こんにちは〜。
暑い毎日ですねー。暑中お見舞い申し上げます。
今回は、与那覇湾がラムサール条約に登録されたことを記念して与那覇湾特集をお送りします。どうぞ、お楽しみください!
与那覇湾
松谷初美(下地・高千穂出身)
与那覇湾は、平良久松から下地川満、上地、与那覇に面しており、宮古島最大の干潟だ。
環境省那覇自然環境事務所のホームページには、与那覇湾の特徴として次のように書かれている。
「与那覇湾は宮古島の南西部に位置し、広大な干潟が発達しており、シギ・チドリ類を始めとする多くの渡り性水鳥類の採餌及び休息場所として利用されている。その中には環境省のレッドリスト絶滅危惧2A類のクロツラヘラサギ、絶滅危惧1B類のツクシガモ、絶滅危惧2類のセイタカシギ、アカアシシギ等の希少な鳥類が含まれる。
また、湾内にはリュウキュウスガモ、ベニアマモ及びホウバアマモなどからなる広大な海草藻場が広がる。これら海草類は東南アジア沿岸域では一般的に見られるが、我が国では琉球諸島にのみ見られ、分布の北限である。」
( ※絶滅危惧2や2Aや、1Bの数字は本来ローマ数字ですが、機種依存文字なので、アラビア数字にしました。ご了承ください)
与那覇湾は、平成23年に総面積1366ヘクタールが国の鳥獣保護区に指定(H23年11月〜H43年10月)された。この区域内の水面域699ヘクタールと林野1ヘクタール、その他4ヘクタールの計704ヘクタールが特別保護地区に指定、この特別保護地区がこのたびラムサール条約に登録された。
宮古島市の下地敏彦市長は、ルーマニアのブカレストで開催されたラムサール条約締約国会議開催中に開かれた授与式に出席。7月7日、同条約事務局から認定証が授与された。
宮古ではこの条約登録を受けて、下地小学校で与那覇湾の環境についての講和が行われたり、今月4日には、“ラムサール条約湿地「与那覇湾」の保全と利用を考えるシンポジューム(主催:沖縄県 共催:宮古島市、環境省”が予定されていて、関心が高まっている。
▲ラムサール条約とは
1971年にイランのラムサールで開催された「湿地及び水鳥の保全のための国際会議」において「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が採択された。この条約は開催地にちなみ、一般に「ラムサール条約」と呼ばれている。
※参考・引用 環境省那覇自然環境事務所HP http://kyushu.env.go.jp/naha/pre_2012/0703a.html
参考 宮古毎日新聞 http://www.miyakomainichi.com/2012/07/37121/
参考 みゃ〜くてれび http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/7959/57/
ウクミジャーイム(与那覇湾)
山雀タヌキ(下地・上地出身)
ある朝、出勤前にNHKニュースを観ていると ラムサール湿地に“与那覇湾”登録とのアナウンスが聞こえたが、頭の中は、アレ????。 宮古以外にも“与那覇湾”があるのかな?でした。
やらびぱだ(子供のころ)あっぴたい(遊んだ)与那覇湾(上地での呼び方は、ウクミジャーイム)が湿地帯との認識はまるっきりありません。
ウクミジャーは、遠浅・一日に2回潮の干満・サキダーカー(咲田川)から真水が流入する汽水の海であることは判っていましたが。(ウクミジャーイムとの名称は、湾の近くにあるウクミジャーヤーと呼ばれている屋号からきたのか、逆に湾の名称から、屋号ができたかは??意味も分かりません)
旧下地役場から西方向に、およそ50メートルほど離れたウプヤーガー(大伯父との意味の川)にかかる“ウクミジャーパス”(ウクミジャー橋・別名:カナハマ橋)が湾の入り口にかかっており、夏場の陽が沈むころウイヅやらびがま(上地の子供ら)が集まってこの橋の上から飛び込んで泳いだものです。(その頃は、涼しくなる夕方から泳いだ、日中は家の手伝いや暑くて泳ぐことは無かった)
ウクミジャーには、橋のたもとから約300メートル離れた、西側に“イスクマ”と言われている小さな島と、沖縄製糖工場の方向に“インガマシー”(犬の座った姿に見える岩)があって、やらびがまの泳ぐ良い目標にされていました。子どもの頃、ここで泳いで足を切り血だらけになったことも、今では懐かしい想い出です。
イスクマからさらに沖の方向に、与那覇が誇るサニツバマ(旧暦3月3日に競馬・相撲大会・潮干狩りなどが盛大に行われた)が広がっており、潮の引いた時、与那覇湾を見渡す絶好なところです。ここから見る与那覇湾は、北に久松、東に川満・製糖工場を望み大きく広がって素晴らしい景色です。
やらびぱだ(子どものころ)、あんなたー(おかーさん・おばさん達)は、3月中旬ともなれば、ウクミジャーイムで ばーき(竹で編んだ大きなお椀状のかご)を かみ(頭にのせて)、あーさ(ひとえ草)、浅瀬の石をひっくりかえしたり、足で土を踏みこんで、さい(小エビ)、かん(蟹)、ぴしな(丸い小さな貝)などを採っていました。
もちろん今でも元気な現役の方がいらっしゃるようです。5月ころには、今では有名な んきゃふ(海ブドウ)の時期となり、子供のころは豊富で足に絡みつき泳ぐのに邪魔な存在で、その頃食べた記憶がありません。あーさは、イスクマの岸で多く採れたようです。
サニツバマでは3月ともなれば、あかふつしな(貝殻の淵に赤い線が入ったアサリに似た貝)がよく採れました。サニツに父親に連れられて採りに行ったことが懐かしく想いだされます。この貝は砂を含んでいないためすぐ味噌汁の具で食べられ、美味しかった。今では激減してしまったようです。
今から20年前くらいに、現在の旧下地役場のあるところはマングローブがおい茂っており、膝まで潜るほど泥が堆積し、ガサミ(マングローブ蟹)生息地で、弟がよく捕ったものです。蟹と言えばガサミの固くて大きな爪をハンマーで割って食べた記憶しかありません。サニツバマで潮が満ちてくる夜、弟に連れられてヘッドライトをつけて、エビが後ろに跳ねる習性を利用してタモで小エビを採ったのも懐かしい想い出です。
一時期、製糖工場からの排水や農薬の使用で湾が荒れた頃もありましたが、排水の水質向上により、与那覇湾がよみがえり、んきゃふや小魚が繁殖し、サギが何種類か飛来するようになり、ラムサール湿地に登録されたのも、ここでしか見られない鳥が飛来することが大きな理由とか。生活に生かしながら大切にしたいですね。
干潮と満潮の景観の違いにビックリしますが、満潮時に夕涼みしながら観る与那覇湾に沈む夕日はいいですねー。
やらびぱだから遊び親しんだウクミジャーイムが、少しでも全国に名前が知られることは嬉しいですね。
まいのいむ(前の海)
松谷初美(下地・高千穂出身)
高千穂のカザンミにある家から、南西のほうを望むとそこは、川満集落の前に広がる与那覇湾である。カザンミの人は、親しみをこめて「まいのいむ」と呼ぶ。
私が やらびぱだ(子どものころ)、お父は、まいのいむで 夏は、ガザミに んきゃふ(海ぶどう)を やまかさ(たくさん)とってきた。
今でこそ、内地の居酒屋でも普通に食べられ市民権を得ている、んきゃふだが、その頃食べる人は与那覇湾の近くの人たちだけだったと思う。すだず(つけ汁のことをうちではそう言う)は、サバ缶に水、しょう油、砂糖、酢。夏は毎日食べていた。
ガザミは、ただゆでるだけだが、あの美味しさは、ばっしらん(忘れられない)多くとってきた時は、母ちゃんは油味噌にも入れていた。それでも余った時は、平良まで売りに行ったそうだ。
冬になると父は、夜に松明(たいまつ)を持ってでかけ、うぎゃん(三又やり)で あぃずう(アイゴ)をとってきた。から揚げにしたり、煮つけにしたり、あの白身の味も、ばっしらいん。
今、まいのうむ(前の海)は、川満漁港が整備され、すっかり様子が変わってしまった。
んきゃふも減ってしまったようだ。ガサミは今もいるのだろうか?あぃずう(アイゴ)もここ何年も食べたことがない。
帰省をすると、いつも、すとむてぃしゃーか(朝早く)まいのいむまで散歩をする。凪いだ海から見える与那覇の長崎、西には伊良部島が見える。湧水が海に流れる場所もあり、なんとも癒される。やらびぱだ(子どものころ)は、海を愛おしく眺めるということはなかった。んきゃふがあるのも、ガザミがあるのも あぃずぅがあるのも、当たり前だった。
今月末、お盆で宮古に帰る。お父と電話で与那覇湾の話をしていたら、今年は まいのいむに一緒に行こうということになった。(初めてのことである)お父は「暦で潮の時間を調べておくから」と言う。我が家のラムサール効果か!?(笑)
いつかまた、んきゃふやガザミなどが豊かにとれる海になってほしい。そしたら、今度は私たちがお父や母ちゃんにとってきてあげる番だ。
与那覇湾の うぷいす(大石)
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
与那覇のわが家から、北西の方向に直線距離で約200メートルの所に、あかつぁぱーと呼ばれる与那覇湾への下り口があった。
道路からゆるやかな傾斜を下りて40メートルほど湾内に入ると、右側に うぷいす(大石)という岩が、ぽつんと、まるで誰かが持ち運んで据え置いたようにあった。その岩は、高さが約1メートル30センチ、周囲が4メートルほどで、満潮時には岩の上部が少し水面に残った。子どもたちにとって、満潮時の岩の周辺は格好の海水浴場と化した。遠浅で深みがなく、安全な場所であった。
小学校の低学年のころ、夏の夕方、いつものように満潮時にあわせて子供たちが集まってきた。岩の上に立ち、海中に飛び込んで上手に泳いでいる友人や先輩たちを、カナヅチの私は水の中に浸かり「水遊び」をしながら羨ましく眺めていた。
そんなある日、自分もいつか泳げるようになりたい、と思いながら、古いバレーボールを浮き袋代わりに抱いて、泳ぐ真似ごとに興じていたら、先輩が咄嗟にボールを取り上げた。私はもがきながら水中に沈んだ。
「あがい、うぶりどぅ にゃーん」(ああ、溺れてしまった)と、のんきな言葉を発する余裕はなく、パニックに陥った私を、その先輩が助けてくれた。しかし、その恐怖体験は、トラウマになり、その後の私は大石の周辺で「水遊び」をすることはなかった。
中学2年に沖縄本島に移住して今日に至っている私は、昨年約50年ぶりに大石の様子を見たくて、海辺に行ってみた。ところが、すでに下り口も消え、大石に近づくことはできなかった。干潮の時であったが、道路脇から、大石のあった場所をなんとか探しあて、ショックを受けた。
大石はその周囲が土砂に埋まり、わずかにその天辺が土砂から30センチほど姿を表わしているに過ぎなかった。50年で変わり果てた自然を目の当たりにして私は悲しみに襲われた。大石は無言のままであったが、何かを語りかけているようであった。
この7月、ラムサール条約に登録された与那覇湾を、この先、みんなの知恵と行動力を発揮して、きれいにして、きれいなままで後世に残してほしい。そのために私も出来ることがあれば協力したい。
あの大石の周辺を以前のようにできないものだろうか。
ばー、んなまー あんしどぅ うむいゆー
(私は今、そう思っている)
泥海と魂浮カビ
しもじよしお(平良・下里出身)
与那覇湾がラムサール条約締約国会議で国際的に重要な湿地として正式に認定された。渡り鳥たちにとって東南アジアと日本列島を結ぶ中継地として与那覇湾の遠浅の海はとても重要であるらしい。
バンタ(我ら)が ヤラビパダンナ(子供の頃には)、ウイヅ(上地)と ピスサラ(平良)を結ぶ街道から眺めると、飛来したたくさんのガーナ(雁、カモ)が離れ小島の浮かぶ沖合に群れをなして羽を休めている姿をよく目にしたものだった。
ところで、ここの海は宮古の海特有のエメラルド・グリーンの カギインム(美しい海)とはほど遠い濁った ドゥルインム(泥海)であった。
干潮になると泥と石ころの海底が干上がって、シギや白鷺たちの格好の餌場になっていた。また、川満部落辺りの潮が完全にひかない海では2人一組になった女たちが サディで漁をする光景をよく目にしたものだ。(万葉集に「サデアミ」という言葉が出ているようだが、宮古口の「サディ」は紛れもなくこれと関係がある。)
ある日のこと、こうちゃんと バン(我)なこの泥海に注ぐ小川の河口に フニガマ(小さな伝馬船)が係留されているのを発見した。二人は誰からともなく、「チー、ウヌ フニ ンカイ ヌーリ アスパ(さあ、その舟に乗って遊ぼう)」と言って、泥に足を取られながらも何とか フニガマに飛び乗った。
ところがである。フニガマをゆらゆらと揺らしながらワーイ、ワーイと遊んでいる中に川の流れに乗った舟が岸から離れて行くではないか。「ンニャ ダイヅ」と二人は大パニック。あれよ、あれよと言う間にも二人を乗せた小舟は岸からますます離れて行く。このままでは海に流されると青ざめた二人は舟から飛び降り、ヘドロの中をのたうちながら岸に這い上がった。全身泥まみれの真っ黒ケである。
パーントゥのようにして帰ってきた バヌー(我を)見た母ちゃんナ、もうびっくり仰天。ことの顛末を聞いた後、バガ ドゥーユバー(我が身体をば)キスサバキギ ナズキャガミ(きれいになるまで)洗いフィー(洗ってくれ)、キスンンカイ(着物に)着替えさせると、ノーシャー ガラ(どうしてか)、事件の現場へと連れて行くのであった。
そこで線香を立て、「トートゥガナス、バガ フフオー タスキフィーサマイ、タンディガータンディ(尊いお方よ、我が子を助けてくださってありがたや、ありがや)」と言ったかどうか知らないが、兎に角、なにやらぶつぶつ呪文を唱えた後でその辺にあった小石を拾い上げて バガ キスンヌ(我が着物の)懐ンカイ(向かい、に)入れた。
そして、そういう場合には舟を係留してある綱をたぐり寄せたら舟は岸に近づくよ、見ていてご覧、と言って実際に舟に乗り、綱をたぐり寄せて舟を接岸させる方法を2度、3度、実演してみせるのだった。「アバ、マーンティー サイガ(あれ、本当だ)」と納得したのは言うまでもない。
宮古で言う「タマス(魂)浮カビ」を沖縄本島の人々は「マブイグミ(お守り込め)」と言う。
これ、奄美や八重山では何と言うんだろう。ターガラーガ ナラーシフィール ヨー(誰かが習わしてくれてよ、誰か教えてくださいね)。
追伸
ラムサール条約登録地認定を機会に周辺の景観整備も進めたいものですね。離れ小島に形の良い松を植栽してはどうでしょうか。海岸線にも松原を造成して一帯を公園化する。河口にはマングローブ林を植栽して昔よく見たトビハゼをもう一度呼び込む。マングローブの幹で休息していたトビハゼたちが人の姿を見るや、ドボン、ドボンと海中に飛び込んでいた様子が、今、鮮明に思い出されます。ついでに、下地入江の公園化も同時に進めたいものですね。入江については橋のたもと辺りに満潮時より少し低めの堰を造り、湖面を常に満水状態にするのも一工夫です。
与那覇湾は、みゃーくぬ宝(宮古の宝)
あば本舗(下地・上地出身)
与那覇湾の懐かしい干潟の海。湾に面している、川満、上地、与那覇の集落で生まれ育った者にとって、生活する上でなくてはならない大切な場所だ。
一年を通して、カニ、エビ、魚貝類、アーサなど、豊かな海の恵みを与えてくれる場所であり、安全に泳げる海域であり、やらびがまから ういぴとぅたーぬ ゆくいあすぴ とぅかま(小さな子供からお年寄りたちまで、憩い遊ぶ場所)である。
上地の人々が利用する地域は、いきゃばる(池原)と呼ばれていた。小学校の頃、みどぅんやらびたー(女の子たち)は学校が終わると、小さなザルを片手に干潟に降り立つ。引き潮の泥の中で、小さなつま先や あどぅ(踵)で獲物を探る。時には、大きな石や小さな石をひっくり返したりする。すると、いるいる!小エビや小魚やカニや名前も分からない生き物たちが ましゃーん(たっくさん)
びきやらびたー(男の子たち)にとっても、そこは、だいばん(でっかい)遊び場で漁場だった。ういづ(上地)の ぼーちら やまぬかん(暴れん坊のガキ大将)だった我が家の次男、のりあじゃ(典兄)にとって、いきゃばる(池原)は庭みたいなもの。毎日泥だらけで、昼は釣り、夜はマングローブの根元でガサミ(カニ)取り、かと思えば離れ小島でタカ(サシバ)狩りと、ぴじ ぱんたぎ むぬやたん(とっても忙しそうだった)
父が早くに病死し貧しかった我が家は、いきゃばる(池原)での彼の活躍のおかげで年中魚介類にありつけることが出来た。私たち家族にとって、与那覇湾は命を繋いでいでくれた海―なのである。
今でも兄は、ガサミ捕りの話になると目を輝かせて言う。あがいんにゃ!バケツぬ一杯、かつみたんどー(もう〜、バケツの一杯捕まえたんだぜ!)しかし、彼がガサミ(カニ)を捕ったマングローブの海は、今では埋め立てられ下地庁舎が建っている。
故郷を離れ、自然の景観が変わってしまうのを見ると正直寂しい。これが時代の流れというものかもしれないと思いつつ、割り切れない思いが残る。
与那覇湾はこれまでにも、淡水化計画や干潟全体を埋め立てて住宅や公園にしようとする話が何度か持ち上がった。そのたびに地元の反対にあっては計画が立ち消え、消滅の危機を免れてきた。
そして、今回晴れてラムサール条約登録指定である。(ガッツポーズ!)まーんてぃ うむやすむぬ(本当に一安心だ)これで埋め立てられることもないはず。
くまー みゃーくぬ宝やりば んーなしー あたらっさーしー いかだかーならんやー(ここは、宮古の宝だから皆で大切に大事にしていかなくてはねー。)
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
与那覇湾のラムサール条約登録は、まーんてぃ ぷからす(本当にうれしい)ニュースでした。特に下地にゆかりのある人にとっては特別な想いがありますね。
同じ与那覇湾でも上地側や与那覇側、川満側とまた違いますね。知らないことも多く、改めて与那覇湾が私たちに与えてくれるものの大きさを実感しました。
そこはまさに命の海であり、遊びの場であり、娯楽の場であり、社交の場であり、学びの場でもあるんですね。自然がもたらす人間への恩恵。目に見えるものだけでなく、私たちが糧にしてきたものの背景には、多くの自然の調和、サイクルがあったのだと、実感しました。
あば本舗さんが書いているように、宮古の宝の海、大切にしていきたいですね。
久松からの眺め、川満漁港からの眺め、崎田川、池田橋のある場所、上地、与那覇からの眺め、場所によっていろいろな表情が見えます。これを機会にじっくり眺めてみるのも、上等はずよ。
今号の貴方の感想をぜひお聞かせくださいね。
そして、与那覇湾に対する想いや、まつわる話などありましたら、ぜひ、それもお寄せください。
くま・かま掲示板での書き込みもいつでも熱烈歓迎!ぜひ遊びにきてくださいね。
【お詫び】
前号の「『家庭和合』を好きな理由」の中で、二番の歌詞の訳が抜けているところがありました。大変申し訳ありませんでした。これには浅い理由も深い理由もじぇんじぇんなく、単なるミスです。失礼いたしました。追記しますね。
2.肝美ぎさ 我嫁よ 香す茶や嫁の肝
(き゜むかぎさ ばんがゆみよ かばずちゃや ゆみのき゜む)
心の優しい私の嫁よ 香ばしいお茶は 嫁の心
家庭の栄や 嫁ど とゆましみしる我が嫁
(きないのさかいや ゆみど とゆましみしる ばんがゆみ)
家庭の栄は 嫁からだよ 富ませて みせて 私の嫁よ
親の孝行や 貴女がむてさい
(うやのこうこうや うわが むてさい)
親孝行は あなたのものだよ
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
きょうの夜は、宮古島市ジュニアオーケストラの東京公演に行くべき〜。だいず、楽しみ!入場無料です。お時間のある方はぜひ!
次号は8月16日(木)発行予定です。
きょうも、ぞうぞうの(佳き)一日でありますように!あつかー、またや〜。