こんにちは〜。 植物がイキイキとした季節になりましたね。
今回は、自然の話しがやまかさ(たくさん)ですよ〜。vol.268お楽しみください!
ミニトマト (投稿)
しもじよしお(平良・下里出身)
私は小学校に上がるまでの幼少期を宮古島は旧下地町、いや、その前身の下地村のウイヅ(上地)で育った。住んでいた家の屋号を「カータンミー」(川田嶺井?)と言った。
カータンミーから表通りを北へ100メートルほど行くと当時としては大きな十字路があり、ここがいわば村の中心地であった。そこには郵便局や役場があり、マッチャ(町屋、店)も3、4軒あった。中でも小禄マッチャが一番大きかった。
小禄マッチャでは思い出すことが一つある。それはそこの腕白なお兄ちゃんがおもしろいことを発見して餓鬼どもを大いに喜ばせたことだ。
締め切ったままの上げ下げ式の雨戸の ミーピスキ(ふし穴)が障子に外の風景を映し出しているというのだ。映像は逆さまだったが、子供たちは代わり番こに跳ねたり踊ったりしながら、この不思議な映像を喜々として楽しんだものである。
その頃、バンンナ(我ん(私)には)いつも不思議に思うことが一つあった。ここは農村だからあちこちの家に ヌーマヌヤー(野馬の家、馬小屋)や牛小屋があった。そのそばには必ず黒々と積み上げられた堆肥があったが、不思議なことにそのような堆肥の周辺だけにフサ(草)が高く青々と茂っていた。時には、イミッチャヌ タマトー(今で言うミニトマト)が野山で摘んで食べる野生のものより大きく育っているのであった。なぜだろう。そういう不思議な思いにいつも駆られていたのである。
そして、ある日、突然ひらめいたのだ。そうだ、草やトマトを大きく育てているのはあのフサーフサヌ(臭いくさい)においに違いない、と。
それから幾日か過ぎたある日のこと、ミナカ(庭)の片隅にタマトーの小さな苗が芽を出しているのを発見した。それからの私は、毎朝目が覚めると、庭の片隅に走っていき、タマトーにピー(屁)をピス(放る)のを日課とした。
そして何日かたったある日、私は大きくなったタマトーを指さしながら母ちゃんに向かって誇らしげに報告したのだった。「バガ(私が)、マイニツ(毎日)ピーユ(屁を)カバシウリバドゥ(芳ばせおるので、嗅がせているので)、タマトーヤ(トマトは)、ウポープ(おほ(大)きく)ナリューズ ダラ(なりおるよ)」と。
サラダの中のミニトマトを食べるたびに子供の頃を懐かしく思い出す今日この頃である。
ばんたが(我らが)モアイ(頼母子講)仲間の山歩き
あば本舗(下地・上地出身)
今年初め、看護師のモアイ仲間数名でアウトドア用品販売会社・ネオストラベルが主催する「山歩き講座」を受けた。山登りの魅力や注意点、又、アウトドア用品の正しい使用法についてレクチャーを受けた後、「山あっちゃークラブ」に入会することになった。ネオス率いる会員制の登山クラブだ。山あっちゃーは、みゃーくふつで言うと、山あすぴ(山遊び)いや、山あす゜き゜(山歩き)?
実は、ばんたが(我らが)看護師仲間は、この日が来るのをずっと待っていた。病院の中で目まぐるしく働いていた頃、職場と自宅を往復しつつ休日はひたすら眠る日々。世間から隔絶されたような生活を送っていると、そのうち体が悲鳴をあげているような感覚に襲われた。そんな時、北部へドライブしたり、海岸の砂浜を裸足で歩いてみたりする。すると、まるで宮古で過ごした子供時代に戻ったようで、ぷからすーぷからすふなり(とっても嬉しくなって)身も心も軽くなっていった。
モアイでは、よくアウトドアに関する話題で盛り上がった。病院という環境にどっぷり浸かっていた私たちは、無意識にバランスを取ろうとしていたのかもしれない。いつか皆で、山登りをしたり川や海でカヌーに乗ったりキャンプをしたりしようね!と約束しあう。
あんしーかんしーやしー(そんなこんなで)励ましあってきた仲間は、ここ数年、一人また一人と総合病院を退職し、働く場をデイケアや地域の福祉施設などへシフトし始めた。私の現在の職場も、介護予防拠点施設である。
そして、念願の日はやってきた。4月1日(日曜日)、参加メンバーは、ネオストラベルのスタッフと山あっちゃークラブ会員25名。めざす山は名護岳。内地の人に言わせれば山とは呼べないらしいが、私たちにとっては立派な山。名護岳は標高345m。登山道や遊歩道が整備されたトレッキングコースがある。今回は中腹の名護青年の家を起点に西海岸側から頂上をめざす。頂上で昼食を食べ今度は東海岸側から下山するという4時間コース。
さぁいよいよ山登りスタート!森の中に入れることがとにかく嬉しい。しかし、整備されているとはいえ、雨天のあとでぬかるんだ山道を登っていくのは危険だった。滑ったり木にぶつかったり少しでも油断すると崖下に転落しそうで怖い。何よりも足が重くて思うように進まない。遅れまいとして足を速めると息が切れる。ハァハァ。山の木を杖代わりにしながらやっとの事で下山したのだった。で、翌日からとんでもない筋肉痛に悩まされた。
あんすぅが(だけど)何だか満足感で一杯。筋肉痛はひどいが、ようやく山登りを楽しめるようになれた喜びの方が大きい。あがががが・・・。悲鳴をあげながら、次の山登りを心待ちにする ばんたが(我らが)モアイ仲間達である。
脚光を浴びる沖縄の植物
宮国勉(城辺・西城出身)
琉球列島以南の熱帯・亜熱帯地域に自生する常緑広葉樹 うぷぱーぎーぬぱー(大葉木の葉:オオバギ=トウダイグサ科)に、抗菌・抗酸化作用がある「ニムフェオール」が豊富に含まれていることを確認したと、最近では珍しく良いニュースを目にした。
子供の頃はよく御嶽などで食べ物を載せて配るのは うぷぱーぎーの葉であったのを想い出す。山に行くと あだんぎーぬみー(アダンの藪)や枯れススキの中から すんびーとして(真っ直ぐに伸びて)濃い緑の大きな葉が目立ち、どこにでも見られる沖縄の特徴的な樹木である。
その粉末製品は、にきび予防剤や洗剤、除菌・消臭剤、薬用歯磨きなどの商品開発に応用できるとのこと。10年も前から計画されたプロジェクトだそうで、地元の農家にすでにオオバギの生産を委託しているという。沖縄の自然の恵みといえるニュースである。
沖縄ではサニンバー(月桃の葉)で包んだサニンバームチ、鹿児島でもカカランハモチはサルトリイバラの葉で包んだ餅などがある。そうして暑さが厳しく湿気の多い地域では昔から保存の知恵がある。宮古島の梅雨時などは朝焚いた芋が夕方には糸を引くぐらい傷みが早い。植物の葉で包んで食料を傷みにくくするだけにとどまらず味や香りを楽しむ生活の知恵は残していきたい食の文化である。
オオバギと同じトウダイグサ科の木でアカメガシワ(赤芽柏)がある。オオバギとよく似た葉を持ち伐採や森林火災などの後に、いち早く芽を出す植物として知られている。オオバギと比べると栄養不足なような ようがりた(弱々しい)葉の色をし、新芽の部分が赤くなってオオバギと区別ができる。いずれも山羊は振り向かなかったような気がする。
もう一つ、ゆうなぎーぬぱー(オオハマボーの葉=アオイ科)もオオバギの葉とそっくりである。しかし、幹は高くならず這うように育ち、昔からトイレットペーパーの役目を果たしてきた。葉は綯えると すぴにがー(なかなか千切れない)で思いの外、使用感も良く、今考えるとエコである。山に行けば仕方なく野原で用を済ますことになり、ティッシュが無ければやはり葉っぱを探すことになる・・・。
昨今では、お尻は水で流すウォッシュレットの時代である。そうでなければソフトな肌ざわりのトイレットペーパーが備え付けてある。50年ほど以前は、ばんたがやー(我が家)では漫画の本が置いてあり、1ページずつ破り使用していた。今思い返してみると、ちゃんと拭けたか分からない。ときには破れて直に手で拭くこともあったような。
その紙が無けなれば ゆうなぎーぬぱー(オオハマボーの葉)であった。採ってすぐに使うとツルリと横すべりしてやはり直に拭くはめになる。じぶんのモノだから構わないのだが、段取りよく一時間ぐらい前に採っておくと萎えて、なじみの良い肌触りで安全に使うことができたはずである。
その頃は学校に行きながらトイレが作られるであろう方角の屋敷の境目に ゆうなぎー(オオハマボー)が植えてある家をよく見かけた。朝日に照らされた緑一面の葉の中に、真っ黄色の花が咲き誇る ゆうなぎー(オオハマボー)は、使われる運命とはかけ離れて美しく神々しく見えた。
しかし、それに付く虫が問題で、黒と黄色の胴体に真っ赤な目が光り、ビンクビンクと体を揺する危ないやつ、名前はフクラスズメの蛾の幼虫である。ぶー(苧麻:カラムシ)に付く虫と ゆうなに付く虫は同じ種類である。
ゆうなぎーぬぱー(オオハマボーの葉)と たまうぎー(サキシマハマボウ=先島浜朴=アオイ科)とは見分けが付きにくいが、たまうぎーは、立派な幹が聳え立つので違いがわかる。「たまうぎー」と「ゆうなぎー」は花びらの構造が違い、同じアオイ科であるが属が異なる。
古い時代の西洋の淑女が、かなり大きくふわりとした裾の広がったスカートを履いているが、野原で用を済ます必要から考案されたものらしく、どこでもトイレが出来る優れものである。また、山に行けば仕方なく野原で用を済ますことになり、ティッシュが無ければやはり葉っぱを探すことになるであろう。
十二単を纏っていた時代の姫様や殿様は広い部屋で粉末の入った器の中にしたらしく、ポトンと落ちると周りから粉末が覆い隠し、コロッケ状になる仕組みになっていたと聴いたことがある。ホントか嘘か定かでは無いが一度試す価値があると思う。
植物は動き廻ることが出来ないので、生き残るための戦略として水分や栄養、光、温度といったような恒常的なものを有意義に摂れるような場所に生えている。また、水分がじゅうぶんにあるところでは、広葉樹が針葉樹より高く育ち、針葉樹は競争に負けるそうである。 また、岩の上など水分が少ない場所では葉から出ていく水分が多ことから、針葉樹の方が適しているそうである。
このように、植物の種類と生えている環境のちがいによって、どの植物が競争に勝ち残るかが決まる。どんな場所でも弱い植物というのはなく、自分の得意な場所を持っていて、そこを見つけて生きている。森林ではいろいろな大きさの植物がまざることによって、明るい場所から暗い場所、乾いた場所からしめった場所まで、いろいろな環境ができているので、たくさんの種類の植物が育つのである。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
5月15日は、本土復帰から40年となる日でしたね。小学六年生だったその日、記念のメダルをもらったのを覚えています。ドルから円に変わり、買い物はドルに換算してから支払いをしていたっけ。あれから40年も経ってしまったとは。
宮古でもいろいろな催しものが行なわれたようですが、宮古毎日新聞には、15日、伊良部中学校(平良善信校長)で、記念集会が開かれ、生徒75人がDVDの映像「忘れられた島の戦い〜沖縄返還の軌跡〜」を通して平和の尊さや不屈の政治家、瀬長亀次郎などについて考えた。との記事が出ていました。http://www.miyakomainichi.com/2012/05/34305/
平良校長は高校の同級生。あの日の小学生は、今校長先生になり、生徒のみなさんに平和の尊さを教えている・・・。うれしい記事でした。
さて、今回の くまかまぁ のーしが やたーがらやー?
しもじさんのお話しは、掲示板に投稿されたのをぜひメルマガでもとお願いし掲載となりました。短い期間しかいなかった上地だそうですが、その経験がいかに心に残ることだったか分かりますね〜。読んでいるこちらも豊かな気持ちになりました。しもじさん、投稿をありがとうございました。思い出は他にもたくさんあると思いますので、またぜひお寄せ下さい。お待ちしています。
あば本舗さんのモアイ仲間との山歩き、充実感が伝わってきましたね〜。自然の中にいると「宮古で過ごした子供時代に戻ったようで・・・」というのよく分かります。仕事の大変さを同じように経験している看護師さん同士、山歩きの楽しさが分かち合える喜びは、ひとしおだったことでしょうね。
宮国勉さんの植物にまつわる話し、知らないことも多く、勉強になりました。うぷぱーぎーぬぱーが脚光を浴びていることもぜんぜん すさったん(しりませんでした)!“朝日に照らされた ゆうなぎー(オオハマボー)は、使われる運命とはかけ離れて美しく神々しく見えた”とは、植物を愛する宮国さんならではの感性ですね。
今回の感想もぜひ、お聞かせくださいね〜。
くま・かま掲示板もだいず賑わっています。ぜひ遊びに来てくださいね。
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は三週間後の6月7日(木)発行予定です。
じかいがみ(次回まで)がんずぅかり うらあちよー(お元気で)!あつかー、またや〜。