。
最近、テレビの特集で、岡本太郎の秘書で養女の岡本敏子さんが紹介されていました。太郎の芸術を人々に広めることに、情熱を燃やし続けた生涯。その敏子さんの気持ちが、今なら少しだけ分かるような気がします。
宮古関連でも、きっとまだまだ、あまり知られていないエピソードが埋もれているはず。そんなことを発掘して、みんなに教えたい!というマニアックな人が増えていくと楽しいなあ、と、凹天ぷりむぬの私は今日もあれこれ考えているのでした。
あぅう”わ(油)
松谷初美(下地・高千穂出身)
最高気温が体温に近いような暑い日が続く毎日。今年は節電の影響もあって例年よりも厳しい暑さだ。
しかし、どんなに暑かろうが夏が好きである。ぴしーぴしの(寒い)冬は体に合わないらしく、体調を崩してばかりいる。つくづく宮古生まれだなーと実感をする。
夏バテというのをしたことがないので、食欲がなくなるということもない。(少しは夏ヤセすれと思うんだけど・・・)
先日、お盆(7月13日〜15日)のとき、お供えをするのに、夕飯に義父も好きだった揚げ春巻きを久しぶりに作った。暑いときに揚げ物もどうかと思ったが、意外に食が進む。家族もペロリと平らげた。
そういえば、宮古は暑いのに油っこいものをよく食べることを思い出した。暑いところでは、辛いものが食べられるイメージがあるが、宮古で辛いものといったら、思い当たるのは、クース(唐辛子を泡盛につけたもの。汁などに入れる。)ぐらい。辛いものはそんなに食べない。
その変わり(と言ってはなんだが)、あぅう”わ(油)をよく取っていた。
やらびぱだ(子どものころ)の我家の味噌汁には必ず あぅう”わ(油)が入っていた。豚の脂身だったり、植物油だったり。菜っ葉と油の入った味噌汁はよく出たなー。
野菜炒めをするときも、まずは、フライパンで豚の三枚肉を焼き、じっくりと脂を出してから野菜をいためていた。ホントに あぅう”わ あぅう”わ(あぶらっこい)のものが多かったなーと思う。
んきゃーんな(昔)の農家は、手作業がほとんどで、農作業は重労働だった。そんな中で あぅう”わ(油)は、だいず必要な栄養源だったのだろう。父親たちに合わせて母も料理していた。
考えてみたら、油味噌もそういうことか?油と味噌(塩分)で、汗で流れたものを補っているのかも。最近の油味噌はそうでもないが、昔の油味噌は、冷めると、白くなった豚肉の脂がいっぱいだった。油味噌は、暑いところの理にかなった一石二鳥の料理だったってわけか。今更ながら、なるほどーと思う。
最近は栄養過多のほうが心配で、油は控えめにというのが主流だが、まだまだ猛暑が続きそうなこの夏。たまには、あぅう”わ あぅう”わ(油っこい)ものを食べるのも一計かも。
一粒の種と手話ダンス
あば本舗(下地・上地出身)
去る7月2日土曜日の昼、私は宜野湾市民会館前にいた。
これから、NPO法人・手話ダンスYUI&I沖縄支部による東日本大震災支援チャリティイベントが行なわれるのだ。
実は、一年前から習い始めたフラダンスの○城先生は、手話ダンスの講師でもある。このイベントへの出演準備で何かと忙しそうだった。6月初旬のある日、先生がふとこぼした言葉を私は聞き逃さなかった。
「今回のプログラムの中に急遽『一粒の種』が加わる事になってね。急いで振り付けを覚えなければいけないから大変よ〜。」
私は、心の中でガッポーズをとった。おぉ!んにや だいず うりやんにや き゜たんどー!(チョー大変。これはきたぞ〜!)と思った。
当日は、O城先生への応援も兼ねて、フラダンスサークルの面々と連れ立ってやって来たというわけである。
第1部は講演。そして第2部がいよいよ手話ダンスである。楽曲は全部で23曲。日舞、琉舞、唱歌、歌謡曲に合わせて、それぞれのグループが手話を振付けたダンスを踊る。会場は満席で熱気ムンムン。どんどん人が集まり通路まで人が溢れていた。
プログラムは次々と進み、13番目にいよいよ「一粒の種」の順番がきた。しかも、本人が登場するというサプライズが!O城先生達踊り手に続いて砂川恵理歌さんが舞台に現われ、「一粒の種」が誕生したいきさつやエピソードを紹介し始めた。これが堂々の宮古訛りで会場は爆笑の渦。
最初はやや悲壮感のただよう雰囲気だった会場は、彼女の訛りにつられ一瞬で明るい笑いのある場へと変わっていく。宮古のもつ逞しいパワーを実感した出来事だった。
そして、実は東北でのコンサートを終えた帰りである事。歌を聴きにきた被災地の女性が、号泣しタオルで涙を拭きながら、3月11日のあの日から一度も泣けなかった。この歌を聴いて初めて泣く事が出来た―と絞り出すように伝えてくれた事も明かした。会場のあちらこちらでは、恵理歌さんの絶妙なトークに笑わされつつも涙をそっとハンカチで拭う姿があった。
「一粒の種」の生歌に合わせた手話ダンスは、優雅でエレガントでため息が出るほど美しかった。あてい かぎかりば ふっちやあき みーうたー(あまりにも綺麗なので、口をあけて見ていた)
打ちひしがれた心や体を優しく包むような歌詞を聴いていると、とても癒される。きっと被災者の方がたに今必要なのは、この歌のように傍らに寄り添う静かな慰めと励ましなのかもしれない。
くまかまから出発したこの歌は、きっとこれからも多くの人びとに必要とされ愛されていくに違いないと思った。
おしらせ
菜の花(伊良部町仲地出身)
■映画「一粒の種」東京上映
東京で「一粒の種」が上映されます。336人の大合唱。それぞれの思いを込めて歌う場面からは不思議なパワーを感じます。感動的な宮古島産の映画です。ぜひご覧ください。
2011年8月8日(月)映画上映・出演情報
映画「一粒の種 〜真太陽の島の大合唱〜」上映&舞台挨拶
YOSHIMOTO WONDER CAMP×ニッポン放送 special event
LAUGH & PEACE 有楽町映画祭
会 場 | ニッポン放送イマジン・スタジオ(千代田区有楽町1-9-3-B2F) |
時 間 | 13:00〜 |
内 容 | トークショー、ミニライブ、映画上映(「一粒の種」「謝謝OSAKA」 「ホルモン女」「ソラからジェシカ」) |
チケット | 前売券1,000円/当日券1,500円 7/16(土) 前売券発売開始!! |
出 演 | なだぎ武、砂川恵理歌 ほか |
砂川泰斗(平良出身)
■『介護のキモチ』砂川泰斗著 発売!
東京で介護の仕事をしています。その中で感じることが多く、ツイッターでつぶやいていたところ、やまかさ(たくさん)のツイート(59,418件)がありました。
その中から108ツイートを厳選し今回、本にしました。(8月10日発売。¥1155)
誰も書かなかった介護のホンネが満載の一冊となっています。宮古島出身の著者自身が感じることは、人のつながりが上手く機能している島内においては、「介護」している、されているといった意識はあまりないように思います。しかし、ご存知のように、島内での高齢化率は非常に高くなってきています。今のうちに、少しだけでも「介護」を考えてみてはいかがでしょうか。(もちろん島外の方も!)
amazonにて、予約販売が開始されました!
【自社HPより購入】http://www.atalasbooks.com/
【電子書籍版】http://p.booklog.jp/book/30778
発 行 | ATALAS出版 |
住 所 | 〒201-0016 東京都狛江市駒井町1-8-14-202 |
TEL | 03-5497-5066 |
FAX | 03-6893-4751 |
Email | atalasbooks@gmail.com |
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
なでしこジャパン、やりましたね〜!この だいばん(大きな)花を咲かせるために、これまで、だいずな努力をしてきたのでしょうね。一生懸命頑張る姿は、ホントに美しい!
今夏の甲子園への切符は、糸満高校(初出場)が手にいれましたね。糸満高校は、ばんたが同級生の息子(巨人に入団した宮國椋丞選手)が昨年まで頑張っていた高校。うつーうつな(親しい)気持ちがします。選手のみなさん、頑張ってくださいね〜!
さて、vol.248は、のーしが やたーがらやー?
下川凹天さんのことは、郁乃さんが「あんちーかんちー」で書かれていたのを読んで初めて知りました。郁乃さんはきっと凹天さんと繋がるべくして繋がったのでしょうね。凹天さんは、自分にプリてくれた郁乃さんに、天国から感謝しているはず〜。
「一粒の種」の広がりは、多方面に渡りますね〜。あば本舗さんのダンスの先生も繋がっていたとはびっくりでした!砂川恵理歌さんの話し方や東北でのエピソード。こちらも会場で聴いているような気持ちになりました。まーんてぃ「一粒の種」は、これからも多くの人に寄り添っていくことでしょう。
そして、「一粒の種」の映画。いよいよ東京でも上映ですね〜。ぜひ、時間を作って足を運んでくださいね。それから、今月19日に発売された「週刊女性」(8/2号)に砂川恵理歌さんが6ページにわたって紹介されています。とても素晴らしい記事です。下地勇さんや菜の花のことも載っていますよ〜。ぜひ、ご覧くださいね。
砂川泰斗さんは、バイタリティあふれる青年です。こういう ばかむぬ(若者)がいるとホントにうれしいですね。『介護のキモチ』楽しみです。砂川さんは、以前、宮古毎日新聞でも取り上げられました。(宮国優子さんが書いています)こちらも合わせてご覧ください。
「宮古毎日新聞 続 花は島色」
http://www.miyakomainichi.co.jp/modules/news/article.php?storyid=873
あなたの感想まい、きかしふぃーさまちよー(お聞かせくださいね)
今回も、しまいがみ ゆみふぃーさまい、たんでぃがーたんでぃ〜。
お詫び:前号で次号の発行予定日がまつがっていました。申し訳ありませんでした。
次回は、まつがいなく8月4日(木)発行予定です。どうぞお楽しみに!
あつかー、うぬときゃがみ(それでは、その時まで)お元気で〜!