くまから・かまから vol. 256

  1. Home
  2. 未分類
  3. くまから・かまから vol. 256

 みなさん、こんにちは! 秋も深まってきましたね〜。ぱだーぱだうらまずなー(お元気ですかー)
 vol. 256 お楽しみくださいね〜。

生まり島・ミャーク大会で宮古へ

松谷初美(下地・高千穂出身)

 「生まり島・ミャーク大会」が11月4日〜7日まで開かれ、帰省しました。
 
 3日、空港の大会受付で「お帰りなさい」と迎えられ、名札、おみやげをもらい、外にでたらば、強い日差しで、あつーあつ!のーしぬばー(どういうこと)?11月とは思えない暑さにびっくり。
 
 4日は、前号で紹介した「茶家 芭蕉」に友人と行き、夏のランチとは違う味を楽しみました。ていねいな恭子さんの料理に今回も感動でした。
 
 その夜は「スケッチ・オブ・ミャーク」(宮古の古謡や神歌を取り上げたドキュメンタリー映画)の上映会。会場に15分前に着くもチケット完売(当日券も!)で入れず!残念でした。東京での上映を楽しみにします。
 
 5日は、クイチャーパラダイスの発表会がありました。全国から宮古に結集しての舞台。歌に三線に踊りと見応えがありました。
 
 夜は農協のホールで「歓迎ぷからすパーティ」。約400名が集い、宮古料理に舌鼓をうちつつ、パニパニjr、下地暁さん、魅川憲一郎さん、砂川恵理歌さん、下地勇さんのステージを堪能。恵理歌さんと勇さんによる「一粒の種」も披露されましたよ。他の郷友会のみなさんと交流したり、懐かしい人にも会ったりと楽しい時間でした。
 
 パーティの後は、恒例「たまよせ」にて、オフ会を開きました。今回、19名が参加。くま・かまは三線・歌の名手ぞろいなので、歌ったり、踊ったりとだいず賑やかでした。くま・かまを始めて10年余り。最初と変わりなく、こうやって皆さんで過ごせることが、うれしく、有難く、胸がいっぱいになりました。みなさん、たんでぃがーたんでぃでした!!

 6日は、朝早く菜の花と待ち合わせをして、宮古の にすなぎ(西辺り)にある海へ。静かな海で、トントンミーのあどけない顔に癒されたりいみっちゃの(小さな)魚の群れに歓声をあげたり、蝶々や植物の写真を撮ったりと自然を満喫しました。
 
 その後は「すまふつ自慢大会」を見るため、マティダ市民劇場へ。「鳴りとゅむみゃーくふつ大会」の優勝者のみなさん(6名)が登場しました。各地域の あずーあずの(味わい深い)方言を堪能しながら、話す内容に、大笑いしたり、思わず涙がこぼれたり・・・心がいっぱいほぐされました。まーんてぃ、んまり島の言葉てぃぬものー、き゜むん 染みむぬやー。(本当にふるさとの言葉というものは、心に染みるものですね)
 
 午後からは、カママミネ公園にて「クイチャーフェスティバル」を見ました。創作クイチャーから伝統クイチャー、郷土芸能と盛りだくさんの内容。クイチャーといえども、地域によって歌も踊りもさまざま。初めて見るのもあってだいず新鮮でした。まーつき(一緒に)踊ってはーみるみるしました。ばんたがクイチャーマンさんこと垣花譲二さんは、審査員をしていましたよ。創作ダンスで参加した子どもたちは、小さいころから、クイチャーが傍にあるという感じでしょうね。伝統クイチャーに参加する子どもたちもいて、確実に次世代に繋がれているなーと感じました。
 
 夜は「ポストカードアート展」へ。展示の最終日ぎりぎりでしたが、見ることができて良かった〜。個性あふれる作品が だう(いっぱい)飾られその中から何枚か買って帰りました。D介さんにも会えてうれしかったです。D介さんの作品「琉米文化会館」は売り切れでした。残念。
 
 7日は、菜の花の母校、伊良部小学校で「一粒の種 講話&ミニコンサート」が開かれました。体育館の舞台には、だいばん(大きな)字で、ようこそ砂川恵理歌さん、ようこそ高橋尚子さんと書かれ、熱烈歓迎。菜の花こと高橋尚子の講話から始まりました。小学校時代のことや「一粒の種」ができるまでのいきさつを分かりやすく児童、父兄のみなさんに話しました。(菜の花はホントに話しが上手)みなさん真剣に聞いていましたよ。恵理歌さんは「一粒の種」を披露したり、子どもたちにいろいろ質問をしたりして、子どもたちと触れ合っていました。恵理歌さんはこうやって全国回っているんですね。感動の「講話&ミニコンサート」でした。
 
 盛りだくさんの内容で過ごした5日間。これも大会が開かれたおかげです。大会は今年初めての開催で、当初、島外からの参加2000名を想定していたようですが、実際は200名余りとなったようです。少ない参加で残念でしたが、でも、改めて宮古の良さを実感し、横のつながりができたとても意味のある大会だったと思います。
 
 島を遠く離れている人は、宮古に帰る理由にもなるので、ぜひこれからもやってほしいです。
 
 あ、今度は、オプションでよいですので、観光バスで宮古一周とか、湧水めぐりなどもいかがでしょう?

夜長の季節に読書とくれば思い出す

菜の花(伊良部町仲地出身)

 暑かった夏は去っていき、いつぬまどぅんが(いつの間にか)秋到来、そして晩秋。徐々に夜の訪れが早くなり、「読書の秋」との言葉に思い出の引き出しがカタカタと音をたてる。
 
 あー(吾・私が)通っていた伊良部小学校には、学校のほぼ まんなはん(真ん中に)当時にしては贅沢な大きさの立派な図書館がドン!と建っていた。宮古島の先生方が見学に来られたり、研修に使ったりしていた。
 
 図書館は読書だけでなく、そろばんの検定試験、辞典ひき大会などいろんな大会も行われていた。うりばはー ぉぽーぷぬ(それほど大きな)図書館だった。
 
 んなみまい(今でも)図書館の入り口の間取りも、テーブルや椅子の配置も覚えている。私の登校日数と、図書館にいた日数はもしかしたら同じかも。玄関を入るとどんな かざ(匂い)がしていたか、どこに のーしーぬ(どんな)本があったか、図書館に置かれた本の位置までも覚えている。
 
 図書館に入ると、まっすぐ前には天井まで木でできた書架があって、国内外の分厚い辞典類がぎっしりと並んでいた。
 
 入ってすぐ右手には、児童書が やまっさ(沢山)あり、その次の棚には社会や歴史の本が、奥へ行くと難しい本(多分先生たち向けの本)がぎっしりと並んでいた。
 
 左手の書架には小説、世界の童話、偉人の本など外国の本がいっぱいあった。シェークスピア、アンデルセン、グリム、外国の伝説、神話もよく読んだ。詩集も大好きだった。ん〜!懐かしい!!
 
 本を借りるときは、代本板というものが必要だった。厚さ一センチくらいのB5サイズを三角形にしたような形で、板の背に名前を書くことになっていた。児童はみんなこの代本板を持つように決められていた。
 
 使い方は、借りたい本を取り出したら、本があった場所に代本板本を置く。返却する時は代本板と本とを置き代えるので、自然と本があった場所を覚えていくのだ。
 
 代本板にクチナシの実を塗りつけると、のーてぃまい んざいん(何ともいえない)渋みを帯びた黄色になる。ニスを塗る子もいた。びきやらび(男の子)たちは本を借りることよりも、代本板を磨くことに熱中し色合いを競っていた。
 
 私はクチナシの実で色を付けていたが、代本板を使いすぎて色褪せてしまい、しまいには手垢や脂染みた色になってしまっていた。
 
 やらびぱだはー(子どもの頃から)本が大好きな私は、本を読みだすと夢中になってしまい、周りのことがかき消されてしまうことが多かった。陽が落ちて夕暮れの部屋が薄暗くなっていることにも気付かず、母ちゃんに「目が悪くなるでしょう!」と、注意されたことは数知れず。
 
 んなみまい(今でも)忘れることができないのは、小学校三年生か、四年生の時のこと。その頃はまだ石油コンロの上に羽釜をのせ、マッチで火をつけてコンロの芯で火加減を調整しながらお米を炊いていた。母ちゃんが出かけるときには、当然のように私がご飯を炊いていた。
 
 その日も母ちゃんからご飯を炊いておくように頼まれた。午後の陽は傾いていき、やーんな たーるまい みーん(家には誰もいない)。邪魔されずに一人で思う存分本が読める!嬉しくさえあった。
 
 コンロの前に立って本を読んでいると、遥か遠くから母ちゃんの声がする。しかも怒鳴っているようでもあり、悲鳴に近いようでもあり・・・。とにかく切羽詰まった声にただごとじゃない事を知る。
 
 はっ!と気付くと、フチャ、フチャ、フチャ・・・コンロの上の羽釜が音を立てているばかりか、ナンカツクルズぬ かざ(猛烈に焦げた匂い)が台所中に、いや家中に漂っている。嗚呼、やっちゃった・・・。
 
 この時ばかりは母ちゃんの怒りも納まらず、とうとう本を取り上げられてしまった。叱られたことよりも、本を取り上げられたことが哀しかったことを覚えている。
 
 図書館で本を読んでいて、ダイズ(ものすごく)危険な目に遭ったこともある。
 
 図書館の床に座って本を読んでいると、夢中になってしまい下校のチャイムがまったく聞こえなかった。ちなみに私の聴力は正常の上です。カチャ、という音にハッと現実に戻る。たーるまい みーん(誰もいない)。して、うす暗い。急いで図書館の入り口に走っていくと、係の先生が外から鍵をかけて帰るところだった。もう少しで私は図書館に閉じ込められるところだった。暗い学校にたった一人きり、翌朝まで誰も助けに来ないことを想像するだけで、心臓がドキンドキンと鳴っていた。
 
 今思い出しても、助かってよかった!と心底思う。まーんてぃ、アブナイ ぱなすだら(本当に危険な話だよ)。
 
 小さい頃読んだ本は、私をいろんな世界に連れて行ってくれた。私は知らない国をも旅をした。宇宙へも、物語の世界へも行くことができた。伝説の月の女神や太陽の神とも会えた。トムソーヤと一緒に冒険もした。自由に空想をし、自由に旅をする。それが私にとっての本の世界だった。
 
 今は・・・。
 図書館に行く時間さえままならないので、出かけると必ず本屋に寄る。ズラリと並んだ本、本独特の匂い、ページをめくる時の紙の感触・・・なぜだかとても落ち着くのだ。

 ただ・・・読みたい本を見つけて、パラパラとページをめくっているうちに、いつの間にか読み終えている。本屋で二、三冊立ち読みしてしまい、本も買わずに帰ってくることもある。
 
 本屋を図書館代わりにしているわけじゃないけど、なぜか惹きこまれていく本の世界。
 
 夜長の季節と本と。なんと贅沢なんだろ。

 しかし、疲れた私の枕元には今日も読み切れない本が積まれている。

小さい学校もいいさいが

宮国優子(平良・下里出身)

 日本全国、秋は運動会やら学芸会やら忙しい。子どもたちも毎日、あれやこれやと話してくれる。
 
 そして親が積極参加できる行事の多いこと!それに加え学校や先生の手が行き届いている。もともと だるーな(だらしない)私は申し訳ないくらいついていけない。他の保護者の皆さんにいろいろ教えてもらっているばっかりです。
 
 かと思えば、当事者の子どもたちは行事ごとに燃えている、もちろん勉強よりも。はてさて、私は小学校の時こんなに燃えていたんだろうか?と素朴な疑問がわいた。
 
 当時、母校の平一小学校は民法のニュースのネタになるくらい生徒数が多かった。取材をうけて喜んでいたら、宮古では放送にのらなくてガーン!だったことも多かった。
 
 当時はみんなNHK・LOVEで、プリンプリン物語とかみんなの歌でもりあがる毎日。宮古テレビもあったけど、我が家は宮古テレビ=大人の楽しみだったので見せてもらえなかった。寝室まで聞こえるイレブンPMのシャバダバシャバダバ〜を子守歌にして寝たものです。
 
 平良第一小学校、略して平一校は、昭和50年あたりはしばらく二千人越えだったと思う。ホームページを見ると、今や582人!市教育委員会は適正規模と認定しています。
 
 ついでに宮原小と来間小の2校は今年4月の新入学児童はゼロ。今は統廃合やらなんやらで揺らいでいるそうなのですが、小さくてもいいと思うんだけどなぁ。生産性というか経済優先で言うと、学校を維持するのは問題があるそうな。残念ゆ。たぶん中学も同じ流れなんだろう。
 
 私たちの頃は、高校でいろんな中学校出身の人に会うのが楽しくてしょうがなかった。まさしく中二病のさなか、行動範囲はきっと半径三キロだったし。平良中から数キロ先の北中の生徒のしゃべり方がちがうだけで、目眩付きのカルチャーショックを受けてた。
 
 西辺の友人とは会話が成立するまでに数ヶ月かかったし。方言がまるっきり違うというのもありますが、明らかに間がちがう!あの小さな島で、小学校の地球儀にものっていなかった宮古島で、こんなことがあるのか!と感慨深かったです。(ちなみに、小学校の地球儀を友達と見ていたとき、先生がみんなが気づく前に素早く隠してくれました。自分の住んでいるところがないって、小学生でもきっとショックが大きい。ナイス先生。)
 
 えーと、話を戻すと、同学年が三百人を超すと、もうなんというか、才能のある人は一種のカリスマでした。いわゆる「できちゃー」。そしてアイドルのようにかわいい子もいっぱいいた。ぞーぎな人、ですね。反対は、みぱな。なんというひどい呼び方だろう、みぱな。普通、宮古では、ただの「顔」という意味だと思いますが、私たちは「んずき」ではなく「みぱな」と言っていました。ちょっと世代が上だと、同じ地域でも「んずぎ」だったそうです。たかが数年で変わるとは、やはり言葉は生き物ですね。 そして、「ぞーぎ」も「ぞーきん」に聞こえなくもない。こちらの方も今や変わっているかもしれないですね。
 
 で、その時、かわいくて注目を浴びていた友人が「だいず責任が重い」と言ったのを聞いて感動したおぼえがある。当時、小学4年生、はじめて責任という言葉の意味を知りました。「人気がある人も大変ゆー」と尊敬し、陰から応援していた。今思えば、人気があるとやっかみもあるし、学年全体が小さな村社会のようなもんだったんだろうなぁ。
 
 あがい、話がずれてきた。無理矢理戻すと、うちの娘が通う小学校は生徒数の少ない小学校。たぶん都内のトップ5に入れると思う。一学年に1クラス、24人です。おのずとどの生徒にも目が行き届くし、生徒一人一人の注目度が高い。うちの娘の親ゆずりの単純な頭だと「期待にこたえたい(鼻息付き)」とがんばるわなぁと思ったのでした。
 
 私が徒歩三分の駅に向かって歩いていても必ず知り合いに会う。恐るべき地域密着度なのです。たまに心の中で「宮古かよ」と一人つっこみしていますが。
 
 運動会や学芸会も地元のお祭り並みなので、子どもたちはエエカッコしーしたくて、やたら張り切るのです。それを見ているだけで微笑ましい。
 
 し、しかし、懸念するのはただひとつ、娘たちが私の運動会万年ビリの遺伝子を受け継いでいるので、仮病を使う日がいつくるか。。。子どもの気持ちを考えると、無理矢理家から引きずり出したうちの母のようにはなれそうにはない。でも、きっとやるんだろうけど。
 
 いきなり、勝手な私見ですが、宮古の中でも小さめの中学校からきた友人たちはすごく個性豊かだった。開き直っているとしか思えないくらい、ズバズバ意見を言っていてカッコよかった。私たち市内ふっふぁ(子ども)とくらべて随分大人っぽかった。きっと中学生で群れるっていうよりも、地域に密着していて様々な世代と接触しているがゆえの知恵があったんだろうと思う。

 市内ふっふぁの私は「よくわからんけどすごいゆ〜」と羨望のまなざしで見つめておりました。なんでそうなのか、その時は深く考えていなかったけど、今はわかる。おばさんになるのもいいものですね。
 
 えーと、何が書きたかったかというと、宮古だけじゃなく、日本全国で結構深刻な問題になっていますが、小さい学校を無理になくさんくってもいいんじゃないかぁ、選べるようにしてもいいんじゃないかぁ、母校がなくなったらさびしいさいが〜、と大規模校出身の私は思うわけさ〜。
 
 昔は気づかなかったけど小さい学校の良さはある気がします。そして久々に母校を思い出し、ノスタルジックな気分になりました。よし、今度宮古に行ったらあの石垣の上を歩こう。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 宮古から東京に戻って早10日。暑い宮古が恋しいです。東京はストーブなしではいられないくらい ぴしーぴし(寒い)。

 そんな中、今我家でホットなものが・・・。それは、きょううちに来たガジュマルの木。縁あって内地の人から鉢植えを3つもらったのですが、これがなんとも言えずいいのです。眺めてはニヤニヤしています。一緒に頑張って冬を越そうと思います。

 さて、今号は、のーしがやたーがらやー?

 今回の宮古での出来事を追って書いてみました。書きながら改めて、盛りだくさんの日々だったなーとしみじみ。今回は、両親からいろいろな んきゃーんばなす(昔話し)も聞きました。親とこういう幸せな時間が持てたのも帰ることができたから。実行委員会のみなさんに感謝です。

 菜の花の話しは、やらびぱだ(子どものころ)が見えるような内容でしたね。代本は、下地小学校でもありました。懐かしい!子どもの頃本をやまかさ(たくさん)読んでいた菜の花。今の彼女を見ると、やらばど(だからか)!と納得すること多しですね。
 
 統合問題で今宮古は揺れているようですね。マンモス校も いみっちゃの(小さい)学校も経験している優子さんならではのお話しだったと思います。それにしても、ここまで子どもが少なくなって統合という話しがでることになるとは昔は思いもしませんでした。今後の動向気になりますね。
 
 貴方の感想もぜひ きかしふぃーさまちよー(お聞かせくださいね)
 
  きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふ〜。
 (きょうも最後までお読みいただいてありがとうございました〜)

 次号は12月1日(木)発行予定です。
 きゅうまい、ぞう(良い)一日でありますように〜。がんずぅかり うらあちよー(お元気で)
 あつかー、またいら!