くまから・かまから vol. 294

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 こんにちは〜。
 台風4号が宮古に近づいているようですね。 みなさん、お気をつけて! 被害が出ないことを願っています。
 vol.294 お届けです〜。お楽しみくださいね。

島尻うすんきゃ!

神童(平良・島尻出身)

 島尻の人は、うすんきゃあ(内気、恥ずかしがり屋)、引っ込み思案な人が多いと言われている。かくいう当方もれっきとした島尻出身。言い方は、うすんきゃあ。だったり、うすんきゃ。だったりするな。ふむ。
 
 いろんな種類の「うすんきゃ」が居る。
 
 基本的には何がどうあっても自分の信念を曲げない人のことだ。ある意味 ちゅーばあな(強い)人だよな。
 
 たといばだね!
 
 宴もたけなわとなりました。ここらでいっちょう ぶどぅい(踊り)でも。ってなるさあね。踊りのオトーリに突入して皆さん、ぶりんきる(自滅:滅ぼされる)わけだよ。
 
 してな、ここで、うすんきゃな人は自分の順番になっても踊らない。頑なに拒否する。ぶどぅいんつきゃあ みんがい どぅ ます(踊るよりは殴られたほうがまし)!ってのが信念だからね。
 
 で、そんな島尻には、うすんきゃあの天敵「きだつむぬぅ」が居る。「きだつ」とは、とにかく冗談のきつい人のことな。言葉は飽くまでもあらあらしく罵詈雑言のおんぱれーど。やなふつ(悪口)大会の覇者だ。yanafutsu yumasibadu mya-kuichi!
 
 この「きだつむぬぅ」をじゅんいちと仮定してみよう。
 
 じゅんいちはまあとにかく暴れん坊のきかん坊の ぼーちらにしぇー(腕白二才)。夜中に高校生がたむろっていると防犯の担当でもないのに高校生をかたっぱしから ちゃあ みんぎ(殴りっぱなし)!
 
 して、ちょっと「うすんきゃあ」なところがあるので、まず言葉を発しない。とにかく みんぎ(殴り)まくり。のーしぬ ばあやあ(どういうわけ)?と理由をきいても一切答えない。じゅんいちお前はゴルゴ13匹か?
 
 そして、ここにひでおが居ると仮定しよう。ひでおの設定はじゅんいちのおじさん。おとうの兄弟と言う設定がなかなかに ぞう すないがまど(すげえぴったり)。
 
 お祝いの席で飲んでいるとして、通り一遍のオトーリでは面白くないので寡黙な“きだつ”“うすんきゃあ”じゅんいちは庭に出てごそごそ。戻ってくると手にした くざら(皿)に くぅ(昆布)が乗っている。お祝いの席なので昆布は必需品さあね。この昆布はある程度腐っても食べられるので、腐っても鯛じゃなくて腐ってもくぅ!と言われている。
 
 で、皿に載せた昆布をお祝いのオトーリだからとひとりひとりに食べさせるんだな。まあ、無理に食べさせないところが“うすんきゃあ”“きだつ”なじゅんいちの手口な。
 
 昆布を食べる人に選択権はあるんだな。んじやらばん じょうぶんにばぴとぅーつ いらびふぁい(どれでもいいから一つ選んで食べれ!)ってなもんだ。
 
 で、親戚のおじさんが選んだ昆布が がふあたい(大当たり)のビンゴで昆布の縛られた たにく(塊)の部分に島唐辛子が潜んでいるというシステムなんだな。
 
 ひでおおじさんは昆布を ぱきじて(吐き出して)、あち からかーば(あまりにも辛いので)!酒を いきゃっひて(ぶっかけるように)飲んで うふきるん(おぼれる)じゃないなと思うくらい飲んで、文句も言わないで黙って家に帰るさあね。うすんきゃの鑑みたいな人だな。
 
 “きだつ”の他には、“しゃーばり(出たがり)”やおしゃべりなあばさが居たりする。あばさ ただかつは大先輩の部落役員をあだ名の みーまんだ(目がまんでぃている。出目金の人)で呼び続け、オトーリ3順目くらいに みーまんだおじさんに盛大に説教されるんだな。
 
 あば?のーしぬばーやし うわん みーまんだ ちい ゆらばい ぐまたが!うぬぐどぅん!(あら?どういう経緯でおまえに出目金よ呼ばれなきゃあいけないんだ。この愚鈍!)てな具合だ。
 
 まあ、バトルは二人だけで行われるんだけど、このバトルというか やどぅゆん(ケンカ)を当方ら腹抱えて笑いながらみてるからやあ。最後には、やどぅゆん二人とも爆笑したりしてるしな。
 
 島尻の人の生態を知るためには長い付き合いと徹底的なオトーリが必要とおもうんですな。

◇あの話をもう一度

アモイ(平良・宮原出身)

「親父のお土産」(vol. 143 2007/3/1)

 あれは昭和44年の私が中学3年の時の事だった。
 
 2〜3年位前から毎年愛知県へ季節工として行っていた親父が、不可思議な電気製品のお土産を買ってくれたのだった。大きさは今で言えば10インチのノートパソコン位のもので、平置きで、上面部分の中央から前は平たくて、後ろの部分は枕のように盛り上がっているのだった。
 
 何だろうと思ってガチャガチャとスイッチを押していると、中に入っていた長さ10センチくらいの四角いものが飛び跳ねてきた。あれ、壊れたかな?と思ってびっくりしていると、親父が現れて「んじんじ うりゃーうわたんなっさいん」(どれどれ これはあんた達にはわからんさ)と言って、飛び跳ねた物体を、ガチャガチャしまいこみ、スイッチを操作すると、いきなり歌が流れてきたのだった。
 
 それは、生まれて初めて見る松下電器が初期に発売したカセット式のテープレコーダーだったのだ。それまでテープレコーダーと言えばオープンリール式の大きい物しか見てなかったので本体の小さいのにびっくり、カセットテープの小ささには面喰らったものだった。あっば、うぷががまなー?(こんなちっちゃいの)
 
 中がどうなっているか不思議だった。出始めのカセットはラジオも無く音はモノラルで含みが有って音質が悪く、オープンリールの音にはだいぶ劣っている感じだったが、そのコンパクトさや扱いやすさは画期的だった。
 
 当時学校で入っていた演劇クラブで日曜日に練習があったときに、少し自慢げに学校に持ち込んで、台詞などを録音してみたのだった。ほとんどの人が「あば、うりゃーばんなー?どぅが くいや あらんにゃーんしどぅうーば」(あれ、これは俺か?自分の声じゃないみたーい)というような感想を言っていた。
 
 いま思えば、当時のテープレコーダーの音質の悪さのせいはまちがいないのだが、スピーカーから自分の声をきく事もあまりなくて自分の声をまだ知らなかった事も一因ではなかったかと思う。それにしてもその時のテープレコーダーを保管しておけば希少価値としてプレミアがついたはずなのになー・・・ああー残念!
 
 当時の宮古島では、季節工として本土へ働きに行く人がだんだん増えて、農家の大部分の親父や農業しーにん(青年)達は夏場は季節工へ行き、冬場はきび倒しをしながら失業保険をもらうのが流行となっていた。
 
 隣の先輩の親父は神奈川県に季節工として行き、お土産として、ちょっと大きいスピーカと一体型のプレーヤーを買ってきたのだった。先輩は自慢げに、「はーいアモイ、ばんたが おとーが、ずみぎプレーヤがもー、ないちから かいきしうきば、ききすがくーよー」(ねーアモイ、うちの親父が素敵なプレーヤーを内地から買ってきてあるから聴きに来いよ)と呼ばれて聴きに行った。
 
 早速当時のレコードを掛けて聴かされた。西郷輝彦の「君だけを」だったような気がする。音楽が始まって、「あば、高音ぬ ずみがまやー」(おー高音がよく出ていていい音だなー)と言ったか言わないで聴いていると、西郷輝彦の声がちょっと軽く聴こえて、声が高めで、妙にビブラートが効いていておかしかった。
 
 内地からのプレーヤーが変とも言えずに聴いていると、先輩も「ぴーったがま ぴゃーむぬ やーばやー」(ちょっと早いよね)と言ってレコードを変えて聴いてみてみてもやはり音が高くてちょっと変だった。「あすぅがー 音ぬ ぴーった たかいやーすぅが ずみやー」(しかし、音がちょっと高いけどなかなかいいねー)と言う事で終った。
 
 原因は日本に2種類ある電力会社の周波数〔単位はヘルツ(Hz)〕の違いによるものだった。当時は関西地区と関東地区の周波数の違い(関東は50Hz、関西は60Hz)などまったく知らず、最近のようにインバーターなどという周波数の調整機能もついていないため、関東地区からのオーディオ製品はそんな事態が発生していたのだった。
 
 先輩がどこからか聞いてきたらしく、かりゃーあんちぬ ばーっざー、(あれはあんなわけだそうだ)と教えてくれて、部品を交換っすつかーのーすでぃすっざ、(すれば直るそうだ)との事でひららの電気屋へいって部品を交換してきたというのだった。
 
 直った後に聴かせてもらったのだが、まだちょっと高音に聞こえていたような気がしたものだったが、先輩をがっかりさせてはいけないので、あがい、んなまがみゃー まーんてぃ ずみだら、(おー、いまだったらもう最高だね)。と言う事で一件落着したのであった。
 
 季節工として出かけていった宮古島の親父達は手持ちのお土産だけではなく、色々なお土産話も持って帰ってきていて、酒ざーではそんなお土産話で盛り上がったりしていたものだった。
 
 その中には「やましたか?いいえ木下です」と当時から宮古では有名な方言失敗談から武勇伝などもありました。
 
 名古屋へ行ったある親父は「あんたえらいやろう」とよく誉められ、うれしくなってもっと張り切って仕事をやったそうですが、その意味が「あんた疲れるでしょう」というような意味だと知ったのはだいぶ後からの事で、「ないちぴすとんどぅ だまさいゆーきぅす だら」(内地人にだまされたんだよ)と笑い飛ばしていた。
 
 それにしても、あの時、最新のオーディオ機器としてお土産にもらったプレーヤーやカセットデッキのたぐいも今ではCDやDVDへととって変わり、箪笥の奥にしまってあるドーナツ盤やカセットテープも、ゆくゆくは、棺の中に入れられるのを待っているだけなのかもしれませんですね。

北海道旅行

R(平良・西里出身)

 一緒に行った友達M子がつけた旅のタイトルは、「50歳記念北海道旅行」となっている。そう、5月に同級生5人で50歳を記念しての北海道旅行に出かけてきた。
 
 お天気最高! 春の北海道を大いに満喫できた旅となった。
 
 平良の街を歩くと知らない人はいないというPTA活動での人脈豊富なS子、同級生同士で結婚し3人の男の子(上2人は既に働いている)のお母さんになったT子、5年前に結婚し、まだ新婚気分が抜けないと冷やかされてばかりのM子、ご主人の仕事の関係で子どもたちとのボール遊びから台風対策の力仕事まで全てこなすY子、と宮古島で小学校から高校まで共に過ごした4人と私の5人旅。
 
 実は、当初、目的地は韓国(韓流びいきのY子の希望だった)。パスポートも取得し準備万端、のはずだった。それが北朝鮮の問題で台湾に変更となり、また、鳥インフルエンザ騒ぎがあり国内旅行に変更。九州、関東といくつか候補があがる中、結局、北海道に落ち着いた。
 
 昨年末から調整してきた旅行だったので、みんなあきらめきれずに最後は「どこでもいいからいくぞ!」の勢い。調整期間がほとんどない中、旅行社に働く甥と何度か電話でやりとりをし、5月16日から19日までの3泊4日、札幌、登別、函館宿泊の女子会(婦人会?)プランが出来上がった。
 
 16日、いざ、出発。梅雨空の沖縄をあとにして、関空で乗継ぎ、千歳空港到着は、16時30分。さらに札幌に移動して、札幌駅に隣接したJRタワーホテル日航札幌にチェックイン。なんと かぎーかぎの(綺麗な)室内。広い平野の地平線まで見渡せる景色に一同、感激。このホテル、お勧めですよ。テンションは自然と上がっていく。
 
 以前、宮古島に住んでいて現在は札幌に住むS子の友達に紹介してもらった海産物屋さんに行き、早速、お土産品をゲット。クール宅急便での送付をお願いしたら、私たちの帰りよりも先に家に着くとのこと。北海道も近いね。
 
 夜は、すすきのを抜けたところにある居酒屋でカニをたらふく食べた。やはりカニを食べるとみんな無口になるというのは本当だ。
 
 気温8度。沖縄の冬より寒い。でも昨日まではもっと寒かったようだ。Y子は、ホッカイロを買ってみんなに配っていた。沖縄は半袖で過ごせる季節だというのにやっぱり北海道だね。
 
 2日目、快晴。
 大倉山ジャンプ競技場は、リフトで頂上まで上ったら、迫力満点。午後、登別へ移動。だいばん(大きな)温泉宿が立ち並び、硫黄のニオイが立ち込める昔ながらの温泉街。5人 まーつき(一緒に)温泉を楽しみ、夕食は食べ放題のバイキング。ウニ、イクラ、ホタテ、イカ、ホッケ、じゃがいも、アスパラ、などなど、北海道は、本当に食べるものが んまーんま(おいしい)。
 
 夜は5人一部屋での修学旅行気分。子どもの話、両親の介護の話、仕事の話、友達の話、もちろん旦那さんの話・・・枕の投げ合いはなかったけど、明日は移動中に眠ればいいさ、と時間を気にせずに語り明かした。
 
 同級生同士で結婚したT子は、「年上の人と結婚したかったな。そうすればもっと自分は謙虚になれたはず」と言い、そうでない私は「同級生同士で結婚したかったよ。そうすればもっとぶつかって行けたはずなんだけど」など、「どっちもどっちだね。」で最後は行き着いた次第だ。
 
 健康そうなS子が食事後に薬を飲んだのを見て、何を飲んでいるのか、と尋ねたら、ヒアルロンサンのサプリメントとのこと。あれー、さっき、ヒアルロンサンは効かない、と言ってなかったけ?みんなで大笑い。
 
 3日目、快晴。
 函館へ移動。ホテルで紹介してもらった「あじさいラーメン」を食べ、市電で五稜郭へ移動。今年の北海道は気温が低く、桜の開花が遅れたということで、私たちが行ったちょうどその時が五稜郭の桜の満開と幸運にもぶつかった。五稜郭に行く前は、ただの公園だよね、とあまり期待はしていなかったものの、行ってみたら50歳記念の旅行が桜の花で飾られ、この旅の一番の思い出になった。
 
 私は函館でみんなと少し別行動をとり、ある人の家を訪ねた。中学3年生の時、豆記者で函館に来た時にホームステイした家だ。お世話になった函館の豆記者世話会の会長は既に亡くなっているが、訪ねてみた。私と娘、二代でお世話になった家族である。
 
 歯医者さんだった会長だけど、今は娘さんが継がれている。家は建て替えられているものの今でも会長の名前で表札がかかっていた。ご家族は留守だったので話をすることはできなかったが、近所の人にお土産を預けた際に少し近況を聞くことができた。もう30年以上も前のことだが、心の中でお礼を告げ、会長の名前の表札を写真に収めた。
 
 4日目、快晴。
 9時45分発の飛行機で羽田空港経由沖縄への帰る日。とその前に函館朝市が5時半からやっているというので、朝市へ出かけ、お土産を買い足してから函館空港へ。朝食も朝市で海鮮丼。(これで何度海鮮丼を食べたことか。)
 
 宮古のメンバーは那覇空港で乗り継いでその日のうちに宮古に戻って行った。
 
 4日間、天候に恵まれ、食べ物に恵まれ、ホテルに恵まれ、人に恵まれた。まるで「50年お疲れ様。これからも頑張ってね。」と天から誰かが声をかけてくれている様な旅だった。
 
 「また行こうね。」「私たちがこの年(50歳)になるなんて思ってもいなかったよね。」とよく同級生と話す。でも、この前30歳の人も同じことを言っていた。(笑)だから先輩からしてみれば私たちの会話も笑われているのかもしれない。
 
 帰ったその日の夕食は、帰る前に打ち合わせたとおり、みんな北海道土産の海の幸を使って「海鮮丼」を家族に作ってあげた。「おいしい!」の言葉をもらったのは言うまでもないかな。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 宮古では、6月15日、宮古島市文化協会主催の「第20回 鳴りとぅゆん みゃ〜く方言大会」がマティダ市民劇場で開かれたようですね。6人の弁士が登場し、会場は、笑いっぱなしだったとか。いろいろな地域の方言の うむっしぱなす(面白い話)で盛り上がったことでしょうね〜。今年は20回の大会を記念して、福嶺中学校の生徒のみなさんによる方言劇 「なーふぃーよーす゜(命名祝い)」 も披露されたそうですよ。中学生が方言とは素晴らしいですね!方言大会、いつか、ばんまい みーぶすむぬど〜(私も見てみたいものだ〜)。
 
 大会の様子を下記のサイトで見ることができます。ぜひ〜。

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みゃ〜くてれび http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/9439/57/

 さて、今回の、くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
 
 宮古では地域のあだ名がいろいろなところにありますが、「島尻うすんきゃ」というのは最近まで、すさったん(知らなかった)!“うすんきゃ”と“きだつ”を併せ持つ「ゴルゴ13匹」(笑)は、強烈!それにしてもいろいろな種類の「うすんきゃ」があるんですね〜。神童ともども、島尻は奥が深い!
 
 「あの話をもう一度」は、今月は父の日があったということもあり、印象深く残っているアモイさんの「親父のお土産」をお届けしました。時代のかざ(香り)が、いっぱいでしたね。同時代を知っている方は、懐かしく読まれたのではないでしょうか。いつまでも残しておきたいお話だなーと思います。
 
 Rさんの50歳を記念しての北海道旅行、いいですね〜。気のおけない仲間との楽しさが伝わってきました。4日間の思い出を胸に、またそれぞれの場所で頑張っていくんですね。皆さんの強い絆も見えるようでした。豆記者の話が出てきましたが、その時の詳しい話は、vol.180「夏の思い出」に書かれています。上等お話です。こちらもぜひ!http://melma.com/backnumber_33637_4228897/
 
 貴方の感想もぜひお寄せくださいね。掲示板での書き込みも、お待ちしています!
 
 
 今回も しまいぎー ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
 (今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
 
 次号は、7月4日(木)発行予定です。(前号では、きょうの発行日をまつがえてしまいました。失礼しました!)
 では、次回まで がんずかり うらあちよー(お元気でいてくださいね)!
 あつかー、またや〜。