こんにちは〜。
台風9号の後、青空がぴすがり(広がり)、スコールも降ったりして夏真っ盛りの宮古です。11号は四国方面に向かっているようですね。どうぞお気を付けください。
vol.344お届けします。お楽しみくださいね〜。
野鳥観察記(5)―佐敷の ぴんなぎとぅす゜(変な鳥)―
あば本舗(下地・上地出身)
春の風が吹き渡り野鳥達が北へと渡るころ、友人から「ねぇ、佐敷に変な鳥がたくさんいるけど、見たことある?」と尋ねられた。何でもその場所(用水路)近くを通ると必ず見かけるらしい。それも集団で。
ぴんなぎ とぅす゜?(変な鳥?) ましゃーん うす゜?(たくさんいる?)友人の言葉を聞いた途端、私の耳がピクピク動いた。サギ?カラス?それとも猛禽類か?
変な鳥というからには、みーちゃぎーぬ とぅす゜びゃーいら?(カッコ悪い鳥なのだろうか?) と、考えながら、早速現場へと足を運ぶ。
そこは、南城市佐敷(旧佐敷町)の用水路。農地が多く、目の前には佐敷干潟が広がる自然豊かな地域だ。多くの用水路が張り巡らされており、野鳥の種類や数も多い。変な鳥?がいるのは、海に近い住宅地のすぐ横だった。
流木やペットボトル等が散乱する用水路脇の空き地に、アヒルやカモより大きめの鳥達が十数羽いた。足は短く目の周囲と口ばしが真っ赤、大きい個体は少し不気味で怪鳥っぽく見える。不思議なのは体の色。真っ白なものから、黒や緑、茶色などが混ざった色々なタイプがいて、なかなか面白い。
逃げたり怖がったりする様子は全然なく、餌を要求するような態度で私の前に集まってきた。そこで、パンをちぎって投げると、一斉にお尻をふりふり右へ左へと集団移動する。中には、「いくよ〜」と声をかけながらパンくずを投げると、タイミング良く口ばしでパクッといくのもいる。
いやはや何とも滑稽でカワイイ!野鳥なのに、こんなに人懐っこくていいのか?なんて思いつつ、遠くから双眼鏡で覗くしかない野鳥観察とは、一味違う楽しさに心を奪われてしまった。
早速ウィキペディアで調べてみると、この鳥の名前はバリケンというらしい。南米原産の野鳥のバリケンを食用に家禽化したもので、別名フランス鴨、台湾アヒル。日本に食用として輸入されたが(時期は不明)野生化し、日本全国でみられるようになったという。沖縄にはどのような経路で住み着いたのか?調べてもよく判らない。
あんしーかんしーやしー(あんなこんなで)、バリケン達の人懐っこさとブサカワ?ぶりに惹かれた私は、食パンを買い込んでは佐敷の用水路へと通う。パンを配りながら、上手にキャッチする個体を、あっがんにゃ!ずみ!てぃ ぴゃーし みーみーっす(うわっ!いいぞ!と、褒めたりする)。時々我に返り、これは野鳥観察とは違う行動かも?と、思いつつ楽しいものは楽しい。
うまんな、ぴんなぎ とぅす゜や あらだなしー ぴんなぎ ぴぃとぅぬどぅ うす゜(そこには、変な鳥じゃなくって、変な人がいる)
第22回鳴りとぅゆんみゃ〜く方言大会
松谷初美(下地・高千穂出身)
去った7月12日に、宮古島市文化協会主催の「第22回鳴りとぅゆんみゃ〜く方言大会」がマティダ市民劇場で行われました。チケットは販売時間2時間内で売り切れる大人気の大会。今年も開演前から長い列ができ、満席となりました。
7名の弁士が登場し、それぞれの あずーあずの(味わい深い)方言と話しに会場は笑顔と笑い声がいっぱいでした。
最優秀賞の市長賞に輝いたのは、フランス出身のセリックケナンさん。ケナンさんは京都大学の大学院生。昨年から宮古に住み宮古方言の研究をされています。昨年も大会に出場しましたが、今年は市長賞を狙いたいと再挑戦。「宮古ぬ しゅーんまが 話っさ 黄金言葉(くがにくとぅば)」と題して発表し、見事、市長賞を受賞しました。なんとも流暢なみゃーくふつ。そして、今回は、多良間の方言も披露するという二段技。うばいがうばい。ケナンさんは、みゃーくふつだけでなく、宮古の精神性にも価値を置き、それを大切に思っているも伝わってきました。
くま・かまライターのクイチャーマンさんこと垣花譲二さん(下地与那覇出身)は、やぱーやぱの(柔らかい)ゆなぱふつ(与那覇方言)で「ちー、ゆなぱふつ、ヨンシー、クイチャー、てぃびーゆ ぬくしいか」と題して発表し、教育長賞を受賞。同じくライターの鏡原出身の與那覇淳さんは「かなす我たが宮古」と題して宮古への想いを話し、宮古新報賞を受賞しました。
また、伊良部出身の下地政吉さんは「時代が変われば」で宮古島市文化協会長賞を受賞。城辺出身の砂川勝徳さんは「ゆめの研究」と題してお話し、宮古毎日新聞社賞。伊良部出身の玉寄幸代さんは「与那覇勢頭豊見親について」発表し、宮古テレビ賞を受賞。城辺仲原出身の木下久美子さんは「宝くじ」と題して宮古島観光協会賞を受賞しました。
審査結果が出るまでの時間には、アトラクションとして、池間小学校二年生の浜川平和(のどか)さんが、方言で民話を披露。池間方言を上手に使い、一生懸命な姿に会場から大きな拍手がありました。その後には、小学生から高校生までのメンバー「夢ステージメンバー」が、宮古民謡を唄三線で披露。息の合った演奏を聴かせてくれました。だいず素晴らしかったですよ。若い子たちが参加することによって、同じ年頃の皆さんが、方言に興味を持ってくれたらうれしいですね。
今回の模様は、宮古テレビにて放映が予定されています。日程が決まり次第お知らせしますね。DVDの販売も(21回大会のDVDも販売中)あります。詳しくは宮古島市文化協会(電話:0980−76−6708メール:miyabunkyo@city.miyakojima.lg.jp)までお問い合わせください。
◇あの話をもう一度
あすなろ(平良・東仲出身)
「宮古島今昔物語(ニャーツ編)」vol.217 2010/4/1
今は昔。ぴさら(平良)の北東にニャーツという処ありけり。
今回は「みゃーくずま(宮古島)んなま(今)んきゃーん(昔)ぱなす(話=物語)」です。
現在の、北小学校の学区は(東川根・高阿良・旭・仲保屋・荷川取・仲屋・保里・下崎・成川・下屋・北四・張水・根間)の13自治会で構成されています。あがす゜がーに(東川根)に属するニャーツは、平成2年4月北小学校から東小学校に分離されます。昔は、(添道)も北小学区でした。
私は、高阿良の ぼーちらやらび(ガキ大将)でした。常に低学年の やらび(子供)達を引き連れ、遊び呆けていました。おかげで、顔の前後が区別できないほど真っ黒。インド人もビックリです。
高阿良の子供達は、ニャーツの集落にある種の憧れを抱いていました。未知の世界に対する憧憬です。ニャーツの入口は、現在のNTTの裏道りでむす゜かがー(盛加河)に通じる道でもあります。むす゜かがーを右手に見て、左折します。その道はなだらかな下り坂ですが、子供たちにとっては意外と急勾配でした。途中から右へカーブし、又直線へと戻ります。
坂を下りきるとそこはサトウキビ畑、子供達をやさしく迎えてくれます。その下り坂の左端は、ポー(クロイゲ)の木が垣根を形づくり、その下は崖の様相を呈していました。子供達は、5ミリにも満たない小粒のポーの実を、手の平いっぱいになるのを待ち切れず口の中へ放り込みます。
ニャーツに入っていくと、鼻にツーンとくる馬小屋の匂い。広々とした家々の佇まい。それだけで、子供達を興奮させるのに充分です。高阿良の風景とは趣を異にします。ニャーツには、同級生の あぐ(友達)が二人いました。
O君とM君です。彼等は普段控えめで目立つ事はありません。しかし、小学校での菜園作りになると主役に躍り出ます。野菜作りはお手の物です。草刈りに使う鎌を砥ぐ時も、近くにある石の破片をさり気なく拾い、『砥石』に変身させます。その切れ味は抜群です。遊ぶ事しか能の無い我々には、彼等は大人びて見えました。ニャーツには、現在、居酒屋「ニャーツの里」がありそのオーナーはO君です。
夏休みの事です。「こらー!うわたー のーゆがしーうりゃー!」(こらー!お前たちは何をやっているんだ!)大きな怒鳴り声。子供達は、一目散に ぴんぎ(逃げ)ます。足の速い私は、捕まる事はありません。要領の悪い子や、低学年の子供達は大変です。
「おい、ヒコ坊、誰が捕まったかねー。ワーワー泣いているのは誰かねー」と私。「うわたが、俊ちゃんさいが」(お前の弟の俊ちゃんだ)とヒコ坊。あいつは昔から要領が悪いからなー。軽口を叩いている場合ではありません。悪ガキどもはトマトを盗みに行き、弟が捕まってしまったのです。
とりあえず、ヒコ坊と私は高阿良の陣地まで戻る事にしました。他の子供達も、三々五々戻って来ました。やはり、俊ちゃんがいません。どうにも弟が気になります。皆で恐る恐るニャーツの入口へと引き返します。先刻まで泣きわめいていた俊ちゃんが、ニコニコして坂を上って来ます。ランニングシャツの前が完熟トマトでこぼれんばかりです。
「のりゃ、うりゃ?」(どうしたの?)と聞くと、自慢げに「おじさんがくれた」とのたまう。「二度とこんな事をするんじゃないぞ!」「ン」「ンじゃないハイだろう」「ハイ」とのやりとりがあったと言う。子供達は、物欲しげに彼の後をノコノコついて行くしかありませんでした。
この様な出来事を、宮古の昔の「諺」では何と言うのだろう。『宮古古諺音義』の分厚い書物も手に入った事だし、ゆっくり調べる事にしよう。
『今昔物語集』に「馬ドロボー」の話が出てきますが、ニャーツでは「トマトドロボー」の話でした。
それにしても、ニャーッの変わり様は、まさに「今は昔」。帰宮の度に、あの坂道をあるいてみる。ポーの木は見当たらない。崖の下は公園に変貌した。あの懐かしい馬小屋の匂いも50年前の彼方に消えてしまった。
彩の島々
菜の花(伊良部町仲地出身)
6月のある日曜日。東京に来ている初美に声をかけられ、かしー(手伝い)を兼ねて在関東上野・下地郷友会に参加した。
受付を手伝ったが、久しぶりに会う方も、初めて会う方も、 宮古出身というだけで懐かしく思えるから うむっしだ(面白い)。懇親会では、会場のスクリーンに宮古の四季折々の景色や植物が映し出された。
くとぅす(今年)の一月の伊良部大橋開通式に始まり、歳時記のように季節を追う宮古島の風景に心が揺さぶられた。映像を導くように流れる歌は、宮古への思いを綴った「彩の島々」だった。
こぞのなつ(昨年の夏)、あばー んまりぃ ぱずみぃ(私は生まれて初めて)狩俣集落を訪れる機会に恵まれた。祭祀の記事や本でしか狩俣を見たことのない私にとって、未知の地へ案内されるかのようだった。
集落の入口に着いた時、東の大門(あーぬ ふじゃー)と呼ばれる石積の巨大門が みーぬまいん(目の前に)現われた。ぷか(外部)の人間の侵入を拒む砦のような門をくぐるとき、一歩を踏み出すのも憚れた。恐る恐る、「お邪魔します・・・」と、ふつ(口)にしてから門をくぐった。
集落内に入ると、やーなぎ(家々)は石垣に囲まれ、福木が やー(家)を守るように聳えていた。家の傍には小ぢんまりとした ぱる(畑)があり、季節の野菜がまばらに生えていた。道の脇には福木が並び、風や陽射しを遮っている。かつては伊良部にもあった原風景が、んなみまい(今でも)守られ残っていることに、驚きと懐かしさを感じた。
狩俣集落の祭祀や神事に使われるという、座(ザー)や、元(ムトゥ)と呼ばれる場所に案内された時、かんぬざー(神の座)の みなは(庭)には夏草が生え、まだ露が残っていた。
久しぶりに見る露球は、宮古島の夏の てぃだ(太陽)の光を吸い込んで、どんな宝石にも劣らない輝きを放っていた。子どもの頃、丸めた木の葉に露を集めて遊んだ事を思い出し、集落の歴史や史跡のメモをとるのも忘れて眺めた。
ムトゥの横の細い自然道を通り、古木の生い茂る丘陵の森に足を踏み入れた時のこと。いす(石)を抱くガジュマルが、見下ろすように静かに佇んでいるのを見た瞬間、自分の鼓動の音を聞いた。
マーニ(クロツゲ)は自由に ぱーゆ ぴすぅぎ(葉を広げ)、森を成す古木は んなんまい(今にも)話しかけそうなほど、生気に溢れ いつ(呼吸)をしているようだった。
森には夏のうだるような暑さも無く、清らで神々しい透明な空気が満ちていた。のーてぃまい(何とも)説明のしようがないが、森自体が ぬつ(命)を持って生きているような、そんな感じがしてならなかった。森の中に居ると、私が浄化されていくような感じがした。
不意に私の記憶が反応した。私は やらびぱだ(小さい頃)、つかさんま(司女)だったおばぁのお伴をして、ウタキ(御嶽)に行ったことが何度もある。ウタキ(御嶽)の中には、昼でもひんやりとした清浄な空気が流れる。その空気感とよく似ていた。 あとで、この森そのものがウタキ(御嶽)だと知って納得した。
丘を登り切って森を抜け、パナブツ広場に出ると、世界が一変した。目の前には、時代が進化した現代(いま)にあっても尚、神の棲む島と んきーんかぁ(古くから)崇められてきた大神島が、碧い海原に神々しく静かに浮かんでいた。
左には池間島、右には海岸沿いの森、後には平良方面が見え、伊良部島は みーやみーん(見たこともない)形で海上に長く伸びていた。珊瑚礁は島々を囲み、果ての みーらいん(見えない)海原がどこまでも続き、いん(海)からは潮を含んだ風が止むことなく吹いていた。
小さな宇宙を眺めているようだった。人は自然の懐で生かされ、ここに立つ私のなんとちっぽけな存在か・・・。海に浮かぶ宮古の島々をひとつに見るという、生まれて初めての眺めにただ見入っていた。
毎年旧盆に帰省し、宮古から戻ると私の夏が終わる。日常の生活に戻ったあと、夏のお土産の狩俣の森の空気、パナブツからの景色、海に浮かぶ大神島が時々思い出された。伊良部の渡口の浜の白砂や入江に満ち引く潮の流れ、浜辺のモンパの木やダキフガーのガジュマル樹を思うとホームシックになった。
ある日、夏に撮った写真を眺めているとき言葉が降ってきた!そう。降ってきたとしか言いようがないのだ。急いでテーブルにあったダイレクトメールの余白に言葉を書き綴った。書いていくうちに なだ(涙)がポロポロとこぼれてきた。
私の んまりずま(生まれ島)はなんと美しいところなのだろう!古から受け継がれ、繋がってきたものがあり、豊かな色彩を持つ私の んまりずま(生まれ島)。変わらず美しいままでいてほしい!そう願った。
詩は、くまかまライターであり、三線の師匠でもあるマツカニ師匠が曲をつけ、歌になって私の元に戻ってきた。柔らかに島の風景を歌うマツカニ師匠の歌声、島への思慕を含むようなギターの音色。「彩の島々」を聞いたとき、私はいつからこんなにも島を思うようになったのだろう・・・と、言葉も無く泣いた。
人には必ず生まれた場所がある。育ったところがある。幾つになっても、恋しいと思う故郷が在ることを幸せに思った。そんな思いがこの詩に詰められた。
「彩の島々」高橋尚子 1 島々浮かぶ 潮の原 碧き海凪ぐ あけもどろ 花葉に陽光る(ひかる) 銀の玉露 ユーンテル(世満てろ)ユーンテル(穣充てろ) てぃだ(太陽)の島に ユーンテル(世満てろ) 2 天に流れる 星の川 夜のしじまに 祈り込め 願い届けと 群星(むりぶし)仰ぐ ユーンテル(世満てろ) ユーンテル(穣充てろ) 星の島に ユーンテル(世満てろ) 3 島々渡る 潮の風 さと(集落)の樹揺れて サシバ舞う 豊年祭り 響く島唄 ユーンテル(世満てろ) ユーンテル(穣充てろ) 情けの島に ユーンテル(世満てろ) ユーンテル(世満てろ) ユーンテル(穣充てろ)
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
5月に来た台風6号は3時間くらいで過ぎていきましたが、今回の9号は、ぬかーぬか(ゆっくり)丸一日吹き荒れ、去っていきました。うちのほうは停電もあり、久しぶりに台風らしい台風でした。ぶーぎ(キビ)にとっては恵みの雨となりましたが、マンゴー農家は被害が出たところもあるようです。今まさに、マンゴーの ずぶん(時季)。7月19日(日)には、熱帯植物園にて「マンゴーまつり」が行われるということですよ。
今、夏の甲子園に向けて、試合が行われていますね。宮古高校はベスト4入り!18日に試合があるとのこと。ぜひ、優勝して甲子園行きを果たしてほしいですね。ワイてぃドー!宮古高校。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
バリケンという鳥。初めて知りました。ネットで見てみましたが、確かにブサカワかも!?(笑)鳥とお近づきになるのは、難しいことなので、あば本舗さんが心奪われるの分かりますね〜。楽しみながら、観察しているのが伝わってきました。そして、オチに思わずクスっと。
6月から宮古島市文化協会の事務局の仕事をするようになって、初めての大きな行事。ミスもいろいろありましたが無事に終わって、うむやすーとしています。そして、皆さんの発表を聞いて改めて、みゃーくふつてぃまーんてぃ ぞーむぬやー(本当に素晴らしいなぁ)と実感をしました。
宮古には細かく分かれたたくさんの地域がありますねー。ゆぬ(同じ)宮古でも知らない地域の名前がいっぱいあります。隣は未知の世界。今はもうずいぶんと変わってしまったというニャーツ。あすなろさんのお話から昔の事を知ることができました。
菜の花の「彩の島々」はシンプルな詩ですが、心に沁みますねー。日常にある島の風景やユーンテル ユーンテルと願う宮古への深い愛。感性豊かな菜の花ならではの詩だなーと思います。マツカニさんの曲も素晴らしいですよ。CDが出たらお知らせしますね。
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きゅうまい、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました!)
次号は三週間後の8月6日(木)発行予定です。
がんづぅ かり うらあちよー(お元気でいらしてくださいね) あつかー、またや〜。