くまから・かまから vol.385

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 こんにちは〜。新年度が始まりましたね。 がんづぅかり うらまずなー(お元気ですかー)?
 おかげさまで、くま・かまもこの4月で満16年になりました。すでぃがふー!17年目のスタートです。 んなまからまい たかさー しー ふぃさまちよー。(これからも ご愛顧くださいねー)
 それでは、vol.385 お楽しみください!

まゆがま日記 パート11  てぃんがなす からぬ つとぅ(神様からの贈り物)

あば本舗(下地・上地出身)

 我が家の がばまゆがま(老猫)は、今年でなんと19歳になった。まゆがま(猫)の19歳は、人間でいう92歳くらいらしい。まだ生きていたの?という声が聞こえてきそうだが、わいてぃどぅ いき゜でぃうす゜(頑張って生きている)
 
 以前は毎日のように外へ出て、隣家で半日過ごし家の周囲のパトロールを欠かさなかったが、最近は やーぬ なかん うてぃ にぃう゛ぃー ちゃーか うす゜(家の中にいて、寝てばかりいる)。
 
 それでも、私が帰宅すると玄関先で「にゃぁ〜」と大きな声で鳴き、伸びをして迎えてくれる まいふか まゆがま(お利口な猫)である。

 くじゅぬ んなまずぶん のーてぃにゃーん なきーちゃーな うりば(去年のちょうど今頃、何故か鳴いてばかりいるので)、いつもの動物病院へ連れて行ったところ、肛門周囲に うぽぉーぬ んぶた(大きなおでき)が出来ていた。通常は、犬によく見られる症状だそうである。切開する方法もあるが、暴れる危険があるため内服薬の抗生物質が処方された。
 
 獣医さんは「本来、猫はとても我慢強い動物なんですが、鳴いてばかりいたという事は、よほど痛かったか不快感が強かったのでしょう」と、説明していた。この動物病院で一番の古株であるハナの事を うかーす あたらっさーしー ふぃーす゜(とっても可愛がってくれる)先生は、「ハナ〜、痛かったか?偉かったね〜。お前は生きているだけでも凄いのに、よく我慢したよね〜」それこそ、猫なで声で褒めまくるのであった。
 
 その後、一か月ほど薬を飲ませた後、んぶたぁ きゃーり たん(おできは消えた)持病の腎臓病のほかに、脳梗塞になったり他所の やなまゆ(乱暴な猫)に噛まれてケガしたりと、今度こそもうダメかも・・・と思わせる がば まゆがま やっすぅが(老猫だけれど)、そのたびに彼女は不死鳥のごとく?蘇り生き抜いてきた。
 
 刺激しすぎないようゆっくりブラッシングをする時、早朝に起され餌をねだられる時、いつ逝ってしまうかも分からない儚い命を かなさっす(愛おしむ)このひと時が、てぃんがなす からぬ つとぅ(神様からの贈り物)の時間のように思えるのである。

◇あの話をもう一度

根間(幸地)郁乃(平良・久貝出身)

「凹天さんにプリてから」vol.248 2011/7/21

 今年は芸術家の故・岡本太郎が生誕100周年ということで、回顧展や関連イベントなどが目白押し。私も先日、こどもたちを引き連れて沖縄県立博物館・美術館へ「岡本太郎と沖縄」展を観に行ってきました。
 
 太郎本人が写した膨大な沖縄関連写真のなかに宮古島で撮影されたものも数点あり、漲水港の風景や人物などが写っていました。「この眉のきりりとした あんな(おばさん)は、今も健在だったりするのかねー?」などと心の中で思いつつ、原色の力強いタッチの絵や、「太陽の塔」のミニチュア、土器などなど、広い場内を回っては〜みるみるしていたのでした。
 
 さて、ここからが本題です。太郎の父親・岡本一平も芸術家で、大正時代に風刺漫画家として活躍した方ですが、実は宮古島生まれのある人物と親交が深かったようなのです!その人物の名は、下川凹天(しもかわ・へこてん)さん。
 
 存在を知ったのは、2008年夏のこと。気の向くままインターネットで検索をしていたら、日本初のアニメーション製作者は下川凹天という人で、宮古島出身だと知りびっくり。その晩から何かに憑りつかれたように調べものを始め、情報元である沖縄キリスト教学院大学の大城冝武教授の論文などを読み漁りました。
 
 凹天さんは明治25年宮古島生まれ。熊本県出身の父親が宮古で小学校長をしていたため、幼少期を主に上野の新里で過ごしたそうです。9歳で父親を亡くし、その後は叔父を頼って上京。縁あって日本の職業漫画家の元祖・北澤楽天に師事します。
 
 当時の花形であった風刺漫画家として頭角を現した凹天さんは、岡本一平らと並ぶ超売れっ子。初めての作品集『ポンチ肖像』では一平が序文を寄せ、凹天さんが琉球生まれであることを書いています。大正初期に自己流で製作した作品が、日本初の劇場公開アニメーション映画だと記録に残っています。昭和48年に千葉県野田市で没しましたが、東京国際アニメフェア2005では“日本のアニメをつくった20人”として、手塚治虫や藤子・F・不二雄と並んで表彰されています。
 
 宮古でよく、何かに夢中になることを「○○ぶり(惚り)、プリる」と評しますが、あのときの私はまさに、凹天さんにプリていました。なんとかして凹天さんのことを地元の方々に知ってもらいたいという一心で、旧友の宮国優子と一緒に埼玉や千葉へ行き、野田市広報の北野さん、最晩年のお弟子さんたち、漫画史研究者の清水勲さんなどを訪ね歩き、作品が保管されている神奈川の川崎市民ミュージアムも回りました。
 
 いろいろな方々の理解と協力があって、2009年秋に宮古島市総合博物館の主催で凹天さんの企画展が開かれました。主軸となった学芸員の小禄さん・川上さん渾身の展示を観たときには、ありがたい気持ちでいっぱいでした。いつか宮古島に帰ってみたい、と親しい人だけに話していたという凹天さんも、天国できっと喜んだことでしょう。
 
 最近、テレビの特集で、岡本太郎の秘書で養女の岡本敏子さんが紹介されていました。太郎の芸術を人々に広めることに、情熱を燃やし続けた生涯。その敏子さんの気持ちが、今なら少しだけ分かるような気がします。
 
 宮古関連でも、きっとまだまだ、あまり知られていないエピソードが埋もれているはず。そんなことを発掘して、みんなに教えたい!というマニアックな人が増えていくと楽しいなあ、と、凹天ぷりむぬの私は今日もあれこれ考えているのでした。

稲垣国三郎レポート(vol.2)

あすなろ(平良・東仲出身)

 ぴゃむぬやー  あんちーかんちー すーうつかー いちにんぬ
(早いものですね)(あれこれ)  (しているちに) (一年が)

 たちうーだら
(過ぎてしまった) (浦崎安常方式書き方)

 思いもよらない出来事があり、1回目のレポートから、あっという間に1年が過ぎてしまいました。今回は稲垣少年の生い立ちから愛知第2師範学校入学までをレポートします。

<1回目のレポート概略>
 「宮古島市最古の映像に関する一考察」ー「研究紀要」第89号(2015)抜刷ー(片岡慎奏・宮国優子共著)に書かれている稲垣国三郎(「ドイツ皇帝博愛記念碑建碑60周年式典の開催に大きな役割を果たした人物)について宮国優子さんから聞く。調べるうち現在自分が住んでいる愛知県安城の出身であることが判明。彼は「ロベルトソン号」「久松五勇士」に深く関っている。それらに深く関わる動機づけは何だったのか?彼の幼年時代から晩年までレポートし種々の疑問にせまっていこうと思う。

 
2 稲垣国三郎の生涯
 
(1)幼年〜少年時代
 
 中秋の9月19日。一人の少年が産声をあげます。その名を国三郎。明治19年といいますから、前年の18年は第1次伊藤博文内閣が発足します。父、兼吉(かねきち)母、(しゆう)の長男として、愛知県碧海郡大字古井字本神(ほんじ)で生をうけます。
 
 父、兼吉は名古屋(?)から稲垣家に婿養子で来たと親戚筋の稲垣S子さん(85歳)は証言。今の所、二男二女の兄弟だった事が古井町にある憶念寺の墓石から想像でき、この墓石は国三郎本人が建立したと刻印されています。
 
 弟、六三郎は明治25年に、妹、ことは明治27年亡くなっています。残念ながら長女の名は判明しません。個人情報の「壁」が無かった以前なら簡単に判明した事が現在では調べるのに一苦労します。
 
 私の井蛙さも手伝って、稲垣少年は明治27年4月、安城村立尋常高等小学校に入学したものと思い込んでいました。過ちに気付いたのは、同じ古井村の出身で『汗堂回想録』を著わした岩瀬和市氏(注1)の本の存在です。
 
 国三郎の5歳年下で近所に住んでいた岩瀬和市氏が「私は明治32年4月に桜井尋常小学校に入学し、桜林(おうりん)高等小学校を2年で中退した」と記しています。まさか、まさか・・・?
 
 私が古井の歴史に精通していれば陥るはずのない単純なミス。ここで歴史に興味のある方の為に若干長くなりますが、古井歴史研究会(安城市)の石原Tさんの文を引用しながらミスの原因を探したいと思います。
 
 「信長・秀吉が天下統一した時代にあっても、三河地方の支配者は徳川(松平)一門であった。1603年江戸幕府開設によって武家政治260年余歴史の幕開けとなったが、徳川出身の武将は大名・旗本として日本各地に領地を所有し、古井の地は堀内村(隣村で桜井村と古井村の中間に位置する=筆者引用)と合わせて1千石。本多対馬守(ほんだつしまのもり)の旗本領となり、明治維新に至るまで一貫して本多氏によって代々領有された」とあります。つまり、古井村と安城村は領地が違うのです。安城村は旗本、久永内記信豊(ひさながないきのぶとよ)の領地で、明治39年の町村合併まで古井村は桜井村と同領地。ビックリ仰天!
 
 稲垣少年の通学は安城村ではなく、桜井村に通学していた事が判明します。『桜井村史』(昭和18年発行)(注2)には其の事がしっかりと明記されています。古井町は以前「日本のデンマーク」と呼ばれた安城市の南東に位置し、明治時代は戸数180戸、のどかな田舎まちでした。『汗堂回想録』から当時の古井を覗くと、国三郎の少年時代も見えてきます。
 
 『回想録』によりますと、村を二分する大事件が発生します。引き金となったのは前記の町村合併。安城村に近い北部の願力寺派、桜井村に近い南部の憶念寺派に分かれて壮絶な戦いが展開されます。
 
 この事件が、後に国三郎少年が通った小学校を間違える原因になるという訳です。「国三郎は経済的に恵まれなかった。篤志家によって経済的な援助を受けていた」古井歴史研究会の杉浦T氏は解説します。
 
 国三郎は明治27年4月、桜井村立尋常小学校に、明治31年4月に桜井村立桜林(おうりん)高等小学校に入学し(いずれも4年制)同校を明治35年3月に卒業したと思われます。(現在、確認されていません)
 
 ここで、解明できない空白の1年が存在します。彼は明治40年3月「愛知第2師範学校」の本科(4期生)を卒業した事が判明しています。『同窓会名簿(平成15年8月)』(愛知教育大学同窓会発行)同校も4年制ですから明治36年4月の入学と仮定すると1年間の空白の説明がつきません。
 
 国三郎には「愛知第2師範」に入学する必然性がありました。県立の同校は1899(明治32)年に開校しますが、就学人口の増加により教師の育成が急務となります。「愛知第2師範」は全寮制で且つ「生徒学資支給規定」により生徒への食費、被服費、雑費が支給されています。学力優秀で、経済的に恵まれなかった彼にとって同校への入学は必然だったという訳です。 次回は「愛知第2師範」入学から「沖縄県師範」に赴任するまでをレポートします。

(注1)
岩瀬和市
1891(明治24)年〜1985(昭和60)年。
安城市古井町出身。大正・昭和時代の農協運動家。安城農協組合長。
昭和5年農協組合の更生病院を設立。『汗堂回想録』の著者。

(注2) 
『桜井村史』
 昭和18年に発行した村史。534頁に「第24学区は桜井、古井、堀内、東町の4箇村に変る所なく、桜井尋常小学校と称した」536頁には「明治26年4月に至り、桜井、古井、藤野、小川、三ツ川、赤松、城ヶ入の7箇村は組合を結んで桜井村字桜林50番に桜林高等小学校を設立・・・」とあります。

お知らせ

◆4月6日(木)〜7月2日(日)まで

 京都国際マンガミュージアムで「にっぽんアニメーションことはじめ」展が開かれます。国産アニメーション誕生百周年を記念し、下川凹天をはじめとする「動く漫画」のパイオニアたちを紹介しています。凹天トリビュートアニメーション集の上映や、現存が確認される日本最古のアニメーションフィルム『なまくら刀』(幸内純一による1917年発表作品)の上映も行われます。

◆4月8日(土)18時30分開場、19時00分開演

 エフエムみやこ開局15周年記念「スリーハンサムズコンサート2017」がマティダ市民劇場で開催されます。スリーハンサムズは「ふきのとう」の細坪基佳、「NSP」の中村貴之、平賀和人の3人のメンバー。70年代にフォーク大好きで青春を過ごした人にとってなんとも豪華なメンバーですね。年に6〜7回コンサートを開催しているそうで、「会場全体で大合唱なんてことも多々ある、アットホームなコンサート」とのことです。前売り:4,000円、当日:4,500円販売場所:TSUTAYA宮古島店・ブックスきょうはん宮古南店・カラオケハウスLOVEソング・キースポット・ブティックR・イーウェイブ・エフエムみやこ

◆4月15日(土)

 平良図書館北分館では「ビブリオサロン」が開催されます。今年から毎月第3土曜日の午前中に試験的に行っているもので、サロンタイムは館内にBGMが流れ、フタ付きのドリンクが持ち込み可能です。今月のミニ展示は「郷土の歴史と偉人たち」。明治時代後期から現在にかけての宮古ゆかりの文化人などを年表形式で取り上げ、関連図書の閲覧・貸出も行います。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 最初にも書きましたが、くま・かまを始めてから16年が経ちました。ぴゃーむぬやー(早いですねー)。創刊当初から読んでくださっている方、あるいは最近からという方もいらっしゃると思いますが、まーんてぃ、たんでぃがーたんでぃ。(本当にありがとうございます。)どうぞ、これからもよろしくお願いしますね。
 
 宮古では4月2日に与那覇前浜ビーチで「海開き」が行われました。ぞうわーつき(良い天気)でしたが、風は冷たい日でした。でも子どもたちは元気いっぱいで遊んだようです。夏はもう うまがみぎー(そこまで)来ていますね。
 
 3月23日は、新良幸人×下地イサム SAKISHIMA meeting のライブがジャングジャングであり、行ってきました〜。二人の軽妙なおしゃべりと新発売のアルバムからの曲、懐かしい楽曲など。生の演奏、唄声を十分堪能しました!
 
 さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
 
 あば本舗さんの「まゆがま日記」は久しぶりでした。ハナちゃん、元気そうで何より!もう19歳になるんですね。「てぃんがなす からぬ つとぅ(神様からの贈り物)の時間のように思えるのである。」の最後の言葉に、胸が熱くなりました。ハナちゃん、これからも元気で!
 
 あの話をもう一度は、郁乃さんの下川凹天さんのお話しでした。今年は、アニメ生誕100年。日本で最初のアニメを作ったといわれる下川凹天さんにも注目が集まっていることから再掲載しました。郁乃さんの情熱には頭が下がりますね。「ビブリオサロン」と「にっぽんアニメーションことはじめ」展のお知らせも書いてくださいました。
 
 あすなろさんの「稲垣国三郎レポート」の第2弾は、幼年から少年期でしたね。細かいところまで調べ上げて素晴らしいですね。次回は、いよいよ沖縄との関わりが出てくるようです。宮古ともどう繋がっていくのか、楽しみです。
 
 宮古には、毎日のようにイベントがあって、身体が二つほしいと思うことままです。イベント情報の告知など、どうぞご利用ください。あ、以前お金がかかりますか?と聞かれたことがありますが、無料ですよ。どうぞ、お気軽に!よろしくお願いします。
 
 さぁ、貴方はどんな感想を持たれましたかー?ぜひ、感想をお寄せください!
 掲示板投稿まい まちうんどー(お待ちしています)
 
 きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
 (きょうも 最後まで  読んでくださり ありがとうございました!)
 
 次号は4月20日(木)発行予定です。
 どうぞ、お楽しみに! あつかー、またいら!