4月になりました。始まりの季節ですね。くまから・かまからも2年目の始まりです。またよろしくお願いします。
さて、今回は、んなま(今)宮古で じゃーんぬ(一番の)話題になっている「下地勇さん」を紹介します。
下地勇(しもじ いさむ)
プロフィール
- 1969年 平良市松原(久松、野崎)生まれ 32歳 会社員
- 宮古高校卒業後、上京。7年間の東京生活を経て、沖縄本島へ
- 沖縄国際大学入学・卒業。
- 生まれ育った久松の方言を使った歌を作り始めたのは、今から3年前。
- 父親の還暦祝いにその歌の入ったテープを送った所、大変喜ばれる。
- 同時にボランティアで訪問した老人ホームで歌ったりして、宮古出身の人たちに喜ばれる。そういったことが口伝えに広がり、先月初めて宮古でミニコンサートが開かれ大反響となった。
- 現在オリジナル曲、4曲 カバー曲、2曲がある。
今回、ご本人から、宮古を人一倍想っている皆さんに喜んでもらえるならと、オリジナル曲の「我達(ばんた)が生(ん)まり島(ずま)」の歌詞をご提供いただきました。どうぞ、下地勇さんの宮古への熱い想いと味(あず)のあるみゃーくふつで綴る歌詞をご堪能下さい。
『我達(ばんた)が生(ん)まり島(ずま)』
作詞:下地勇
1.『南(ぱい)からぬ風(かじ)ぬサヤサヤち 涼(すだーす)きなり ぶーぎ ぬ葉(ぱー) ゆ 撫でぃ。?お爺達(おじいた)が馬車や毎日(まいにつ) すぅとぅむてぃ 東(あがず)ザァ道小(んつがま)から畑(ぱり)んかい』
※南風がサヤサヤと涼しげに さとうきびの葉をそよがせている。お爺さん達の乗った馬車は、毎朝、東の道から畑へと出かけて行く
『お婆達(ばぁた)や茶(つぁ)ゆ 沸(ふ)かし 神(かん)かいスキィ「助(たす)き上手(どーず)ばしぃふぃさまち タンディトートゥガナス」 ちぃ 一番座(いつばんざぁ)ぬ蚊帳ぬ中んな 孫(んまが)ぬきゃぬ 寝(にぃ)フギャズ ばしぃ 鼻(ぱな)ば 吹きぃ 寝(にぃ)っう゜ぃうー』
※お婆さん達は、お茶を沸かして神様に供え「今日も一日守って(助け上手でいて)下さいね」と祈る一番座の蚊帳の中では、寝相の悪い孫たちが鼻をならして寝ている
『東(あがん)ニャーぬ 大(うぷ)アーザや戸口(やどぅふつ)ぬ 横(ゆく)ぁら小(がま)ん座(びじ)ゅーてぃ ツカニ綱(づな)ゆ 縫いうら?まず西(いず)ニャーぬ 大(うぷ)アーマや 三番座小(さんばんざぁがま)ん 座(びじ)ゅーてぃ「一つ(ぴてぃつ)二つ」ち?ブーゆ?紡(ん)?みーうらまず』
※東隣の家の大お爺さんは玄関の横に座って、わら綱を綯っていらっしゃる。西隣の家の大お婆さんは、三番座(小部屋)に座って、「ひと?つ ふた?つ」と糸を紡いでいらっしゃる
『前(まい)バラぬ猫小(まゆがま)やシバラぬ犬小(いんがま)ん追(う)すかされー綱引き四又(ゆまた)がみ逃(ぴん)ぎぃ回(まぁ)りー 久(ふが)・松原(まつばら)ぬ区長や公民館ぬスピーカーから ヤグイばし国民年金納(うさ)みふぃーる』
※南隣の家の猫は、北隣の家の犬に追いかけられて、遥か綱引き十字路の方まで逃げ回っている。久貝と松原の区長さんは、公民館のスピーカーから大声で「国民年金納めて下さい」と叫んでいる
『ういがどぅ我達(ばんた)が生(ん)まり島 愛(かな)す生(ん)まり島野崎の風(かじ)や あ?あ 今(んなま)まい変(かあ)らだな涼(すだす)きなり吹きうーなぁパナリ島(ずま)ぬ西(いず)んかいばし又太陽(てぃだ)ぬ沈(すず)みぃぴず』
※これが僕らの生まれた島(ふるさと)愛しいふるさと野崎の風は あ?あ 今も変わらずに涼しそうに吹いているだろうか 離れ小島の西へと今日も 太陽が沈んでいく
2.『野崎ぬ狭道小(いばんつがま)ゆタフケーし歩(あす)きうーちか お婆達が庭中(みなか)んウガナリー座(びじ)ぅてぃ 歩(あす)き来す我(ば)ぬー見ぃつきうーてぃ からー何処(んざ)ん家(やー)ぬ子(ふふぁ)が 誰(たー)がなす子(ふふぁ)が 長男なぁ次男(ずなん)なぁちー 仕事(すぐとぅ)まいしーだな廻(まー)りうらでぃやちかがめ 大事(だいず)なむぬ職(しゅく)パギばーしーどぅ廻(まー)りーぅつぁアバイガアバイ 知(す)さーん振(ふず)ばし歩(あす)きぅーすが 大概 聞(き゜)かれーどぅお婆達(おばぁた)下(すた)んかいフツばし歩(あす)かだかならん我達(ばんた)が野崎ぬ狭道小(いばんつがま)』
※野崎の狭い道を一人で歩いていたら おばぁ達が家の庭先に集まって座っていて 歩いて来る僕をじーっと見つめて あの子はどこの家の子だろうか 誰の子だろうか 長男かな次男かな(と話し合っている)仕事もせずに歩いていようものならエライ事だ “失業中だってよ へぇ”知らない振りして歩いているが ほとんど聞こえているよ おばぁ達下を向いて歩かないといけないな 野崎の狭い道は
『西(いす゜)ニャーぬお爺が弾(ぴ)きぃうたー 三味線(さんしん)ぬ音 小(にーがま)ん忘(ばっし)れぇん 我達(ばんた)がお爺がぴしゅたー ピーぬ臭(ふさ)さぬ忘(ばっし)れぇん ピ゜ダぬ御嶽(うたき)ぬ前(まい)んき飲(ぬ)んたー 甘(あず)ま玄米(ンキ゜)ぬ味(あず)ぬ 忘(ばっし)れぇん 我達(ばんた)がお婆がうぬすく煮(に)ぃふぃーたー 大根汁(うぷにずー)ぬ美味(んま)さぬ今(んなま)がみまい忘(ばっし)れぇん』
※西隣の家のお爺さんがいつも つま弾いてた三味線の音色が忘れられない 僕のお爺さんのオナラの強烈な臭いも忘れられない(久松)漁港の御嶽の前で飲んだ甘い玄米の味が忘れられない 僕のお婆さんがよく作ってくれた 大根の煮物の美味しさが今でも忘れられない
『ういがどぅ我達(ばんた)が生(ん)まり島(ずま) 愛(かな)す生(ん)まり島(ずま)綱引き(つなぴ゜き゜)四又(ゆまた)ぬ雀小(ましゃがま)ぬきゃーや あ?あ 今日(きゅう)まい変(かぁ)らだな ウマカマ飛(とぅ)び回(まぁ)りぅーべやー ストゥムティんな雀小(ましゃがま)ぬ鳴き゜声(くい)し 起(う)き゜みぃぶすむぬ』
※これが僕らの生まれ島(ふるさと)愛しいふるさと綱引き十字路にいた雀達は あ?あ 今日も相変らず あちこち飛び回っているだろうか 朝は雀の鳴き声で起きて(目覚めて)みたいものだ
3.『北(うい)ぬ畑(ぱり)ぬ東側(あがんなぎ)ぬ端小(ばしがま)芋(ん?む)ゆかじぅーお婆達(おばぁた)がどぅ 居(う)たぁ クバ笠ゆかっう゜ぃー 汗(あし)やたす゜ちかきぃ 馬(ぬーま)んかい 鍬ゆ牽(ぴす゜)きしみす゜お爺達(おじいた)がどぅ居(う)たぁ ズガキ゜ぬ浜(ぱま)から小(いみ)サバニ小(がま)ん乗(ぬ)ぅりぅ魚(いす゜)ゆ捕(とぅー)がち出(い)でぃぴす゜お父達(おとうた)がど ぅ 居(う)たぁ 大(がば)しゃー盥(たらす゜)ゆ頭(かなます゜)ぬ上(わーび)ん乗(ぬ)ぅしぃ 平良(ひ゜さら)んかい魚(いす゜)ゆ売(うう)がちぴす゜母ちゃん達(た)がどぅ居(う)たぁ』
※北の畑の東側の端っこで 芋を掘っていたお婆さん達が居た クバの葉の帽子をかぶって 汗をいっぱいかきながら 馬に鍬を牽かせて いたお爺さん達がいたよ スガキ浜から小舟に乗って 魚捕りに出て行く お父さん達が居た 大きなタライを頭にのせて 平良のまちまで魚を売り に行くお母さん達が居た
『働(ぱたら)きぃ 働(ぱたら)きぃ 休(ゆく)う暇(まどぅ)やーつ無(にゃ)ぁだなウヌスク働(ぱたら)きぃ 子供達(ふふぁぬきゃ)ゆ成長(ぷどぅ)わしみぃ 明日(あっつぁ)まい また働(ぱたら)き゜がち 一人(たふけー)また一人(たふけー)ちぃ 子供達(ふふぁぬきゃ)家(やー)ゆ出(ぱす゜)でぃぴりぃ 暗々(ふふぁーふぁ)ぬ二番座小(にばんざぁがま)んな 淋(さび)すきなり夕飯(ゆーす゜)ゆ食(ふぁ)いうー 父母(いざんま)ぬどぅ居(う)?』
※働いて働いて休む暇など無く一生懸命働いて 子供達を育て上げ そして 明日も又働きに出かける 一人 また一人と(成長した)子供達は家を出て行き 薄暗い二番座(居間)では、淋しそうに夕飯を食べている両親が居る
『マーンチうぃどぅ我達(ばんた)が生(ん)まり島(ずま) いつがみまい忘(ばっし)れぇん愛(かな)す宮古(みゃーく)あ?あ 老人(ういひ゜とぅ)若者(ばかむぬ)心(くくる)や一つ(ぴてぃーつ)んなりうーてぃ 肝小(き゜むがま)ん染(す)みうかでぃ我達(ばんた)が生(ん)まり島 いつがみまい忘(ばっし)だなうらでぃ 我達(ばんた)が生(ん)まり島』
※本当にこれが僕らの生まれた島(ふるさと)なんだ いつまでも忘れられない愛しい宮古 あ?あ 老若男女、心を一つにして 心の奥底にしまっておこう僕らのふるさとを いつまでも忘れないでいよう 僕らのふるさとを
『編集後記』
松谷初美
皆さん、のーしがやたりゃー(いかがでしたか)?
私は最初にこの歌を聴いたときは、あまりの衝撃にことばが出なかった。この歌のみゃーくふつのひとつひとつが き゜む(心)にすみ(染み)なだ(涙)を止めることができなかったのだ。
この歌は下地勇さんのふるさと野崎(久松)を歌った歌だが、宮古全部の原風景でもある。この詩を読みば読むぷどぅん(程)生まれ育った宮古を誇りに思い、ありのままの自分たちでいいという優しさに包まれる。
また改めてみゃーくふつの表現の素晴らしさを実感する。私達には、みゃーくふつでしか表現のしようがないものというものがある。そこが実によく表現されていて、その風景が目に見えるようなのである。ゆがいな(ユーモア)もばっしん(忘れない)感性にも脱帽。
いすぅがす(忙しい)現代社会に生活している私達は何か大事なものを忘れようとしているのではないか。失われようとしているのを知うぃてぃまい(知っていても)傍観している私達がいるのではないか。いろいろなことを考えさせられる歌でもある。
私達のにー(根)は、この宮古で できている。このにー(根)さえ持っていればどこでも暮らしていける。そんな勇気が持てる歌だと思う。
下地勇さんは、仕事をしながらの活動をしているため、彼の歌を聴く機会はあまりありません。しかし、年内にはCDの発売も予定されているという事です。今すぐ彼の歌を聴きたいと思うのはやまやまですが、熱く、でも静かにCD発売を待ちたいと思います。
彼の素晴らしいみゃーくふつの歌は、これからもどんどん出てくるであろうし、後世にも残っていくでしょう。彼の今後の活躍を見守り応援していきたいと思います。
下地勇さんには、メールマガジンへの掲載を快く承諾してくださり、心より感謝いたします。たんでぃがーたんでぃ。
《このメールマガジンの転送、転載、流用を固くお断りいたします》
さて、次回は4月18日(木)発行予定です。