こんにちは〜。
もう梅雨明けかー!?ぞーわつき゜(良い天気)の宮古です。
3週間ぶりのくま・かま、お楽しみくださいね〜。
ふっふぁ むりゃ あんが(子守のねえねえ)
ワタリマリ(上野・宮国出身)
近所に赤ちゃんが生まれた。
ふっふぁなす よーい(出生祝い)の席で大人たちは誰にしようか決めかねている。自薦、他薦、お家事情いろいろ勘案される。むいあんが(子守のねえねえ)を誰にするかでだ。
この すま(集落)ではその昔、ふっふぁむりゃや〜(現の言い方ではねえねえや〜)を持つことは、かたい(姻戚)を持つこと以上につながりが強かった。おばーや〜の次くらいに行ったり来たりも頻繁だった。
ふっふぁむりゃ(子守)はいまでいうボランティア。無償だがなんやかんやと有償になる。農家には産休なんてない。ましてや農繁期などは、ぴっちゃがま(少しだけ)ふっふぁむりゃ(子守)に預けて畑へ出る。むいあんがは大活躍。即戦力で農家にとっては大助かり。まあここだけの話、遊びたい年頃のねえねえ達だからいやいやながらもあったはず。すこーし怠けながらも指名された以上しっかり奉仕するのだ。
さて、ねえねえや〜とのつきあいがまたすごい。というか、ねえねえはその子が大きくなるまでずーっとねえねえであり、一生ねえねえなのだ。この絆は半端じゃない。子守された子は、おじさんになってもおばさんになってもねえねえには敬意と愛着を持つ。
内地から帰省したらまずねえねえに挨拶し、酒に酔ったらねえねえや〜で寝かしてもらう。結婚の報告もまずねえねえから。悩み事があればねえねえに聞いてもらい、悪事を働けばこっぴとく怒られる。
大げさかもしれないが、ねえねえという存在は逆らえない神のような存在で、親姉妹とはまた別の愛を持っている。ねえねえはいくつになっても「ねえねえ」と呼んでくれるその子がとてもとても あたらすー、あたらす(かわいくて)しかたない。だから自薦他薦みんなが手を挙げる、あるいは生まれる前にはもう決まっていたりする。ねえねえや〜というのは名誉なことなのだ。
特記すべきは、ねえねえが結婚する時、お祝いには何かしらの家具か家庭電化、用品がおくられる習慣もあり、花嫁道具の自慢の見せ物でもあった。ねえねえや〜冥利に尽きるのだ。
もちろん誰でもがねえねえや〜があるわけでもなく、または希望しても、むりゃさじゃーんづあ(子守させないってよ〜)と断られることだってある。まるで縁談を断られた感じだ。逆に一人で何人も子守するねえねえもいる。また、姉妹が多い子はその姉妹のうちの誰かが ふっふぁむりゃをすることになることだってある。いとこ、親戚がなることもある。
私なんかは4人の姉がいるので上から2番目が私のねえねえとなった。で、むいあんが(子守のねえねえ)になれたかというとこれまた落選したので、ねえねえ ねえねえと慕ってくる むいふっふぁ(子守した子)もいない。きっと器量が悪かったんだ。
いまでは、ふっふぁむりゃは保育園に変わった。ねえねえや〜と呼ばれる家も近い将来なくなるかもしれない。
◇あの話をもう一度
sarahama三女(伊良部・佐良浜出身)
「ハーリーの思い出」(vol.174 2008/6/19)
去る、6月7日、土曜日、宮古島で恒例の「ハーリー」が開催された。
ハーリーは、14世紀に中国から伝わったとされる。航海の安全と大漁を願い、旧暦の5月4日「ユッカノヒー」に各漁港などで開催される漁民の伝統行事である。
私がまだ幼い頃(学齢期前かな?昭和46年ごろ)、わたしの生まれ島、伊良部町佐良浜のハーリーは、とても盛大に行われていたのだと聞いている。物心が付く頃、私の父は、ソロモン諸島やパラオ、パプアニューギニアなどの、南方出漁へと春頃出かけ、クリスマスの時期に戻って来るという生活を送っていた。
当然、ハーリーの時期に父は居らず、家族揃ってハーリーを見に行くことが少なくなった。と言うか、見に行かなくなってしまった。父が居ないハーリーがつまらなかったのかも知れない。(今思えば、もったいないことしたなぁ)
現在、私は、やまと(横浜)に住んでン十年、その間も佐良浜のハーリーを一度も見ることはなく、私の中で、ハーリーは遠い、遠い過去のものとなってしまっていた。
幼い頃の私の見たハーリーは、どのようなものだったのか、佐良浜に居る母や、姉達にも話を聞きながら、記憶を辿ってみたいと思う。
祭りの始まりは、『ハーリーうや』と呼ばれる男性による大漁、航海安全祈願で始まるとされる。そして、佐良浜小学校の鼓笛隊を筆頭に、漁協、町長、議員や老人クラブ、婦人会のパレードが行われる。小学5年の時私もその鼓笛隊の中にいた。
最初、確か、リラグロッケン(ベルリラ)という重い楽器を担当していたのだが、当時の私はと言うと、今では想像もつかないほどの痩せっぽちで、楽器の重さに耐えられず、小太鼓に回されたのだった。
パレードの途中、雨が降ってきたかと思いきや、晴れてムシムシする南国独特の暑さの中をふらつきながら最後まで行進した。そしてお役目?を無事に終えた鼓笛隊に、ヤクルトたった一本が配られた。あんなに頑張ったのにヤクルト一本がまかよ。ぶつぶつ・・・
私が小学校を卒業した後、そのパレードの中には母もいた。婦人会に入ったのだった。母は、「ばがどう いつばん じゃうずやひー ぶどぅりどぅいだらー!?」(私が一番上手に踊れてるでしょう!?)と言わんばかりに張り切って踊ってた。その証拠写真が今も実家にある。
祭りはいよいよメインの爬龍船レースへ。船主達が漁船に色とりどりの大漁旗を掲げている。そして荒々しく、力強くサバニを漕ぐ、赤黒く日焼けした海人達の勇姿!と言いたいところだが、幼く、小さかった私には、ほんの少ししか見えず、大人達のお尻しか見えない状態で、つまらなかったと思う。
爬龍船レースの他に、分会対抗水泳リレーがあった。佐良浜は、池間添、前里添の二つに分かれている。さらに、池間添は、1分会、2分会、3分会に分かれており、前里添は、3分会、4分会、5分会に分かれていたと思う。それぞれの分会から、幼稚園、小学校、中学校、高校、20代、30代・・・で競い合ってたと思う。(正確ではないかもしれない)その頃、海で溺れて海水をしこたま飲んだ私には、颯爽と泳ぐ彼ら(そう見えた)が羨ましかった。 して、未だにカナヅチだ。
最後に、ハーリーで私が嬉しかったことは、母に新しい服、靴や靴下を買ってもらえたことだ。私には姉が二人いるが、いつも姉たちのお下がりばかりだったので、この日だけは、一度も袖を通してない新品服が着れることが、だいず、ぷからすむぬだあたい。(とても嬉しかった)
そして、ハーリーの他の目玉!大漁旗を掲げた船からの「大盤振る舞い」だ。幼い私には、これこそが、ハーリーのメインに思えた。振る舞われるのは、餅、飴、饅頭、などの菓子類の他に切り身にした鰹だ。この時ばかりは、大人も子供もない。周りの人を押しのけて取り合う。傘をさかさにして、がっぼり取ってしまうずるい大人もいた。鰹の切り身の血液が顔や首、着てる服にも付着し、とても壮絶で、だいず、うとぅるす(とても恐ろしい)。だけど、私には、一番エキサイティングで、楽しかった。
古い歴史を持つ、島の伝統行事ハーリーが、いつまでも守り続けられることを願う。これまで、爬龍船レースをちゃんと見て来なかった私だが、これを機会に、島へ行き、しっかりと爬龍船レースを見てみたい。もちろん、流血の大盤振る舞いも外さない!
エフエムみやこのCMが うむっし(面白い)
松谷初美(下地・高千穂出身)
パリ(畑)にいる時や、車に乗っている時、「エフエムみやこ」を楽しんでいる。番組(エフエムみやこ制作番組やJーWAVE、FM沖縄の番組もある)ももちろん楽しいが、独自のコマーシャルが又、うむっし(面白い)。方言満載、宮古なまり、満載なのだ。
完璧ではないと思うが、少し再現。
お気に入りの「雪塩」のCM。孫とおじいの会話
孫(女の子):おじい、塩は方言でなんて言うの?
おじい :まーすと言うさぁ
孫 :じゃ、雪は?
おじい :すそーすそ しってぃ ぴぐるーぴぐる で ぴしゃーぴしゃーの所ん、降るものと言ったらいいかねぇ。
孫 :じゃ、「雪塩」は、すそーすそ して、ぴぐるーぴぐるで ぴしゃーぴしゃーの所に降る まーすと言うんだね?
おじい :あがじゃ、長すぎておじいには覚えられんさー。
(ナレーション)
まーすのことなら♪雪塩製塩所
小学校低学年くらいの女の子のかわいい方言のしゃべり方と穏やかなおじいの雰囲気。繰り返す方言、言いにくい言い回し。方言の面白さも伝わっきて、このCMが流れるたびに、ニンマリとなる。
男性二人の会話 「阿波根建設」のCM
男性A:だいず ずみやーやー
男性B:だいず みずやーあ?
男性A:ちがう、だいず ずみやーよ
男性B:いー、やーずみ
男性A:そうそう、ヤモリよ。おいよ。 ちがうよー、だいず ずみやーよ
男性B:あー、とってもきれいな家という意味ね。
男性A:そうよ
(ナレーション)
だいっず ずみやーなら 阿波根建設
平良なまりの言い方、ボケとつっこみ。初めて聞いた時、大笑いしてしまった。あがい、うむっし〜。作っているスタッフたちも楽しかったはずね。みやこふつの漫才師がでてくるのも近い!?
それから、「島とうふ」のCMもよく流れるが、人のいいお兄ちゃんがでてきて、最後にオチがつくバージョンには、島とうふのことは何もでてこない。制作者の与那覇光秀さん(エフエムみやこ)によると「島の人の良さを伝えたCMにしたかった」とのこと。そういう、みゃーくぴとが作る島とうふだから、美味しいとのばーだね。遊び心満載。
また、エフエムみやこが呼びかけをしているものもある。
小学生の子どもたち数名で。
「あがんにゃズミ」、「あぱらぎやー」、「がんずぅ うやき」、「ぷからすむぬー」「たんでぃがーたんでぃ」。「んなまからどー みゃーくぬゆー」
ぼくたち、私たちは、この島が大好きです。そして、宮古方言やなまりが大好きです。だから、話してください。教えてください。みゃーくふつ。
(ナレーション)
宮古方言は現在、ユネスコ絶滅言語に指定されています。
みやーくふつは島の宝です。
他にもいろいろあって、作り手の心いきというのか、想いも感じながら楽しんでいる。そして、宮古の魅力をおしえてもらっている。
宮古に帰省、もしくは観光でいらっしゃったら、“新鮮情報をお届けする島ラジオ”76.5ヘルツ「エフエムみやこ」ぜひ、お聞きくださいね。くま・かま仲間もパーソナリティやってますよ〜。番組表をチェキラ!
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
今回、ハーリーの話もお届けしましたが、今年のハーリーの日(6月1日)、久松漁港に出かけました。テントが やまかさ(たくさん)張られ、すごい人。爬龍船の競走のほかに、舞踊や獅子舞、相撲大会などもあり、若い人たちも大勢参加して、だいず、活気がありました。下地勇さんもゲスト出演!ふるさと久松の行事に花を添えました。(私は残念ながら時間の都合で見ることができなかったのですが・・・くぅ)皆さん地域の行事をとても大切にしているんですね。子どもたちも楽しそうでした。そうやって次世代へと繋げていくのでしょうね。見ることができて良かったです。
その前の日(5月31日)は「美ぎ島ミュージックコンベンション」に初めて出かけました。会場のトゥリバーに行くのも初めて。広く埋め立てられていて、すぐそばには、来年開通予定の伊良部大橋。なんだか、見慣れない光景に ぴるますー(不思議)な感じがしました。ミュージックコンベンションには、下地勇さんも出演して4曲を披露。きいやま商店の二人も一緒に歌い盛り上がりましたよ〜。
さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
「ふっふぁ むりゃ あんが」は、私の住むところではおばあ、母の世代までだったので、同年のワタリマリの話は新鮮でもありました。ねぇねぇがいるというのは、まーんてぃ幸せですね〜。ねぇねぇになるという事も、また、ねぇねぇがいるという事も子どもの成長に大きな役割を果たしていたのでしょうね。
ハーリーの季節ということで、今回の「あの話をもう一度」は、sarahama三女さんの話をお送りしました。老若男女、佐良浜中をあげて盛大に行われていたのが分かりますね〜。その日は新しい洋服などが準備されていたという事から神聖な感じもしますね。んなま まい(今も)きっと盛大ですよね。佐良浜のハーリーもいつか見に行きたいです。
エフエムみやこさんに今回の掲載のことを連絡したところ、与那覇光秀さん(パーソナリティとしても有名ですね)がスポンサーさんまで連絡を取ってくださり、快諾して頂きました。与那覇さん、スポンサーさん、たんでぃがーたんでぃ〜〜。島ならではのCM(もちろん番組も)これからも楽しみにしています。
今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい、すでぃがふー!
(最後まで お読みくださり、ありがとうございました!)
次号は、6月19日(木)発行予定です。
がんずぅ(元気)でいましょうね〜。あつかー、またや〜。