くまから・かまから vol. 250

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 こんにちは〜。
 暑い毎日が続きますが、がんずぅかりうらまずなー?
 くま・かま250回目のお届けです! お楽しみくださいね〜。

夏がくれば思い出す

キムキム(平良・西里出身)

 今年も、夏休みはやってきた。子供達が大きくなったので、普段とほとんど変らない夏休みを過ごしている・・・最近は、あの手この手で、「思い出の夏を」、「楽しい夏を」とイベントで盛り上げている。とりわけ今年は、震災のあと、被災地を元気に、東北にエールを、と各地でチャリティイベントが目白押しである。
 
 20年以上も共働きの我が家では、娘達が小学生の頃は、夏休みの過ごし方(過ごさせ方)は、死活問題だった。一週間や10日くらいならともかく、40日となると、毎日、留守番というわけにもいかない。すぐに、かまりる(飽きる)さー。
 
 夫も私も実家が遠く、兄弟や親戚も近くにいないため、長期の休みは、娘達をいかに有意義に過ごさせるかが、私たち夫婦の夏休みの課題であった。
 
 「お昼はラップしてあるからレンジでチンして食べてね。 熱いから出す時、気をつけてよ」

 「遊びに出る時は、鍵と帽子と水筒を忘れないでね」 

 「お友達の家で遊ぶ時は、挨拶とお礼はちゃんと言うのよ」

 「何かあったらすぐに、携帯に電話して」

 玄関で靴を引っ掛けながら叫ぶ。

 あがい、んぎゃます、ぴゃーまりぴりゆ〜(ああ、もう 早くしてよ〜)
 
 1年生の頃は、娘も不安なのか、30分に1回は携帯へ電話してきた。
 
 「おかあさん、冷蔵庫のジュースを飲んでいい?」

 「ドリル終わったから、ドラえもんのビデオを観てもいい?」など。

 涼しい顔で、「んん・・・いいよ〜」と交わしていたものの、仕事にならず、周りの雰囲気もおだやかではないのが感じられる・・・(あてぃ、どぅぐりさー)他愛もない内容だが、そうやって電話で親の声を聞ける事で娘も安心し、夏休み終わり頃には電話もしてこなくなった。
 
 夏休みには必ず、家族でキャンプをした。2泊3日。電気とガスは禁止。もちろん、ゲームも携帯も禁止して。テントでサバイバル生活を体験させた。ご飯を炊くのも、肉を焼くのも、まず、火を熾すことから始めた。暑い夏に汗と炭にまみれて、時には、涙をながしながら焦げた食事でがまんした。ここには、自然の音しかないので、家族中でおしゃべりになった。
 
 この夏、我が家は、まだエアコンと扇風機を使っていない。キャンプの経験が生かされているとしたら、親としてはイイバーこと。
 
 4年生になると、娘は、沖縄のおばぁの家に、3週間のホームスティに行きたいと申し出た。おばぁは、張り切って、「宿題は何をさせるか」「どこを、観光させたらいいか」と言ってきた。
 
 ・・・あらん、あらん、違うさー「アガぃー、沖縄のおばぁの生活を見せればいいさー」「沖縄の普通の夏を!」(あば、ぴんなぎ(変な)おばぁだねぇ)
 
 沖縄1週間目、沖縄でマクドナルドを見つけた娘は、「おばぁ、久しぶりにポテトが食べたい」とねだった。おばぁの沖縄料理に飽きてきた頃、思いがけずマクドナルドにありつけた娘はポテトをほおばるなり、「うーん、しあわせ〜」と、うっとりしたという。3週間後、娘は、んざのふふぁりぁー(どこの子?)と見間違うほど、ふふがー(真っ黒)になって自分で作ったというシーサーを抱えて帰ってきた。
 
 9月、2学期がはじまり、娘の肌色もすこしずつ戻りはじめ、涼しさが感じられる頃、沖縄のおばぁから小包が届いた。あろうことか、「マクドナルドのフライドポテト」が やまかさ(たくさん)。「しあわせ〜と言った、あの顔が忘れられなくて」と。「つんだらーさー。たうきゃーしーやーすーやーす 母ちゃんをまちうーなー(可哀想に、一人で腹をすかせて母の帰りを待っているのではー)」と。・・・あきれながら涙が止まらなかった。
 
 今年、高校生になった娘の夏の沖縄留学は、「おばぁの介護サービス」となった。おばぁが大好きな「芋ようかん」をやまかさ抱えて出かけた。

かたあきの里

松谷初美(下地・高千穂出身)

 宮古島市熱帯植物園を東に少し行くと、んつ(道)から ぱいなぎ(南側)に赤瓦屋根の集落が見えてくる。石垣の塀、珊瑚の砂利が敷き詰められた道、木造で建てられた7棟の赤瓦の家家。目にしたとたん、何十年か前にタイムスリップしたかのような懐かしさがあふれてきた。
 
 ここは、一年前の平成22年7月にオープンした宿泊施設「かたあきの里」だ。ぴすーぴすの(ひろい)敷地に、赤瓦の家が集落のように一戸一戸建てられている。
 
 入り口傍の建物は「かたあき屋」という名前の受付になっていて、後6棟が宿泊施設。それぞれに「すくばり屋」「なぐらし屋」「あさぎ屋」「だいばん屋」「まちゃがま屋」「ぱいぬ屋」と方言の名前がつけられている。
 
 「かたあき屋」のオーナー、垣花優子さんは、「数年前に弟たちと、赤瓦の家が少なくなってきてさびしいよね。何とかできないかねーという話をしていた中で、建築士の伊志嶺敏子さんと出会い、その繋がりで国交省の地域住宅モデル普及推進事業の補助金を活用してこの施設をつくることができました」と話す。
 
 「“かたあき”というのは夫の父がよく使っていた言葉で、例えば孫たちとキビ植えをする時に、この まに(畝)は、あんたの かたあき(役割)ねーと言ったり、何かみんなでするときは、はい、これはあんたのかたあきーと言っていたんですよ。ここの名前を何にしようと考えた時に、この言葉が浮かび、いい言葉だなーと思って」
 
 「宮古では、赤瓦も作っていないし、建築に使える木もなく、またこういう家を造れる大工さんももういないので、瓦は沖縄から。木は、山形の金山彬を使って、大工さんも山形のほうから3名来てもらい、宮古の大工さんと一緒に作りました」とのこと。
 
 家の中に入ると木の良い香りがする。畳の間や縁側、裏座もある懐かしい作りだが、設備は近代的。キッチン、バス、トイレも凝っていてとてもおしゃれだ。一押しは、露天風呂。有田焼きの陶器のバスが備えられていて、木の壁。お風呂に浸かりながら眺める星空や月は、最高の時間を与えてくれること間違いなし。
 
 それぞれの棟は、家族向け、少人数向けだったりといろいろだ。食事は基本的についていず、自炊ができるようになっている。
 
 宮古で赤瓦の家に住んでいる人は、ほんとうに少ない。まして、観光客が泊まってみたいと思ってもなかなか難しい。
 
 垣花さんは「弟たちと語った赤瓦の家。今こうして実現し、自分がやっていくことになった。それが今の自分の“かたあき(役割)”だねーと思っています」と話す。

 そして、「近くには大野山林もあって自然豊か。庭には樹齢60年余りの松の木もあります。宮古の自然を感じながら、懐かしい木造りの家でゆったりしていただけたら、うれしいです」と、やぱーやぱの(優しい)笑顔で話した。
 
 家族や恋人、友人たちとの宿泊にはもちろん。新婚旅行や記念旅行に親御さんへのプレゼントなどに利用するのも、だいず上等と思う。機会がありましたら、ぜひ!

兄を想って書いた詩(17)

ワタリマリ(上野・宮国出身)

 この詩は、脳性マヒの あざ(兄)を想って書いたものです。

 ボクの持つべきもの

 ボクには財産はあるのだろうか?
 心の財産は親や姉妹たち、親類のみんなだけれど
 ほかには?というと
 お金も持ってないし畑もない
 靴もなければ帽子もない
 ほとんど「ボクのもの」はない
 しいてあると言えば遊び道具のなわとびだけだ
 ボクは生まれたときから
 はやく「死んだほうがいい人」の中にいて
 「さーち すにるいら(早く死ぬんだよ)?」と
 いつも促されていた
 悪意で言っているわけではない
 が冗談でもない
 本心でもなければかといって嘘でもない
 ただこの命どうしようかと
 みんなが案じているだけだ
 未来を持つことができるわけじゃないし
 自分の意思で生きていく力すら持ってないないボクだから
 物置みたいな存在のボクに哀れ情けをかけているんだ
 執着なしで手ぶらで生まれて毎日手ぶらで生きている
 まさに「のーまいにゃーん(何もない)」ボクだ
 こんなボクのどこに
 物を持つ意味と必要があるだろうか
 妹はボクに歩行の訓練をする
 必死にボクを背中から抱えて直立不動の・・・
 ああ無理だって
 あきらめろって
 必要ないって
 こんなちいさな体でボクに何を持たせたいんだ
 足裏は地に付かず
 膝は曲がり
 キミが手を離したらボクは崩れるだろう
 何も持てないのさ
 それでも妹は固い固いボクの足を
 先へ先へと出そうとする
 歩いたところでボクに持たせるものでもあるのだろうか
 ボクに語りかける妹
 歩いて畑にいこうね
 海にいこうね
 んまやー(おばあ家)にも
 やーむとぅ(家元)にも行けるようになるさあ
 学校にもいって
 運動会にもでて
 リレーの選手にもなれるはずよと
 せつないくらいに希望と未来をあきらめない妹
 こんどはボクの指をとり人差し指を立たせ
 他のは折り曲げて
 「くいど ぴつーつあーばんに(これが一つだからね)」
 「くりゃあ ふたーつ(これはふたつ)」と
 ボクの固い固い指を広げたり曲げたりしながら数の練習
 そんなのしても無理だって
 あきらめろって
 ボクには何も必要ないのさ
 数が数えられたところで
 ボクの何かを持つことができるわけでもないし
 また妹が語る
 字も覚えて算数も解かって
 だれよりも一番になるさあ
 そしたら
 お金持ちになって
 何でもできるさあ
 ボクのあり得ない未来を手放そうとしない妹
 ボクに対して
 だったらいいねえをいっぱい持って生きている家族
 何も持たない美学もあるというのに
 ボクは何も持っていないけれど
 ボクはぜいたくな何もしない日々を送っている
 父と母の「すとむち ぬ ちゃあ(朝のお茶)」で目覚め
 海から吹く風を枕に夢をみる真昼間
 小鳥の歌で目を覚ませば
 今日は終いかけていく
 ほらこれといって何もない
 何かを持たなくては生きていけない普通の人々
 幸せや不幸せは別として
 なんだかオモタそうだ
 オモタくてもみんな何も感じずそれが当たり前になって
 それがまた人の人生になっているようだ
 それがまた人の喜びでもあるようだ
 何も持たないボク
 姉や妹たちはこれもあれもと欲ばかりだ
 もうボクに何かを持たせることはあきらめて
 母と一緒にボクに問う
 「ぷからすーぬ?(嬉しいの)」
 ぼくは「ん」と答えた
 そしてまたなわとびとあそび
 海を眺める日々を過ごしていた
 ボクが持つべきものがここにある

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 8月10日〜16日まで宮古に帰っていました。
 やっぱりこの時季、宮古は避暑地?宮古は気温があがっても32〜33度。風も吹くので、東京より すだーすーすだーす(涼しい)でした。
 
 12日〜14日(旧暦7月13日〜15日)は、お盆。あの世にいるおじいおばあを 家族みんなで んかい(迎え)、3日間、三度の食事やちょーき(おやつ)でもてなしました。その間、近所の人や親戚などが やまかさ(たくさん)訪ねてきて、楽しい時間を過ごしました。何十年ぶりに会う人もいたりして、お盆はこういうためにもあるんだはずねーと思ったのでした。14日は、かびじん(紙のお金)を、だう(たくさん)焼いて、送りました。んまが(孫)、曾孫、玄孫まで訪ねてきたから、おじい、おばあは ぷからすむぬだったはず。

 お盆の合間に、ぶーき゜(キビ)の夏植えをする光景も見られましたよ。この後、雨がほしいところですね。
 
 15日は、オフ会を「和風レストラン たまよせ」(のりぼーのお兄さんのお店です)で15名(ひでおさん、k.takanoriさん、D介さん、瑠香さん、与那覇淳さん、よなちゃん、ようこさん、平良さん、ざうかにさん、根間郁乃さん、神童、菜の花、こうちゃん、松谷、初美)が参加してやりました。神奈川から宮古にUターンしたざうかにさん、元気でしたよ〜。のりぼーのお兄さん、んまーんまの(おいしい)料理をありがとうございました〜。二次会はのひなひろしさんの店「ぬかぁぬか」まで十六夜の月に煌々と照らされながら移動。カニさんも合流して午前2時半まで!楽しい時間を過ごしました。ご参加くださったみなさん、たんでぃがーたんでぃでした!


 さて、vol.250や のーしがやたーがらやー(いかがでしたか)?

 キムキムさんの娘さんの夏休み、いいお話でしたねー。おばあちゃんがポテトを送ってきた場面に、うるうるきました。おばあちゃんと娘さんの絆にも。今回の訪問もおばあちゃんはどんなにか喜んだことでしょうね。描かれていない場面までも浮かんでくるような心温まるお話しでした。

 「かたあきの里」の垣花さんは、なんと中学の時のテニス部の憧れの先輩でした。会うまで知らなかったのでびっくり!縁側に座り、ぱいかじ(南風)を受けながら、じっくりお話しを聞かせていただきました。垣花さん、お忙しい中、たんでぃがーたんでぃでした。ばんまい(私も)いつか、泊まってみたいです。

 大人気のワタリマリの「お兄さんを想って書いた詩」、今回も胸に響きました。お兄さんが持っている心こそが、一番すごいですね。飾りのない研ぎ澄まされた言葉に心が洗われていくような気がしました。

 あなたの感想もぜひお聞かせくださいね。

 今回は、250回かぁーと、夜更けにひとりしみじみしながらの編集でした。こんなに発行できたこと、ホントにみなさんに感謝です。すでぃがふ〜!!

 次回は、9月1日(木)発行予定です。どうぞお楽しみに!
 暑さが続く中、どうぞお体を大切に。あつかー、またいら!