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くまから・かまから vol. 339

2024 7/15
メールマガジン
2015年5月7日2024年7月15日

こんにちは〜。
連休も終わりましたが、ぞうかりうらまずなー?
今回も幅広い内容でお送りしますよ〜。 お楽しみくださいね〜。

目次

石灰岩とナウサ

宮国勉(城辺・西城出身)

石灰岩が風化して脆く粉々に砕けるような軟質石灰岩を宮古島ではナウサと呼んでいる。

復帰前の宮古島のメイン道路の舗装はそれが主流で、なうさんつ(ナウサ道)と呼び、車が通った後の舞い上がった粉塵の中で息をするのも、わが肺に気がねするほどだった。

雨が降れば水たまりがそこら中に出来て、泥跳ね運転がふつうに行われていた。バス通り沿いの畑の作物はみんな泥跳ね運転で白く汚れていたが、雨の日だけは濡れて青かった。

当時の道路工事はナウサを敷いただけの道路が多かった。メイン道路はローラーで転圧していたと思うが、それでも雨が降れば直ぐに流されて、凸凹道となった。ナウサを敷いたばかりの路は歩くことも、自転車走行もしんどいものだった。子供の頃は悪路の所為でけっこう躓くことが多かったように思う。足の小指の爪が変形しているのもそのような事情からである。

しかし、当時は月のない夜道は真っ暗で、白いナウサ道は大いに役立った。また、ハブの居る処では、その白さがハブ発見に大変役立つそうである。皆福の七又海岸沿いの道ではヤシガニ発見に大いに役立った。

その頃の小学校の職員室は、運動場より一段上がった場所にあったので、車が横付けできない不便さを解消しようと斜路を計画したらしい。幅5メートルぐらい、長さが約50メートルの規模の大きい斜路工事である。

4年生のころ、ばーき(ざる)をもって ぱいぬやま(南の山)までナウサ採りに行かされた。採掘場まで約1キロあり、往復2キロ超の道のりを運んだ。何度も休みながら かたむすん ぬーし あしぇーとび(肩に載せ大汗をかいて)運んだ。

下ろしてみると石と石の隙間に詰まり、敷き広げる量にならない。いくら大勢の生徒を動員しても まいやみーん(捗らない)ものであった。自分たちの微力さを証明しているようで、仕事をした満足感ではなく、みじめで悲しい気持ちになったのを思い出す。あのような調子でどうやって完成までたどり着いたかは知らないが、小学校の一段上がった校舎への斜路は出来上がった。

採掘場のすぐ傍に古い穴があり、そこから素焼きの甕(かめ)が出てきたようである。中に入っていた髑髏(しゃれこうべ)を取り出して石当てゲームをする者がいた。子供のすることは果てしなく不透明、いや恐ろしいガキどもであった。どこの みふぐんまがら みふぐしゅうがら すさいんすぅが とうとぅ〜 ゆるしふぃーさまち(どちらの目窪お婆 又は目窪お爺かは知らないけれど なんまいだ〜 許して下さい)。結末は分からないが、どうなったのか時たま思い出す目覚めの悪い夢のひとつである。

ナウサ道も車が通っているうちに段々と平らで滑らかな場所が出来てくる。その ぴさたー(真っ平ら)となった処では、ばっち(メンコ)や瓦蹴り、落書きなど、子供の色々な遊び場となった。

ばっち(メンコ)は暗くなるまで遊んだが、大概は段ボールをひき千切ったようなもので遊んでいた。正月の頃だけが月光仮面、怪人二十面相、まぼろし探偵、怪傑ハリマオ、赤胴鈴之助、猿飛佐助、鞍馬天狗などの画入りのメンコだった。

瓦蹴りとは、円を7つほど描いてケンケンパーをしながら瓦を蹴る遊びで、みなか(庭)で遊ぶのが多く、女の子の遊びの一つだった。

やーぬ あがいかたぬ ぱりぬ あっざん(自宅の東方の畑の傍に)草の生えない、ナウサ採掘場のような穴が、ぽっかりと口を開けていた。その穴は うぱーんな やー(大叔母の家)の塀や ぬーまたつ(馬小屋)、とーうわ(台所)の壁に使う石材を切り出した跡だと後に知った。

そこの石灰岩は硬くて丈夫な石質で四角に切り出して塀や壁の材料に使えたようである。ニュースでナフサ価格などと耳にしたときは、ナフサ※とナウサは聞き違えるほど似ているので反応してしまう自分がいた。

その、とーうわ(台所)は、サラ台風(昭和34年)に見舞われた時、隣近所の避難場所となり、みんなの命を護ってくれた大切な建物である。赤瓦屋根の南蛮漆喰塗りで、雨漏りも無く正にシェルターの役目を果たした。沖縄の赤瓦屋根は大和のお城の本瓦葺きと、ほぼ同じ造りで風に強く、美しさを兼ね備えている。

他の隣近所の避難場所を伝え聞くところによると、鍾乳洞が御嶽になったビマル御嶽、ブロック造の公民館やブンミャーなどに避難したらしい。

台風の翌日、さっそく学校を見に行った、すると校舎の一部を残して、木造平屋建ての校舎は押し潰されたような形で倒れていた。壁が石造だったなら潰れなかったかも知れない。台風直後は教室が無く、しばらくの間、裏山の松林で真昼の太陽を眩しく感じながらミルク(粉ミルク湯でとかしたもの)とコッペパンを食べた記憶が蘇ってきた。

宮古島台風台風(サラ:昭和34年9月)、第2宮古島台風(コラ、昭和41年9月)、第3宮古島台風(デラ、昭和43年9月)と10年以内に大型台風が続けざまに3個もやって来ている。それらを切っ掛けに宮古島の建築物は補強コンクリートブロック造が一般的になった。ただ、窓などへの飛来物の対策は気になるところである。

※ナフサ【naphtha】―――広辞苑より
原油を蒸留するとき、ガソリンの沸点範囲であるセ氏二五〜二○○度で留出する部分。沸点一○○度以下の軽質ナフサと八○〜二○○度の重質ナフサに分ける。軽質ナフサは熱分解によりエチレン・プロピレンなどの石油化学原料が、重質ナフサは接触改質によりガソリンが製造される。

日めくりカレンダー

R(平良・西里出身)

よくトイレで見かける「みつを」の日めくりカレンダー。ばんたがやー
(我が家)では、固定電話の横の壁に掛けてあります。

もうシミだらけで紙もよれよれになってきていますが、大切な情報をメモしているため捨てることができません。なぎゃーふ(長いこと)我が家の壁に掛かっていますが、最近、面白いことに気づきました。

◎長女の誕生日にあたる日

一病息災
 貧乏神同居
 しかもかくのごとくなりえども
 いのち明朗
 いのち満点      みつを

長女は大阪に住んで早、7年が経ちました。休みの日は、趣味仲間と過ごすことが多く、1年先の週末まで予定が入っています。平日は仕事でクタクタ、週末は趣味でクタクタ。若いからか体を休めることをせず、お金を貯めることも知りません。

◎次女の誕生日にあたる日

この我執の強さ
 そして
 この気の弱さ
 共に佛さまがわたしにくれたもの    みつを

姪っ子が自分の性格を「私は石橋を叩き過ぎて割るタイプ」と表現したことがありました。「慎重過ぎて失敗する」と言いたかったのでしょう。面白い表現で、的を得ているなー、と思ったことがあります。私の次女は、その姪っ子の上を行きます。石橋があったら崩れるものと考え、最初から叩きませんし、もちろん渡りません。「超慎重な性格」で、そして「がーずぅ(頑固)」です。(どちらも父親譲りです)

◎主人の誕生日にあたる日

くさびだから一番大事なところへうつ
くさびだから見えないようにうつ    みつを

主人は、先々の事までを考え、手を打つため、人と関わるのに疲れてしまうようで、人見知りが激しい性格です。でも やーでぃ(家族)のためなら肝心な手当を惜しみなくやってくれます。

◎私の誕生日にあたる日

いちずに一本道
 いちずに一ツ事
 観音さまに助けられ
 佛さまに守られて
 曲りなりにも一本道
 迷いながらも一ツ事    みつを

私は、不器用な性格で、ぴてぃーつ(一つ)のことしか対応できません。興味があることに没頭すると他のことはお構いなしになります。あすが(でも)、どんな時もそれを支えてくれる環境に恵まれるので、楽しい人生を歩むことができています。私の性格をいいようにアレンジして表現してくれているな、と勝手に思っています。

「みつを」の言葉1枚1枚を読み返してみた時、まさに、ばんたが やーでぃ(私の家族)4人の性格を言い当てているように感じたのです。驚きで、新鮮でした。

みなさんもどこかで「みつを」のカレンダーを見つけたら、自分の誕生日の内容をチェックしてみてくださいね。

ちなみに亡くなった宮古のかあちゃんの誕生日に書かれている言葉を私は、座右の銘としています。母は誰からも信頼される人でした。

あの人
 あの人がゆくんじゃ
 わたしはゆかない
 あの人がゆくなら
 わたしもゆく
 あの人
 あの人
 わたしはどっちの
 あの人か?    みつを

子どもが小さい頃は、誕生日は忘れてはいけない日でした。50歳を過ぎると忘れてはいけない日に葬式や みーにつ(命日)の比重が高まってきます。我が家の日めくりカレンダーには、身内のそんな情報を書き込んでいます。

5月に入り、29日は宮古の父の みーにつ(命日)です。今年、13回忌の法要を予定しています。

 29日
ふるいものを出さなければ
あたらしいものは入らない  みつを

この言葉には、私は、父の大きな愛を感じます。「どんな時でも前を向け!」と父に叱咤激励されている気分です。「おとー、ばんたが やーでぃ(私の家族)は、みんな元気にしているからね」

父の命日には、集まった親戚と思い出話に花を咲かせることにします。

『琉球石灰岩とガジュマル』と『ウキミザ−夫婦石』

カニ(平良・西里出身)

「琉球石灰岩とガジュマル」

新宮古病院の庭には旧宮古病院の庭から持ってきたものが幾つかある。そのひとつに琉球石灰岩の岩がある。旧宮古病院の庭にあったインド菩提樹の木と一緒に運ばせた。その岩は今、北の入口のインド菩提樹の隣に在る。毎朝の出勤時に出会う。

その岩にガジュマルの木とイヌビワの木が根を下ろしている。ガジュマルはわかるがイヌビワも琉球石灰岩が好きだったとは驚きだ。イヌビワに気づいたのはつい最近のことだ。イヌビワの特徴的な実をみて気づいたのだ。この実からは乳汁のような白い汁が出る。その汁を濁った泥水に入れると泥水が清らかな透明の水になるとある人から聞いている。私はこのイヌビワが好きだ。このイヌビワの新緑の時期の葉っぱは地表に対して水平に並ぶ。この光景がこの木の柔らかさを感じ心まで和らいでくる。

宮古島の木々は岩に根を下ろすのが特徴だが、その中でもガジュマル、アコー、ハマイヌビワの3つは絞殺しの木といわれ、他の木にも寄生し根を巻きつけ元の木を絞殺してしまう。御嶽にはおおよそ大きな岩などがあるが、大体この3つの木が岩に寄生して根を下ろしている光景が特徴だ。実はガジュマルやアコーの木のこの性質が私が歴史的由緒のある「ウキミザ−の夫婦石」を漸く捜すことのできた鍵となった。私は宮古島にある有名な岩をさがすことができたのだ。

「宮古郷土史の父」と「ウキミザ−夫婦石」を捜す

私の心の中には宮古郷土史の先生はただ一人。砂川明芳先生だ。残念ながら他界している。私が先生に出会ったのは失語症で言葉が出なくなった頃だった。せめて1年も前に出会えたら愉快だったのに・・・と残念がった。

私は先生から直に手書きの書物をすべて頂いた。そして全部目を通した。宮古島のことがよくわかるし、自分の心と共鳴する部分が多い。行動パタ−ンも似ている。異なるのは生きた時代がちょっとだけ違う。例えば戦争体験とか学問でいえば遺伝子や分子生物学は私の時代の学問だとか・・・。

その先生の書にまだ解けない宮古島に関連する諸問題があり、謎めいた言葉で綴られていた。次の世代へのバトンタッチと思われるメッセージだ。その中に宮古島各地にある奇妙な石や巨石の謎が残っていた。ぜひ私はその問題を解いてみたいと願った。

有名な元校長先生がカニの宮古島での野山や海辺を歩きながら思索する姿をみて「明芳と全く似ている」とたたえた。それだけでも嬉しい限りだ。

その謎の中のひとつ「ウキミザ−の夫婦石」という巨石があった。その巨石を捜しに何度も出かけた。しかし見つからない。手がかりは1枚の写真だけ・・・この風景と同じ風景を歩いて捜した。仕事が忙しいので年に1−2回ぐらいしか行けない。しかし何度も書を読み、確かにこの辺だがな・・・とか思い探すのだが見つからない・・・3年が経過した。

似ている景色があったが、異なるのは巨石はなく小さな森だった。そこで思考した。ガジュマルのことを考えた。もし巨石にガジュマルが根を下ろし大木となっていたら・・・推理した。その森の中に巨石があるに違いない・・・その森に近づいた。棘の多いツル性植物や密集した木々があり、入口もない・・・汚れててもいい、服が破れてもいい・・・そんな気持ちでこの森の中を突き進んでいった。

私の予想は当たった。そこには2つの巨石があり、巨石の割れ目からは明芳先生の書の通りに「グスクアカ(城赤)」と呼ばれる環礁(アトール)が見えた。炭焼太郎伝説の環礁だ。

後はこの巨石がどういう意味でここに存在しているかを解き明かすことだ。私はある推理をしている。13世紀に宮古島に入ってきた人たちの心になって考えてみている。

こんなことを考えるのは愉快なことだ。そしてそのために我を忘れて歩き回ることもまた楽しいことだ・・・。

ウキミザ−の夫婦石を見つけ出したのは2年前の2013年(平成25年)5月5日だった。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

大型連休は、いかがお過ごしでしたかー?宮古は連休の間、すっきりと晴れたのは少なかったですね。昨日は青空が見えましたが、雲が多かったり、うぷあみ(大雨)が降ったりと不安定な連休でした。

5日は「こどもの日」でしたが、宮古毎日新聞によると、宮古の14歳以下の子どもは、8919人で50年前(3万人)と比べると三分の一以下になっているということです。運動会などを見に行っても感じますが、まーんてぃ いきゃらふと なりうずやー(本当に少なくなっていますね)

昨日(6日)は、立夏でしたね。宮古では、ミヤコニィニィ(セミ)がジージーと鳴き出しましたよ。暦の上では夏の始めですが、梅雨間近です。

さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

宮国勉さんの話は、風景の描写のひとつひとつがとても鮮明に描かれていて、ついこの間のことのようですね〜。昔の子どもたちは、ふふぁい(肥料)や芝などいろいろなものを学校に持っていきましたが、なうさも運んだとは!して、私の小指の爪も変形しているさね。読んで納得!(笑)

相田みつをさんの言葉いいですよね。それにしても、ご家族の誕生日に書かれた言葉が本人にぴったり合っているとは。驚きですね。Rさんのご家族やご両親に対する細やかな愛情が見えるよう。して、自分の誕生日の言葉、気になるー。(笑)カレンダー とみ みーでぃー(探してみよう)

カニさんの自然に対する細かい観察やコアな宮古の話、勉強になりますね。今回もとても興味深い内容でした。ずーっと変わらないカニさんの情熱に心打たれます。尊敬する先輩との出会いは「会うべきして」という気がしますね。

カニさんはこの連休に行った、大野山林やヨナガーの写真を掲示板に投稿しています。また、今回のウキミザーの場所と写真も書き込みして下さるということですので、こちらも合わせてご覧下さいね。

貴方はどんな感想を持ちましたかー?ぜひ、お聞かせくださいね。
掲示板での書き込みもお待ちしています。
投稿まい 首を長くして まちうんどー(お待ちしています)

今回まい、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました!)

次号は5月21日(木)発行予定です。
きゅうまい かぎ ぴかず(佳き日)でありますように!あつかー、またや〜。

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