今沖縄は、台風の真っ只中でしょうか。大型台風のようなのでシワーシワドゥウー(とても心配です)ぴゃーぴゃー(早々)と過ぎていってほしいですね。
「家庭和合(きないわごう)」
ワタリマリ
宮古には、「家庭和合(きないわごう)」という有名な民謡があります。ちょっと紹介してみましょう。
- 夜(ゆ)や明き゜どうさまず親よ 起きさまち 我が親(ばがうや)
朝ぬ茶花 起きてぃ 目覚めさまち 我が母(ばがあんな)
今日(きゅう)ぬ 一日(ぴとす゜)や 朝ぬ茶から
(夜が明けましたよ お義父さん 起きて下さいな お義父さん 朝のお茶ですよ 起きて目覚めてください お義母さん 今日一日の(平安)は、このお茶からですね) - 肝美(き゜むかぎ)さ我が嫁よ 香(かば)す茶や嫁ぬ肝
家庭ぬ栄や嫁どぅ とうゆましみしる我が嫁
親ぬ孝行や 貴女(うわあ)が むてぃさい
(心美しき我が嫁よ 香ばしいお茶は嫁の心 家庭が栄えるのは 嫁の力ですよ 豊かに栄えさせてよね 私たちのお嫁さん 親孝行は、あなたの為になるんだよ) - 明けしゃるぬ 目覚(みさり)ばな 早朝ぬ 目覚り 美(かぎ)さ
栄ず家庭や 和合ど 笑(あま)いと 笑いとぅ 我んたや ゆからでぃ
貴女と我んとうや 肝ぬ 底(すうく)がみ
(夜明けの目覚めのころ、起きるのはとてもうれしいねぇ 家庭の繁栄は 和合ですよ 笑って笑って 私達は幸せになろう あなた(嫁)と 私は心の底まで)
いい歌ですね?。美しいですね?。あっすぅがどぅ 現実はそうは あぱらぎっふぁにゃーーーん。
(だけれども 現実は そうきれいごとではなーーーい。)
では、少しばかり替え歌で「家庭不和合」を。
- のーちが うがぴゃすから 起きゅうが 母達よ
ぴゃーしから起きゅうっかあ 茶ゅまい ふかしゅっきい
ばやあ、 仕事んかい行かだかあならんにば
自分(どぅう)たあしい 茶ゅまい いじぃ ぬみ
(どうしてこんなに早くから起きているんですか、お母さんたち そんなに早く起きるのであれば お茶くらい沸かしておいてくださいよ 私は仕事に行かなければ ならないので 自分達で お茶も入れて飲んで 下さい) - あちど 心持ちぬ あたらん 嫁やーば あまいまーんすぅん
うむちゃあ ふっふあ ふっふぁ ばたふさりかっかあ むぬうまい
ゆまん うばいが うばい 我たんが 嫁
(とっても心がなっていない(美しくない)嫁だ 笑いもせず 仏頂面だ。腹立たしいのだろうか 口もきいてくれない とんでもない うちの嫁) - 嫁ぅ起くすむのう あちど なんぎ さぁ
にゅーだる んずぎ みぱな くまぬ家や 不和合べい?
文句ちゃーん 文句ちゃーん 口から いだしい
んなまぬ 嫁や だーいず かってぃむのぅ
(嫁を起すのは とても難儀だよ 寝起きの不機嫌な顔よ この家は うまくいっていなのだろうか? 文句ばっかり口からでるのだ。近頃の嫁は とても手に負えません)
男女平等の世の中、すべて嫁にまかせるのは時代おくれかもね。だけど、嫁次第でその家庭が明るくも暗くもなるというのには、実感。ばんまい ぴっちゃがままい 見習だから ならんやー。
(私も少し見習わなくてはいけないですね)
「宮古のことわざ」
〔 浮き水や水つぁあらん 寄し肝ぁ肝ぁあらん 〕
ウキミズヤミズツァアラン
ユシギィムアキィムァアラン
浮き水(溜まり水)、寄し肝(同情)はどちらも見せかけのもので、真の愛情ではない。尽きることのない心のかかわりこそ尊い。
『んきゃーんじゅく』 佐渡山政子/編 より
「ミャークフツ講座 繰り返すことば編」
松谷初美
- ぱにぱに = 元気がいい様子。「ぱにぱにーとした子どもだねー」などと言う。スポーツの盛んな宮古。テニスコートの名前にも「ぱにぱにコート」というのがある。
- いみーいみ = とても小さいの意。
- うぷーうぷ = とても大きいの意。
- ぱいーぱい = よく似合っている様。
- つぅーつぅ = とても強い。「この酒は、つぅーつぅ」などと使う。つぅーつぅの泡盛は、水をばいた(混ぜた)方がいい?
- かかかか = 落ち着きのない様子。「いつまい かかかか てぃぬ ぴとぅ」(いつも落ち着きのない人)
「学校がない 宮島小学校編」
神童
通常の授業が開始された。
この教室には境界というものが存在せず、入り口も出口も窓もなかった。黒板は、モクマオウの木陰が教室であるため、それに相対している必要があることから、校庭のトラック(第3?4コーナー)に設置された。担任は男の先生で太っていた。炎天下で行う授業なので、黒板を背にして立つ先生は、いつまいあしゃー(汗を)だずだず(ダラダラ)と流していた。
また教室に境界がなく、生徒は木陰を探して机を配置していたので、配列は整然という言葉が無意味に思えるほど、支離滅裂に散らばっているのであった。先生も最初は名前を覚えていないので、何列目の何番とか言う、赴任しての教師が使う言葉が使用でず、難儀をしているようであった。
そういえば、二部授業だったころは、おそろしく早く登校していた。前述したように 席順などというのがないので、登校次第、陰が緻密になっている場所を取らないといけない。遅刻などしようものなら、木陰から はみ出し、炎天下で午前中を過ごさなければならないのである。その教室は、横長であったので、8列?10列、奥行きは2列?3列である。8列?10列と書いたのは、教室の勉強机が太陽の移動に応じて変化するからである。
それにしてもツンダラーサ(かわいそう)なのは、先生である。生徒は、校庭の南側の林にいるため、教壇は北側となる。(グラウンドだけど)そのため、先生は常に太陽に向かって教鞭をとらなくてはならず、ひたらすら暑いのみである。しかし、もっとツンダラーサなのは、ヤラビ(子ども)達であった。ヤラビ達は、毎日お天道様に背を向けて生活していたのだ。まるで日陰者だ!!
今現在、神童の級友たちがお天道様に背を向けた生き方をしていないのは、奇跡に近いものがあるな!
「内地ぴとぅ的考察 Part1」(投稿)
JANG JANG Nanaeさん
大阪出身の友人の息子は、2歳のときに宮古にやってきた。現在4歳。保育園に通い、頭をぶつければ「あがっ」、水がかかりゃあ「あいじゃ」と言い、「さいが」と「べき」を完璧に使いこなす立派なみゃーくぬやらび(宮古の子ども)に成長した。しかし、大阪に里帰りすると関西弁になると言うから、だいず、あなどれんよ。
さて、私は。JANGオープン半年目に、「かきくけこ」と「さしすせそ」の標準語発音が全く出来なくなっている自分に気がついて愕然とした。半年間、みゃーくぴとぅ(宮古の人)とばかり話していた効果(?)だったはずよー。おごえ! 私はもう一生こうだわけぇ!? と、当時は、みゃーく訛りでは考えなかったけれど、同内容を標準語で考えた。そらから数ヵ月後、両方の発音が自然に使い分けられるようになり、ちょっと安心。私も立派なバイリンガル?(ウソです)
この春、十数年前から那覇に行くと通っている大好きな飲み屋に、ふらりとひとりで入った。カウンター越しにマスターいわく「しかし、Nanaeちゃんもしっかり宮古の顔(注:彼は宮古人ではないので「宮古かーぎ」とは言わなかった)になってきたね。言葉は違うけど」。その後、のひなひろし初め、宮古の友人がひとり、またひとりとやってきて、私の周りは宮古空間に! とたん、マスター「やっぱり言葉も宮古訛りだ!」だって。だからよー。T.P.Oってヤツですよ。東京の友人と電話してたら、標準語しか出ないもんねーっだ。
先日、東京のおネマ(姉?幼少の頃「おねえちゃま」と呼ばされていたのがいつのまにか省略され、呼び名になった)と電話しているとき、いとも自然に「そうだはずよー」と言っている私がいた。あっがいたんでぇ! このまま住みつき続けたら「す゜」「き゜」の発音が完璧になって、水が掛かったとき「あいじゃー!」と叫ぶ日が来るのだろうか?う……ン、やっぱりそれは、むりだはずねー。
※いやいや、その日は、近いことでしょう。今や、内地ぴとぅの方がよりみゃーくぴとぅらしかったりするからねー。すぐだはずよ。
編集者注:「JANG JANG」とは、平良市内にあるライブハウス
「編集後記」
松谷初美
私も、内地のゆみ(嫁)となって早18年。家庭和合のお嫁さんのようには、なかなか ならいんどうや。(なれません)いつになったら き゜むかぎぬぴとぅ(きれいな心の人)になれるやら。ふかーふかぬ(深ーい)煩悩は、いつがみまい ありゅーんぎ。 のーがすぅでぃー。(いつまでもありそうだ。どうすればいいのやら)
さて、先月東京で行われた「下地勇ミニライブ」は、おかげさまで大盛況のうちに終了いたしました。お忙しい中、おいでいただいた皆さん、本当にありがとうございました。ライブ終了後のホームページBBS(掲示板)には、たくさんの感想が寄せられました。下地勇さんの歌に、みゃーくぴとぅはもちろんのこと、内地の人たちも感動していました。彼の音楽には、多くの人を惹きつけてやまないものがあることをつくづく感じました。
下地勇さんには、東京までお越しいただいて、ありがとうございました。今後のますますのご活躍を期待しています。
くまかま では、皆さんからのご意見、ご感想をお待ちしています。
次回は、9月19日の予定です。あつかー、また。