こんにちは〜。
立春は過ぎましたが、寒さが続いていますね。 がんづぅかりうらまずなー(お元気ですかー)?
vol.333ゾロ目のくま・かま(何かいいことあるかも!?) お届けです〜。
伊良部大橋
ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)
1月31日に伊良部大橋が開通し、盛大な渡り初めの式典が挙行された。その日のテレビニュースでは、紋付袴で正装した島のお年寄りを まうきゃーん(先頭に)大勢の住民が橋を渡る様子が映し出され、開通の喜びで島中が沸き立っていた。
これで4つの島(池間、来間島、伊良部島・下地島)が宮古島と繋がった事になる。離島苦からの決別である。宮古島にとって長年の夢が達成された歴史的な瞬間である。
6年前 んなまの(今の)会社に入った時、私が宮古島出身であることを知ったM部長が、「宮古島か。なつかしいな〜」と声をかけてきた。M部長は長年大手ゼネコンを渡り歩いてきた橋梁専門の技術屋で、定年を機に立ち上げたばかりの橋梁部門に技術顧問として入ってきた人である。
「あの伊良部大橋の工事は順調に進んでいるかね」といきなりのコアな話である。おごえ、とびっくりしつつ、よく話を聞いてみると、大手ゼネコン時代に伊良部大橋の基本設計に携わった関係で伊良部島を訪れたことがあるのだという。もちろんこのような大きなプロジェクトには多くの人が携わるのでどの程度かかわっていたか分からないが、いきなり伊良部大橋の話を聞かされ面食らったのを覚えている。
伊良部大橋は、架橋要請から実に40年をかけての実現だという。宮古島自体が離島であるが、その離島のまた離島である伊良部島の住民にとって長年の離島苦から開放された喜びは大変なものであろう。
架橋によって宮古島と繋がる意義はとても大きい。医療、教育、観光等の面で様々なメリットがあるとおもうが、一番大きいのは医療の面ではないだろうか。医療設備の整った宮古島と文字通り陸続きになり、今まではやなわーつき(悪天候)に阻まれ緊急を要する患者さんの搬送ができなかったが今後は可能となる。その安心感はとても大きいのではないだろうか。
M部長とは部門(階)が違うので ゆぬ(同じ)建物にいながら すとむてぃぬ(朝の)全体朝礼以外は滅多に会うことも無く会話する機会もほとんど無い。今年の新年会で久しぶりにM部長と会った時、今月末にいよいよ伊良部大橋が開通することを告げると、「あれから(基本設計から)もう20年近く経つのでは」「幾つものルート案があった」と当時を思い出したのか懐かしそうに話してくれた。開通することを大いに喜んでいた。
大きなプロジェクトは構想から基本設計、詳細・実施設計に多大な時間を有する。特に本土と違い高温多湿と環境条件の大きく異なる沖縄の橋梁の場合、克服しなければならない課題も多かったと聞く。
伊良部大橋も当初は意匠を重視した構造であったが、沖縄の台風を考慮し耐風形の構造に設計変更をしている。連結にはボルトなどを使わず溶接で凸凹の無いなだらかな面に仕上げ潮風の影響による塩分の付着を抑え錆びが出来ないような工夫をしている。
この辺りの技術的特長を詳しく知りたい方や興味のある方は、是非、建築情報誌「しまたてぃ」2009年No.51「伊良部大橋の概要と技術的特長」をご参照ください。(http://www.shimatate.or.jp/20kouhou/simatatei/51/NO51.pdf)
少々専門的ですが十分かりやすく説明されています。
伊良部大橋は、沖縄県の離島架橋100年耐久性検証プロジェクトに参加していて架橋後もさまざまなデータを提供することになっている。次の世代へ橋梁の基礎データを提供することによって次世代の橋梁の指針に役立てようというプロジェクトである。
今後、伊良部大橋を通して得られる貴重な基礎データが、日本の橋梁の耐久性向上の役に立つという意味でも大いに注目される伊良部大橋である。
それにしても、紺碧の海をまたいで架かる伊良部大橋は雄大で まーんてぃ かぎむぬ(ほんとに美しい)。今度、宮古島に帰った際は、伊良部とーがにを口ずさみながら ばたりみーってぃど うむいうず(渡って見たいと思っている)。
◇あの話をもう一度
ひさぼう(平良・西仲出身)
「ミャークフツ講座「ん」はすごいのだ 編」(vol.113 2005/12/1)
詩人の谷川俊太郎に、次の言葉がある。
・「ん」という音が好きだ。力がこもっているくせに軽みがある。「ん」という字も好きだ。大地に足を踏んばっていて、しかも天へと流れている。
・<ん>はおそらく母音の<あ>などと並んで、私たちが生まれてからもっとも早く声にする音のひとつだろう。そのせいか<ん>は体の感覚と切り離せないあるあたたかみを感じさせる。
・人間がいきむのを<うーん>と書くが、あれは実は<んんん>ではないかと私は思う。そういえば<ん>は漢字の<人>に形が似ている。私たちの体の中のエネルギーを、<ん>ははからずも象徴しているのかもしれない。
『「ん」まであるく』谷川俊太郎著より 抜粋
次はくまかまvol.111ワタリマリさんの「ボクのことば辞典」から。
「ん・ぐ」は水
「あー」は食べ物の催促
「ん・ま」は食事とかあちゃんとに使い分け
「ん」は了承
「ん・ば」は拒否と否定
「いーえ〜」は怒りと喜びに使い分け
この「ボクのことば辞典」を読むと“郷愁”にも似た感じがにじんでくる。
知ってのとおり、ミャークフツには「ん」から始まることばがたくさんある。が、これは“日本語の常識”からは、はずれている。「日本語には、<ん>から始まることばはありません」のである。「しりとり」も「ん」で負けになる。<ん>に対応する漢字もないらしい。<ん>は、人間が生まれてからもっとも早く声にする音・・・なら、<ん>からはじまることばがないのはヘンではないか。別の音になっているのではないか。
1、返事、肯定の<うん>という書き方はこれは実際は<ん>であろう。<む><むむむ>という書き方も同じく<ん><んんん>に思える。ローマ字で、U、M、N、で表わせる音は互いに通じるのではないか。
2、いも(芋)は、ミャークフツでは<ん>だけれども、助詞の「は」と「を」の使い分けで判断すると、「いもは、主食です」「いもを、掘って来い」はそれぞれ、「んーま、主食」「んーむ、ぷりくー」と言うから、この<ん>は、M である。(犬は、<いん>と言うけれども、「犬は、ほえる」「犬を、連れて行け」はそれぞれ、「いんな、ぷいどす」「いんぬ、さーりーき」と言うから、この<ん>は、Nである。
話がそれるけれども、日本語の<ん>には四種類あるといわれる。<3年3組3番>を声を出して発音してみると同じ<ん>でも口の中の様子が違っているのがわかる。ただ<ん>の発音は、微妙な違いを入れれば五つも六つもあるような気がするし、個人差もあるように思えるからこれは数えるのはむつかしい。
3、「んーぬ うるし(荷を降ろせ)」「んーぬ かたみる(荷を担げ)」というように、ミャークフツでは、荷(NI)は、<ん(N)>と言う。もっと興味あるのは、日本の古いことばでは、「土」のことは、<に>と言ったらしい。ミャークフツでは、土は、<ん た>と言う。<に>が<ん>になっている。
4、東京にいく。東京にいる。下に降りる。3時においで。親に似る。これらの<に>は、ミャークフツでは全部<ん>になる。<似(NI)ているネー>は、<んーんーだネー>である。
5、日本語の「い(I)」で始まることばは、ミャークフツでは<ん(N)>で始まることばになるのが多い。
いま(今)→ ん なま | いなびかり(稲光)→ ん なびかず |
いのち(命)→ ん ぬつ | いまだ(未だ)→ ん なだ |
いねつき(稲つき)→ ん なつき | いきむ(息む)→ ん くむ |
6、<んにゃ だいず>、<んにゃ どお んにゃ>、<あがんにゃよーい>、などのこの<んにゃ>というのはなんだろう。
いよいよ、ますますなどを意味する<いや(弥、いやいや(弥弥)>から来たことばらしい。神主がハタキを振りながら、「イヤ栄エ、イヤナントカタマエ」とか言っているあのいかめしい言葉である。i ya⇒iNya⇒Nnyaという変化であるらしい。したがって、この<んにゃ>も「い(I)」が<ん(N)>になっている形といえる。
7、<あが んにゃ>の<ん にゃ>、<あか んば>の<ん ば>もやはり、おなじことがいえそうである。すなわち、<あがんにゃ のーしが すーでい(しまった どーしよう)>の<ん にゃ>、は<いな(否)>の変化と思われるし、イヤだ!を意味する<あか んば>の<ん ば>は、<い や(嫌)>から来ていると思われる。
ミャークフツを含めて、いわゆる「琉球方言」には、「ん」から始まることばが多い。そして、これらは日本の古い時代のことばの名残りだといえそうである。ここで、ではどのくらい古いかが問題になる。
今の日本語の原形は「弥生語」だと言われるけれども、歴史時間の長さからいえば、縄文時代が圧倒的に長い。2千年に対して1万年である。それがなぜ「縄文語」ではなく「弥生語」かといえば、ももともと「文字」を持たなかった日本が「漢字」でもって自身のことばを表現するようになり、「しゃべることば」を「書かれたことば」「読むことば」で体系化して、それを「日本語」と称しているからにちがいない。
漢字を持たない「ん」は除外された。しかし、ことばは「文字」からうまれたのではない。「身体」から生まれた。
#参考書:「宮古群島語辞典」下地一秋著
平良中23期卒 40周年同窓会in東京 (投稿)
マクラム通り(平良・西里出身)
およそ3年前に届いた一通の葉書。平良中23期卒(昭和34.35年生)の同窓会、つまり55歳の節目の同窓会を東京で開催するにあたり準備委員会を立ち上げるので委員になりませんか?との協力要請の内容。
高校卒業と同時に上京して早や30余年。両親も他界、仲の良かったどぅす(友人)も沖縄本島の方に戻り、宮古島との縁が薄くなりかけていたその頃の私。すご〜くミャークフツが聞きたくなり指定された場所へといそいそと向かっていました。
ぱずみ(最初)の顔合わせでは同級生といえ、初めて顔を見た人も何人かはいたけどそこは同郷のよしみ。ミャークフツを存分にあびることができましたよ。2回、3回と顔合わせを重ねるうちに10数名の準備委員も決まり実行委員長のEちゃんの掛け声とともに2ヶ月に1回、1ヶ月に1回と打ち合わせ&親睦会の回数も増えて同窓会の内容を企画検討し2014年10月12日に西葛西のホテルレストランに於いて、「平良中23期卒40周年同窓会in東京」を開催する運びとなりました。
同級生達も宮古島はもとより沖縄本島、大阪、愛知、静岡、関東、福島、石川等々からの参加で盛大に開催するはずが前日11日、何と折しも台風19号が沖縄に接近!飛行機の欠航が相次ぎ、宮古島、沖縄本島からの参加者の欠席の連絡がはいり、沖縄からのスペシャルゲストも来られなくなってしまいました。
何回も会って打ち合わせしたことが水の泡?がしかし台風の影響を受けなかった本土在の同級生、キャンセル待ち、臨時便を駆使して宮古島、沖縄本島から同級生達が駆けつけてくれたのです。かくしてホテル近くの居酒屋で楽しく前夜祭と相成りました。
10月12日当日、沖縄は台風だというのに東京は曇りながらも雨の気配もなく希望者をつのり浅草散策へ。スカイツリーをバックに記念撮影を終え、17時からの宴会開始となりました。
目玉のゲストパフォーマンスはありませんでしたが、在宮古島同級生達が一生懸命練習したであろう余興にやんややんやの喝采!さすが余興天国、沖縄。だと感心。それぞれの参加者からの近況報告、ゲーム等々で予定の3時間があっと言う間に過ぎて2次会へと移動しクラス別のカラオケ大会となりました。
15歳の思春期真っ只中の少年少女も40年を経て酸いも甘いも噛み分けたいいおじさん、おばさんになり中学生の時は、どぅぐりーして(恥ずかしくて)話さなかった人とも仲良くお酒が飲めて良かったさぁ。
翌日、「還暦同窓会は宮古でやるからおいでよ、又その時ね」と三々五々に同級生達は帰って行きました。
今、思えば今回、55歳同窓会に準備から関わらせてもらい中学生の時には話ししたこともなかった同級生と知り合うことが出来たことがラッキーでした。23期同期生、433名。あの時、すれ違い、知り合えなかった同級生と3年前のあの葉書を介して知り合い、ゆぬ(同じ)目標に向かって行動した事が大事な思い出となった「同窓会in東京」でした。
2月には新年会があるという。又、お酒とともにミャークフツを浴びてこよう。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
B.サラさんが書かれているように、1月31日「伊良部大橋」が開通しました。この日は風が強く、ときおり雨も降るあいにくの天気でしたが、やまかさ(たくさん)の人が うがなーり(集まり)、伊良部は喜びに沸きました。全国ニュースで流れたり、全国紙でも紹介されたようですね。また、一方では、伊良部ー平良間を長年にわたり運航した、船会社に対して感謝セレモニーも行われました。終わりと始まり。それぞれにいろいろな思いがあったことでしょうね。
菜の花もこの日に合わせて帰省。1月29日は、和風レストラン「たまよせ」にて、さどやませいこさん、神童、ひでおさん、k.takanoriさん、タイラー、カニさん、与那覇淳さん、ざうかにさんで菜の花を囲んでのオフ会が行われました。私は那覇にいて残念ながら参加できませんでしたが、楽しい時間を過ごしたようですよ〜。
菜の花は、1月31日の伊良部の様子をくま・かま掲示板に書き込みしています。私も開通式と祝賀会の様子を書きました。こちらのほうもご覧くださいね。
さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
B.サラさんと同じように、宮古島以外のところで、感慨深くこのニュースを見た人も多いことでしょうね。B.サラさんは「仕事柄技術的な面でとても興味がありましたので、今回はその辺りを紹介したくて書きました」と話していました。技術的なことや「100年耐久性検証プロジェクト」のことなど初めて知りました。今度伊良部大橋を渡る時は、そのことも頭に入れながら渡りたいと思います。
ひさぼうさんの方言講座は、だいず分かりやすく、いつも方言の良さを伝えてくれますね〜。「ん」始まりの言葉は宮古方言の大きな特徴の一つ。それを多角面からアプローチして解明。最後の「ことばは『文字』からうまれたのではない。『身体』から生まれた」に大いにうなずきました。「ん」は、まーんてぃ(真に)すごい!
マクラム通りさんは、今回初投稿でした。たんでぃがーたんでぃ〜〜。年を取ればとるほど、どうしてこうも同級生というのは、かなすーかなす(愛おしい)なのでしょう〜。東京での同期会、台風もなんのその!大盛り上がりだった様子が伝わってきました。「中学生の時は、どぅぐりーして(恥ずかしくて)話さなかった人とも仲良くお酒が飲めて良かったさぁ」この言葉が同期会の醍醐味を表していますね。
貴方の感想・投稿もぜひお寄せください〜。
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今号も、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(最後までお読みくださり、ありがとうございました!)
次号は2月19日(木)発行予定です。どうぞ、お楽しみに!
早くーと春が来るといいですね〜。あつかー、またや〜。