こんにちは〜。
真冬からいきなり、夏になった宮古です。(笑) ぱだーぱだ うらまずなー(お元気ですかー)?
vol.380 お届けです。お楽しみくださいね〜。
健康
R(平良・西里出身)
くま・かま読者の皆さん、友達が集うと話題は「腰が痛い」「膝が痛い」「腕が上がらない」などと体の不調について何かと話題になりませんか?
んなま(今)、私の文章を読まれているあなた「いえいえ」と答えてもそういう年齢はすぐ来ますからね。
「健康」に関する話題が必ず出る、という年齢は、50代でしょうか?本屋さんでの立ち読みや待合室にある本を選ぶ時もファッション雑誌ではなく、健康やダイエットに関する本に手を伸ばす自分がいて、いつの間にか、自分も50代半ばに突入していることにはっとさせられます。
現在、私の一番の関心事は「健康」です。
だからと言って「あが、あが(痛い、痛い)」と苦しんでいるわけではなく、「ここの不調は、どうしたら改善されるのか?」と考えると「楽しい」といった具合です。楽しんでいるからか「健康」に関する情報に私のアンテナは、すぐさま反応してしまいます。
のーしゃー(なぜ)、健康を意識し始めたのか?年齢によるもの?あんな、うや(両親)とも癌で亡くなったから?心臓の悪い主人と結婚したから?いやいや、もっと昔、そう、小学生の頃から健康のことを気にする自分を思い出すことができます。
宮古島に両親のUターンで引っ越したのは、私が小学4年生の時。その頃、あんな、うやは、何かと心配することが多く、子どもたちのことを気にする余裕はなかったと思います。特に私は、なすきしゃ(末っ子)で、両親、もう子育ての体力・気力は無くなった頃に成長したので、手をかけてもらった記憶がほとんどありません。
そんなタイミングで、私は、激しい歯痛を体験しました。歯医者で治療して治してもらいましたが、同時に両親にかまってもらえないことを学習しました。
私は、翌年からは毎年夏休みごとに下里通りの歯医者さんへ自分から進んで通い、その後の予防に努めました。小学生の間は夏休み、漲水港の駐車場で行っていたラジオ体操を終え、友達としばらく遊んだ後、家に帰らず、そのまま歯医者へ直行。開院時間前から歯医者の玄関外でシャッターが上がるのを待つ、という具合でした。
多分、その経験が私の「痛く、苦しい思いをする前に治す」という「健康」への取り組みのスタートだと思います。
しかし、その後は「若さ」がカバーしてくれていたので、自分の体(健康)の事を考えることなく過ごしていたら、体の冷えからか、不調が ぴっちゃ(少し)ずつ表れていました。子育て、両親の闘病・死亡、主人の状態、友達の大病などを経験すると、元来「痛み・苦しみ」を避けたいと幼い頃体験している私は、何らかの取り組みを行わなければ、健康は維持されない、ということに再度気づきました。
以前から「環境」や「健康」を意識していた友達と行動を共にしてみると、「衣・食・住」あらゆる視点からの取り組みが必要であることを知りました。これまで病気は、ふすす゜(薬)で治すものだとばかり思っていた私は、本来の体のしくみが治してくれることを経験しながら、自分の体のしくみの素晴らしさを知りました。
「一人一人のからだには宇宙がある。」体の中で常時行われている白血球と病原菌との戦いがまるで映画でよく見る宇宙戦争のように感じます。
両親が闘病生活を送っていた時期、私は仕事、子育てで忙しく、かまってあげられなかったのですが、当時、今のこの情報、知識を持っていたら、少しは二人を癒してあげられたのではないか、と後悔ばかりです。本当に「親孝行したい時には親はなし」ですね。
さて、ここで私のインフルエンザ予防を紹介してみたいと思います。
それは「鼻呼吸」と「十分な歯磨き」です。あるテレビ番組でお医者さんが、インフルエンザ予防として一般に言われている「手洗い・うがい」ではなく「鼻呼吸」と「十分な歯磨き」と紹介した時、自分の中にストンと落ちるものがありました。
私は、石鹸、シャンプーを使わないようにする生活を始めて3年が経とうとしていますが、んなまがみ(これまで)一度もインフルエンザに罹ったことはありません。同時に消毒液やうがい薬も使っていません。ということは、「石鹸を使っての十分な手洗い、消毒液を使った手指の消毒、うがい薬の使用ではないな」と思っていました。
・現代は、固いものを食べなくなってきたので、顎回りの筋肉が弱くなり口呼吸をする人が増えてきた。鼻呼吸で入ってくる空気は、喉に達するまでに温められるが、口呼吸で入ってくる空気は、冷たいまま喉を通り抜ける。
・口の雑菌が喉の壁のバリアーを壊し、そこにインフルエンザのウィルスが付着、増殖する。
そのお医者さんの名前等憶えていませんが、ざっと上記のような内容がテレビで話されていました。
沖縄では一年中インフルエンザが流行しています。それは、虫歯の罹患率の高さと関係があるのではないかと思う今日この頃です。
1月28日は旧正です。酉年の本年も皆さまの健康とご多幸をお祈りいたします。
◇あの話をもう一度
ひさぼう(平良・西仲出身)
「宮古方言で読む『我輩は猫である』」vol.56 2003/7/17
ばーやー まゆ。名前(なまい)や んなだ にゃあん。
(吾輩は猫である。名前はまだない。)
何処(んざ)んうてぃ 生(ん)まりたずがら のーまい知(す)さん。のーがら っふぁっふぁぬ すぷたや所(とぅくな)んうてぃ ニャーニャーてぃ 泣きうたず事(くとぅ)がみゃあ 記憶(うぶい)どぅ うず。
(どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニヤーニヤー泣いていた事だけは記憶している。)
ばーやー うまんうてぃ どぅ 始(ぱず)みてぃ 人間(にんぎん)てぃぬ むぬうばあ 見いたず。あってぃ 後(あとぅ)から 聞すきつかあ うりゃあ書生てぃ あず 人間(にんぎん)ぬ 中んうてぃまい んにゃ のーまいしらいん やなばたむぬぬきゃあ どぅ あたずのーかん。
(吾輩はここで始めて人間といふものを見た。然もあとで聞くとそれは書生といふ、人間で一番獰悪な種族であったさうだ。)
うぬ書生てぃぬむのお 時々(ぴょーすんな) 我々(ばんと)を捕(んちゃみ)ってぃ あってぃ 煮(に)い食(ふぉ)てぃぬ話(ぱなす)どお。あっすうが うぬ当時(ずぶん)な のーぬ考(かんがい)まい にゃあったんやいば 別段(なんずぅ)恐(うとぅ)るすてぃまい 思(うまあ)ったん。ただ彼(かい)が掌(てぃぬぴさ)んかい 載(ぬう)しらいってぃ スー てい持(む)ち上(あ)ぎらずたず時(とうき)んな のーがら フワフワていぬ肝(きむ)がまぬ あたずだきさいが。
(此の書生といふのは時々我々を捕へて煮て食ふといふ話である。然し其の当時は、何といふ考へもなかったから別段恐ろしいとも思わなかった。但彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じが有った許りである。)
掌(てぃ)ぬ上(うわあび)ん うてぃ 少(ぴっちゃ)落(う)ちつきってぃ 書生ぬ顔(みぱな)を見(みい)たずすがどぅ んにゃ 人間(にんぎん)てぃぬむぬぬ 見始(みいぱずみ)だら。うぬ時(ばーつん)妙(ぴん)なぎむぬやぁてぃ 思(うむ)ずたず くとぅ ぬどぅ 今(んなま)まい残(ぬく)りうず。第一(まず はあい)毛(きい)しい装飾(かざ)らい うらだからあ ならんぱずぬ顔(みぱな)ぬどぅ つるつるてぃ んにゃ うりゃあ 薬缶(ちゅうか)んどぅ んんかたずだら。
(掌の上で少し落ち付いて書生の顔を見たのが所謂人間といふものの見始であらう。此の時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛を以て装飾されべき筈の顔がつるつるしてまるで薬缶だ。)
うぬ後(あとぅ)から 猫(まゆ)んかいまい やまかさ 逢(いでぃお)うたずすぅが ういんぎ片輪(かたぱむぬ)うばあ 一度(ぴとうん)つんまい 見いたず事(くと)お にゃあん。
(其の後猫にも大分逢ったが、こんな片輪には一度も出くはした事がない。)
ういちゃあんな あらん 顔(みぱな)ぬ 真中(まんなか)ぬどぅ あてぃくとぅ 突起(とぅんがり)うず。あってぃ うぬ穴ぬ中から 時々(ぴょおすんな) ぷうぷうてぃ 煙(きうす)う 吹(ぱ)くだらよ。あがいたんでぃ んにゃ 咽(ぬど)お ぐっふぁみかし だまがりどぅ うたず。ういがどぅ 人間(にんぎん)ぬ 飲(ぬ)む 煙草(たぶく)てぃ あずむぬぬ事(くとぅ)てぃや やっとぅ んなまどぅ 知(す)ったず。
(加之(のみならず)顔の真中が余りに突起している。さうして其の穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽せぽくて実に弱った。是れが人間の飲む煙草といふものである事は漸く此の頃知った。)
※( )は、夏目漱石『我輩は猫である』の原文
屋号で言葉遊び
松谷初美(下地・高千穂出身)
出身の高千穂は、4つの いみっちゃぬ(小さい)集落に分かれていて、実家はその中のカザンミというところにある。
かながい(この間)、父に んきゃーんぬ(昔の)話を聞いていたら、いきなり カザンミの集落にあるいろいろな屋号の入った うむっし(面白い)言葉遊びを言いだした。やらびぱだ(子どもの頃)、よく言って遊んだそう。私たちの頃にはなかったなぁ。今となってはもうない家もあるが、子ども同士、身近な屋号を使い、屋号のゴロや意味等を繋げて、おかしく言いあっている様子が想像できて面白い。(カタカナが屋号)
モーニヤー んかい 行き さんかたをー 借り
スマッチャー んかい 行き すまー とり 勝ちってぃ
ウプヤー んかい 行き うぷむぬー ゆみ
ピスガズヤー んかい 行き ぴすがらし
ブバガマヤー んかい 行き ぶばがま んかい ぱなし
ブバヤー んかい 行き ぶば んかい 報告
アンディヤー んかい 行き あんでぃ んーま ふぁい
ツカザンヤー んかい 行き つぶり
(訳)
モーニヤー に行き さんかたを借り
スマッチャー(島尻家)に行き 相撲を取り 買って
ウプヤー(大きな家) に行き 大きなことを 話し
ピスガズヤー(広がる家)に行き 広がらせ
ブバガマヤー(叔母がまの家)に行き 叔母がまに 話し
ブバヤー(叔母の家)に行き 叔母に報告
アンディヤー(デコボコ家)に行き デコボコの芋を 食べ
ツカザンヤー(津嘉山家)に行き 潰れ
モーニヤー、ウプヤー、ツカザンヤーは現在はなく、モーニヤーはなぜそのような屋号なのか意味は分からないとのこと。モーニヤーで借りる「さんかた」も何を言うのか知らないが、何か分からないことがあると、モーニヤーから「さんかた」を借りくー(借りてこい)とよく言われたそう。母は、計算機のようなものじゃないかー?と話していたが・・・さて。
普段口数の少ない父だが、昔の話になるといろいろ思い出すらしく饒舌になる。屋号の話でひとしきり盛り上がった、日曜の朝であった。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
沖縄製糖工場も本格始動して、サトウキビ収穫本番です。職場が沖縄製糖工場の つかふがま(近く)なので、砂糖を煮詰めた かばすかざ(良い匂い)がしています。今年は糖度も高く高品質だそう。ハーベスターで刈り取る農家が多くなりましたが、手刈りもまだまだあるので、キビ農家は忙しくなりますね。葉タバコの畑への植え付けも始まりました。葉タバコ農家も収穫まで忙しい日々が続きます。豊作でありますようにと願うばかり!
それにしても2〜3日前は、どうりゃーにゃーん(道理のない)寒さでしたが、昨日は25度越え。いきなりの夏日です。東平安名崎では、テッポウユリが咲いたとニュースでやっていました。かと思えば日本列島では、うまかま(あちこち)で雪が降っていますね。どうぞ、お気をつけくださいね。
さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
「健康」が気になるお年頃です。模合の座でもよく話題になりますが、怠けものの私は、のーまい ししうらん(何もやっていない)。Rさんのインフルエンザ対策はすぐにでも出来そうですね。宮古もインフルエンザは季節に関係なく流行ります。(宮古に帰って知りびっくり)頑張ろうっと。
ひさぼうさんの「宮古方言で読む『我輩は猫である』」は、約14年前に掲載したものです。方言の部分に漢字を当てていますね。その訳のセンスは最初から光っていましたね〜。本当に素晴らしいと思います。味わい深い方言です。どうぞ声にだして読んでみてくださいね。
屋号の言葉遊びを私は今回初めて知りましたが、もしかしたら、他の地域でもあるかもしれませんね。ほとんどの家に屋号があるので、屋号を知るだけでも楽しそう。ご存じの方は、ぜひ下記のアドレスまでお寄せくださいね。よろしくお願いします。
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きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも 最後まで 読んでくださり ありがとうございました!)
次号は2月2日(木)発行予定です。
がんずぅかり うらあちよ〜(お元気でお過ごしくださいね) あつかー、またいら!