こんにちは〜。
ぴっちゃがま(少し)秋の気配がしてきた宮古です。 ぱだーぱだ うらまずなー(お元気ですかー)?
vol.372お届けします〜。お楽しみくださいね。
またボウフウどぅや〜(また台風だよ〜)
キムキム(平良・西里出身)
「沖縄気象台によると、台風は今後発達しながら時速20キロの速さで暴風域を伴って、西北西に進み、明後日には沖縄の南の海上に達する見込み。沖縄地方は、台風や湿った空気の影響で、今夜夜半から明日朝にかけて荒れた天気となり、台風の進路によっては大荒れとなるところがある・・・」幾度となく聞いた「台風情報」。
「あがいたんで、のうしぬぅ あつさりゃ〜(ああ、何という暑さだ)」の夏と「きゅうや、ぴしゃーぴしゃや〜(きょうは、すごく寒いね)」の冬しかない宮古。
それと比べ、四季折々の変化に富み、山や緑、川や海など豊かな自然に囲まれたヤマト、しかしその一方で、この美しい自然は、時として私達に災害をもたらす厳しい自然へと姿を変える。この夏、近所でも大きな被害をもたらしたゲリラ豪雨、山くずれ、地滑り、台風・・・連日のように報道された惨劇に、私達、人間は何をなすべきだろうか、と茫然とした。
数時間で通り過ぎてしまうヤマトの台風と、私が宮古で何度も体験したボウフウとは、その威力が全然違うように感じる。
小学校の時、住んでいた家は、祖父が「あがぃざと(東里)」に建てた瓦葺の平屋だった。毎年、ボウフウが来ると、家全体が揺れるように感じるほど古く、我が家にとって、ボウフウ対策は一家総出の大仕事だった。雨戸を閉め、外側から×印に板を打ち付け、窓の隅々から入り込む雨に備えて、新聞紙を隙間に詰め込み、畳が濡れないように、起こして壁に立てかけ、家の中央部に集めておく。して、家族全員で、あがにゃー(東の家)の父の叔父宅に避難する。(公民館のような施設はなかったし、学校も避難所として開けていたわけでもないし)これが、我が家の「ボウフウ対策」であったわけさ。
避難するおじぃーやーは、近所では割と新しく、頑丈な家だったとみえ、5家族ぐらいが、ボウフウのたびに避難していた。昔の家族だから、総勢30人ぐらいはいたはず。父ちゃん達は手ぬぐいを頭に巻いて、ゲンノウを持って「ガ〜ンガ〜ン」と戸に杭を打ち付ける、母ちゃん達は食事の準備で、台所は給食室状態。子供達だけが、いいばーとして(ヤッターと)修学旅行のように きぎて(はしゃぎまわって)遊んでいる。
停電は、当たり前だから、ろうそくの火の中でおにぎりを食べた。子供達は、6畳ほどの部屋でゴロゴロと手足も重なりながら掛けるものもなく寝ていた。子供にしてみれば、寝ていれば通り過ぎるボウフウだったと思うが、親達は、夜通し小さな隙間から、我が家の様子を窺い一睡もできずにいたはず。
台風一過、暑すぎるくらいの朝が来ると、それぞれが自宅に帰っていく。目の前にした我が家は、家を囲むコンクリート塀が、見事に倒れ、庭のガジュマルは、葉っぱがなく真ん中でへし折れ、玄関の柱は飛び、家の中は雨漏りでサンザンだった。これが、子供の頃に宮古で体験した、いつものボウフウである。
1年に何度も来るボウフウに、屋根を修繕し、塀を建て替えて、畳を干し、また、そこで暮らしていく。私の親の世代は、生き抜く強さが尋常ではないと感じる。
今でこそ、コンクリート家が普通になり、少しくらいの風ではビクともしない家がほとんど、あすがどぅ(でも)、やはり「ボウフウは、うかーす(恐ろしい)さいが」。あの頃は、瓦葺の家が多く、中には、わら葺の家も残っていた。他人の家に避難する、近所の避難民を受け入れるのも大変だったと思うが、何回も受け入れてくれたさ。あがぃ〜、たんでぃがーたんでぃ。
して、また台風が近づいているみたーいよ。
◇あの話をもう一度
あば本舗(下地・上地出身)
「じゅーぐやぬ つき゜ゆー(十五夜の月夜)」vol.156 2007/9/20
もうすぐ十五夜の季節。この頃は年齢のせいか?それともゆっくり月を見られる環境にないせいか?満足に つき゜ゆ〜(お月様)を見ていないのが寂しい。
宮古で過ごした頃に眺めた つき゜ゆ〜(お月様)は何故あんなにもうぽーぅぷしー かぎーかぎ(大きくて美しく)輝いていたのだろうーと、時々思い出す。
高校生のころまで、十五夜の季節になり つき゜ゆ〜(お月様)が天空に輝きだすと家でじっとしていられなかった。まいゆー(毎夜)ういづ里(上地の里)の幼馴染達と、まるで満月に誘われるように夜が更けるまで遊びまわった。
あの時代は、沖縄が日本に復帰した前後でまだまだ貧しかったころ。夜遊びとはいっても、ゲーム機もなければ華やかな遊び場があるわけでもない。何故だか男女別々に遊ぶのが普通であり素朴でのどかだった。
女の子は、月がよく見える家々の屋根に登ったり、前浜の砂浜まで足を伸ばしたりした。そこで幽霊話をしてはキャーキャー騒ぎ、流行のレコードをかけてはゴーゴー(当時はそう呼んだ)を踊る。ただそれだけなのに、いつもの夜とは違う気配が感じられ妙にわくわくドキドキしたものだった。
そして男の子達は、手作りの月見台を作るのが慣わしだった。我が家の兄達も、十五夜の季節になると中庭にススキの葉の月見台を作った。私は、兄たちが作る草の香りのする月見台が大好きだった。そこから見る つき゜ゆ〜(お月様)は、今にも何者かが舞い降りてきそうな光を放っていた事をはっきりと覚えている。
そういえば、月に関する不思議な本を読んだことがある。 A.L.リーバーというアメリカ人が書いた『月の魔力』という本だ。
満月と新月の日に起こる引力の変化が、人間の身体と精神にある影響を及ぼすという内容だ。満月と新月。人智が及ばない力が働いているとしても不思議はないのかもしれない。
この本を読みながら思い出されたのは、子供のころに見た十五夜の月である。あの頃に幾度となく眺めた宮古の青い満月には、特別で素敵な魔力があるように思えたものだ。
私にとって、今でも十五夜の気分に浸れるのは、職場の観月会よりも宮古での思い出や風景を心に描くときなのである。
宮国のクイチャー どぅかってぃ解説
マツカニ(上野・高田出身)
今回紹介するのは上野宮国部落の「宮国のクイチャー」です。
このクイチャーは前後に「まきぶどぅす゜(巻き踊り)」という つなぴきあーぐ(綱引き唄)とセットで踊られます。この巻き踊りの歌詞は、嘉礼なものと面白いものとがありますが、長いので今回は割愛します。
四、五十年前までは新築祝いや結納等、祝い事があれば必ず踊られていたそうですが、悲しいかな時代とともになくなっているようです。しかしながら保存に熱心に取り組んでいる方も多いようです。
上野村誌には四十九番まで載っていますが、宮国の古老の話では数えきれないぐらいあったということです。おそらく即興で歌い継がれていった事と思います。
歌も踊りも男女交互に掛け合いで歌い踊られ、間奏はまったく入れずにハヤシに入ると同時に女性から男性、男性から女性へと繋がっていきます。女性は優雅にしなやかに。男性は大地を蹴り上げ勇壮に踊ります。
歌詞が長い為すべては紹介できませんので十番まで紹介します。
宮国のクイチャー 1(女)くぬ クイチャーや たーが すたてぃたす゜クイチャーがよ (このクイチャーは誰が仕立てた(やり始めた)クイチャーなの?) ヤイヤヌ ヨーイマーヌ クイチャーがよ(ハヤシ 以下略) 2(男)ばんたがどぅ あぐたがどぅ すてぃたす゜よ (我々が 友達が 始めたよ) 3(女)すたてぃぬどぅ にだてぃぬどぅ しいらるんよ (始めるのが 元を作るのが できないよ) 4(男)すたてぃゆじゃん にだてぃゆじゃん さまちからよ (仕立てさえ 元さえ できれば) 5(女)つがでぃすぅや そぅいでぃすや まんじゅるむぬよ (継ぐ衆は 加わる衆は いっぱいいるよ) 6(男)我ん達がきゅうぬ あぐたがきゅうぬ ゆぅりゃうたす゜あよ (私達、友人達が 今日寄り集まったのは) 7(女)かむからな しずからな ゆぅりゃうたす゜なよ (神からか しず(※)からか言われて 集まったのか) 8(男)かむからまい しずからまい あらんすぅがどぅよ (神からでも しず(※)からでも ないんだけど) 9(女)ばんたがどぅ あぐたがどぅ ゆぅりゃうたす゜よ (私達が 友人達が 寄り集まったよ) 10(男)いでぁいからや ういがかなす あたす゜そぅがどぅよ (出逢ったなら それは愛しいはずだったのに)
【解説】
歌のメロディは漲水クイチャーと似て非なるものです。私の子どもの頃の記憶だと当時の宮国のお母さん達の声は、甲高くてよく響き、語尾はさらに高くなったように記憶しています。
クイチャーを唄うお婆達の唄声もしゃべり言葉と関連しているように思いますが、今の若者達は方言を使わないせいか特別に高い声というわけでもないようです。
現在踊られているクイチャーは、今は亡き古老の弾く三線と当時のお婆達の唄に乗せて踊られています。
この古老は天才肌の方だったらしく「工工四」(三線の楽譜)もなく自己流で三線を弾いていたそうです。弟子もとらなかった為に現在弾ける人は一人もいないということです。
※しず の意味が不明のためそのまま記しました。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
台風が立て続けに発生していますね。今年は、のーてぃぬ ばーがら(どういうわけか)宮古は避けらていましたが、16号は向かってくるようです。進路にあたるところは気を付けましょうね。
先日、父の病院に付き添いのため車で移動中の時のこと。スコールのような大雨が降ってきました。台風13号のあと、雨ばっかり続き、もううんざりしてたところに、父が「うかーす ぞう あみ(ものすごく良い雨だ」と ぷからすきなり(うれしそうに)一言言った。「ぞう わーつき゜(良い天気)」という言い方はよくするが、「ぞう あみ(良い雨)」とは新鮮な言葉だった。今でこそ、畑にスプリンクラーがついて干ばつにも心配がいらなくなったが、昔の農家にとっての雨は本当に恵みの雨。農業から離れた今も父の中にはそんな気持ちがあるのだなと思いました。そんな父、先日家で米寿のお祝いをしました。本日登場のマツカニさんとざうかにさんも来て三線を弾いて盛り上げてくれました。ぷからすむぬやたん。お二人さん、たんでぃがーたんでぃから〜。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
キムキムさんの台風の話で、やらびぱだ(子どもの頃)のことを思い出しました。私も隣の家におんぶされて避難しました。確かに今のように行政が避難先を準備するという感じではなかったですよね。家を直して、気持ちを立て直して何年も何年も繋いできた、あんなうや たーや(両親たちは)まーんてぃ やぐみむぬやー(本当に素晴らしいですね)
きょう9月15日は、十五夜ですねー。くま・かまでは11年前に十五夜特集をやりました。特集をするほど、昔の子どもたちにとっては、思い出いっぱいのイベントだったんですね。今回はその中からあば本舗さんにご登場いただきました。子どもの頃の十五夜の月の美しさは今でも残っていて心を豊かにしてくれているんですね〜。
マツカニさんは久しぶりの登場〜。地元上野のクイチャーへの想いが伝わってきました。名手古老の三線を引き継ぐ弟子がいなかったようですが、マツカニさんは古老の演奏のCDを参考に作譜したそうです。素晴らしいですね。宮国の若者たちによる「宮国のクイチャー」の披露も近いうちに実現しそうですね。
貴方の感想もぜひお寄せくださいね。
掲示板での書き込みもお待ちしています〜。
きゅうまい しまいがみゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ!
(きょうも 最後まで読んでくださり ありがとうございました!)
次号は三週間後10月6日(木)発行予定です。
うぬときゃがみ がんずぅかり うらあちよ〜。 あつかー、またや〜。