こんにちは〜。
残暑厳しい宮古ですが、そちらは、のーしーがらやー(いかがですかー)? vol.417お届けです。
お楽しみくださいね〜。
んなま しれーくとぅ(今できること)を
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
沖縄県では2006年に「しまくとぅばの日」条例が制定され「く・とぅ・ば」の語呂あわせで9月18日が「しまくとぅばの日」となった。これにより議会や行政機関がしまくとぅばの継承に取り組む姿勢が県民に示され、その後、各地域や県文化協会及び各市町村の文化協会を中心に関連の行事が盛んになっている。まーだぷからすむぬ(まことによろこばしい)。
そうしたなか、2009年にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が世界危機言語地図にアイヌ語と八丈、奄美、国頭、沖縄、宮古、八重山、与那国の8言語を記載したのを契機に、文化庁と関連の自治体、大学などが主催・共催して「危機的な状況にある言語・方言サミット」が数年前から開かれている。昨年の同サミット「北海道大会」の様子などはこの『くま・かま』誌上でも報告があった。
そして、いよいよ今年11月24日(土)には「宮古島大会」が開かれることになっている。うばいがうばい、あてぃぷからすむぬ(なんとなんと、とてもよろこばしい)。基調報告や具体的な実践内容の発表など、今後の取り組みにも大きな示唆を与えてくれるものと期待している。皆で協力して盛り上げ、大成功させたい。ばんめー うんな いかってぃーどぅ うむいゆー(私もそのときは行こうと思っている)。
宮古島では合併前の平良市文化協会主催の「方言弁論大会」が1994年(平成6年)から開かれ、合併後は宮古島市文化協会に引き継がれて「鳴りとぅゆんみゃ〜く方言大会」になり、今年は25回目の記念大会だった。この催しは県内の方言の継承・普及・発表に関する先進的な取り組みとして高く評価され、類似のイベントが県内に広まっている。宮古島の学校現場でも創意的な活動が展開されていることは素晴らしい。JTAの添乗員が機内アナウンスで少し方言を交えて挨拶していることも好感が持てる。
あんすぅが(しかしながら)、先進的な取り組みを踏まえつつ、もっと身近なところで、んなますぅだかーならんくとぅぬどぅ あー てぃーどぅばーうむう(今やらなければならないことがあると私は思う)。宮古島の各地域で自由に方言を話している、または話せる世代の生き生きした言葉を録画し、DVDなどに記録保存したい。話せるお年寄りの皆さんがお元気なうちに可能な限り多く収録したい。
方言辞典も結構だが、方言には文字化できない要素が多く、抑揚や話す表情、発音する口元の動きなども含めて、丸ごと記録しておく。そうすれば、次世代のための教材や研究の素材などとして活用できる。言い方を変えれば「生きた方言の化石」を残す事業を、行政や自治会が予算化し、地域の人材を活用して推進してほしい。例えば、下地であれば、与那覇、上地、川満、洲鎌、高千穂、入江など違う方言ごとに取り組むことが大切だと思う。
2013年7月7日から、『沖縄タイムス』紙上で「うちなぁタイムス」(週刊しまくとぅば新聞)が毎週1回掲載されている。その第2号(7月14日)の紙面に、琉球大学のかりまたしげひさ教授が「シマクトゥバって何?」のコラムの1回目に登場し「弱小方言 消えゆく個性」の見出しで示唆に富む提言をしているのに私は胸を突き動かされた。
教授は、「琉球列島の個性的な特徴を持つ方言の多くは弱小で、個性的であるほどその個性は平準化されやすく、大方言に吸収されやすい」と指摘している。コラムの結びでは「いま必要なのは“琉球語”と総称される抽象的な言語の継承ではない。ましてや琉球語あるいは沖縄語=ウチナーグチと称して特定の方言を押し付けることでもない。“ウチナーンチュ”と総称される、顔のみえない集団ではなく、個性を持った個々人の生まれ育った土地のシマクトゥバの継承だ。」と述べている。かりまた教授はその後も宮古島市文化協会の催しなどで具体的な提言などをされているという。それらも参考に、今できることを考えて、実践していきたい。
「んなましれーくとぅ(いまできること)」として、私自身はホームビデオ用の小さなカメラでふるさとの長老のことばを記録する活動を始めている。まだ緒についたばかりだ。去る7月には与那覇湾で開催された「第28回サニツ浜カーニバル」に参加した際、ゆなばむぬす゜(与那覇の方言)の話者、80歳代の先輩5人と会合を持ち、記録・保存に向けた話し合いを進めた。すぐに具体な取り組みには発展しなかったが、今後も継続して取り組みたい。頻繁に里帰りできない状況があるので、沖縄本島在住の与那覇や下地、宮古島出身者による「方言ネットワーク」のようなものを組織して、故郷の皆さんと連携した取り組みができるといいが、と思いを巡らせている。
◇あの話をもう一度
菜の花(伊良部町仲地出身)
「島の景色〜思い出の入り江〜」 vol. 262 2012.2.16
ゆるゆると潮を湛える入り江。
こまかた(此処方)と、かまかた(彼方)のちょうど まんなはん な(真ん中には)おぽそ(大潮・海の意)に強い海岸樹がしがみつくように生える おぽーぷ の しー(大きな岩)。その時の風の向きと つぅさ(強さ)によって、大きな岩を回るように潮が流れる。その潮の流れを対側の流れが押し戻していく。
たるまいみーん(誰もいない)入り江は静寂の世界。潮の満ち引きは、昼の陽光の下で、または夕陽の頃に、んなぐ(砂)の堤防を崩しながら入り江を出たり入ったりする。あとには蛇行して流れる潮の足跡が、見事な自然の芸術作品となって描かれ、島の入り江を縁取る。
私は たうきー(ただ一人で)静かに入り江を眺めていた。幸せな気分のまま、すうっと目が覚めた。
島に居た頃、ぷからすくと(嬉しい事)があった時、かさますくと(嫌な事)があった時、時間をもてあました時、思いつくままに向かう渡口の浜の いみ(夢)だった。
そー(潮)の満ち引きで流れに落ちる砂の音は、大海の香りを伴い、私一人しかいない ぱま(砂浜)に大きく響いた。自然の奏でる音と かざ(香り)は、見るごとに違う絵のようでもあり詩のようでもあり、私は飽きることがなかった。数え切れないくらい渡口の浜には ぱず(足)を運んだ。そこは私にとって自然と向き合う場所であり、自分と向き合える世界空間でもあった。
落ちていく夕日をぼんやりと眺めながら、満ちてくる潮の音を聞きながら、いろんなことを空想したり考えたりした。我に返ると、目の前にはいつも弧を描くように流れる入り江があった。その かぎさ(美しさ)にはやらび(童・子ども)ながら心から感動した。
渡口の浜に行くたび潮の描く弧はいつも違っていて、この入り江には時間が形を成して行き来しているのだと、ものすごい発見をしたかのように思ったりした。それほど入り江に満ち引く潮の流れは、多感な頃の私にいろんなことを思わせてくれた。
島を離れても渡口の浜の思い出は私の心を慰めてくれるひとつだった。故郷の景色のひとつひとつに励まされて、これまでを過ごしてきたと言っても言い過ぎではない。
おぽいん(大海)から下地島と伊良部島との間を、出入りする流れの音や、砂地に弧を描くようにゆるゆる流れる潮の道も、流れが変わる時ジャボジャボと音をたてて流れに落ちる砂の堤防も鮮明に思いだせた。その様子を家族や知人に話すと「もう、何度も聞いた。」と呆れられた。
島に帰ると入り江に必ず向かった。お盆の帰省で まどのにーだ(時間がなく)行けない時は、内地に帰る直前に寄ってから港へ向かった。いつも変わらない渡口の浜の入り江に「おかえり。また内地で頑張って帰っておいでね」と、励まされているようで心が満たされた。
ところが。数年前、思い出の入り江が形を変えた。流砂防止のコンクリートの壁が、下地島側の砂浜から海に向かって突き出ていた。自然の潮の流れはコンクリートに阻まれ、弧を描くことはもう無かった。入り江の砂地は深く掘られ、流れは形を変えることなく真っすぐに入り江を流れていく。
色鮮やかなプラスチック製のカヌーが何艘も並んでいた。その光景に、私は思い出の景色を、もう二度と目にすることが無いことを知った・・・。
最近は、帰省しても渡口の浜を見ずに内地に戻ってくる自分がいる。以前では在り得ないことだった。ただ遺影を抱くように想い出を偲ぶようで、寂しさを感じてしまうことが哀しいのだ。
そんな時、南の島々を巡る旅を何年もしている知人から、宮古島に行ってきたと連絡があった。島巡りの最後に行くのは宮古島と決めていて、念願叶って宮古島に行ってきたとのこと。
知人から宮古島の話しを聞いて喜びながらも、渡口の浜に弧を描く潮の流れがなくてちょっとがっかりした、との話には後ろめたさのようなものを感じた。彼女は渡口の浜の入り江の古い写真を見たことがあり、私のぱなす(話)を聞いたことでますます行ってみたいと思ったと。
「人間の手が加わらない自然の素晴らしさは感覚で感じるから。宮古島っていろんな意味で観光都市だった。」賞賛にも皮肉にも取れる彼女の言葉に苦笑いした。
自然は一度形を変えると、元の姿に戻すことが難しいことは たーるまい(誰でも)知っている。誇れる自然に恵まれた宮古島ならではの、島の自然とこれからの在り方。
今年も島を訪れる多くの人に「宮古島って素晴らしい!」と言ってもらいたいものだ。
みゃーくふつ講座 〜病院や介護施設等で〜
松谷初美(下地・高千穂出身)
介護施設で働く人から、方言が分からず、年配の方とのコミュニケーションがなかなか難しいという話を聞いたので、今回病院や介護施設等で使われそうな方言を集めてみました。
◆〇〇〇ぬどぅ やむ(〇〇〇が痛い)
〇〇〇には体の部位が入る。
・かなまず(頭)・みー(目)・ぱな(鼻)・ぱー(歯)・かまつ(頬)
・すぅば(唇)・みん(耳)・かたむす(肩)・くさんみ(背中)
・くす(腰)・ばた(腹)・むむに(腿)・てぃー(手)・ういび(指)
・つぐす(膝)・あまんぶに(くるぶし)・あどぅ(かかと)・つみ(爪)
◆〇〇〇っし ふぃーる(〇〇〇して ください)
・うくし ふぃーる(起こしてください)
・みっずぅ ぬまし ふぃーる(水を飲ませてください)
・うりゅー あき ふぃーる(これを開けてください)
・病院んかい さーりーいき ふぃーる(病院へ連れて行ってください)
・しんしーゆ あびり ふぃーる(先生を呼んでください)
・たもー すぎ ふぃーる(ボタンをはめてください)
・つみゅー ふっふぁし ふぃーる(爪を切ってください)
・からっずぅ きっちぃ ふぃーる(髪の毛を梳かしてください)
◆食事について
・やーすーやーす(お腹がすいた)
・んきぎさまち(お召し上がりください)
・ばたんち どぅ うず(お腹いっぱい)
・のーまい ふぉーたっふぁ にゃーん(何も食べたくない)
・ぴっちゃやらばん んきぎ さまち(少しでもお召し上がりください)
◆味など
・すぅから すぅから(しょっぱい)
・あずまー あずま(甘い)
・あぱー あぱ(味が薄い)
・さぱーさぱ(味がない)
・にがーにが(苦い)
・んみくずーくず(胸につかえる)
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
ここ1ヶ月は、かたぶす(片降り)がよくあり、雨が毎日のように降っていましたが、数日、晴天が続き、残暑が厳しくなっています。内地では、あの猛暑はどこへやら、涼しくなっているようですね。
前号のメルマガは、vol.416でしたが、vol.415で発行してしまいました。大変失礼いたしました。ということで、今回は、vol.417です!
9月15日に、しまくとぅば県民大会としまくとぅば語やびら大会が沖縄本島(西原町)であり、行ってきました。県民大会では、しまくとぅば普及功労賞に10名が選ばれ、宮古からは、宮古島市文化協会推薦の与那覇冴子さんが受賞しました。冴子さんは、これまで、宮古テレビの番組で方言でニュースを伝えたり、方言でのバスガイドや方言大会への出場、劇団ぴん座での活躍等が方言の普及に大きく貢献したと評価され、受賞となりました。
それから、しまくとぅば語やびら大会には、第25回鳴りとぅゆんみゃ〜く方言大会で最優秀賞(市長賞)を受賞した下地政吉さんが出場。方言大会と ゆぬぐー(同じ)「キビこそ我が命」と題して話し、味わい深い伊良部仲地方言と軽妙な語り口に会場は盛り上がりました。
宮古毎日新聞のネット版で、お二人のことが紹介を読むことができます。
さて、今回のくま・かまぁ のーしがやたーがらやー?
クイチャーマンさんのお話しから方言を取り巻く、県内での状況がよく見えてきましたね。かりまたしげひさ先生の新聞の記事、それぞれのシマの言葉を大切にしてこそ。まさにと思います。そして、クイチャーマンさんがおっしゃる「んなま しれーくとぅ」としての録音、素晴らしいですね。今も今後も役に立つこと間違いないですね。
ここ2〜3年。観光客増大、建築ラッシュでプチバブル状態の宮古。伊良部大橋が出来てからの伊良部の変化は特に著しいものがあります。豊かな自然はそのままにと思いますが、とても難しいですね。今、菜の花の文章がとても、き゜む(心)に染みます。
方言を分かりやすく「使う相手」や「場所」によって体系的に伝えられないものかと常々思うのですが、難しいですね。方言を知りたい、理解したいという人向けに、ぴっちゃやらばん(少しでも)役にたつような講座ができるように考えていきたいと思います。
貴方の感想もぜひお聞かせください。
掲示板への書き込み、大歓迎です。投稿もお気軽に〜。
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜〜。
次号は、10月4日(木)発行予定です。
きゅうまい、ぱだーぱだ うらあちよ〜。(今日もお元気で)
あつかー、またいら〜。