こんにちは〜。
東北のほうでも桜が咲きだしたようですね。ぷからす(うれしい)春です。
くま・かまも春の話題からスタート。
ぬかーぬか(ごゆっくり)どうぞ〜。
偕楽園・水戸の梅まつり
Motoca(平良・下里出身)
あかーあかの てぃだ(明々とした太陽)に照らされて、たくさんの梅が咲き誇っていた。おーおーのてぃん(青々とした空)をキャンバスに、花の色の映えること。初めて、たくさんの梅の花を間近に見た。
3月25日(日)、偕楽園に行ってきた。梅の花見も初めてならば、水戸に行くもこれまた初めてだった。朝7時に自宅を出発し、柏で合流した友人の車で一路、常磐道を北上。高速からおりてほどなく偕楽園方面へ向かう渋滞にはまったものの、どうにか11時頃には駐車場に車を停めることができた。
駐車場から、常磐線の線路をまたぐ橋(その名も梅桜橋!)を渡り、南門から園内へ。早速、通路沿いに咲く色とりどりの梅に迎えられた。思わず見えた風景を何でもかんでもカメラに納めたくなってしまうほどの、きつぎ花がまたー(きれいな花々)。それが、くままいかままい(あっちにもこっちにも)に 咲き誇っているのだ。
その日は本当に、ぞー わーつき゜(良い天気)で、日中は上着もいらないほど、ぬふーぬふの(暖かい)陽気だった。園内は春休みの家族連れをはじめ、外国人観光客や友人同士など やまかさ(たくさん)の人で賑わっていた。しかしそれ以上に園の敷地が広いので、人混みの窮屈さを感じることもなく、よーんなー(ゆっくり)花見を楽しめた。いや、ゆっくりしすぎた。とにかく広すぎて広すぎて。あのペースではとても一日では回れない。
あたり一面に咲くその景色もさるものながら、梅の種類の多さにも驚いた。色も あかーあか(真っ赤)のものから、っすーっす(真っ白)のものまで濃淡さまざま、枝も、日本画そのままのようなカクカクしたもの、ねじれているもの、枝垂れているものなどいろいろ。花の大きさも種類によって大小様々で、花びらも、よく見る5枚花びらのものだけでなく、レースのように何枚も重なったものも。
梅林を見て回るだけで数時間かけてしまった。久しぶりにカメラを持って出かけたので、撮影に夢中になってしまった。園を出る頃には、ファインダーの覗きすぎで目をやました(痛めていた)。てぃだのみぷとさ(太陽のまぶしさ)のせいと、杉花粉のせいでもあるはずだけど。でも楽しかった。
本当にのどかな風景のなかで過ごした数時間。その偕楽園も、1年前の震災では震度6弱の揺れに襲われた。崖崩れや液状化、地盤沈下により、園内全体に大きな被害を受けたとのこと。直後から梅まつりは中止、しばらく閉園を余儀なくされた。
園内のところどころに、被災直後や復旧工事の様子を写真で紹介するパネルが立てられていた。被災直後の写真では遊歩道には亀裂が入り、傾斜面が崩落、橋も途中から折れて落ち、園内の歴史的建造物「好文亭」も、壁や天井が崩れ落ちていた。
広い園内の被災箇所をすべて復旧させるには時間がかかるため、復旧工事の済んだところから順次再開したとのこと。昨年4月末頃から少しずつ再開し、全面開園となったのは今年の2月7日のことだった。
今年の梅まつりは、関係者や地元の方々にとっては特別な気持ちで迎えたものだったはず・・・。何事もなかったかのようにきれいに整えられた園内の風景を心置きなく楽しめる「今」を、かみしめた。
今年は、気温がなかなか上がらなかったため梅の開花も一ヶ月ほど遅れたとのこと。私たちが訪れた3月25日時点でもまだ7分咲きで、いつもは3月末で終わる梅まつりの会期も一週間延長された。いま、偕楽園は桜が見頃らしい(桜山もあるのです)。
ほんの1年前は、と、最近よく考える。去年はできなかったこと、なくなってしまっていた風景が、今は手元に、目の前に戻ってきたことを、確認せずにはいられない。
今年はたくさん出かけよう、と思う。この あたらす(いとおしい)世のなかを、くまかま(あちこち)見に行こう、と。お花見をする気になれなかった去年の分も。長いこと眠らせていた趣味のカメラも復活させて、やまかさ(たくさん)写真を撮ろうと思っている。
■水戸偕楽園ホームページ(水戸県営都市公園)http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kairakuen01.html
在沖与那覇ヨンシー保存会の発足
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
2012年4月8日は巨人の宮國椋丞投手が、甲子園球場の対阪神戦でプロ初登板、初先発し、初勝利を挙げた記念日となりました。
いつがらいら てぃーどぅ まつかにうーたりばどぅ まーだ ぷからすむぬ やたん(いつの日にかと、待ちかねていたので、ほんとうにうれしかった)。
その日はまた、結成したばかりの在沖与那覇ヨンシー保存会が、在沖下地郷友会の定期総会と懇親会で、初の舞台発表をした記念日ともなりました。2月の在沖与那覇郷友会の総会で、約10年ぶりに有志で「与那覇ヨンシー」を踊ったのをきっかけに、「在沖与那覇ヨンシー保存会」を結成しようという話になりました。3月中旬からメンバーを集めて練習し、4月5日の結成式を経て8日の初舞台となったのでした。
「うわたが あんし すぅがりぶどぅす゜っかー ずみやたさー」(みなさんが そのように着飾って踊ったら 恰好良かったよ)客席からは嬉しい感想が聞かれました。
そして、いよいよ4月22日、浦添市のてだこホールで開かれる沖縄宮古郷友連合会主催「第25回芸能まつり」には、在沖下地郷友会を代表して、在沖与那覇ヨンシー保存会が約20人で出演することになり、練習を重ねています。
古里・与那覇では、いつの頃からかは定かではありませんが、戦前から伝統的な群舞としてヨンシーが踊られ、親しまれてきました。しかし、いつのまにか、踊られなくなってしまったのです。その状況を見て、心ある方々が1999年(平成11年)「与那覇ヨンシー保存会」を結成し、その年の9月、沖縄本島で開かれた「離島フェア」の郷土芸能の舞台発表に宮古代表として出演し、観客を魅了したのでした。当時在沖与那覇郷友会長をしていた私は、その晴れ舞台を撮影しながら感銘を受けたのを鮮明に覚えています。
古里の保存会と連絡を取り合い、13年遅れとは言え「在沖与那覇ヨンシー保存会」が結成された意義は大きく、在沖与那覇郷友会が温かい支援態勢をとっているのも心強い限りです。「絆」が強調される今日、古里の伝統芸能を通じた繋がりを見直したいものです。
沖縄本島で「与那覇ヨンシー」が初めて披露されたのは1976年、那覇市民会館で開かれた在沖宮古郷友連合会主催「第2回宮古芸能の夕べ」でした。在沖与那覇郷友会が約30人で踊りました。「夕べ」は当時2年越しに開かれていましたが、1984年の「夕べ」には私も出演した思い出があります。35才でした。「夕べ」が「まつり」に変わり、現在は毎年開催されていますが、22日のヨンシーの舞台は私にとって28年ぶりです。
下地には与那覇の他に、字上地と字洲鎌に「ヨンシー」があります。城辺にも「保良ヨンシー」があり、宮古島では4つのヨンシーが踊られているようです。「ヨンシー」は「国頭(くんじゃん)サバクイ」という歌を振りつけた踊りです。この歌は、首里城を建造する際、沖縄本島北部の国頭から木材を運ぶ様子を歌った「木遣(きや)り歌」です。
「国頭サバクイ」の歌詞は次のように始まります。(サバクイは捌吏と書き、間切番所の役人を意味するようです。)
サー 首里天加那志(すぅいてぃんがなし)の ヨイシー ヨイシー
御材木(うぜむく)だやびる ハイユエー ハーラーラ
サー ハリガヨイシー サーイショショショーショ
イーイヒヒーヒ アーア ハハハーハ
この囃子(はやし)の「ヨイシー」が宮古に伝わって「ヨンシー」になり、歌や踊りの名称になったと思われます。
「与那覇ヨンシー」は花笠を持ち、浴衣とすててこを着て、浴衣の裾の後をお尻に上げて帯に掛け、赤いたすき、頭には鉢巻きという出で立ちです。主に三つの動作の繰り返しで、単純ながら元気あふれる振り付けです。
私は未だ見たことはありませんが「洲鎌ヨンシー」は大きな斧とノコギリを持って木を切り倒す動作を、「上地ヨンシー」は大きな木材(丸太)を引く動作を基本にして振り付けられているそうです。
洲鎌と上地のヨンシーで、木を切り倒し、引くという過酷な労働に従事する人たちを、与那覇のヨンシーは花笠を振り、飛び跳ねて一回りしつつ「サッサ、サッサ」と声を掛けて励ます振り付けになっているのは面白いです。
合併前、4年に一度開かれていた下地町民まつりでは、下地の三つのヨンシーが披露されたそうです。ところが合併後は機会がないようです。何らかの形で復活させてほしいですね。
保良のヨンシーは映像で見たことがありますが、花笠を持つのは与那覇と似ています。全体的におとなしく、大きく飛び跳ねる動きはありません。
あんてぃまーん、ばっしゃーならんどー(そういえば、忘れてはいけませんよ)宮國投手が快挙を成し遂げたその日、私が在沖下地郷友会の役員で、ヨンシーにも出るため、テレビ観戦しながらの応援ができないことを知っていた「くま・かま」の初美さんから「5回を終わって5対0でリードしている・・・」と試合の経過を伝えるメールが寄せられました。私は場内放送でそれを伝え、100人余の皆さんと共に喜び、ワイドーと大きな拍手を送っていました。
与那覇のヨンシーは、宮國投手への激励、応援にもピッタリ似合います。んなまがみゃー(これまでは)クイチャーの継承に取り組んできましたが、これからは「与那覇のヨンシー」の継承・保存にも努力していきたいと思っています。
宮古はドラマティック おせっかいの物差し
宮国優子(平良・下里出身)
春休みに9歳、7歳、0歳、を連れて宮古まで珍道中してきました。甘く見ていました。普段のしつけがよろしくないので、移動だけで死ぬかと思いました。うばいがうばい。それにしても、島に近づくたび、頭より先に体がリラックスしてくるのでした。それは何も気候のせいではないなぁと思うことしきり。
羽田から那覇行きの飛行機に乗る。もちろん、その前までは、誰に話しかけられるでもなく、たんたんと子どもと飛行機に乗り込みました。0歳児がいるので、優先で一番最初に乗り込めるのですが、それまでの行列を見ると申し訳ない気もします。どぅぐりーゆー(申し訳ないわぁ)。並んでいる方々の視線が背中に痛い。でも、たぶん被害妄想。
で、飛行機に乗り込んだら乗り込んだで、見渡すと様々な種類の人がいる。だりて(疲れて)いるのか寝ているビジネスマンも多いし、家族連れはどれだけ楽しめるのか競争しているようだ。なんだかせわしない雰囲気。とぅーまい(みんな)自分のことで精一杯。もちろん、私もね!
飛行機はジャンボの真ん中の席で、娘たちが楽しみにしていた空の様子が見えなかった。つんだらー(かわいそう)だけど我慢させた。でも、親子の楽しそうな声が聞こえてきた。どうも前方の入り口ドアの小窓から見ることができる模様。その親子連れがすでに10分くらい楽しんでいたので、そろそろ終わる頃だと思い、親子を指さし、次女に「あっちから見ておいで」と行かせた。私の目に見える場所でもあったので「大丈夫かね〜」と心配しながら、そうっと見守っていた。
娘はその親子のまわりをウロウロモジモジしていた。あがい、さっさと「私も見せてください」と言わんか(私の心の声)。その親子は、知って知らずかうちの娘に一度も振り返ることはなかった。しばらくたって娘がトボトボと帰ってきた。「見せてくれないよ。お母さんも一緒に行こう」と言うではないか。私は「ごめんね、でも、お母さんと、赤ちゃんいるからさ、一緒に立って見に行くことは難しいんだよ」と諭した。「もし、どうしても見たいなら、ちゃんと頼んだらどうだろう?」と提案してみた。娘は「いいよ、もう」とすねていた。だいず、うすんきゃーすぎ(内気すぎ)。
東京で普段生活していると、こういうことはよくある。子どもでも見知らぬ大人にきちんと話す機会が多い。権利を主張できて交渉しなければ、要求が通らないってことだ。子どもも大人にならざるを得ない良い機会でもあると思う。でも、なにせうちは、私を先頭に うすんきゃーでへたれ家族。人様に声をかけるのが苦手なのだ。
しばらくしてフライトアテンダントの方がトイレに立った娘に声をかけてくれた。親子が占領している窓ではなく、もう片方の窓から景色を見せてくれたのだ。どうも私たちのやりとりをお聞きになっていたらしい。上の娘も呼ばれて、一緒に楽しんでいた。ここで一度ほわっとリラックスする。良かったね、と娘たちの背中に声をかける。うすんきゃーにはうすんきゃーの神様がいるはず。
那覇から宮古に乗り継ぐ。ここでは、私が赤子を連れていようが、優先枠でのるほどのキャパシティでもない。普通に乗り込む。でも、みんなニコニコと私たちのために道を空けてくれる。自動で優先になる。たんでぃがーたんでぃ。
それに味をしめた長女がワーッと走っていったので「こら!ひらら」と怒っていたら、おばさんから声をかけられる。「いいさー。子どもは元気が一番さ。あれ、娘さんはひららさん?ということはあなたは優子さん?」えぇっ、知らない人なのに(ここまで一気に矢継ぎ早にコミュニケーションがとられる)。「おばさまはどなた?」と聞く前に次女が叫びだした。「お母さんの隣がいい〜〜〜〜〜〜〜」
そうだ、そういえば、ギリギリでチケットをとったので、娘たちと席が離れていたのです。そのことを娘たちにも事前に言い聞かせてあったのだけど、自分の席を確認するやいなや、両隣にたたずむ優しきシーサー顔のおじさんに恐れをなしたらしい。ひ弱すぎ次女。「お母さんの隣がいい〜〜〜〜〜〜〜」と絶叫して通路にひっくり返った。た、たのむよ。オタオタする私。だいず どぅぐりーさいがよ。でも周りのまなざしは温かい。みんな、目が笑っている。たんでぃがーたんでぃ。
私が「立ちなさい!」と叱り飛ばしていると「はいはい、ここに座りなさい!」おじさんが席を譲ってくれた。お礼をいって、ありがたく座らせていただく。おじさんは、別にニコニコもしていないし、かといって怒っているわけでもない。普通の表情だったけど、類にもれなく優しきシーサー顔だった。娘が大騒ぎしている間も周りの人たちはニコニコしていた。たんでぃがーたんでぃ。こういうのが育てやすい環境なんだなとつくづく思っている間に爆睡。あっという間の宮古島到着。
長女は私の後ろの席だったが、おとなしく座っていたようだ。後ろの座席を振り返ると、熟睡している娘の手におにぎり弁当がのっていたのである。本人をおこして聞いても要領を得ない。すかさず、娘の隣の宮古美人さんが「となりのおじさんが勝手にひざのうえに置いていたよ〜。たべなさいね〜、と言って」よくわからんが、そういうことらしい。宮古は地蔵ではなく子どもにお供えするのか?娘はうれしそう。たんでぃがーたんでぃ。
このやりとりをしている間に、機内に残っていたのは私たちだけになった。宮古美人さんに「すいません」と謝ると、「なんで?」と目を丸くして、一緒に荷物をもってニコニコと飛行機を降りてくれた。たんでぃがーたんでぃ、何回目かよ。
宮古はドラマティック。っていうか、宮古に近づくたびに、人との距離がグッと近づく。笑顔や優しさで囲まれる。そして私はリラックス。子どももパニパニ。都会ではおせっかいと言われそうなことが、宮古では普通にまかりとおる。おせっかいの物差しが全然違うんだよなぁ。私も都会では遠慮するようなことを宮古では恩恵として素直に受け取れる。お母さんだけが頑張らなくていいってなんて良い世界だろう。これじゃ、子どもも増えるわけだ。。。。
してから、これを幕開けに、宮古のパワーを見せつけられる日々が始まるのでありました。だいずよ〜。(たぶん、つづく)
皆様へお願い
『読めば宮古!』から10周年で『読めば宮古!リターンズ』を刊行することになりました。皆様からの原稿を心よりお待ちしております。
最低字数100字から400字くらいまで。どうぞお気軽にお書きください。五月雨式に思いついたらドシドシで!
お名前、ペンネームでもOKでございます。内容はもちろん宮古に関することなら何でもOKです。超個人的な宮古を教えていただければありがたいです。10月の宮古の朝ドラに合わせて出版しようと意気込んでいますので、締め切りは6月末までです。(とは、言っても延びるような気がしていますが)。
あまりにもざっくりなのですが(笑)自由奔放が宮古らしいさいが!ってことで、メールのやりとりをさせて頂きながら校正も含め一人一人つめていこうかと思っています。よろしくお願いしまーす。楽しみに待っていますね〜。
(あて先)3892yuko+yomeba@gmail.com
おしらせ
菜の花(伊良部町仲地出身)
◆映画「一粒の種」NHKテレビで放送
昨年、沖縄国際映画祭で上映された映画「一粒の種」が、NHKテレビで放送されることになりました。(最初4月13日に予定されていましたが、緊急ニュースのため27日に延期になりました)沖縄地域ですが、お時間のある方はよろしければご覧ください。
映画「一粒の種〜真太陽の島の大合唱〜」
日時:4月27日(金)19:30〜
NHK総合(沖縄エリア限定)
http://www.nhk.or.jp/okinawa/
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
宮古では15日、「第28回全日本トライアスロン宮古島大会」が行なわれましたね〜。みゃ〜くテレビでネット中継を見ましたが、宮古の熱気が伝わってきました。
「今大会には、全国47都道府県と海外18の国と地域から1587人がエントリー」され、「前回は出場をキャンセルした東北地方の選手たちも今回は岩手、宮城、福島を中心に30名以上が参加を申し込んだ」と宮古毎日新聞(4/16付け)は伝えていました。無事に開催されてホントに良かったですね。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
偕楽園の地震被害も大きかったんですねー。花見の気分ではなかった去年を経ての今年。園内風景の豊かな描写に「今」をかみしめるMotocaさんの気持ちがよく伝わってきました。自然の力はすごいですね。私もいつか偕楽園に行こう〜と思いました。
沖縄本島で「与那覇ヨンシー」の保存会ができたとはすごいですね〜。「与那覇ヨンシー」はホントに楽しくて元気になる踊りです。クイチャーマンさんは28年前にも踊っていたとは!踊り続ければ次世代に繋げていくこともできますね。宮國椋丞投手の初登板、初先発、初勝利もだいずうれしいことでした!今後の活躍も楽しみですね!
優子さんの話しの宮古の人の近さ、いいですよねー。他人であっても普通に近い。「お母さんだけが頑張らない」というのはホントに大切なキーワードだと思います。『読めば宮古!リターンズ』いよいよ始動ですね!楽しみです。みなさん、ぜひぜひ投稿してくださいね〜。
映画「一粒の種」テレビ初登場ですね。沖縄地方のみなさん、ぜひご覧くださいね。近いうちに全国放送にもなるはずよ〜。
あなたの感想もお聞かせくださいね。お待ちしています!
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は5月3日(木)発行予定です。
うぬときゃがみ がんずぅかり うらあちよー(その時までお元気でー)!あつかー、またや〜。