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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 340

2021 6/03
メールマガジン
2015年5月21日2021年6月3日

こんにちは〜。
沖縄地方、やっとがま梅雨に入りました。 恵みの雨となりますように!
今回も、濃いー宮古の話、お届けですよ〜。 お楽しみくださいね。

目次

『宮古の俚諺・格言』(浦崎安常著)

あすなろ(平良・東仲出身)

くま・かま vol.324https://miyakojima.jp/kumakara-kamakara/vol-324/『宮古島今昔物語』で「いさ゜がー」の事を記しましたが「いさ゜がー」の入り口の正面、道を挟んだ北側に浦崎宅は在りました。
  
その東隣には、うたき(御嶽)があり、子供達の格好の遊び場。ボーチラ(ガキ大将)達は、遊びに夢中で先生宅の畑に植えられた、んぎー(芋)の苗を踏み荒らし、ひどく怒られた記憶が甦ってきます。一回の叱責以外、物静かな印象でお顔を思い出そうと試みるも半世紀の時の流れは重く、徒労に終わりました。

手元に古色の一冊の本があります。3年前に伯母から譲り受けました。表題の本はB6版で謄写版刷り、自費出版で昭和47年(復帰の年)5月7日発行(非売品)。表紙裏面に先生の直筆で「贈呈」と私の伯父の名前が刻まれています。装幀は琉球文化会館の川満進氏、謄写製本は安慶田昌三氏とあります。

浦崎安常(あんじょう)氏の出自は、1905年(明治38年)に平良で生を受け、1986年(昭和61年)没。享年81歳。1924年(大正13年)宮古教員養成所を卒業、狩俣初等科教頭を最後に教員生活に終止符を打ち、宮古織物協同組合の再建に尽力されています

氏の業績は、『平良市史』第8巻、資料6(人物編)210頁に詳しい。

宮古で初めて出版された『俚諺・格言』の内容は、家庭編(102)人世・処世編(128)健康編(13)食事編(10)金銭編(11)気象編(14)計(278編)が収められています。

日本広しと言えども「ん」で始まる俚諺・格言は皆無に等しい。そこで、「ん」に特化して原文のまま紹介してみたいとおもいます。(※外国格言の比喩、古文書等からの比喩は省略しました) 尚、興味のある方は、ネットで表題と著者名を入力するとアマゾンでヒットします。お試し下さい。

<家庭編>

◎ んまが どぅ や たらま どぅ
(孫 へだたり  は 多良間島 へだたり)

(解)祖父母と孫との愛情の隔たりは、遠い多良間島の隔たりがある。自分の子供なら躾もするが、孫は甘やかし、わがままさせる。自分の子供と孫に対する真の愛情のへだたりが如実に現われている。

◎ んまが ゆ や まゆなか
(孫  世 は 真夜中)

(解)自分が生んだ子女を育てるときは、どんな苦しい中でも明日に希望をもって暮らす事ができるが、心身とも衰えてから孫を育てることは本当に苦しい(真夜中)ものである。

◎ んま ぶら どぅ あい゜ ふぁ ぶら あ にゃん
(母親 馬鹿  が  ある  子  馬鹿 は ない)

(解)母親は馬鹿になるほど子どもに愛情をかけるのだが、子どもにはそんな愛情はない。

◎ んま あさ ぬ ふふあ ど んまりい゜
(母親 父親 の 子供 が 生まれる)

(解)祖父が善良な行いをしたので神様が孫を授けられる。

<人世・処世編>

◎ んまあ あさ ん ぱっちゃあ うむくとぅ  いでむぬ
(母親  父親 に 死別  智恵 出る)

(解)母親や父親に死別すると、何時まであると思うな親と金で独立し生活するためにいろいろの考えや智恵が出てくるが、子供に死別すると死んだ子供のことが頭に残り、胸を刺されているような思いがする。

如何でしたでしょうか?
「ん」から始まる俚諺・格言。この本、宮古の図書館にもあると思いますので、一度足を運んでみてはどうでしょうか?

浦崎家にまつわる仰天話を2つ。

浦崎家の屋号はナカバルヤー。琉球王より宮古の詰医者として派遣された名嘉原(ナカバル)里之子親雲上からとられています。名嘉原里之子親雲上(安利)は、国頭郡本部浦崎村の地頭職で、姓を名嘉原から浦崎と改めます。

安利の4男(安紀)は、同治11年申(明治5年・1872年)〜同治戌(明治7年・1874年)まで宮古島の詰医者(漢方医)として務めます。明治6年(1873年)7月18日、ロベルトソン号で難破したドイツ人を手厚く介抱して感謝されています。

この資料を提供して下さったのは先生の3男のY氏。その(安紀)の娘が、私の母親の祖母(メガ)と判明してビックリ仰天。浦崎家が親戚だったとは・・・。

さらに、仰天した事が。安常氏の奥さんは、稲村(上運天)賢敷の実妹(カメさん)で、「宮古上布」の名人。上布1反の値段が、当時の教師3か月分の賃金と教えて下さったのは先生の次男T氏。賢敷氏や、実弟で沖縄初の弁護士となった国原賢徳氏の学資の援助は、彼女の細腕から紡ぎだされた。

先述の次男で弁護士のT氏は「賢敷」のイメージがあるからあまり書かないで欲しいと釘をさされましたが、カメさんの頑張りは評価して差し上げるべきとの私の独断で書かせて頂きました。歴史の裏話としてT氏には得心して頂けたら幸いです。

※表記について『宮古の俚諺・格言』では、「あい▽」や「んまりい▽」となっていますが、こちらでは半濁音の ゜を使いました。

◇あの話をもう一度

ワタリマリ(上野・宮国出身)

「神の使いの っふぁ(子ども)」vol.197 2009/6/4

みゃあぐん(宮国)ずまには、昔話や古い迷信、言い伝えなどがいっぱいある。

私の母はそれらのことに少々詳しくて、姉たちや幼い私にいろいろ話してくれたのだが、そんなことより ぽー(クロイゲ)や むとぅびー(野イチゴ)を探しては食べることに夢中になっていたので、まったく興味を示めさなかった。

成人してからは、姉妹のうち、だれよりもあんたが一番興味がありそうだからといってはゆっくりと語ってくれた。だけど、私ときたら、いい加減な聴き方で話してくれたそれらのことのほんの少ししか書き留めてなかった。なので今になって後悔しはじめているのだ。

もちろんその種の資料や語ってくれる方はたくさんいると思うのだが、母の語りには独特のリズムと暖かさと何といってもちゃきちゃきの みゃあぐんふつ(宮国なまり)が味わえたのだ。

今日はそのなかのひとつをオールみゃあぐんふつでどうぞ。

いらあ〜、んきゃーんどぅ んにゃ なんにちまい あみぬ ふっふぁんたんとぅすぬ ああたーちーだら。

(あのねー 昔のこと もう何日も雨が降らない年があったそうだよ。)

すまじゅう ぬ ぴとぅぬきゃあや んーな ざーん あつまりい いつからが あみぬふいすがまたがちい ぱなしゅうたざー。

(島中の人たちがみんなで座に集まって いつになったら雨が降るのだろうと話していたんだって。)

うまんかい みす゜たーくとぅぬ にゃーん んみーぬ っふぁがまぬきし「のうちが うわたーや んーな うまん あつまりゅうが 」ちいき゜かい゜たーば「んにゃ なんにちまい あみぬ っふあんばどぅ いつぬ ぞうぴかずん が あみぬ っふういがまたが ちどぅ あみぬっふいむぬう まちゅう」

(そこに 見たことのない 小さな子どもが来て「なぜ みなさんは全員ここに集まっているのですか」と聞いたので「もう何日も雨が降らないので、いつのよき日に雨が降るのだろうと雨が降るのを待っているのです」)

ちい あす゜ばどぅ うぬ っふあがまあ「きゅうれきぬ 3月ん ぞお ぴす゜かずう とぅりい かんにごお ゆ しいるばどぅ あみゃあふい゜。ぞうぴかず ちや きゅうふぬ うまか ひつじん あたい゜」ちい ならあすたーざー。

(と言うとその子は、「旧暦の3月によい日取りを取って神願いをしておけば雨は降りますよ。よい日とは、きのえのうまか ひつじのことです」と教えたんだって。)

「まーんちぬが」ちい き゜き゜ばどぅ 「まーんち」ち あす゜っち かまーんかい ぴりい みらいんふ なあい゜ったーざあ

(「本当ですか」と聞くと「本当です」と言って、向こうのほうへ行き、見えなくなってしまったんだって。)

すまぬ んまたあや うぬ っふぁ ぬ あす゜とおりん ツカドゥマリャ むとぅんかい いき いるんな むぬう かざりい みす゜か くむりい かんぬ にがうたあ ざー。

(島のおばあたちは、その子の言うとおりにツカドゥマリャ元に行き、いろいろなものをお供えして3日篭り、神願いをしたんだと。)

あす゜かあどぅ いらあ まーんち あみぬ ぱらぱらちい うちい き゜すたあ ざー。

(そしたら、ねぇ、本当に雨がパラパラと落ちてきたんだって。)

うんかりゃ あみぬ っふぁん とぅすんにゃ ツカドゥマリャ むとぅんき かんにごお ゆ すうばどぅ かならーず あみぬ ふい゜たあざあ。

(それからというもの、雨が降らない年には、ツカドゥマリャ元に行き、神願いをすると必ず雨が降ったそうだよ。)

あしばどぅ うぬ っふぁがまうばあ かんぬっふぁがまどぅ ありゃちい んーな あす゜ゆうたあざあ。

(だから、その子のことは、神の使いの子だったに違いないと、みんな話していたんだって。)

うりゃあ まーんちぬ ぱなす あーばどぅ みゃあぐん な んなまぬ ゆう がみ つづきゅう ち ばやあ うむい ゆう さあ。

(これは本当の話だから、宮国は今の時代まで続いていると私は思っているさあ。)

と母は話していた。

ところで、今もよい日取りのとり方としては 大安 先勝などあるのだが、宮古的な日取りのとりかたには、ちんぷんかんぷんな私は母に再度聞いてみた。

カレンダーを見てみると良く分かるのだが ひのえ つちのえ かのえみずのえ きのえ の順番なっていて、それに十二支がくっついています。

だが、宮国の場合は、つちからはじまり(つちのえ)、土の上には火を燃やし(ひのえ)、その上には鍋(かのえ)(金をカニとして鍋はカニできている)、鍋の上(中)には、みず(みずのえ)、みずからゆげ(けむり)ができ、これを きゅうふ(けむり)にしたらしく、きのえがそれにあたるらしいのだ。

だからここでは、きのえのうまか、ひつじが良いぴかずと神のっふぁは言っているのだ。

が、んー、よく分からん。なんでそうなったかが。もしかしたら、宮古のどこかに同じような話があるかもしれないので、違う説があれば教えてほしい。ち うむいゆうさあ(と おもっているのさ)。

かびているばかりじゃ、のーまいならん(匂いを感じているだけじゃ 何にもならない)

宮国優子(平良・下里出身)

正直に書きます。

私、忙しいんです。文字通り、心を亡くします。いやいや、それじゃまずい!子ども三人いるだけで、母性が少ない私(ないとは言わん)は四苦八苦。加えて、あれやこれや。馬鹿じゃないかとも思うんですが、やりたいことはやりたいという性分なので、しょうがない。

で、親にまでも「うわぁー、のーしっしゅうりゃー(あんた、何をやってるの)?」と聞かれるんですが、大きくわけて三つが私の心を占めています。

一つ目は、超ローカル発信である『読めば宮古』の続編。さらに宮古研究。

二つ目は、そこから派生した一般社団法人ATALASネットワークの活動。沖縄県の文化振興会の補助をいただいて講座や本作りをしています。

三つ目は、人と人がローカルでつながること。後付けの理由になってしまいますが、東京の地元で店をやっていて、そこから広がる小さいけどリアルな宮古発信。

そんなに発信してどうする、なんですけどね。私もなんでかわかりません。そうなってしまった、というしかない。関わる人もどんどん増えて、個人では収拾つかない。勿論、もともとキャパはかなり小さいです。ぱんたむぬ(多忙)です。たくさんの人の流れで、何でも言いたい放題の私が旗を振り回しただけかもしれません。

『読めば宮古!』の時も、きっかけは友達KIとボソボソ話していただけです。最初は「なんでこんなに面白いかよ!宮古!」というアホのりでした。その数年後「特発生血小板生紫斑病」という難病になったのも時間がとれたきっかけでした。仕事も続けられず、東京で治療を続けるためにも流れにのって結婚しました。数年は死ぬかと思いましたが宮古のことをやっているとなんだか元気になっていきました。まわりで支えてくれたのは、友達でした。宮古、沖縄、アメリカ、東京。出会った場所は関係なくいろんな人に助けられました。まだ恩返しできてないけど。有り難や。たんでぃがーたんでぃ。

当時は『読めば宮古』がこんなに支持がいただけるとも思わず、自分たちの面白いと思う事をやったというだけで申し訳ないくらい楽しみました。あこがれだったボーダーインクの新城和博さんとお仕事できたのがとてもうれしかったのを覚えています。旗ふりしたのは私ですが、牽引したのは40人の宮古に関わる人たちでした。有り難や。たんでぃがーたんでぃ。

新しい『読めば宮古!』の原稿はほぼ集まっています。あとは残りの原稿を集めて、編集段階に入ります。

宮古研究もその流れのなかにあります。平良好児賞をいただいての祝賀会の席で、大御所の仲宗根將二(なかそねまさじ)先生に怒られたのです。「何もわかっとらん!」というような主旨でした。そこで何故か「私の知らない宮古をたくさん知っている人がいる!」と勘違いし、狂喜乱舞してストーカーを始めました。仲宗根先生にはとても迷惑だったと思います。これは書いておかないと、笑。仲宗根先生、ごめんなさい。いつも迷惑かけてます。でも、私はまるで宮古のソクラテスから話を聞いているような、そんな気分でした、いつもいつも。

じゃ、ソクラテスの言葉を残したプラトンは誰がやるんだ!ですが、私一人じゃ太刀打ちできない。それじゃ、研究者を集めてしまおう、と、単純な脳みそでこれもまた流れで作ってしまいました。法政大学沖縄文化研究所の宮古研究会・・・。立ち上げるのにも宮古パワーが発揮されました。東京出身なのに宮古にまみれていたMさんです。有り難や。研究会の皆さんも本当にご縁としか思えない出会いばかりでした。

『読めば宮古!』の恩返しを宮古にどうしたらいいかわからなかった2008年。S大学で受けた授業をきっかけにK先生のアドバイスで一般社団法人ATALASネットワークを立ち上げました。代表は当時も一生懸命手伝ってくれた宮古のコウダンシ(宮古では、かっこいい人のことをこういいますね、好男子!)のNTになってもらいました。残りの印税で作ったので、勿論、資金なんてありません。当時は、何ができるかも全然わかりませんでした。

ですが、ATALASネットワークと宮古研究会が動き始めた頃に、これまた下地暁さんのアドバイスにより、沖縄県文化振興会に応募し、補助金をいただくことになりました。宮古での歴史講座と「島を旅立つ君たちへ」という島を出て行く高校三年生に送る小冊子を作っています。二年目に入り、講座は広がりを見せています。三年間の継続助成なので、いただけるとしても来年度が最後になりますが、できるだけ活動が補助金がなくても継続できればと思っています。

私がなぜ、この補助金を申請しようと思ったか、なのですが、仲宗根將二先生に「資料がシロアリにくわれるんだよ」という言葉からでした。今年度は、私たちの団体はアーカイブ事業からいったん離れますが、沖縄県の方では着々と進んでいるようです。これも有難い話です。

そして、私がなぜ宮古を離れてからも宮古のことを考えるきっかけが多かったかなのですが、宮古から一番遠いところに行きたいと思って、アメリカに行きましたが夢破れまくって、宮古に戻り、元気になって上京したところから話が始まります。これ、また宮古人のつてで映像制作会社に働くことになりました。当時、宮古毎日新聞に勤めていた友人KIがエッセイを書いてみないか、というところから始まりました。

しばらくして、宮古毎日新聞の嘱託記者として、東京で取材活動をするようになりました。国の中枢で決められている事、東京のリアル、宮古の中枢、宮古のリアル、いろんなことを見聞きすることになりました。いつも一寸先は闇人生なので、その時々でいつも考えています。今も宮古毎日とはつながり続け、とても感謝しています。

ここまで何年かかったか考えてみると、東京上京から22年たちました。娘も三人になりました。東京という文化のなかでは、まだ22歳の若者です。冗談です。でも、ほんとあっという間です。44歳なので、自分という器のなかで、宮古と宮古外がちょうど半分になったところかもしれません。器も少しくらいはでかくなっているといいんですが・・・。

加えて、ご縁で東京の地元にジャングジャング東京店を譲ってもらい「Tandy ga tandhi」という店らしくない店をかまえました。子育てしているので、夜は夫が帰ってきてからしか店は開けられません。昼間はまだ準備できていません。それでも運営できているのが不思議です。有り難や。

今、店は自分の地元と故郷をつなぐ基地になっています。秘密基地みたいなものですが、笑。壁には宮古のポスター。棚には、宮古の本が鎮座ましてます。本棚は東京の地元の友人たちが作ってくれました。今、一番好きな光景です。もうひとつあるとすれば、宮古と宮古外の研究者が話しているときです。胸が躍ります。

できることを、できるだけ、ご縁のあるところで。

あわてると、忙しくなって、心を亡くします。ちょっと立ち止まろうと思います。それをさせてくれるのは、娘たちです。私を強制的に家庭に縛り付けてくれます。家事労働という意味ですが、笑。彼女たちと過ごす時間が心を亡くしてしまいそうな私を正気に戻してくれます。

でも、娘たちが宮古に暮らしたいと言い始めている昨今、私はもっと頻繁に行ったり来たりしそうです。私より宮古のおばぁと住みたいそうです。なんてことだ!でも、長い人生を考えたら、それもありかもしれない、と考えるようになりました。考えただけで泣きそうになるくらい、無理な相談ですが、でも彼女たちの意見もいずれ尊重したいです。

こんなに長く書く予定はなかったのですが、あふれるのがとまらんかった、笑。初美さん、ごめんねぇ。そうだ!一番大事なことを書くのを忘れてました。私が頑張れるのはこのくまかまを主宰する松谷さんのような素敵な宮古の先輩方がいるからです。その「胸にしみ込むような優しさ」や「わけへだてのないところから来る真の聡明さ」がエネルギーになるのです。ごろにゃん。

宮古を肉体で「哲学」するような、そんな先輩たち、先人たちの薫香を受けて、後輩の私たちは何が出来るか、いつも考えています。でも、かびているばかりじゃ、のーまいならん(匂いを感じているだけじゃ何にもならない)。

というか、考え続けたら、今の現状の私は、こうなったのかもしれません。有り難や。たんでぃーがたんでぃ。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

今月11日夜中から12日にかけて、台風6号が宮古の いず(西)を通って行きました。夜中に3時間ほど吹き荒れて去っていきましたが、その3時間で農作物は大きな被害を受けました。

特に葉タバコは、4年前の5月の台風時よりも被害が大きいようです。実家は葉タバコ農家なので、4年前に続いてまた。とショックが大きいですが、兄たちは、今は採れる葉だけでもと、いつも通り淡々と仕事をしています。

同級生は、すぅ(とうがん)を作っていますが、これから出荷予定だった3トンがダメになったと話していました。あがんにゃよーい 台風よー。まーんてぃ。せめて、あと一ヶ月遅かったら、もう少し高気圧が張り出して、逸れていれば・・・詮無いこととは思いつつ、被害を受けた畑を見るたびに考えてしまいます。

あすが(でも)、宮古の人たちは、んきゃーん(昔)から台風と付き合い、あんちゃー くいくい(そうやっては越えていく)とこれまでやってきたんですよね。本当にすごいと思うさー。どぅたまい がんばらだかーいら(自分たちも頑張らないとね)。心配や励ましのメール、電話、書き込みなど、だいず ぽからす むぬ やたむ(とてもうれしかったです)。すでぃがふー!

さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

あすなろさんの紹介された本、初めて知りました。俚諺・格言は方言に下線が引いてあり、とても読みやすく分かりやすいですね。浦崎安常さんは、宮古のためにといろいろ尽力された方なんですね。その祖先にもびっくり!して、あすなろさんが親戚とは!本の中でしか知らない方達がとても身近に感じられました。昔の人たち、記したもの、大切にしたいですね。

宮古は、台風6号の後なかなか雨が降らず、ワタリマリのこの話を思い出したのでした。お母さんの あずーあずの(味わい深い)みゃあぐんふつ(宮国方言)いいですよね〜。話も面白く、生でも聞いてみたいですね。脈々と伝わる、民話や伝説は、現代の私たちにも大切なものを教えてくれますね。ぴかず(日)取りについてもとても興味深い内容でした。

優子さんは、3人の娘さんを育てながら、本当に頑張っていますね〜。これまでの優子さんが全部今の優子さんに繋がっているんですね。正直でまっすぐで人を惹きつけてやまない優子さんだからこそみんなが集まるんですよね。偶然の出会いや繋がりも、時に神がかり的。今後の活動、新しい『読めば宮古』も楽しみです。ホームページなど、ぜひアクセスを!

貴方の感想もお聞かせくださいね。掲示板での書き込み、まちうんどー(お待ちしています)!どうぞお気軽に〜。

今回まい、しまいがみのお付き合い、たんでぃがーたんでぃでした!
(今回も最後までのお付き合い、ありがとうございました!)

次号は6月4日(木)発行予定です。
がんづぅ(元気)でいましょうね〜。あつかー、またや〜。

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