こんにちは〜。
澄んだ青空に、トックリキワタのピンクの花が鮮やかです。 がんづぅかり うらまずなー(お元気ですかー)?
今号も幅広い内容でお届けします。 お楽しみくださいね〜。
稲垣国三郎レポート VOL6
あすなろ(平良・東仲出身)
くんどぬ ぱなすっさ 稲垣国三郎の 歴史の空白部分が
(今回の)(話は)
すさいたーてぃぬ ぱなす
(知ることができたという 話)
明治36年、15歳に成長した稲垣少年は1里(4km)の道程をひたすら歩きます。地元の古井村から目的地までおよそ1時間。その目的地は愛知県碧海(へきかい)郡志賀須香(しがすか)尋常小学校(現在の岡崎市立矢作南小学校)。弱冠15歳にしてこの学校の先生です。坊主頭の初々しい新米先生が、いたずら好きの悪童達とどの様に対峙したのか想像するだけでも楽しくなります。
経済的に恵まれなかった「彼」は自立心が高く、櫻林(おうりん)高等小学校4年の在学中に准教員免許(注1)を取得します。この頃から教師を意識していたと思われます。
「彼」の年譜作成に関わって3年弱。空白の2年間<櫻林高等小学校卒業(明35.3)〜愛知第2師範学校入学(明治37.4)>が埋まりました。嬉しい限りです。
この事が判明したのは、今年の6月15日(金)。沖縄県立博物館の学芸員をされている外間さんと打ち合わせを重ね、「国三郎」が同館に寄贈した資料(収蔵品目録〔登記番号9259〕)の葉書類数十枚を見せて戴きました。これ以外にも数多くの「彼」に関する資料を準備して戴き、新発見に繋がったというわけです。
多忙を極める外間さんには貴重な時間を作って戴き心から感謝いたします。本当に有難う御座いました。
この(2年間を埋める)資料は四百字の「漢文」で記されています。「送別の辞」の形を取り、「彼」が志賀須香尋常小学校在任中に「愛知第2師範学校」に合格したことを、当時の校長(大島定次郎)が激励しています。この「漢文」は異体字で記されており、今だ4分の1が未解読です。
脱線しますが、異体字の一例を上げますと、地名の「碧海(へきかい)郡」の「海」の字を「毎」の真下に「水」と入れて1字にし、「かい」と読ませています。さんずいを「水」に置き換えています。かなり、ややこしいです。明治時代の教養のある人達は漢文に精通していますので、遊び心で書いていると思われます。まーんて(本当に)やっかいだら!(厄介です!)現在、この厄介な「異体字」の解明の為に『古文書古記録難訓用例大辞典』と格闘中です。
「送別の辞」を要約すると、
(1)「彼」が古井村の出身である事。
(2) 成績優秀だった事。
(3)碧海郡立教員養成所を卒業後、赴任してきた事。(4)文芸誌に数多く応募し入選している事。将来は立派な教師になるであろう事、等々が綴られています。
ちなみに、「志賀須香」の地名は現在存在しません。この事を解読して下さったのは天野暢保(のぶやす)先生。先生は元安城歴史博物館長で、私も所属する古井歴史研究会の重鎮です。
その他の貴重な資料として『懐かしき沖縄』『首里城を救った男』を著わした野々村孝男氏寄贈の「国三郎」のアルバムです。沖縄県立図書館には数枚の写真しか有りませんが、ここ博物館には十数枚の写真が保存されており、このコピーも戴きました。2015(平27)年、野々村氏の遺族が寄贈されたとの事です。愛知第2師範時代の写真も含まれており、貴重この上ありません。問題は、野々村氏と「彼」との接点が未だ不明です。この解明が進めば、また新しい発見が期待されます。
その他には著名人との年賀状、葉書等のやり取りが数多く保存されておりました。この事は別の機会に報告したいと思います。他にも、昭和4年に撮影された『体育行脚』の題名の、宮古島の映像を見る事が出来、貴重な体験をさせて戴きました。
さても、得意の脱線をお許しください。6月15日(金)の外間氏との面談の日、車で道案内を兼ねて同行してくれたのは、アグ(友達)の玉元清君。北小学校(旧平良第2小学校)の同級生で、当時の生徒会長。文才に優れており、昨年度の宮古島文学賞(第1回)で「笛吹川」で見事入選。全国(外国を含む)から200余の応募の中から選ばれた素晴らしい作品です。未読の方は宮古島市文化協会のホームページで読むことができます。2年前にも名護市にある「国三郎」ゆかりの「白い煙・黒い煙」の石碑も二人で散策しました。感謝です!
学芸員の外間一先(かずゆき)氏にもびっくり!なんと1998(平成10)年から2002(平成14)年までの5年間、宮古高校で教鞭を執られていたとの事!奇遇です。「くま・かま」読者の皆さんの中にも教わった方がいらっしゃるかも知れませんね?
さて次回は、沖縄を離れ(大正11.5〜)茨城県の女子師範兼付属小主事へ赴任した「国三郎」をレポートします。
(注1)
沖縄県立博物館の収蔵品目録にある「国三郎」の「小学校准教員免許状」
(登記番号9245)の実物を県立博物館のホームページで見る事が出来ます。
<これまでの稲垣国三郎レポート>
◇あの話をもう一度
マツカニ(上野・高田出身)
「『四島ぬ主』どーかってぃ解説」vol.261 2012/2/2
宮古の民謡は偉大な英雄が数多く唄われ、沖縄や八重山地方ではほとんど見られない宮古民謡の特徴だといわれています。「新城目差親」、「池間の主」、「ウーニぬ主」、「古見の主」、「根間ぬ主」などなど有名所も数多いですが、今回はその中から「四島ぬ主」を取り上げたいと思います。
四島ぬ主(ゆすまぬしゅう)は童名を百佐盛(ムムサムイ)といい、文才に秀でていたため、仲宗根豊見親により若くして四島ぬ主に任命された。四島とは、狩俣、島尻、池間、大神の四つの地方のことで、四島ぬ主は仁政を施し、多くの人々から人望を集めていたということです。それでは「四島の主」です。
1 かずまたぬ まやぬ やーぬ ゆすまぬしゅう (狩俣の マヤの 家の 四島の 主) 2 ゆすまぬ しゅうが あらぱなぬ うやなずやよ (四島の主が 初めて 親(主)になったのは) 3 うやなりゃが、まぱずみてぃぬ うやなずやよ (親になる者が 初めての 親になったのは) 4 なうからが いきゃからが うやなたよ (何から どんなことから 親になったのだろう) 5 うやきしぬ たーらゆしぬ うやなたよ (お金持ち故か 俵を貢いで 親になったのか) 6 うやきしん たーらゆしん うやなたよ (お金持ちではなく 俵の数ではなく 親になったよ) 7 すんからど ふでぃからど うやなたよ (墨から 筆から 親に なったんだよ) 8 うやんであん しゅうんであん なずたりゃよ (親にさえ 主にさえ なったんだもの)
【解説】
その昔宮古を納めていた支配者というと、荒くれ者で腕力にものを言わせ、戦にあけくれているイメージがありましたが、民のために尽くし尊敬された人物もいたことを教えてくれる唄です。学問で親になった知将だったようですが、もしかしたら文武両方備わっていたのかも知れませんね。ゆっくりゆったりとした曲調は味わい深くこの先もずっと残っていくだろうし、残したい1曲でもあります。
四島の主は古見ぬ主と同一人物です。平良から狩俣へ向かう県道沿いの四島を望む丘陵に墓があります。
参考文献:『宮古の史跡をたずねて』
なんかなんか(七日ごとの法要)
與那覇 淳(平良・鏡原出身)
母がアメリカに行って半年。読者の皆さんもお分かりだと思いますが、宮古ではアメリカとは「あの世」のこと。母は認知症が進み私のことも分からないほどであったが、命があることとこの世にいないことには大きな隔たりがあることが、ぴーったがまなー(少しづつ)実感できるようになり、いまでは「親は生きているだけでいい」と思えるようになってきました。
父が亡くなったときは「初七日法要」から「四十九日法要」まで七日ごとに親族揃って法要をしていましたが、母の場合は「初七日法要」から「六七日(ろくなのか)法要」までは家族のみで法要を行いました。
父が亡くなって6年。また、毎週親族に うぐなーり(集まって)いただくのはどうか、ということとそのために準備をすることの大変さを考えて親戚の皆さんにはご遠慮いただきました。
仏教では人が亡くなって四十九日目に「天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」六道のいずれかの世界に生まれ変わると考えられているようです。四十九日間はどの世界に行くのか決まらず(たます)魂がさまよっていて、元の生と次の生の中間的存在で「中陰」と呼ばれるということです。その間は七日ごとに死者の生前の罪が裁かれます。そのため遺族は七日ごと に死者の罪が軽くなるように、成仏できるようにと祈ります。そして「満中陰」となる「七七日忌・四十九日忌」に最後の裁きを受けて故人は無事成仏して極楽浄土に入ります。なお、浄土真宗では亡くなると同時に成仏すると考えられているようです。
「宮古島市史第一巻通史編・みやこの歴史」によりますと、宮古への仏教伝来は1513年、金志川豊見親(きんすかーとぅゆみゃ)が「大般若心経六百巻」を琉球王府から買い求め信仰したのが始まりとされています。
薩摩侵攻後の1611年、薩摩の検地役人の肝いりで臨済宗の祥雲寺が創設され、当時は三年交代で僧侶が沖縄本島から派遣されました。仏教が伝来したものの、思想的には一般に浸透しなかったようです。それでも仏教行事や墓制と死後における祭祀に変化があったとのことです。
先日、友人の祖母の四十九日法要に行きました。うぷぴきしゅ(親族・血族が多い意)で一番ざー(床の間のある部屋)から二番ざー(仏間)、三番ざー(仏間に続く部屋)まで人であふれかえっていました。和尚さんの読経に続いてお膳に収まり切れないほどの料理がひとり一人に配膳されます。しーむぬ(お吸い物)なます(刺身)など定番の料理のほかに、最近はデザートが添えられるようになりました。
友人の話によりますと、一族の女性陣が集まるであろう人数を想定して うぱーさぬ(大量の)手作りのデザートを持ち寄ったとのことで、デザートが幾種類もお膳を満たしていました。お膳一杯の料理はそれぞれパック詰めになっていて、その場で食べても持ち帰ってもいいように配慮されています。その上に商品券やお米券が添えられます。「お土産に見合うような香典をお供えしたのだろうか」と思いながら家路につきました。
七日ごとの法要は弔問者を迎える家の女性にとって幾種類も大量に料理を準備するので、とても難儀なことです。一方毎週、忌中の家を訪問する親族もそれなりに大変です。それでも「なんかなんか(七日ごとの法要)」は故人のことを振り返り、親族の絆を確かめ合う機会でもあり何よりの供養と言えます。
さらに故人のよき来世を祈願する大切なときです。また、遺族にとっては多忙を極めることで気がまぎれ、故人との別れの悲しみをいやしてくれる大切な期間にもなっているはずです。
お知らせ
■下地イサムさんニューアルバム「GAFU」発売!
下地イサムさんの6年ぶりのオリジナルアルバム「GAFU」が先月発売になりましたね〜。すでにお聴きになっている方も多いと思いますが、上等アルバムやー!みゃーくふつを自由自在にいろいろな音に乗せ、さまざまな形で表す才能は、イサムさんならでは。
「GAFU」(ガフ)とは、みゃーくふつで「ぴったり」と言う意味。まさにみゃーくふつがいろいろなジャンルの音楽とぴったりで、聴きずみ!
13曲、収録されていますが、1曲目の「ミッタカッタ サンザクンザ」からやられます。(笑)まだの方はぜひ!
そして、レコ発ツアーを開催中。23日には宮古の「Cafe Breath」でもやるそうです〜。
詳細は、下地イサムオフィシャルサイトでご確認ください。
「GAFU」
1.ミッタカッタ サンザクンザ
2.カフタキ タイト
3.ノーッファニャーン
4.マスパリ パスタ
5.オーイン
6.Sweet Mango Love
7.ノーバシガ
8.バッシュンマ ロックンロール
9.マクラム ラプソディー
10.アウヴァ ウチャ
11.Pili
12.ターシ
13.スディグル
■平成30年度 危機的な状況にある言語・方言サミット(宮古島大会)
文化庁、沖縄県、宮古島市、宮古島市教育委員会等主催で、方言サミットが今月24日(土)宮古島で開催されます。
危機的な状況にある言語・方言の現況報告や、各地域の言語・方言の聞き比べ、沖縄県、宮古島市の取り組み事例の報告などが行われます。また、特別プログラムとして、宮古民謡やみゃーくふつ漫才、落語、古謡などの演目もあります。
どなたでも無料で見ることができますので、お時間のある方は是非お越しください。
日 時 | 2018年11月24日(土) <メインプログラム>午前10時〜午後5時45分 <特別プログラム>午後6時〜6時45分 |
場 所 | マティダ市民劇場 |
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
宮古の秋には、いろいろな渡り鳥が飛んできます。サシバの時期は終わりかけですが、先日、大きく舞っているのを見ました。やっぱりサシバを見ると ぷからすーとした(うれしい)気持ちになります。家の近くでもピューイピューイという鳴き声が聞こえました。クロツラヘラサギも今年もやってきているようです。与那覇湾はいろいろな種類の鳥たちが賑やかです。
4日には、青空の下、エコマラソンがありました。知り合いがでるので応援に行ったのですが、伊良部大橋を駆けるランナーたちの姿は圧巻。ただ気温が高くて走るのは大変そうでした。トライアスロンもそうですが、マラソンも応援楽しいです。皆さん、お疲れ様でした!
お知らせのコーナーで、方言サミットのことを書きましたが、サミットの翌日には関連イベントとして「鳴りとぅゆんみゃ〜く方言大会歴代チャンピオン大会」(宮古島市文化協会主催)を開催します。8名の発表者とゲストスピーカーの2名。ゲストに下地イサムさんをお招きして行います。そのチケット販売を10日に実施したのですが、即日完売となりました。お知らせコーナーでご案内と思ったのですが、ご了承ください。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
あすなろさんの稲垣国三郎さんについてのレポートも6回目となりました。今回もいろいろな資料が出てきて、知られていなかった時代のものが繋がり、大収穫でしたね。私もこれまで紹介された資料をぜひ見たいと思っています。
秋は芸能祭なども盛んということで、あの話をもう一度のコーナーは、民謡を取り上げました。「四島ぬ主」の人柄が分かるような内容でしたね。民謡で宮古の英雄を知る。暮らしを知る。歌い継いでいくことの意味がそこにあるような気がしますね。
淳さんのお母さんが亡くなられて半年が経つんですね。「なんかなんか(七日ごとの法要)」の大変さは、私も父親で経験しましたのでよーく分かります。でもまた親戚が うがなーり(集り)父親の話をするのは、ぷからすくとぅ(うれしいこと)でもありました。いろいろなことを考えますね。
貴方の感想もぜひお寄せくださいね。
投稿まい まち うんどー(待っていますよ〜)
きゅうまい、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今日も、最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は、3週間後の12月6日(木)発行予定です。
きゅうまい 上等 かぎ ぴかず(佳き日)で ありますように。
あつかー、またいら〜。