くまから・かまから vol. 387

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 こんにちは!
 ゴールデンウィーク真っ最中ですが、いかがお過ごしですか?
 vol.387お届けします。ぬかーぬか(ごゆっくり)ゆみふぃー さまちよ〜(読んでくださいね)。

鹿児島つながり

クイチャーマン(下地・与那覇出身)

 4月23日に開かれた第33回全日本トライアスロン宮古島大会に、妻の友人で鹿児島に住んでいるSさんが久しぶりに出場し完走した。Sさんは24年前、妻が病院の看護の現場を離れ、看護教員に転職する際、鹿児島で半年間受講した研修で、まーつき(いっしょに)学んだ仲である。その縁で、Sさんが20年ほど前に初めて宮古島大会に出場し完走を果たした翌日、浦添のわが家で一泊してもらい交流した思い出がある。
 
 24日の新聞にトライアスロンに出場した1,552人のうち完走した1,263人(完走率81.4%)全員の記録が掲載されていたので、Sさんの名前を探した。Sさんは昨年還暦を迎えており、その年齢を考慮して最後尾から上位に向かって、名前を指でなぞっていく。それは正解だった。ほどなくSさんの名前を見つけた。3キロの水泳、155キロの自転車、それにフルマラソンの合計タイムは13時間で、順位は900番台後半あたり。それは制限時間まで30分を残しての記録であった。
 
 ゴール前で首を長くしてSさんの到着を待っていたのは、初めて宮古島を訪れたという奥様。二人は仲良く手をつないでゴールインしたという。うやますむぬいら(羨ましいね)。奥様は看護職を最近定年退職したそうで、那覇経由で鹿児島へ戻るめでたい二人を囲む夕食会を妻が計画し、4人で乾杯した。妻も3月末に退職したので、時間を気にせず穏やかな歓談が続く。鹿児島のことばの抑揚が沖縄のそれと似ていることに改めて気づき、親近感を覚える。Sさんはこれからも年齢制限の65歳まで宮古島大会への挑戦を続けるという。
 
 折から沖縄で第140回九州地区高校野球大会が開かれており、沖縄の4校を含め九州各県から18校が参加し熱戦を繰り広げていた。この大会は年2回、春と秋に開かれ、回数は通算される。140回と多いのはそのためである。周知のとおり秋の大会でベスト4に入ると翌年の甲子園のセンバツ大会に推薦されるので球児や関係者は総力をあげるが、春の大会は夏の甲子園に向けた戦力の確認・調整といったところだ。
 
 沖縄県勢は初戦で興南が鹿児島実業に、沖縄尚学は2回戦で秀岳館(熊本)にそれぞれ敗退した。未来工科はベスト4をかけた3回戦で神村学園(鹿児島)と対戦したが、0対3で敗れた。唯一ベスト4に進出した美里工業も、27日の準決勝戦で神村学園に挑んだが、わずか1安打に封じられ、0対7の7回コールドで負けた。私はこの試合、セルラースタジアム那覇で美里工業の大勢の控え選手や父母と共に応援していた。
 
 28日の決勝戦は鹿児島実業(鹿児島大会2位)と神村学園(同1位)の鹿児島県勢同士の対戦である。普段、沖縄県勢のいない試合の応援に行くことはないが、Sさんとの鹿児島繋がりで、私は再び球場へ足を運び、美里工業の分まで頑張ってほしいという思いで3塁側の神村学園の応援席で父母の皆さんと一緒に応援した。このとき、予期せぬ応援風景に接して興奮するとともに一つの確信を得た。
 
 神村学園の応援スダンドには約20人の父母が鹿児島から駆けつけていた。父母たちは味方の攻撃のとき、一斉に立ち上がり、打席に選手が入ってから出るまで、フルネームで選手の名前を大きな声で呼び、応援スティック風船(空気の入った固めの棒状のもの)を両手に持って打ち鳴らした。例えば「鹿児島太郎、パチパチパーチパチ」と一定のリズムで、初回から最終回まで同じように繰り返した。私はフルネームのあとのパチパチに合わせて指笛を吹き鳴らしリズムを付けた。
 
 このような神村学園の応援方法は、私が少人数の応援団の臨時団長を名乗り出て宮古島球児の応援をするときに、手拍子を添えて「かっせーかっせー健吾」(かっせーはかっ飛ばせーの短縮形)などと選手の名前を呼び、あとから父母も同じように繰り返すのとほぼ同じである。違うのは、神村学園はフルネームで呼び宮古は名前で呼ぶ点だ。宮古では「あららがま!」「わいどー!」との掛け声も応変に入れる。
 
 試合は神村学園が3対1で鹿児島実業に勝ち3回目の優勝を実現。私は歓喜する父母に「おめでとう!」と声をかけて祝福した。「皆さんの選手名を呼ぶ応援は、私たちの宮古島球児への応援と似ていています。感激しました。シンプルですが、素晴らしい。選手に勇気を与えると思います」と伝え、閉会式・表彰式まで見届けて球場を後にした。
 
 今回のSさんとの再会、鹿児島つながりの応援を通じて、いつまでもチャレンジ精神を持ち続けることの大切さを学び、これまでの自分の応援方法への確信を深めた。んなまからどぉー!(今からだぞう!)私の胸には夏の甲子園を目指す宮古島球児の応援に向け、熱いものが燃え始めている。
 
 ※(ちなみに、4月11日に行われた鹿児島県大会の決勝でも神村学園と鹿児島実業が対戦し、神村学園が優勝している。そのときの応援風景が神村学園のホームページに動画で紹介されている。全校生徒による華やかな内容で、選手のフルネームの連呼はなかった。私が確信したのは、控え選手もスタンドにおらず、父母など少人数の応援団の場合の応援方法である)

◇あの話をもう一度

宮国勉(城辺・西城出身)

「きーぱぎっ(竹馬)」 vol.242 2011/4/21

 きーぱぎっとは宮古島の与並武(ゆなんだき)地域で“木の脚”の意味から竹馬のことである。

 宮古島では、きーぱぎっになる太さの竹が乏しいので、木で作っていた。二本の棒に、それぞれ適当な高さに足がかりを造ってそこに乗り、両手で棒の上部を握って歩くものが竹馬である。
 
 竹馬は昔からある遊び道具の一つで、道具の名前がそのまま遊びの名前にもなっている。私の年代には、とても懐かしい遊びだが、現代っ子には、あまり馴染みのない遊びかもしれない。また、昔は葉の付いた竹の元のほうに紐をかけ、これを馬になぞらえて幼児がまたがって遊ぶものを指して竹馬と呼んでいたらしい。
 
 竹馬の仲間には竹を短く切って紐を付けたもので“竹ぽっくり”と呼ばれるものがある。似たもので、缶詰や粉ミルクの空き缶に穴を開け、そこに紐を通した “缶ぽっくり”はよく作り乗って遊んだ。また、大道芸人の足長おじさんで見かける手を使わない“西洋竹馬(スティルツ)”も仲間である。地鎮祭の時、神主が履いて儀式を行う木靴は木材をくり抜いて軽くし、形を丸く整え漆塗りしたものも“ぽっくり” で きーぱぎっ(竹馬)の仲間である。
 
 子供の頃には きーぱぎっの材料探しに色々と苦労した。材料として選ぶのは すぅんびー(真っ直ぐ)とした素性の良い木で、細くても腰が丈夫な木でなければならない。
 
 手近にあったのは もくまおうぎー(トキワギョリュウ)だが、枯れると釘が打てないほど硬くなり扱いにくい。まつぎー(リュウキュウマツ)は、くの字に曲がっているものが殆どで、ヤニも出ることから適さない。ばんちきらぎー(グワバの木)は実が成るときの楽しみを捨てる覚悟がいる。うぎゃすぎー(モクタチバナ)は意外に真っ直ぐだが末(上部)と元(下部)の太さの差が大きく、折れやすく腰も弱いので役に立たない。しょうじぎー(ソウシジュ)は当時低いものが殆どで、使えるようなものは見当たらなかった。また、丁度よい太さや長さのものがあっても生木の時は腰が弱く、きーぱぎっには使えない。たまうぎー(サキシマハマボウ)は、やはり曲がって節も多く、きーぱぎっにならない。がざまぎー(ガジュマル)も太さや腰の強さに問題がある。
 
 つっつぁぎー(ヤブニッケイ)はウタキ(御嶽)に手頃な物が多いけれど、神様のいる森の樹はバチが当たるので切るわけに行かない。しんだんぎー(センダン)は余程太くならないと強度不足で、挽き割ってまで使う贅沢はできなかった。ゆすきぃぎー(イスノキ)は一軒に一本、庭に植えてあり、クバ(ビロウ)の葉を巻いて水の供給用として大事にしているので全く話にならない。やらうぎー(テリハボク)は植樹したものが殆どなのでヤマバンシュー(山の番人爺)に隠れて切り倒し枝葉を あだんぎーぬみー(アダンの木の藪)又は ぎすきぎー(ススキ)の中に投げ捨てて知られないよう処理しなければならない。
 
 きゃーぎぎー(イヌマキ)は家の建て替えようとして植えてあるのが普通なので、余程のことがなければ切らせてはもらえない。家の柱となるべき きゃーぎぎーを2本も犠牲にして竹馬に変身させることは子供ながらも気が引けた。結局、やらうぎーときゃーぎぎーが適した材料であり、きーぱぎっ製作には一大決心をした。
 
 現在では作らなくても鉄パイプと強化プラスチックで出来た、カニぱぎっ(鉄脚)が三千円程度で市販されている。格好も良く高さもワンタッチで変えられる機能性の良い優れ物である。おまけに初心者の練習用に後ろに倒れにくくした補助脚付まである。
 
 まーだ んきゃーんのくと やーすが ばんまい かたぱぎしー たちうーてぃ すたのむぬう とずくとまい うむーが にゃーん しらいたー(遠い昔のことだが、私も一本足で立ち思いのままに、下の物を取ることまで自在に出来た)
 
 んなまー うぷばたー いだしー うながいんまい なりぅーば しらいんがらまい っすさいん(今では太鼓腹を突き出して、期間も過ぎて出来ないかもしれない)
 
 んきゃーんの やらびぇー かたてぃーんな むーむむち んにゃ かたてぃーんな ぴずちきのー むちなー きーぱぎっん ぬうりぅたーば(昔の子供達は、片手には芋を持ち、もう一方の手にはニンニクの漬け物を持って竹馬に乗っていた)
 
 きーぱぎっの うむーが にゃーん ぬうらいつかあ うとぅとぅのきゃーん 「うかーす あざ」てぃ がありーみしってぃ わざぉーあみだし ぬーりみしたー(竹馬の乗りこなしが思いのままになり、弟たちに自慢して見せ、「たいした兄貴だ」と云われるのを期待して技を作って乗って見せた)
 
 ぴょうすーんな かいらでぃ かいらでぃてぃー うりってぃ しまいんな ぶりんきかいり みぱなしー ずーんつき にゃーんにば ぱずかすむぬ(時にはヨタヨタとしていたかと思うと終いには、顔で地面に着陸して恥をかくこともあった)
 
 踊りや身のこなしが上手でない人に対して えーい きーぱぎっ(木で出来た脚みたい=へたくそ)と云いけなされる。動きがまるで木で出来ているかのようでぎこちないという意味でよくぞ言い当てたと感心するほどである。
 
 私などは運動会の走りは全て遅いので どぅが ぱぎっぬど まーんてぃーの きーのぱぎっどぅ やーたー(自分の足が木の脚そのものであった)。

ついに訪れた ぱいぬ すま(南の島)(投稿)

Captain Anuhea(東京都出身)

 3年前、宮古島に行ったことがないまま、みゃーくふつについて卒論を書いた内地ぬ ばかむぬです(vol.316 2014/5/15発行参照)。15年3月、ついに初めて宮古島を訪ねたときの日記(?)が出てきましたので、投稿します。
 
 おのぼりナイチャーの宮古珍道中、はじまりはじまりー。
 
 機内で『読めば宮古』を読み返して、「〜さいが」「〜(して)いい式?」「だからよ」のような頻出語句を復習した。今までの僕は、共通語を直訳した宮古口しか口にしていなかったので、こういう口語表現はぜひ覚えていく必要がある。読み書きだけの語学力ではなく、これからの宮古口学習には、聞き話す能力が大事なのだ、と昨今の英語教育論を鑑みた。聞き取る能力が大事なので、頭を宮古口モードに切り替えるべく、ipodのプレイリストを「イサム&暁シャッフル」にした。
 
 すとぅむてぃ しゃーか ぬ(朝早くの)飛行機のせいで、すとぅむてぃ から ぴす゜まがみ のーまい ふぁーれーんまま(早朝から昼間まで何も食べられないまま)、宮古入りした。ついに宮古島である。
 
 facebookに「んなまから伊良部大橋んかい行かでぃ!(今から伊良部大橋に行くぞ!)」と投稿して(とーんまい読まれーんたずぱず(誰にも読めなかったに違いない))、レンタサイクルでパイナガマから390号線を走り出した。
 
 宮古には山がないと聞いていた僕は完全に油断していた。パイナガマを過ぎてすぐ、ものすごい坂道に直面した。おごえっ!(げえっ!) 普段なら動じないところだけど、借りていた自転車はタイヤが小さいので、漕いでも漕いでも まい ん すすまれーん(前に進まない)! やっとこさ坂を登りきり、休憩を決め込むため島の駅に入り、買い物をし(内地で見つけられなかったイサムさんの『心のうた』を買い、初めて『ミャークスマフツ辞典』の実物を見た)、雪塩サイダーを外のスタンドでぐびぐびっと飲んだ。やっと訪ねた宮古島、景色はいいし、自転車は気持ちいいし、「上等さいが」と再び僕は、ご機嫌で自転車を漕ぎ始める。
 
 この時点で僕はもうすでに道を間違えていたのだけど、それに気づかないまま進んでしまった。徳洲会病院、Booksきょうはんを通り過ぎ、道がゆるいくだりになった。あば、ぴるますむぬ(あれ、おかしいな)、「伊良部大橋→」みたいな標識がないなーとも思ったけど、せっかく来たのだからもうちょっと行ってみようと漕ぎ続けた。空港南の交差点を知らずに通り過ぎるも与那覇湾を湾とは気づかず、対岸に見える半島を伊良部島だと都合よく思い込んでいたのである。そのまま(気づかずに)上地のあたりまで来てしまい、「来間大橋 3.6キロ」という標識を見て、自分がどんなに遠くまで来ていたのか知って愕然とし、かまりた(飽きた)。
 
 戻るのが大変でした。今度はゆるーい上り坂がずーっと続くし、漕いでも漕いでも自転車は前に進まないし、この後の待ち合わせの時間もあるし、ていうか初めての土地だし、というわけで上り坂が終わりになって、マックが見えたときはほんとに嬉しかった。四半世紀近く生きてきて、マクドナルドが見えてあんなに嬉しかったことはない。
 
 無事に390号線から帰還し、ざうかにさんの三線ライヴを見に平良のうさぎやさんへ。松谷さん、与那覇淳さん、神童さん、タイラーさんとご一緒させていただく。くまかまライターのみなさんを前に まーんてぃだいず(本当にかなり)緊張したのだけど、飛行機の中で必死に組み立てた挨拶(自己最長宮古口)を述べた。
 
 「んなまがみ ずーっと みゃーくずまんかい あすぷがき゜みーぶすち うむたず、やすが んなまがみ いっつどまい チャンスやあらったんにば、んなま くまんかい かんし んーなとまーつき ぴじーうずくとぅや だいず ぷからすむぬどー(今までずーっと宮古島に遊びに来たいと思っていたんですが、チャンスがなかったので、今こうしてここにみなさんと座っていることがとてもうれしいです)」
  
 僕が挨拶を終えると、場の空気が変わったのがわかった。みなさん歓迎してくださり、楽しくお酒を飲み、とても幸せな一夜だった。その後、ざうかにさんの音頭に併せてクイチャーの輪に参加した。イカスミパスタを食べた後の僕はお歯黒状態で、お歯黒のままニコニコとクイチャーをやっている写真が新里教室で回覧されたのだけど、それはまた別のお話。
 
 イサムさんは偉大である。
 
 うきなーぴすとぅしまい みゃーくぴすとぅしまい あらん(沖縄人でも宮古人でもない)、おまけに ばが うやくたー んーな関東の にんぎん やず(親類はみな関東に人間である)。そんな内地の ばかむぬ(若者)を、宮古の魅力に引き込んでしまうのだから。そんなわけで宮古滞在はイサムさんの歌詞に登場する箇所を訪ねる聖地巡礼になった。
 
 久松公民館の前では「おぉ、あれが『♪国民年金うさみふぃーる〜(国民年金収めてください)』のスピーカーか!」(「我達が生まり島」)と感動したり、パイナガマビーチでガジュマルの木にいそいそと近づいて、「♪ながからず みどぅんぬ たうきゃー がざんきーぬ すたん・・・うらん!(長い髪の女性がひとりガジュマルの木の下に・・・いない!)」(「ネマの娘」)とがっかりしたり、
 
 カママ峰をぶらぶらと歩いて「♪んなま ばや たうけーし あすきう゜ー(僕いまひとりで歩くー)」(「カママンミ」)と口ずさんだり、島中のくまかま(あちこち)で僕はご機嫌だった。
 
 滞在中は隙あらば宮古口を使おうと画策していた。たとえば、「はい、いびっつぁさばきーぶす。くまから かままんみがみまい、あす゜きーぴりば(すみません、お尋ねします。ここからカママ嶺まで歩いて行ったら)何分ぐらいかかりますか?」とお尋ねし、
 
 「うう”ぁ のーてぃ みゃーくふつう ぱなしぅ?(あんたどうして宮古口を話すの?)」なんて聞かれた日には袖をまくって「ばや いびっつぁがま みゃーくふう勉強すたす゜(僕は少しだけ宮古口を勉強したのです)」と答えていた。
 
 それにとどまらず、調子にのっていた僕は、「たんでぃ、ばっしーやならん、かんし 大和ぬ ばかむぬ まい みゃーくふつー まなびーうす゜どー(どうか、忘れてはいけません、このように内地の若者も宮古口を勉強しているのです)」などど不遜にも口にしていた。どうもすみません。
 
 調子に乗っていた節は多々あるが、「まいふか まいふか(いい子いい子)」と言ってくださる方もいらっしゃいました。だいず ぷからすむぬ(とっても嬉しい)。
 
 東京ぬ ぷかんな んざんまい いっつどまい 住み―うたくとぅやにゃーん ばや(東京の外にはどこにも一度も暮らしたことのない僕は)、きれいな海も、片手で数えられるほどの回数しか見たことがない。来間島を望む海岸で、生まれて初めて海岸の砂地に風紋を見た。なんだかとても神聖で犯してはいけない気がして、僕は尋ねた。
 
 「土足で降りていい式?(土足で降りていいんですか?)」

おしらせ

ジョン・ナカマツ ピアノリサイタル

日 時2017年5月6日(土)開場:午後1時30分 開演:午後2時
内 容「ジョン・ナカマツ ピアノリサイタル」がマティダ市民劇場にて開催されます。ジョン・ナカマツ氏は、沖縄系移民3世で「ヴァン・クライバーン国際コンクール」(第10回1997年)の優勝者。きょう4日は沖縄コンベンションセンター劇場棟で開催され、6日(土)は宮古でのリサイタルになります。ぜひお出かけください。
入 場前売り:3,500円  当日:4,000円
プレイガイドTSUTAYA宮古島店、ファミリーマート他

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 先月23日は「第33回全日本トライアスロン宮古島大会」が開催されました。4度目の出場となる友人のご主人Hさんと模合仲間のAさんの応援をしました〜。Hさんは、今回初完走!Aさんは、宮古女子の一位でした!感動のレースでした。また、ボランティアの皆さんの活動も素晴らしいものでした。夜も ふぁーっふふぁ なり からぬ(暗くなってからの)市場通りでは、高校生が声が枯れるほど大きな声で選手の皆さんに声掛けをしていました。こちらも感動でした。アスリートの皆さん、ボランティアの皆さん、長い一日、お疲れ様でした!
 
 30日「第3回とうがにあやぐ大会」がカママミネ公園で行われ、予選を勝ち抜いてきた20人のみなさんが、唄、三線を競いました。下は小学生から上は61歳までの皆さんは緊張しながらも一生懸命歌い上げていました。今年の優勝者は高校生の仲間まひるさんでした。ばんたが(我らの)マツカニさんもスタッフとして頑張っていましたよ。
 
 同じ30日、くまかまライターの神童から悲しいおしらせが届きました。宮古のでのオフ会に毎回のように参加してくださり、励ましてくださっていたひでおさんが亡くなられたと。昨日は告別式があり行ってきました。たくさんの方がお別れを惜しんで訪れていました。遺影の写真は、ひでおさんらしいにこやかな笑顔。優しいお人柄が表れていました。心よりご冥福をお祈りいたします。
 
 さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
 
 クイチャーマンさんの鹿児島繋がり、縁ですね!それをまた大切にしていらっしゃって。ご夫妻も喜ばれたことでしょうね。チャレンジ精神の大切さを私もHさんを応援して感じました。野球は応援に目がいくのはさすがですね。これまでの応援の仕方がとても良いというのが証明されましたね。
 
 明日は「こどもの日」という事で、あの話をもう一度は、宮国勉さんのやらびぱだ(子どもの頃)、竹馬を作り、遊んだことの話を再掲載いたしました。昔は、特に男子は身の回りにあるもので何でも作っていましたね。懐かしく思い出された方も多かったのでは〜。
 
 3年前、Captain Anuheaさんがみゃーくふつについて大学の卒論で書いたことを投稿してきてくださった時も大変驚きましたが、宮古に来てみゃーくふつのあいさつをした時も、まーだびっくりでした。Captain Anuheaさんは、今も新里博先生の「宮古方言研究会」に通って勉強を続けているそう。今後も楽しみです!
 
 今月6日にジョン・ナカマツピアノリサイタルがあります。世界的に著名なアーティストが来島するのはなかなかないこと。この機会にぜひ!
 
 貴方はどんな感想を持たれましたかー?ぜひ、感想をお寄せくださいね。
 掲示板投稿も どんないお待ちしています!
 
 きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ!
 (きょうも 最後まで  読んでくださり ありがとうございました!)
 
 次号は5月17日(木)発行予定です。
 きょうも、一日、がんづぅかり うらまちよー(お元気でいてくださいね) あつかー、またいら!