こんにちは〜。
宮古では寒緋桜が、うまかまで咲きだしています。 春は、つかふがま(近くに)いますね。やっとがまやー。
vol.359お届けです〜。お楽しみくださいね。
島燃えたトライアスロン!大イベントの誕生秘話(2)
與那覇 淳(平良・鏡原出身)
【照屋直支局長が市町村長を説得】
岩根が動き始めた。さっそく、琉球新報の島袋企画局長と真喜屋事業局長は宮古へ出張した。うまから〜(ここからは)、当時、琉球新報宮古支局長の照屋直氏の証言をもとに書き進めることにする。宮古に出張して来た両局長は照屋支局長に「宮古でトライアスロン開催が可能かどうか、関係者に打診してみたら」と言われた。
照屋支局長はまず宮古の市町村長にビデオテープを見てもらった。「反応は上々だった。このイベント開催にどれだけの資金が必要でどんな人材が求められるかなど、具体的なイメージが湧かないものの、市町村長の皆さんが『このとてつもないイベントは宮古の気性に向いているし、開催すれば何かが変わるかもしれない』という予感めいたものを感じたと思う」と照屋氏は振り返った。
「市町村長はなんとかなる。後は体協の協力を得ればよい」と踏んだ照屋支局長は、体協の実力者である宮国猛氏を宮古教育事務所に訪ねた。「既に東急から聞いていると思うが、琉球新報が地元と組んでトライアスロンを開催したい」と申し入れた。これに宮国氏は「東急の担当者にも説明したんだが、体育協会という看板は大きく見えるかもしれないが、実は予算も市町村からの補助に頼っているのが現状で、役員も教員がほとんどなので仕事の傍ら行事をこなしているのが実態でね。協力は惜しまないが市町村が主体的に取り組まなければ無理だね」と答えた。
照屋支局長は「この程度の条件なら、もしかして開催できるのではと思った」という。
【感動の輪を広げた一本のビデオテープ】
琉球新報の働きかけで宮古島はトライアスロン開催に向けて動き出した。そんなある日、宮古テレビでニュース収録を終えた私に当時の砂川典昭専務から呼び出しがあった。すでに日は暮れていた。あびらいたー(呼ばれた)居酒屋のカウンターには砂川専務の他に琉球新報社の真喜屋事業部長が同席していた。
私はここで初めてトライアスロンレースのことを聞かされた。そして、1本のビデオテープを渡された。このテープは第3回アイアンマン大会の模様を米国のABC放送が収録したものであった。再生してみると衝撃的な映像が収録されていた。みどぅん(女性)アスリートのジュリー・モス選手が疲労困ぱいして何度も倒れては立ち上がり、あとは、ぱーどぅり(這いつくばって)やっとぅがまーしー(ようやく)ゴールインするという感動的なシーンに目頭が熱くなった。
私はこの映像に乗せてトライアスロン関連記事を書き続けた。その頃、地元の他のマスコミ・新聞社は、のーまい(まったく)トライアスロン記事を扱っていなかった。結局、トライアスロン報道については宮古テレビが先鞭をつけたことになる。宮古テレビは大会本番では競技開始から終了までを生中継、初の大掛かりな中継放送を実現させた。
【市町村長ら関係者らがアイアンマン大会視察】
市町村長や議員、体協関係者らのハワイ島へのアイアンマン大会視察ツアーが組まれた。琉球新報社からは島袋局長が参加することになった。「宮古の関係者を騙すようにして説得したのは私だ。私が行かないわけにはいかない」として、照屋支局長も加わることになった。照屋支局長はハワイ往復の航空運賃の片道分を自己負担しての視察同行であった。
うぬ ぷかん(その他)、バイクコースの距離測定や宮古警察署への道路使用許可申請、宮古広域圏事務組合の組織強化へ向けた人事に関する助言など、一支局長の枠を超え宮古島でのトライアスロン開催実現に向けて東奔西走した。
照屋氏は自他ともに認める「宮古島にトライアスロンを持ち込んだ一人」である。んなまから(今から)10年前の20回大会のとき、照屋氏は妻子を伴って宮古島を訪れた。当時、小学2年生の ちゃくす(息子)を「地域のために汗を流すことをいとわぬボランティアの姿を学ばせたい」と、エードステーションに立たせた。
まだ、30歳にも満たない頃に宮古島に刻んだ自分の足跡を息子に記憶させたかったのであろう。彼は宮古支局から本社勤務となって約10年後に琉球新報社を退職。現在、ヘリオス事業共同組合の事務局長を経て沖縄本島の八重瀬町議会議員を務めている。
◇あの話をもう一度
松谷初美(下地・高千穂出身)
「宮古ふつで『寿限無』」vol.192 2009/3/19
マツカマとカマドんどやー っふふゃぬ んまりたーつぁ。ぷからすかずてぃ うたず(マツカマとカマドの(夫婦)に子どもが生まれたとさ。うれしくて仕方ありません)
ゆーむつ なーゆ つきふぃーるてぃ マツカニぁ 和尚が とこまんかい いきたーつぁ(めでたい名前をつけてもらおうとマツカマは和尚さんのところに行ったんだと)
和尚や ぞうなーゆ やまかさ かきみーたーば ういから ぷじ いらびさーい てぃ あずたー(和尚さんは、いい名前をたくさん書いてみたからその中から選ぶとよいよと言いました)
マツカマぁー なーぬ かかいたーむのー むちー やーんかい いきー カマドと まーつき のうぬが ぞーかーが てぃ かなまずゆ やましーうたーつぁ。あすが、いらばいんにば かかいゆーむのーんーな っふふぁぬ なーん すたーつぁ(名前の書かれたものを持って家に帰り、カマドと一緒にどれが言いか悩んだそうな。しかし、選びきれず、書かれものをぜーんぶ子どもの名前にしたそうだ)
“とーとぅがとーとぅ うぷてぃだ まてぃだ てんがなす カニ マツ タル ヤマ ムサ カマ ユヌス まつぎー まんじゅうぎー ふぉーにう とくま すむとくま ながんぬつぷす ゆずふぉぶす ジャングジャング ドゥンマ ドゥンマ ヒヤサッサ(尊い 尊い 大太陽 真太陽 天の神様、カニ マツ タル ヤマ ムサ カマ ユヌス 松木 パパイヤ木 くうねるところすむところ 長命星 金星 ジャングジャングドゥンマ ドゥンマ ヒヤサッサ)”
あがいたんでぃ のーてぃぬ ながーながぬ なーがさい(こりゃまたなんて長い名前なんだ)
うぬ っふぁまい うぷふなり んなまー ぼーちら小学生つぁ(その子も大きくなり腕白小僧の小学生だと)
きゅうや どぅすと おーみゃーしー かなまずゆ みんぎかいらすたーのうかん(きょうは友達とケンカをして頭を叩いたらしい)
うぬ どぅすさ うやんかい もんくおー あずがきすた(その友達は父親に文句を言いに来た)
「“とーとぅがとーとぅ うぷてぃだ まてぃだ てんがなす カニ マツ タル ヤマ ムサ カマ ユヌス まつぎー まんじゅうぎー ふぉーにう とくま すむとくま ながんぬつぷす ゆずふぉぶす ジャング ジャング ドゥンマ ドゥンマ ヒヤサッサ”ん かなまずゆ みんがい こぶぬ いでぃにゃーん(“尊い 尊い・・・”に頭を叩かれてこぶができてしまったんだ)」
「のおー? ばんたが “とーとぅがとーとぅ うぷてぃだ まてぃだてんがなす カニ マツ タル ヤマ ムサ カマ ユヌス まつぎーまんじゅうぎー ふぉーにう とくま すむとくま ながんぬつぷす ゆずふぉぶす ジャング ジャング ドゥンマ ドゥンマ ヒヤサッサ”がみんぎたー?(なんだって?うちの“尊い 尊い・・・”が叩いたと?)」
「うー、“とーとぅがとーとぅ うぷてぃだ まてぃだ てんがなす カニ マツ タル ヤマ ムサ カマ ユヌス まつぎー まんじゅうぎー ふぉーにう とくま すむとくま ながんぬつぷす ゆずふぉぶすジャング ジャング ドゥンマ ドゥンマ ヒヤサッサ”がどー・・・(そうです。“尊い 尊い・・・”が・・・)」
「まーんてぃど ばんたが “とーとぅがとーとぅ うぷてぃだ まてぃだ てんがなす カニ マツ タル ヤマ ムサ カマ ユヌス まつぎー まんじゅうぎー ふぉーにう とくま すむとくま ながんぬつぷす ゆずふぉぶす ジャング ジャング ドゥンマ ドゥンマ ヒヤサッサ”が すたーなー?んじ あら こぶぅ みしみーる(ホントにうちの“尊い 尊い・・・”がしたのか?どれそれならこぶを見せてごらん)」
「なーゆ あずきゃー 時間ぬ かかりー んにゃ のーりーにゃーん(名前を言うのに時間がかかりすぎて(もうこぶは)治ってしまったよ)」
うすか(おしまい)
ばがっふぁ(うちの子)と宮古滞在記
Motoca(平良・下里出身)
2週間ほど前から、赤子を連れて宮古に帰省しています。赤子の世話に、両親も弟も手を貸してくれるので、楽ちんしております。わーい。
ばがっふぁ(うちの子)、もう8ヶ月半になりました。ここ一ヶ月ほどはとくに、驚異的なハイスピードで ぷどぅいて(育って)おります。自力で びじて(座って)見せたかと思えば、次の週にはハイハイを始め、その2日後にはつかまり立ちをし、更に数日後に拍手もできるようになりました。
そんな赤子がやってくる日を、首を長くして待ちわびていたうちの両親。「目に入れても痛くない」を体現したかのように、しゅーっと目尻を下げて毎日赤子と遊んでおります。でも、目は痛くないけど腰は痛いそうです。赤子、もう8kgあまりあるからねぇ。抱っこしたら手足を ばじゃらばじゃら(じたばた)と動かして、ちっともじっとしていないからねぇ・・・。
これまでずっと、一日の大半を私と二人きりで過ごしていた赤子も、宮古にいると、いろいろな人に会い、抱っこされたりなでられたりつつかれたりの毎日です。泣かずに すなーすがま(おとなしく)しているので、「おとなしいねぇ、まいふか(おりこう)さいが」と褒められたり、宮古では「つかのーやす わーがま(育てやすい子ども。直訳すると『飼いやすい豚』・・・)」と言われたりしております。
あらん(いいえ)、ぜんぜんそんなことはございません。内弁慶なだけなのです。家では、ちょっと退屈すると、耳が痛くなるほどの高音の うぷぐい(大声)を発し、おむつ替えをしようとしても うまかま ぱーどぅり ぴんぎまーりて(あちこち這って逃げ回って)おります。でも確かに、あまり泣かない方ではあるのかも。まいふかがま。
赤子はすっかり、じぃじ・ばぁばが大好き。じぃじの ちびういしー(後を追いかけて)這っていき、ばぁばの姿が見えると 頬に猫ヒゲのようなえくぼを浮かべて、ニヒーとがま あまいて(ニコッと笑って)おります。もはや、私のもとにはお腹がすいたときと眠いときしか寄ってきません。赤子、彼女なりに宮古での生活を満喫しているようです。
宮古への滞在もあと数日となりました。じぃじばぁばと離れたらさみしがるだろうか、寝付いてくれるだろうかとちょっと心配しております。
次に連れてくるときは、あす゜きまーりて(歩き回って)いるだろうか、むぬゆん(おしゃべり)もちょっとはできるだろうか。次はもう少し遠くまで、まーつき(一緒に)ドライブできるといいなぁ。いまからあれこれ考えて、楽しみになっています。
くまがどぅ かーちゃんが んまりずまどー(ここが母ちゃんの故郷だよ)って、わかってくれるのはいつだろう。この島のこと、好きになってくれるといいなぁ
おしらせ
宮古島市文化協会事務局
■宮古島市民総合文化祭・一般の部「芸術劇場」開催
芸術劇場が今月開催されます。方言の世界を堪能しにいらっしゃいませんか?ぜひ、お誘いあわせのうえ、お出かけください。んみゃーちよ〜。
日 時 | 2016年3月26日(土)午後6時開場 午後6時半開演 |
場 所 | マティダ市民劇場 |
料 金 | 1、000円 中学生以下:無料(ただし席が必要な場合は無料チケットが必要) |
内 容 | 伊那かっぺい 講演「遊び道具としてのコトバ」 下地イサムコンサート |
問合せ | 宮古島市文化協会事務局 0980ー76ー6708 |
チケット販売 | bookusきょうはん宮古南店 TSUTAYA沖縄宮古島店 宮古島市文化協会事務局 |
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
3月1日は沖縄県立高校の卒業式でした。宮古には4つ高校がありますが、524人が卒業したということです。みなさんおめでとうございます。その大半が進学就職で宮古を離れますが、ふるさとはあなたを応援し、心の支えになると思います。いざーいと(一生懸命)頑張ってくださいね。
宮国優子さんが中心になってやっているATALASネットワークでは、今年も高校卒業生の皆さんに冊子「島を旅立つ君たちへ」を寄贈したということです。今年はまたより一段と充実した内容になっていて読み応えがあります。内容も本当に素晴らしいです。高校生たちだけでなく、大人も欲しい1冊だと思いました。
前号から二週間、宮古では、やまかさ(たくさん)の行事がありました。
2月20日(土)は、かいが紹介した宮古の自然と文化を考える会主催のシンポジウムが「宮古の先達・5人の学識者たちの業績・知的遺産とその継承」というタイトルで「働く女性の家」で行われ、100名近い人がうがなーり(集まり)耳を傾けました。5人の中にはまったく知らなかった方もいて、その業績に驚きました。宮古の自然と文化を考える会は、拠点が沖縄本島ですが、宮古のための活動素晴らしいですね。
21日(日)は「すまふつボランティア養成講座」の最終日。下地イサムさんを講師に迎え、「歌作りからみたみゃーくふつ」と題して行われました。イサムさんの歌の作り方やあまりしゃべれなかった方言がここまでしゃべれるようになった陰の努力など、役に立つお話がいっぱいでした。後半は自身の歌の歌詞を紹介しながら実際に歌もうたい、あずーあずの(味わい深い)みゃーくふつの世界を堪能しました。講座修了後は認定式が行われ、大城裕子会長から認定証が授与されました。
22日は、下地イサムさんのライブが市内のライブハウス「ズビズバー」で行われ、だいず、やまかさ(たくさんの)お客さんで、大盛り上がり。イサムさんもノリノリで懐かしい歌もたくさん聞けました!
23日は、あの世のお正月、ジュウルクニツ(十六日祭)でした。ぴしーぴしで(寒くて)、雨が降ったりやんだりの日でしたが、お墓参りの時間(午後2時頃)には雨もやんで、無事にお墓参りができました。てんぷらにしーむぬ、お餅もたくさん食べて んにゃ ばたごーごー(もうお腹いっぱい)。
他にも24日、25日には「宮古島コレクティブ2015」というのが市内のブックカフェブレスで行われ、こちらも だいずな賑わいでした。24日はトークショー、25日はライブで、與那城美和さんの歌、三線。大友良英さんのギター、ブラックワックスのバンド演奏となんともぜいたくな時間を過ごしました。
それからそれから(笑)、28日には、琉球舞踊「穂花会」・宮古舞踊「んまてぃだの会」主催の「第29回琉宮の舞」がマティダ市民劇場であり、踊りと琉球歌舞劇を堪能してきました。いみっちゃぬ(小さい)やらびたちも素晴らしかったですが、川満香太(かわみつこうた)さんの「今年世」のあまりの素晴らしい踊りに感動しました。玉三郎さんとも共演したことがあるとの事。その芸の素晴らしさに納得です。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
淳さんのお話は、今回2回目でした。キーマンがまたひとり出てきましたねー。そして、いよいよ淳さんも関わっていくことになるんですね。本当にドキュメンタリー番組を見ているよう・・・臨場感あふれています。次の号で最終となりますが、次回もどうぞお楽しみに〜。
1月のすまふつ講座で「絵本でみゃーくふつ」をやりました。そういえばくま・かまでもやったなーと思いだしての掲載となりました。宮古バージョンの創作です。よろしければ声にだして読んでみてくださいね。
Motocaさんの赤ちゃんを連れての初里帰りは、周りの人にたくさんの幸せを与えていますね。赤ちゃんもまたたくさんの愛情をもらって、心が満たされているのが伝わってきました。そして、最後の文章。島を離れてこのような想いでいる人はたくさんいるのではないでしょうか。胸が熱くなりました。
貴方はどんな感想を持ちましたか?ぜひ、お寄せくださいね。
掲示板での感想もお待ちしています〜。
きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも 終わりまで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は3月17日(木)発行予定です。
春はすぐそこまで来ていますね〜。次号がみ がんづぅ(お元気)で! あつかー、またや〜。