くまから・かまから vol. 374

  1. Home
  2. 未分類
  3. くまから・かまから vol. 374

 こんにちは〜。
 ぴっちゃ涼しくなったかと思えば、また真夏のような暑さになったりの宮古です。 がんづぅかり うらまずなー(お元気ですかー)?
 秋の一日、くま・かまでお楽しみくださいね〜。

宮古上布のわざと美展

松谷初美(下地・高千穂出身)

 10月7日から9日まで、「宮古上布のわざと美展」が宮古島市総合博物館で開催された。宮古上布保持団体が主催したもので、着物の展示(28点)の ぷかん(他に)「絣括り」「砧打ち」の実演・体験や「MY織機作り」「機織り体験」等が行われた。

 宮古上布の始まりは、稲石(いないし)という女性が織った、紺地・経縞の苧麻布の着物「綾錆布」と言われている。今から約450年前に琉球の貢行船が台風に遭い、その船に宮古の与人「真栄」が乗っていて船を直し、乗り組員を助けたことから王より最高位をもらう。そのことを喜んだ妻「稲石」は、布を織り王に献上をした。それが「綾錆布」だ。

 宮古上布は、その後1637年に貢納布に定められ、琉球王府の管理体制の下でその製織り技術は大きく発展してきた。

 今回の展示会場には、宮古上布以前の織物や綾錆布、琉球王国時代に織られた御絵図柄の復元作品や現代の作品なども展示され、その かぎさ(美しさ)といったらなかった。

 宮古上布の図柄は、じゅうむんず(十文字)や、みんたま(目玉)、いんぬぴさ(犬の足跡)かみぬくー(亀甲)、とーに(豚の餌箱)じんだま(銭玉)、ぱさん(ハサミ)など、身の回りのものを模っている。遠目には分かりにくいが整然と組み込まれた模様をよくみると、なるほどーと思う。それにしても、どうやったら模様がこんなにくっきりと織られていくのか、とても人間業とは思えない。何度か説明を受けたが、いまだに理解できないでいる。

 苧麻から細い糸を作り、それを績み、紡いで、緻密な模様を織りなす。そのひとつひとつの技はとても高度で、苧麻績み技術は1978年に国の重要無形文化財に指定されている。

 展示の最終日の9日にはこの道を長いこと歩んできた職人のみなさん6名による「私の織ものがたり」と題した座談会も行われた。染織、苧麻栽培・苧麻績みの方4名と(なんと稲石直系の方もいました)洗濯の方(1名)、図案・絣括り(1名)。

 宮古上布の仕上げは洗濯・砧打ちだが、昔は、洗濯・砧打ちをする人が、布を預かり、お店に販売をし、織った人たちに支払いをしていたそうである。

 また、糸は地域によって決まっていて、経糸(たていと)は平良や西原、下地。緯糸(よこいと)は、城辺でよく作られていたそうである。

 ある方は「あなたの作った糸はとても織りやすいよ」と言われるのが一番うれしく、この年になっても皆さんに必要とされることがうれしい」と話していた。しかし、現在は糸を績む人が少なく足りない状態で、深刻な問題とう話も出た。

 とても軽く、セミの羽のように透き通り、光沢のある宮古上布。んきゃーん(昔)から脈々と今に受け継がれ、作られ続けている。その着物を目にするとき、とても誇らしい気持ちになる。そして、願わくばいつーか一着。と夢みている。

 ※参考資料「宮古上布のわざと美展」資料,「宮古上布〜その手技〜」[改訂版]

◇あの話をもう一度

ワタリマリ(上野・宮国出身)

「兄を想って書いた詩(13)」vol.190 2009/2/19

 この詩は、脳性マヒの あざ(兄)を想って書いたものです。

 記念写真と やーぬばん(留守番)
  
 みんな行ってしまいボクはルスバンとなった
 ボクもつれていってくれるだろうと期待していたのに
 がっかりしたまま ボクはいる
 いそいそと出かけていく家族の後を
 追っていくこともできずに
 仕方なくボクはまたルスバンだ
  
 みんなは写真館に行くとのこと
 お父の還暦記念に
 みんなで記念写真を撮ることになっていた
 家族の集合写真
 なのにボクは連れてってもらえない
 なのにボクは記念写真におさまらない
 ボクはいえでルスバンだ
 なんの日であろうとボクはただルスバン
 ボクは家にいることになっている
  
 妹はボクの気持ちに気づいてくれたのか
 にいにいはどうする?と母ちゃんに聞いている
 お父と母ちゃんは目を合わせ
 さありゃあ いかるん(連れて 行けない)
 うわあ やあんうりい やーぬばん っしゅ うき
 (あんたは家にいなさい 留守番してなさい)
 とぼくに言う
 ルスバンしておけってとためいきをつきながら
 あきらめたように妹もくつをはいていた
  
 ボクにはお父の「さありゃあ いかるん」はよく分かる
 写真館の人をびっくりさせたくないのと
 写真館の人を困らせたくないからだ
  
 こっちむいてとか 笑ってとか 顔を上げてとか
 写真館の指示にボクは時間がかかるだろう
 じっとしてなんて絶対無理
 笑いたいけれどすぐには無理
 いすに腰掛けてもすぐにずり落ちるだろう
 それによだれはだしっぱなし
  
 写真屋の迷惑を先に考えて
 うわあ やあん うり(家にいなさい)と
 お父はいったのだ
 仕方ないボクはハイジョだ
 家族みんながそう決めたんだから諦めて
 ハブカレよう
  
 だけどボクは一緒に写真を撮られたかった
 前列のお父の横に写りたかった
 ありのままのボクの姿で
 顔は上を向こうが下を向こうが
 よだれも写ろうがなんだろうが
 ありのままのこのボクで
 ありのままの家族を写してほしかった
 そうしてほしかったけれど
 ボクは記念写真には入れてもらえなかった
  
 ボクのさびしくて悲しい心が妹に読まれたのか
 妹は出来上がりの写真をボクに見せながら
 母ちゃんの還暦の時には絶対連れて行くからね
 と慰めれくれた
  
 んば ばやあ いかじゃあん(だれがいくもんか)
 すねた気持ちで大声をあげた
 妹はボクが喜んで承諾したと勘違いしているようだ
 ネクタイしておしゃれしていこうねと無邪気に笑っている
  
 あとあとになって 家族がボクにいう
 んぞうさ さありいき まあつうきい とぅらるったんが と
 (ああ つれていって いっしょに 撮ればよかった)
 みんなどこかですまない気持ちを持っていたのだろうか
  
 お父の還暦の記念写真にボクはいないけれども
 その写真を見ながら家族はボクのことを思っている
 いろんな意味でのいい記念写真かもしれない

十月夏がま

Motoca(平良・下里出身)

 ばんたが んま(うちの祖母)は11月生まれなのに、ナツという名前だった。不思議に思って、名前の由来を尋ねたことがある。「むかしのこよみ(=旧暦)で10月になるころに、『じゅうがつ なつがま』といって、夏みたいに暑ーくなる日が何日かあるさー。」きっと祖母は、そんな日に産まれたのだろう。祖母は、んまがたー(孫たち)と話すときは、やまとう゛つ(共通語)ばかりだったが、珍しく方言のことを ならーしふぃーた(教えてくれた)ので、よく覚えている。
 
 娘が産まれる4ヶ月前に、祖母は亡くなった。あとちょっとのところで、会わせることは叶わなかった。それから、ことある毎に、祖母のことを思い出すようになった。赤子の肌着のひもを蝶結びにしながら、「こうしたらきれいな向きで結べるさ」と祖母が ならーしふぃーた(教えてくれた)こと。それまで意識せずにやっていた食器洗いでも洗濯物の手洗いでも、ふとんのカバーを替えるときも、「こんなにーとしたら簡単だよ」「こうしたら楽だよ」といいながらやって見せてくれた姿を、次々思い出す。生活のなかの うむくと(知恵)は、祖母からものが意外と多いのだと気づいた。
 
 6月生まれの娘の名付けに「夏」の字を使った(読みは「か」である)。孫の私から見ても、頭脳明晰でかっこよかった祖母から あよーからし(肖って)、頭のいい子に育つように、という思いを込めた。名付けておいて、なのだが、考え事をしているときの表情が、時々ナツおばぁに似ているように感じて、おごえ!(びっくり!)となることがある。
 
 6月は「夏」というには少し時期が早いだろうか、とも思ったが、元々の出産予定日が「夏至」に近かったこともあり、使うことにした。そういえば、「かーつばい(夏至南風)」という言葉もある。夏至のころに吹く南風。娘の名に付けた「夏」はきっと、かーつばいの「か」でもある。故郷の季節を表す言葉が、図らずも二世代を隔ててつながり、根から枝葉、の関係をしっかり繋いでいた。
 
 祖母の誕生日があった11月が近づいてきて、このごろ、そんなことをよく考える。街の木々も色づき、すっかり秋めいてきた。朝晩の気温がずいぶんと下がるようになって、ちょっと暖かさが恋しくなる日もある。でも、あと半月もすれば、旧暦の10月がやってくる。気温の上がる日がやってきたら、てぃんゆ あぱなき(空を仰いで)、「ばぁちゃん」と呼んでみようと思う。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 10月14日〜16日まで開催した「第11回宮古島市民総合文化祭・一般の部」(展示部門、方言部門、郷土史部門)は「創造する市民の文化〜MeMeMeの芽〜」をテーマとし「創造の芽、発見の芽、可能性の芽、わたしの中の芽を育てる!」をコンセプトに取り組んできました。今年は、正面玄関のいろいろな植物が展示場へと誘い、また、植物のいろいろな種も展示。これまでになかった、生け花のデモンストレーションや書道パフォーマンスをしたりと新しい芽も感じていただけたかなーと思っています。

 くま・かまメンバーのさどやませいこさんは、文芸部会長として、篠原鳳作生誕110年の記念展示を企画。タイラーは、絵画を2点出品しましたよ〜。素晴らしかったです。やまかさ(たくさん)の方が、ご来場くださり、うれしい限りでした。たんでぃがーたんでぃ。すでぃがふー。会場では高校の同級生や何十年ぶりに遠い うつざ(親せき)のおばさんに会ったりとこれまた、ぷからす むぬ やたん(うれしかったです)。

 そして、なんと文化祭が終わって外にでると、サシバが10羽くらい舞っていました!しばし見とれ・・・疲れも吹っ飛びました。

 さ、宮古島市文化協会の次の事業は「すまふつボランティア養成講座」です。昨年に続き、今年も開催いたします。詳細は追って紹介しますね。

 さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

 宮古が誇る「宮古上布」ですが、知らないことが多く、今回のような催し物はとても勉強になります。いつか、「宮古上布とは・・・」と詳しく説明できるようになりたいです。

 あの話をもう一度は、ご存じワタリマリのお兄さんの詩でした。読み終えるといつも心がジーンとなります。一生懸命生きた、お兄さんの姿と妹ワタリマリの気持ちがストレートに伝わってきましたね。いつも心にとめておきたいなーと思います。

 Motocaさんのおばあちゃんの話、ほんわかしますね〜。名前の由来は10月夏がまに関係があったんですね。Motocaさんは「ドラマなんかでよく言う『亡くなっても、心の中で生き続けている』って、こういうことなんだなぁ、としみじみ思います」と話していました。

 貴方の感想もぜひお寄せくださいね。
掲示板での書き込みまい まちうんど〜(待っていますよ〜)
 
 きゅうまい しまいがみゆみふぃーさまい  たんでぃがーたんでぃ!
(きょうも 最後まで読んでくださり ありがとうございました!)
 
 次号は11月3日(木)発行予定です。
 きゅうまい 上等一日でありますように! あつかー、またや〜。