くまから・かまから vol. 299

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 こんにちは〜。
 うぷあみ(大雨)が降ったり、竜巻が起こったりとぴんなぎ(変な)天候が続きますね。どうぞお気を付けください。
 3週間ぶりの、くま・かまです。お楽しみくださいね〜。

八丈島へ

大和の宮古人(城辺・長南出身)

 久しぶりに主人の故郷である八丈島に行って来た。
 
 義母が存命中は盆正月必ず帰郷していたが、亡くなってからは殆ど帰ることも無くなった。男兄弟が多いせいか各法事は兄弟達だけでするとの跡取りの希望で嫁達は行かなくなり、13年振りに帰郷した。
 
 飛行機のチケットが取れず船。子供が小さい頃、数度船で帰郷して大変な思いをした。盆正月の帰郷なので帰郷する人だけでなく釣り人や夏休みを過ごす学生、家族連れで大変な人だった。
 
 2等船室は自由席だ。早く乗船して場所を確保しなければ、横になることができず10時間も座ることになる。夜10時半出発に朝6時ごろから整理券を求めて港で並んだ。1組の整理券をゲットすると一旦家に戻り夕方5時頃には出掛けて列に並ぶ。出港間際には100人の列が12か13組出来ていた。
 
 今思うとかなり定員オーバーの就航だった気がする。船室は横になると30人前後収容の部屋に倍以上の客を入れる。横になる事も出来なかった。朝まで座ってもいられないので廊下や階段、悪天候でなければ甲板に出て横になる。体が伸ばせれば んざやらばん(何処でも)よかった。
 
 今回は幸いにも一等船室のチケットが取れた。1時間前に港に到着。まず驚いたことに広場は閑散としている。10組以上あった列が出来ていない。一瞬乗り遅れたのかと焦った。それでもロビー内には200人位の人がいた。後で知ったことだが現在は2等船室でも全て指定席になり並ぶ必要が無いとのこと。イモ洗い状態だった部屋は1人1人区切られ定員数のチケットしか販売しないので整理券が無用だとか。昔もそうしてくれれば苦労しないで済んだのに。
 
 夜10時20分、東京竹芝港を出港し約10時間の船旅である。途中、三宅島と御蔵島に寄港して八丈島へ向かう。
 
 船に弱い私は行きたくない。しかし行かざるをえない。明朝下船時のボロボロになっている自分の姿を想像しながら乗船した。船室を確認。8人部屋だ。幅50センチ、長さ2メーター弱のシーツの無い薄いマットレスと清潔な白いカバーが掛かった小さな枕に夏掛け布団が各ナンバーの書かれた壁にくっつけて置いてある。大人5人しかいない部屋は静かで冷房も効いて快適。
 
 東京湾を走行中の大型船舶は走行速度が決められている。湾内を4時間かけてゆっくりと進み揺れも少ない。湾の中だけは船酔いもしないので、船窓からレインボーブリッジや東京、千葉、神奈川の夜景を眺める。東京の夜景も素晴らしい。赤や緑、紫にオレンジ等の色でビル全体が彩られて暫くボーと見とれていた。
 
 横須賀の方向に目を向けると何故か暗い。かなりの数の船も進んでいるが点滅した小さな灯で船舶であることがかろうじて分かる程度だ。黒く大きな物体に見えて気味悪さを感じた。
 
 午前1時を回る頃には、ぴっちゃ(少し)揺れて来た。外海が近づいたのだ。寝ることにする。これから先、八丈島に着くまで私は物体に代わる。少しでも頭を動かそうものなら口に出来ない状態になるから。同室の方に何処まで行かれるか聞くと三宅島までとの事だったので先にご挨拶をしておく。(最初の船旅で仲良くなった方にお別れの挨拶をする為に起き上ったのが船酔いの原因だった。港に着くと船から海水を抜くそうで横揺れが強くなる。知らずに起きて最悪の思いをしたのだ)
 
 朝4時30分に三宅島到着。やはりすごい揺れだ。手だけ振って見送り。5時三宅島出港し御蔵島到着が5時45分だった。6時御蔵島出港。
 
 船酔いしない主人はテンションが高い。絶壁の島だから起きて見学しなさいとか、朝ごはん食べに行こうだのとうるさい。毎朝5時になると新聞に埋もれている人だから禁断症状かな?食べ物の事など考えたくもないよ!誰か飛行機から古新聞でいいから落として下さいと願いながら夏掛けを頭から被って知らんふり。
 
 八丈島9時15分到着。接岸作業が終了し、船員さんに降りて下さいと云われるまで横になっていたおかげで酔いもせず下船できた。真っすぐ歩いて降り立ったのは初めてだ。
 
 八丈は八丈太鼓が有名で6人会のメンバー2人が炎天下太鼓で出迎えてくれる御苦労さま。しかし あつむぬ(暑い)!汗っかきの私は下船と同時に全身汗まみれに。
 
 港から実家のある集落まで道路が広くなって、立ちのきで所々新築の家が出来ている以外は全く変わっていない。10年が経過した事が信じられないくらいだ。
 
 気候的には宮古島によく似ていて緑と花が多い。特に緑は生き生きとしている。素晴らしい緑の中にハイビスカスの花が咲き乱れている。ガジュマルの木が意外と多いのにも驚く。3,40年前の宮古に戻ったようで懐かしい。
 
 家は防風林で囲まれるのでジャングルの中にいるように感じる。だいばん(大きい)蚊が やまかさ(沢山)いるのには閉口したが・・・。
 
 今回は帰りも船旅だ。八丈を朝10時に出港する。昼間に6時間も物体になるのかと思うと着いた途端憂鬱になる。行きはよいよい帰りは怖いだ。
 
 皆さん、おじゃれやれ はちじょうへ(いらっしゃい八丈へ)。

◇あの話をもう一度

カニ(平良・西里出身)

「ナビガースぬ ぱに(蝉の羽)」(投稿)(vol. 101 2005/6/2)

 はいよー あざがまたー あにがまたー カニどーや(はーい、お兄さん、お姉さんたちー カニですよー)。カニゃー すとむてぴゃーしからどぅ うきどぅどーや(カニは、朝早く起きていますよー)
 
 きゅうや「ナビガース ぬ ぱに」てぃぬ ぱなすうどぅ しーみーてぃど うむいうーすが たんでぃ きすきふぃさーちよー(きょうは、「蝉の羽」という話をしてみようと思っていますが、どうぞ聞いてくださいねー)
 
 かなーがい ばーや とむずぬ 公民館ぬ まうきゃーぬ んつゆど あす゜きま〜りどぅ うたーっじゅ(この前、私は、友利の公民館の前の道を歩いて回っていたんだ)
 
 公民館ぬ みなかんな うぱーたぬ ういぴとぅぬきゃーぬど うぐなーりゲートボールゆどぅ しーどぅたーっじゅ(公民館の庭には、たくさんのお年寄りたちが集まってゲートボールをしていたんだ)
 
 うぬなかんな ばがししどう しゅうがまぬど うたーっじゅ(その中には、私の知っている おじいがいたんだ)
 
 「はーい カニ うう”ぁまい ばんたとぅ あすぱでぃな」
 (おーい、カニ あんたも 私たちと遊ぶかい)
 
 「あがい、ぷからすむぬ たんでぃがー たんでぃ」てぃど ばーや ゲートボールゆしー あすぴどうたーっじゅ(「ああ、うれしいねー どうもありがとう」と私は、ゲートボールをして遊んだんだ)
 
 とむずぬ ういぴとぬきゃーや うすーうすぬ ぴらーぴらーぬ「ウィンドブレーカー」ゆど きしどぅたーっじゅ(友利のお年寄りたちは、とても薄くて、ピラピラした「ウィンドブレーカー」を着ていたんだ)
 
 「はい、しゅうんまがぬきゃ〜 じょうとうぬ ユニフォームゆど きしうーや」てぃ あいじばど(「はい、おじいおばあたちは カッコイイユニフォームを着ているねー」と言うと)
 
 「カニー うぬ ユニフォームぁ- ばんたーういぴとぅぁ- ナビガースぬ ぱにてぃどぅ あびりど うす゜どーや」(カニよー この ユニフォームを 私たち年寄りは、蝉の羽と呼んでいるんだよー)
 
 「のーてぃが ナビカースぬ ぱにてぃど あずぬがらや」(なんで 蝉の羽と言うんですかー)
 
 「あがーい カニ ナビガースてぃぬ いき゜むすっさー 1日ぬ んぬつしか にゃーんゆー あってぃ ナビガースや うぬ うすーうすぬぱにゆど バタバタてぃ ふーらし あららがまわいてぃ いっざいでぃし いきどぅ いき゜むすど〜や」(あれー、カニ 蝉という生き物は、1日の命しか ないでしょう そして 蝉はその薄い羽をバタバタと振って一生懸命元気を出している生き物なんだよ)
 
 「カニー ばんたー ういぴとぅまい ナビガースとぅ ゆぬぐー くくるしー 1日1日ゆど あららがまわいてぃどぅ いきどうどーや まんてぃどーやカニー」(カニよー 私たち年寄りも 蝉と同じ気持ちで1日1日を一生懸命生きているんだよ 本当だよ カニー」
 
 「あが〜い あんちーぬ くくるしー うぬ ウインドブレーカー ゆどきしうたす゜なー とむずぬ しゅうんまたぬきゃー」(ああ、そういう気持ちでそのウィンドブレーカーを着ていたんだねー、友利のおじい、おばあたちは)「あがーい たんでぃ みゃーくぬ ういぴとぬきゃーぬ かぎーかぎーぬくくるー」(ああ、すごいねー 宮古のお年寄りの きれいな心〜)
 
 「はい、とむずぬ ういぴとぬきゃー いつ〜がみまい かまぎたぶにぬゆがむすきゃ〜まい ばたぶにぬ ばりんすきゃーまい あまいばらいぬんつゆど ま〜つき あずきふぃさまちよーい」(はい、友利の老人達よいつまでも 下顎骨の歪むまで腹骨(ソーキ骨)の折れるほどまで あまい笑いの人生を 一緒に歩んで下さりますようにね)
 
 「ナビガースぬ ぱに」てぃぬ ぱなすどやーたずむさい
 (「蝉の羽」というお話でした)
 
 すぅとむてぃ ボンマてぃ だいばん ぴす゜っじゅ ぴすたー カニより (朝、ボンマと大きなオナラを放ったカニより)

やみすむだかーならん(止めさせなければいけない)

クイチャーマン(下地・与那覇出身)

 ばんどぅんま「うりゅーばー やみすむだかーならん」てぃー うむーくとぅぬどぅ あー。(私は「それは止めさせなければいけない」と思っていることがある)。
 
 春、夏を問わず高校野球の甲子園球場で「ビールはいかがですか。チューハイは要りませんか」などと、うぷぐいばしー(大声で)、アルバイト生らしい若者たちによって、応援スタンドで酒類が売られていることだ。
 
 試合の途中、センター後方のバックスクリーンの電光掲示板に「応援席は禁煙です。タバコは所定の場所でお願いします」と、ときどき表示される。酒類についての表示はないが、「応援席での飲酒は自由です。お近くを通る販売員からお求め下さい」と言っているようなものだ。
 
 電話で問い合わせたところ、日本高等学校野球連盟では甲子園での酒類販売を認めているという。沖縄県高野連では「以前から酒もタバコも禁止している」との返事。それらのことを踏まえて、7月初めに沖縄県内の地方紙に「甲子園での酒類販売を中止するよう日本高野連へ働きかけを強めたい」と投書したら掲載された。
 
 その後7月31日、私は「高校野球が行われる甲子園球場での酒類販売の中止を求める緊急要請」の文書を日本高等学校野球連盟会長、朝日新聞社社長、毎日新聞社社長、それに球場を管理する阪神電気鉄道(株)社長に郵送した。
 
 文書では「高校球児たちが懸命に、はつらつとプレーしているのに、応援席でビールやチューハイが堂々と売りさばかれ、それを飲みながら応援する風景は理解できません。球場はテレビ観戦の茶の間とは違う」と訴え、(1)夏の大会に間に合わせて中止を(2)間に合わなければ来年のセンバツ大会から中止を、と要請した。
 
 文部科学大臣にも四者を指導して酒類販売を中止させるようにと書き送った。さらに47都道府県の高校野球連盟会長にも、日本高野連に中止を働きかけてほしいと文書要請した。
 
 8月11日、沖縄尚学が初戦突破したとき、アルプススタンドの応援席に私も陣取っていた。応援しながら酒類販売がどうなったのか確認したが、従来どおり売られていた。要請は無視されたのかと気落ちしたが「野球と同じであきらめたら負けだ」と自身に言い聞かせ、「春のセンバツに向けて取り組みを広げるぞ」と新たな決意で球場をあとにした。
 
 家に着くと、私を感激させる出来事が待っていた。長野県高等学校野球連盟の理事の方から8月7日付けの文書が届いていたのだ。それには「いただきましたお手紙につきまして、回答かたがたお返事をさせていただきます」とあり、長野県高校野球連盟では、高校野球は教育の場であるという観点から、球場での販売業者にお願いし、理解を得て、高校野球の各種大会での酒類販売は行われていないとのことである。
 
 そして「要請にありました甲子園球場においての酒類の販売につきましては、送付いただいた要請書をもとに、阪神甲子園球場を含めた日本高野連、朝日新聞社、毎日新聞社で検討し、判断いただくことになるものと思います。本県では貴重なご意見として、今後の大会運営の参考とさせていただきたいと思います」とていねいに綴られていた。私は感涙を禁じえなかった。
 
 あんしーかんしー やりばどぅ、ばーんにゃ んなまからどぅ まさりわいてぃー すぅだかーならん てぃー、うむいゆー。みーうらまちよー。(そのようなことなので、私は、今後いっそう頑張らないといけないと、思っている。見ていてくださいよ)
 
 個人の取り組みでは弱いので、来春のセンバツ大会に向けては中止を求める組織を作り、知恵を出し合い、公開質問状の送付、講演会の開催などを進めたい。野球と同じで多くの皆様の応援も不可欠だ。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 8月16日〜23日まで、お盆で宮古に帰っていました。着いた時は、ぶーき゜(キビ)の葉が、干ばつのため茶色になっていましたが、お盆に台風12号がやってきて、恵みの うぷあみ(大雨)が降り、東京に戻るころには、おーおー(青々)になっていました。
 
 アモイさんが vol. 272 https://miyakojima.jp/kumakara-kamakara/vol-272/で紹介してくれた「宮原第二水辺公園」にアモイさんの案内で菜の花と行きました。宮古にもこんな風景があったとは!感激でした。お勧めですよ。
 
 17日には、恒例のオフ会。和風レストラン「たまよせ」にて17名(イサオさん、K.takanoriさん、D介さん、洋子さん、あっこさん、ぶらぶら猫さん、タイラー、π里生さん、さどやませいこさん、アモイさん、ざうかにさん、宮国優子さん、Motocaさん、神童、菜の花、松谷、初美)が うがなーり(集まり)楽しい時間を過ごしました。二次会は、JangJangへ行きましたよ。参加してくださった皆さん、たんでぃがーたんでぃでした。今年も元気を やまかさ(たくさん)もらいました。感謝です。すでぃがふー!!
 
 22日には、介護付有料老人ホーム「アットホームこころ」にて菜の花(高橋尚子)の講演会がありました。菜の花の真摯な仕事への取組みや、宮古のアロエベラと秋田スギを使っての研究の話にみなさん熱心に耳を傾けていましたよ。私も心打たれました。
 
 それから、池城かおりさんがやっている「ありんこ文庫」におじゃましたり、ざうかにさんのライブを見にいったり、中学のあぐたちと会ったりと、満喫してきました。帰省の様子は、菜の花も掲示板で書き込みしています。ご覧くださいね。掲示板 http://6005.teacup.com/kumakama/bbs
 
 さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
 
 大和の宮古人さんの13年ぶりの「八丈島」への船旅の様子、いいですね〜。その昔、宮古⇔那覇間を船で行ったことを思い出しました。船酔いには本当に だまがりますが、船は風情がありますよね。最近は、宮古⇔那覇間の客船はないとのこと。宮古では見られない風景になってしまいましたね。宮古に似ているという八丈島。行ってみたいです。
 
 今月の16日は、敬老の日。ということで、「あの話をもう一度」は、カニさんの「ナビガースぬ ぱに(蝉の羽)」の話をお送りしました。友利のおじい、おばあたちの、前向きな「蝉の羽」の話に、こちらが元気づけられますね。この話が書かれてから8年経ちますが、友利の公民館では今もにぎやかにゲートボールが行われていることでしょうね。
 
 クイチャーマン(垣花譲二)さんは、指笛王国の国王としても大活躍ですが、甲子園へ毎年のように応援に行っていますね。高校野球のときに酒類が販売されているとは、すさったん(知りませんでした)。沖縄の試合会場では販売されていないとのこと。クイチャーマンさんの高校野球への深い想いが伝わってきました。きっと、その想いは届くことでしょう!
 
 貴方の感想もぜひお寄せくださいね〜。掲示板での書き込みもお待ちしています!
 
 今回も、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
 (今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
 
 次号は、いよいよ300号!!9月19日(木)発行予定です。(あ、その日は十五夜でもありますね)どうぞ、お楽しみに!
 がんずぅかり うらあちよー(お元気でいてくださいね〜) あつかー、またや〜。