こんにちは〜。
暑い夏が近づいてきましたね〜。がんずぅかりうらまずなー(お元気ですかー)?笑いあり、なだ(涙)あり、友情ありのくま・かまお届けです〜。
vol.271 お楽しみください。
我がウイヅ時代ーある土砂降りの雨の日 (投稿)
しもじよしお(平良・下里出身)
こうちゃん、なおちゃん、きゅうちゃん、元気ャーシー ウリバ? 我が ウイヅフッツア(上地口は) 当タリドゥ ウズビャー(居る場合か)ヤー(よー)?(当たっているだろうか。)
私は1歳の頃から小学1年(昭和18年)の5月まで ウイヅ(上地)で育ったが、その時の アグ(吾子)がこの三ツァーズ(3人)だったわけ。特にイチマンヤーのこうちゃんは ブーリャ(同年生)ということもあって毎日のように遊んだものだね。ヤドゥのなおちゃんは一つ年下だった。今は東京にいると聞いているが、大都会の人混みにもまれてすっかり東京人になっただろうか。
ある日、ミーヤミーン(目に存在しない、目にしたこともない)ウプアミ(大雨)の中を、こうちゃん、なおちゃん、バン(我)と3人で(きゅうちゃんは家が パイサトゥ(南里)だったから毎日のように遊ぶことはなかった)、ワーイ、ワーイと言いながら村中を走り回ったよね。多分、裸足で素っ裸だったと思うが、その辺のことは記憶にない。
村の中心地だった ユマタ(四つ角)を走り抜け、役場の ミナカ(前庭)にあった堀井戸の中をのぞいた3人はあっと驚いた。いつもの水位が井戸の縁石から溢れんばかりに上昇しているではないか。それを見て3人ははしゃぎにはしゃいだ。すると、こうちゃんがあまりにも高く飛び跳ねてしまったのかドボーンと井戸へ落ちた。
喜びが一瞬恐怖となった バン(我)となおちゃんはどうしてよいものか手をこまねくばかり。とりあえず、道向かいの ヤクバマフキャー(「役場前」という屋号の家)に走って行き、大声で助けを求めたのだった。
こうちゃんは無事に救出されたが、顔は青ざめ、顎のあたりからは血がしたたり落ちていた。ンナママイ(今でも)ヴヴァガ(あなたの)ウトゥガイ(顎)ンナ(には)ウヌ トゥキスヌ(スは小文字。その時の)傷痕が残リドゥ ウズパヅ ヤー(残っているはずだね)。
こうちゃん、ヴヴァガ フファア(あなたの子どもは)ロスアンジェルス ン ウティ(に居て)成功シー ウズ ティドゥ 聞スキユーズ スゥガ(聞いているが。「聞スキ」のスは小文字)、ヴヴァア(あなたは)マーンティー 果報な者ティードゥ(とぞ)バーヤー(我は)思イウズ(思い居る、思っている)ユ−(よ)。
コルシカ島の旅(パート1)
あすなろ(平良・東仲出身)
今回は、今年のゴールデンヴィーク(4月28日〜5月5日)の ぱなす(話)です。
コルシカ島?「んざんが ありゃー(何処にあるの)うりゃー(それ【島】は?)聞いた事はあるさーね」
車の耐久レースで有名なル・マンに住んでいた娘夫婦が、一年前にこの島に移り住む事になった。その時から、この旅は企画された。
その島は、ブーツの形をしたイタリアの西側に位置し、宮古島の海と優劣つけ難いエメラルドブルーに彩られた地中海に浮かんでいる。ナポレオン・ポナパルドが生まれた島として有名らしい。
息子夫婦と6歳になる孫娘、S夫妻、私達夫婦の7人が中部国際空港からヘルシンキ経由でドゴール空港を目指します。ヘルシンキまで10時間20分。そこからドゴール空港まで3時間の長旅。もう乗り物は「満腹」状態。
ドゴール空港には、娘が迎えに来ている手筈。コルシカ島に行くには、さらに、ドゴール空港から45キロ離れたオルリー空港まで移動しなければなりません。所要時間50分。流石に、その日の乗り継ぎは老体にかなりきつい。その事を予想してオルリー空港近くのホテルで2泊の予定。
事件は、タクシーでの移動中に起きた。
娘と運転手がのんびり会話を楽しんでいる。「サルコジ」とか「オランド」の単語は聞き取れるが何を話しているのか皆目分からない。その頃、フランスでは大統領選が過熱していた。ようやく、ホテル街が見えてきた。「あのホテルじゃない」と娘が指差す。「一方通行で入れない」と運転手は通り過ぎる。信号のないロータリー式の交差点を一周して元の道へと戻った。その時だ!
何を血迷ったのか、この運転手。対向車線を逆走する。驚いたのは我々だけではない。クラクションを激しく鳴らして対向車がよけていく。「君は何か嫌な事でもあったのか?我々を道連れにするのだけはやめてくれ!」まさに、自殺行為!パニクった運転手。今度は、猛スピードでバックする。そのスピードは軽く50キロを超えている。
「ノン、プロブレム」何事も無かった様に元の道に戻り、目的地へと車を走らせる。ホテルはなかなか見つからない。「この道、さっき通ったよねー」と私。同じ道を2周した。3周目に入る。流石に、「近くのホテルで聞いてみたら」とアドバイス。その気になったのか近くのホテルを訪ねる。
悪い事は重なるもので、「トイレに行きたい」と女房。かなり前から我慢していたらしい。彼は一向に帰ってこない。「我慢できる?」「もう、一寸くらいなら!」この待ち時間、1分が5分にも匹敵する。心なしか女房の顔が青ざめて見える。ようやく帰ってきた彼に状況を説明する。「ノン・プロブレム。2分もあれば着く」とのたまう。しかし、君の「信用」はもはや地に着いているのだ!最低でも5分以上は覚悟しなければならない。
この地域のホテルは広大だ。その上、何処のホテルの入り口にも踏み切り式の大きな遮断機があり、そのボタンを押してからでないと中へ入れない。ホテルの玄関に到着するや脱兎の如くトイレへ駆け込む女房。滑り込みセーフ。やれやれ、初日にしてこの有様。先が思いやられる。
明日は、「冥土」のみやげにパリから片道5時間の「モン・サン・ミシェル」を観光バスで目指します。朝が早いので寝る事にします。
つづく。
はなちゃん 天に嫁す
菜の花(伊良部町仲地出身)
5月のある日。勤務務時間が終わり、残った すごと(仕事)の片づけをしているところに一本の電話が入った。
「たった今、祖母が息を引き取りました。」
10日ほど前、熱のため入院したはなちゃんのお孫さんからの電話だった。真っ先に施設に電話をくれたお孫さんに、感謝の気持ちでいっぱいであるにも関わらず、はなちゃんが亡くなったと聞いても、咄嗟には信じられなかった。
はなちゃんは、んなみたーきまい(これまでにも)何度も肺炎を起こして入院したが、それでも施設に戻ってこられた。病院でも治療する医師や看護師に、「私をどうする気なの!警察を呼べ!」と うぷくいゆ いだし(大声をだして)騒ぐので、熱が下がるとすぐに施設に帰された。今度もきっとそうだと職員は信じて疑わなかった。はなちゃんは不死身だからすぐに帰ってくる。誰もがそう思っていた。
のーしい ぱんたむぬ やらばん(どんなに忙しくても)、はなちゃんを みーてぃかー(目にすると)ふっと力が抜け、つむ(心)が満たされ癒された。職員が「はなさ〜ん」と呼ぶのを耳にするとき、たるが くいまい(誰の声も)やぱーやぱど(穏やかさを含んでいた)。
紙オムツを細かくちぎってベッドや床に散らかそうと、粗相をして服や布団を汚そうと、食べ物をこぼそうと、のーやらばん かーやらばん(何をしようと、どんなことをしようと)、たるまい(だれも)はなちゃんのケアを厭わなかった。優しい言葉をかけながら静かに片付けていた。
「はなさん」と呼ばれ、職員間では「はなちゃん」の愛称で慕っていた人の存在がもうないのだ・・・。もういない?!そう思うと寂しさが湧いてきた。
105歳になるはなちゃんは だいず(すごく)気丈で、凛としていて、その存在から漂う威厳には感動すら覚えた。
食事のときは、テーブルの前の席のお爺さんが食べこぼしているのを見ると、きっと睨み手でテーブルをばしっと叩き「みっともない!」と叱りつける。でも、はなちゃんも食べこぼしが多く、そのことを隣から言われると、澄ました顔をして片手で拝む仕草をする。これには誰もが笑うしかなくて、その場の雰囲気が一変して明るくなった。
うぷくい(大声)で騒ぐお爺さんには、例え自分より身体が大きくて強面であっても叱りつける。そうするとお爺さんは母親に叱られたように静かになるのだ。入所している誰からも「はなさん」は一目置かれていた。
はなちゃんは んまりすま(生まれ故郷)の滋賀県長浜のことや、鮒寿司の ぱなす(話)をするとき、目がキラキラしていた。やらびぱだ(子どもの頃)の古い写真も やまっさ(たくさん)持っていて、写真に写った家族を指しては昔話もしてくれた。大正琴の演奏も披露してくれた。ローマ字も読め、はなちゃんが うやきやー(裕福な家)に生まれ、当時としては高い教育を受けていたことを偲ばせる場面が多かった。
甘いものが大好きなはなちゃんは、食事の後もプリンやヨーグルトを欲しがった。小指を立て、さじで一口ずつ口に入れては「おいし〜」と くい(声)にしていた。職員に対してもいつも「ありがとう〜」と、パチンと両手を合わせて拝むことを忘れなかった。その動作の一つひとつに胸打たれることが何度もあった。
しかし・・・そんなはなちゃんでも、なだめるのが大変なことがあった。
「帰ります。息子に電話してちょうだい。」こうなると、どうにもこうにも納まらない。顔つきも険しくなり、高齢の息子夫婦を罵りだす。はなちゃんの言うことは全部がもっともな話で、私たちは「息子さんには電話しておきました。」と何度も同じ答えをする。はなちゃんは「当たり前よ。自分の家があるんだから。ここが嫌だっていうんじゃないのよ。」と一旦落ち着くが、しばらくするとまた振り出しに戻る。これが毎日のように繰り広げられた。時には何時間も。
はなちゃんの息子さんは、週に2,3回は面会に来られて、はなちゃんにおやつを食べさせていた。一昨年の2月に、腰の痛みを訴えて病院に行ったら、肝臓癌の末期、骨転移と診断され、持病の心臓も悪化して数日後急に亡くなられた。そのことをはなちゃんは っさん(知らない)「親をほったらかして悪い奴!」と息子の名前を呼びながら つむいだす(怒りだす)。職員は「息子さんに電話しましたよ」と返事するようにした。黄泉の国は圏外で電波も届かず、一度も電話が繋がったことはなかったけど、これがはなちゃんを落ち着かせる一番の対応方法だった。
今年になってはなちゃんは「帰ります」と言わなくなり、代わりに「長浜 長浜」と連呼するようになった。伊良部島にも長浜という集落があるので、私とはなちゃんはそれぞれの「長浜」の話をした。食事にもムラがでてきた。105歳の身体はますます縮まり、小さくなっていった。それでも大好きなプリンを見ると「食べる!嬉しい!」と喜ぶ。その姿は無垢そのものにも思え、105歳のはなちゃんを心から愛おしいと思った。
そんなはなちゃんはもういない・・・。施設には二度と帰ってこないのだ。
はなちゃんを病院に搬送する前の日、50年仕えてきたというお嫁さんとお話したことが頭に浮かんだ。お嫁さんは「私の考えですが」と前置きをしたあと、一口であっても食べられる間は、施設の職員の手で看てほしい。それがおばあちゃんの幸せだと思う。病院にいったら施設のようには声をかけてもらえず、騒いだら抑制されるし、そんなことをおばあちゃんは望まないとのことだった。私には、このお嫁さんの言わんとすることがよく分かった。はなちゃんのことを一番分かっているのは、このお嫁さんだと思った。
はなちゃんは娘さんや親族で話し合った結果、病院に搬送されたが、治療の甲斐なく全身状態が悪化していき、オシッコもでなくなっていった。そんな状態でも「食べる!」と声にしていたとのこと。お嫁さんは誤嚥を覚悟で医師にお願いをし、プリンを食べさせた。んまぎなー(美味しそうに)プリンを食べたその翌日に天に帰るとは、はなちゃんらしい見事なまでの人生の引き際だ。残された家族も思い残すことなく見送れたことだろう。
人はいろんなところで人に出会う。
明治生まれの女性の芯の強さ、人間としての寛容さ、たくましさ、生命力という言葉の意味など、はなちゃんには数え切れないくらいたくさんの事を教えてもらった。たくさんの幸せをもらった。私にとってはなちゃんは、尊敬する人だった。生きるということのお手本だった。出会えたことを心から喜べる存在だった。
んなみまい(今でも)廊下や食堂に、はなちゃんがいるような気になる。いつもはなちゃんがいた場所を目にするたび、あの世で息子さんに会い「今までほったらかして、悪い奴!」と説教しているはなちゃんを想像する。二人で、はなちゃんの生まれ故郷の長浜や琵琶湖にも行っているかも知れないと思うと、少し気持ちが軽くなる。
はなちゃん、やまっさぬ(たくさんの)思い出を すでぃがふー(ありがとうございました)。
熱き命の 余生看ゆ (あつきいのちの よせいみゆ) 天命終えて 白無垢に帰(着)し 天に嫁す (てんめいおえて しろむくにきし てんにかす) (詠み人:菜の花)
おしらせ
松谷初美(下地・高千穂出身)
■宮古島市ジュニアオーケストラ 東京・宮古島公演
一昨年に続き、東京・宮古で公演会が開かれるそうです〜。宮古島市ジュニアオーケストラは、5年前に結成されました。結成3年での一昨年の素晴らしい演奏会は、大変話題になりましたね。今回も だいず(大変)楽しみです。宮古の子どもたちが大舞台で演奏します。みなさん、ぜひお出かけください。
●東京公演
日 時 | 2012年8月2日(木)午後7:00開演 |
場 所 | 国立オリンピック記念青少年総合センター大ホール |
入 場 | 無料(あらかじめ入場券をお求めください。) |
電 話 | 090-8685-7821 mail@amano-violin.jp |
出 演 | 宮古島市ジュニアオーケストラ 東京・沖縄で音楽を学ぶ子どもたち 沖縄県立宮古高等学校吹奏楽部(顧問/下地秀樹) 下地敏彦(宮古島市長)/お話 山岡耕筰(日弦協会長・東京芸術大学名誉教授)/お話 仲本光正/三線 江川ゲンタ/パーカッション 天野誠/指揮 |
内 容 | 歌劇「フィガロの結婚」序曲/モーツァルト 弦楽セレナーデ/チャイコフスキー ホルベアの時代から/グリーグ他 |
※入場整理券は当日、会場でもお配りします。
●宮古島公演
日 時 | 2012年9月9日(日)午後3:00開演 |
場 所 | 宮古島市マティダ市民劇場 |
入 場 | 大人:999円高校生以下:無料 |
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
宮古の与那覇湾がラムサール条約に登録されましたね〜。以前からこの夏に登録予定の話はでていましたが、先日(7月3日)のNHKのニュースで与那覇湾の名前を見て、思わず心でガッツポーズ。(笑)かつては淡水湖化計画が出たこともあった与那覇湾ですが、鳥たちに大切な海は、私たちにとっても大切な宝の海。自然を守り、ますます豊かな海にしていきたいですね。
宮古毎日でも大きくとりあげていました。
ラムサール条約登録を記念して、与那覇湾にまつわる話や思い出などをくま・かまで特集できたらーと考えています。何かありましたら、お気軽にお寄せくださいね。(1200字以内くらいで)お待ちしています!
さて、今回の くま・かまあ のーしが やたーがらやー?
前回、うむっし(面白い)ミニトマトの話で初登場した、しもじよしおさんの第二弾。まるで、ついこの間のことのような臨場感あふれるお話でしたね〜。どんなに濃厚な時間だったか、しもじさんの、あぐをあたらすーと想う気持ち。やまかさ(たくさん)伝わってきました。
あすなろさんの旅行記は、いつも楽しいですよね〜。今回はご家族での旅行。初日からそんな事件!?ドキドキだったことでしょうねー。それにしても、あすなろさんも神童同様、行くところ必ず何かが起こるー?(笑)つづきもどうぞお楽しみに〜。
宮古島市ジュニアオーケストラの演奏会、だいず楽しみです。東京での公演については、松谷まで問い合わせいただいてもいいですよ〜。
今号の感想をぜひお聞かせくださいね。投稿もお待ちしていま〜す。
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は7月19日(木)発行予定です。
だんだん暑くなります。熱中症に気を付けましょうね〜。がんずぅかり うらあちよー(お元気でいらしてくださいね)
あつかー、またや〜。