こんにちは〜。 ぱだーぱだ うらまずなー(お元気ですかー)?
くとぅす しみゃーぬ(今年最後の)くま・かまです。 お楽しみくださいね。
とうう”ぁ にある どうう”ぅ(台所にある道具)
松谷初美(下地・高千穂出身)
昭和一桁生まれの、あんな、うや(両親)に昭和20年代から30年代ごろの とうう”ぁ(台所)の道具などを みゃーくふつでは、何と言うかー?と聞きました。豆腐箱や甕類、かご類などは、今ではあまり見かけなくなりました。
◎まなつぁ・・・・・・まな板
◎かたな・・・・・・・包丁
◎ぱがま・・・・・・・羽釜
◎なび・・・・・・・・鍋
◎なびふた・・・・・・鍋のふた(真茅(まかや)で作ったもの)
◎やっくん・・・・・・やかん
◎ちゅうか・・・・・・急須
◎ちゃばん・・・・・・湯飲み茶わん
◎まかす゜・・・・・・おちゃわん
◎みすわん・・・・・・ご飯茶わん(「みす」は、飯(めし))
◎みすきな・・・・・・しゃもじ ( 〃 )
◎きな・・・・・・・・お玉(木製)
◎うみす・・・・・・・箸
◎つき゜だき゜・・・・マッチ
◎かな・・・・・・・・人参やまんじゅう(パパイヤ)をシリシリするもの
◎とうふばく・・・・・豆腐箱。豆腐を作るための箱
◎いいぞーき・・・・・ご飯などを入れておくかご(「いい」は、飯(いい))
◎さぎぞーき・・・・・ご飯や芋などを入れ、高いところに下げておくかご(下げるための柄が付いている)
◎んつぅがみ・・・・・味噌を入れておく甕(昔はどの家庭でも味噌を作っていた)
◎みずがみ・・・・・・水を溜めておく甕(水道のない時代、水は井戸から汲んできた)
◎つきむぬがみ・・・・漬物を入れておく甕(らっきょう、にんにく、大根の漬物など自家製)
◎みんがみ・・・・・・豚の脂(ラード)入れ(甕)(昔は、お盆や正月にしか豚は食べられなかった。その時に豚を炒めて脂を出し、普段用に甕にいれて、野菜炒めなどに使った。甕に突起(耳)があったのでその名前になった)
◎びす゜くーてぃ・・・座る木箱(ティッシュの箱くらいの大きさ)これに座って、食事をしていた。
◇あの話をもう一度
ワタリマリ(上野・宮国出身)
「兄を想って書いた詩6」 vol. 90 2004/12/16
この詩は、脳性マヒの あざ(兄)を想って書いたものです。
「パンダル(鼻水)」 ボクの妹は、この季節よくパンダル(鼻水)をたらしていた 妹の友達には、パンダル パンダルとからかわれていた ある日のこと、一番の友達と思っていた子から パンダルにはブランコかせないと言われ なかまはずれにされたそうだ 聞くことしかできないボクに妹はポツリと悲しげに 目にはあふれんばかりの涙をためて訴える ボクは妹のパンバルも涙も拭いてあげれないけれど 負けるな!と声もかけられないけれど それでも妹はボクのそばにいる ボクを兄と慕っているのだろうか 物言えぬボクだけれど かえってそれが幼い妹の気持ちに寄り添っているとすれば ボクの存在って大きな意味を成す そういえば、かあちゃんだって人には言えないことなど 涙しながらボクに話すことがあった 悲しかったり、悔しかったりのとき、 ただじっとその思いを聞いてあげることって大事なんだと僕は思った そのためにボクはいたんだ それじゃあ、嬉しいときはどうだった? いやその時だって妹はボクに教えてくれた ただそのときには、逆にボクが悲しい気持ちになったりする よかった よかったとの嬉しい気持ちを言葉で表現できなかったからね この季節 今でも妹のパンダルはなおっていないそうだ またあるとき、パンダルとからかわれたことを母ちゃんに告げた妹は なんだか落ち着かない感じで僕のところに来た どうやら母ちゃんは、いじめっ子のところに出向いたようだ ボクがからかわれるたびに立腹していた母ちゃんは、 健常児の妹までからかわれるのがたまらなかったのだろう 母ちゃんとしては当たり前のことをしたつもりかもしれないが 妹はあまりこころよく思わなかったようだ その友達っていうのは妹と大の仲良しだったからね 気まずくなりたくなかったのだろう 妹は、やっぱり にいにいにだけ話せばよかったって言っていた そうだよ 何も答えなくてもただ聞いているだけで 物事や人の気持ちがうまく流れていくことだってあるんだ たまたまボクは聞くことしかできなかった そのためにぼくはいたんだ ボクの妹はパンダルのおかげで悲しんでいる人の気持ちに じっと耳を傾けることができそうだといっていた ぼくがそうしたように それはそうと、妹のパンダルはいつも ンーパンダル(青っぱな)だった
田村大三記念指笛コンサートで『宮古島の風』
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
12月11日に東京で開かれた指笛コンサートに出演した。師走の東京に南の島の暖かい風を届けることを目標に、演奏曲と演奏方法を決めて臨んだのが功を奏した話である。
その日、「田村大三指笛音楽82周年記念指笛コンサート」が東京・練馬文化センター小ホール(座席数592)で開かれた。私にとっては2年ぶり、3回目の出演であった。
秋田県出身の田村大三は、小学校6年のころ、体育の授業で先生が呼子の代わりに吹いていた指笛に興味を抱き、成人してから指笛で音楽を演奏することを考案し「指笛音楽の創始者」といわれている。彼は優れた演奏技量を持ち、国内外を演奏旅行するなど活躍し、2010年に97歳で他界した。
私は指笛王国おきなわを建国した2005年に、当時すでに車椅子で生活していた田村さんのお宅を訪れたが、沖縄から来たということで私の両手を握りしめながら激励の言葉をかけていただいた思い出がある。コンサートは彼と弟子たちで組織した「指笛楽友会」が主催し、今も毎年開催している。田村さんとお会いして間もなく、私もその会に入れてもらった。現在沖縄の会員は私一人である。
コンサートには21人(うち女性3人)が出演した。基本的に一人2曲ずつを披露することになっており、私は三線の生伴奏で『てぃんさぐぬ花』と『漲水ぬクイチャー』を演奏した。
三線は、宮古民謡保存会(國吉源次会長)の師範で東京在住の松山雅一さんに担当していただいた。松山さんの母親は宮古島の出身である。電話で連絡を取り合い、当日の楽屋で音合わせをし、リハーサルを経て本番となった。
私はクイチャーの衣装を着て、裸足で立ち客席に手拍子を要請して先ず『てぃんさぐぬ花』を演奏。続くクイチャーでは、1番を松山さんに歌ってもらい、私は踊りながら囃子(はやし)の指笛を吹き鳴らし、2番、3番は指笛で歌の部分を踊りながら演奏し、4番はまた踊りながら退場した。それだけでも舞台は盛り上がったが、さらに輪をかける事態が起こった。
客席から、一人の女性が飛び入りで舞台に上がり、クイチャーを踊り出したのだ。私も予期せぬ出来事だったが、会場は拍手喝采。沖縄から駆けつけた指笛王国の仲間もおり、指笛も鳴り響き、会場の雰囲気は最高潮に達する勢いに。飛び入りしたのは、名古屋から来た松本さんだった。彼女は父親が伊良部出身で指笛王国おきなわの副国王をしている伊志嶺恵徳さんの娘である。今は指笛王国の名古屋支部長として頑張っている。「クイチャーは大勢で踊ったほうがいいと、飛び入りした」と笑っていた。たしかに、踊る人数は2倍になった。思いがけない最高のパフォーマンスだった。
冷え込んだ東京に南の風を届けるという私の目標は、十分達成されたのではと思い、満足している。コンサートの長い歴史の中でも、三線伴奏での指笛演奏は初めてのことのようだし、ましてや、飛び入りでクイチャーとはこれ如何に。
私はこのコンサートで、これまで「ばんがむり(子守歌)」や「ゆうなの花」「童神」など沖縄の曲や音楽にこだわって演奏してきたが、今後もこの姿勢を持ち続けたい。
ところで、田村大三ファミリーが沖縄本島、宮古、八重山で指笛コンサートをしたことが知られている。牧師だった田村さんは沖縄本島では教会での演奏が主だったようだが、宮古島では当時の宮古養護学校と平良市民会館で開いたといい、草笛とけん玉で有名な親泊宗二さんはそのコンサートをいずれも聴いたという。「平成4年ごろだったのではないでしょうか、市民会館では奥様のピアノ伴奏で演奏しました。自分はホールの後ろのほうで聞いていました。マイクを使わないで、澄み切った指笛できれいに響き、びっくり。とても感動しました」と話していた。
親泊さんの草笛と私の指笛で「ふるさと」を宮古島で開かれた宴席で合奏したことがあり、以来懇意にしている。親泊さんには田村ファミリーの宮古島での演奏について、当時の報道などを調べていただきたいとお願いしている。指笛で、そしてクイチャーで、いろいろな人たちとネットワークが広がるのは、まーんてぃー あてぃ ぷからすむぬ。(本当にとても嬉しいことだ)。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
昨日の午後から急に ぴしーぴしに(寒く)なってきた宮古です。キビの穂も寒そう。キビの穂と言えば、伊良部島では製糖操業が始まりましたね。沖縄製糖工場でも、煙突から煙がでていたので(たぶん試験操業?)間もなく始まるのでしょう。今年は、品質がよく収穫量も多く見込まれているようです。ぷからすむぬやー(うれしいですね)。
「すまふつボランティア養成講座」(全10回)も、無事に終了し、うむやすーやす(とても安心)しています。102名の方が参加してくださいました。毎回とても盛況で、すまふつへの関心の高さを実感しました。みゃーくふつ、使いー いかやー(宮古方言使っていきましょうね)
昨日は、前号でお知らせをした「フランス人シェフmeets 宮古島〜フランス料理講座を通しての日仏食文化交流〜」に参加するため「島野菜デリじゃからんだ」に行ってきましたよ〜。フランス料理は、自分からは遠いところにあると思っていましたが、ほとんど宮古の食材を使っての料理で、その組み合わせと美味しさにびっくり。にんにくの葉やとぅすぴゃ(シマヤマヒハツ)紅芋、トマト、島バナナ、ゴーラ、海ぶどう、まぐろ、宮古牛などなどを使った料理はどれも驚きの連続でした。また、シェフのダヴィッド・フェレ氏と奥さんの史恵さん(あすなろさんのお嬢さん。通訳をされました)のお人柄がとても良くて場の雰囲気がいい感じでした。ダヴィッド・フェレ氏は宮古の食材は素晴らしい!と話していましたよ。それから、宮古の料理は塩分が少ないという話も。楽しくてアッという間の2時間でした。またぜひ開催してくれるとうれしいですね。あすなろさんもお元気でしたよ!たんでぃがーたんでぃでした!
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
両親が80代後半になり、今聞いておかなくてはと思うことがいっぱいあります。ひとつ尋ねるといろいろ思い出すようで、今回、台所編でまとめてみました。道具は時代を表しますね。
あの話をもう一度は、ワタリマリのお兄さんの詩でした。読後、いつーまい(いつも)優しい気持ちになりますね。そして人はそれぞれ かたあき(役割)というのを持っているんだなーと感じます。それにしても、あの頃のやらび(子ども)達は、皆、ぱんだるでした。(笑)
クイチャーマンさんは、終わったばかりのホヤホヤの指笛コンサートの様子を書いてくださいました。指笛で「漲水のクイチャー」とは、素晴らしいですね。しかも踊りながら!飛び入りもあって、盛り上がった様子がすごく伝わってきました。指笛の魅力、可能性の広がりも感じますね〜。
貴方の感想もぜひ、お寄せくださいね。メールでも、掲示板の書き込みでもお待ちしています!
この一年も、たかさーしーふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ。ぷからっさどー(ご愛読くださり、ありがとうございました)。おかげさまで今年も無事に終えることができました。そして、皆さんからいただく感想が何よりの励みとなりました。ライター一同、心より、すでぃがふー(ありがとうございました)!
んーなが かぎ みーどすっう んかい ぷからす そうがつん なずよーん にがい くとぅすぬ くまかもー しまっいとー(皆様が素晴らしい新年を迎え、うれしい正月になるよう願い、今年のくまかまを終わりにしたいと思います)
きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも 最後まで 読んでくださり ありがとうございました!)
次号は1月5日(木)発行予定です。
また、来年いら〜。