くまから・かまから vol.428

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 こんにちは〜。
 早くも3月になりましたね〜。がんづぅかり うらまずなー(お元気ですか)vol.428お届けです〜。
 ぬかーぬか ゆみふぃーさまちよー (ゆっくり ご覧くださいねー)

あかすみゃー

ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)

 私の両親は城辺出身で、ばんたがやー(私の家)は元々城辺にありました。父の仕事の関係で、私が2歳の時 ぴさら(平良)に引っ越すことになりましたが、何故か私だけは家族と ぱなり(離れ)て おばぁ(祖母)と二人で城辺で暮らすことになりました。
 
 私がまがりなりにも方言を話せるのは、その時の体験が大きかったのではないかと思います。結局6歳までの4年間をおばぁと暮らしたのですが、その頃の事はほとんど記憶に残っていません。
 
 ただ、その中でも微かに記憶に残っているのが、「あかすみゃー」です。「あかすみゃー」とは、「なぞなぞ」のことをいいます。「あかすみゃー」は「あかす」と「みゃー」に分解にできます。「あかす」は「明かす」あるいは「証かす」のことで、「みゃー」は「ぴゃーすみゃー(走り競争)」、「おうみゃー(争い、戦い)」に見るように「競い合う」という意味があります。したがって、宮古方言の「あかすみゃー」は「謎を解き明かし競い合う遊び」ということになります。
 
 また、これはあくまで私見ですが「みゃー」は相撲の時の掛け声「みあって みあって」にあるように、もともと、お互いに対峙して(見合って)競い合うことから来ているのではないかと思います。
  
 「あかすみゃー」では最後に「うりゃーのー」と問いかけるのが特徴的です。大和のなぞなぞの「それはなーに」に当たります。

 たとえばこんな感じです。
 「ういきしゃーやーまい ういきしゃーやーまい ぴんぎぴずむぬ。ぴんぎゃーまい ぴんぎゃーまい ういきすむぬや のー」(追いかけても 追いかけても 逃げるもの。逃げても 逃げても 追っかけてくるものは、なーんだ)【答えは影】最後の「のー」が良い響きですよね。
 
 今でもそうですが、宮古には季節の節目節目に きざす°(祭事)が多く、親戚が うがなず(集まる)機会が多くあります。やーむとぅ(本家)に集まり、大人たちが、いつばんざー(一番座。今でいう応接間)で酒宴に興じている間、ほっぽり出された子供たちは、うらざ(裏座)で ゆぬたらーきぬ(同じ年頃の)子供同士集まり、大暴れ状態となります。
 
 びきやらびたー(男の子たち)は取っ組み合いを始め、みどぅんやらびたー(女の子たち)は鬼ごっごを始め、そこらじゅうを走り回ります。見かねた親たちがそんな子供たちを集めて始める遊びのひとつが「あかすみゃー」なのです。
 
 たいてい、おばぁや年長者がリーダーになり、たとえばこういう風にはじまります。「あがい のーてぃ うととゆ あんちー なかすが」(あれー、どうして年下の子をそんな風に泣かすの)「はーい やらびぬきゃー くまんかい うがなーり」(さー、子供たちここに集まって)「んなまから あかすみゃーゆ ぱずみっとー」(今から、なぞなぞを始めるよー)

「あたずたーぴとんな 賞品ぬ いださでぃびゃーやー」(正解した人には賞品を出そうかなー)走り回っていた子供たちは、いつの間にか静かになって、リーダーのおばぁや年長者を囲んで「あかすみゃー」が始まります。
 
 幼いころの記憶として、「あかすみゃー」の雰囲気はこんな感じで残っていますが、残念なことに肝心のどういうなぞなぞがあったのかその内容を全く覚えていません。
 
 なぞなぞは古来より世界各地にあった遊びで、その土地固有のユニークななぞなぞがあると思います。宮古島にも古くから言い伝えられてきた沢山のなぞなぞがあったと思います。なぞなぞはその時代の人々の暮らしや風習や生活にまつわる事が投影されていることもあるため、それを掘り起こすことで古い宮古島の人々の暮らしぶりや考え方が分かるかも知れません。
 
 娯楽が溢れ返っている現代社会では、ほとんど、なぞなぞ遊びをする事は無くなりましたが、たまには皆で集まってなぞなぞ遊びに興じるのもいいかもしれませんね。もちろん昔が全て良かったとは言うわけではありませんが「あかすみゃー」を通して築かれる大人と子供のあの関係性を体験することは子供の成長にとって理想的なような気がします。
 
 短絡的に結び付けたくはありませんが、ひきこもりや幼児虐待、衝動的な殺人事件の多発など現代社会の心の闇ともいえる現象の遠因の一つが大人と子供の理想的な関係性の体験の欠如なのかも知れません。
 
 あがいー、主題の「あかすみゃー」からどんどん話がそれてしまいましたね。
 
 それでは、最後にひとつ、みやこふつ(宮古方言)で「あかすみゃー」の問題を一つ。「ぱずみや ゆーつやーすが つぎんな ふたつんなり またつぎんな みーつんなり しまいんな また ゆーつん むどぅずむぬや のー」(初めは、4本ですが、次には2本になり、その次には3本になり、最後にはまた4本に戻るものはなーんだ)
 
 古典的な問題です。みなさん、ふるってご応募ください!正解者には、素敵な賞品が当たり・・・・ません!
 
※宮古方言のなぞなぞを知っているよという方は是非お教えください。表記は共通語でも宮古方言でもどちらでも構いません。

◇あの話をもう一度

ワタリマリ(上野・宮国出身)

「兄を想って書いた詩(20)」vol.336 2005/03/19

 この詩は、脳性マヒの あざ(兄)を想って書いたものです。

 春になった
  
 私は小学校の6年生。もうすぐ中学生
 春の海を兄と一緒に眺めている
 遠くの海には人や船が動画になったり、
 静止画になったりして
 たのしげな様子だ
 「はーい!ちいら、ぴしんかい」
 (さあ、干瀬に行こう)
 「ふにゃあ、あーなすー」
 (船はあるのかね)
 「ありいあーちかあ、ばぬうまい、ぬうしき」
 (船があるんだたら、私も載せていってちょうだい)
 そんなおじさんおばさんの声が聞こえてきそうだ
 「きゅうや、ぴしゃーだうぬ ぴとぅ」
 (今日は干瀬はたくさんの人だね)
 うわまい いんかい いかじ?
 (あなたも 海に行く?)
 ・・・・・・
 んなまあぬ いんぬみずっざ 
 ぴっちゃあがま ぴぐうるーぬさあ
 (この時期はまだ海の水は冷たいよ)
 兄は穏やかな顔で笑って
 私の問いに答えようとしているようだ
 その日は さにつだった
 私はなんだか海に降りたくない気分だった
 誰にも言えない
 自分の中だけにしまっておきたいことができたのだ
 誰かに話せば内緒話ではなく
 それどころか噂の花が咲くに決まっている
 反面話したくて むずむずしている
 兄は絶対裏切らない ただ聞くだけ
 気持ちに寄り添っているって本人は言わないけど
 寄り添ってくれていた
 兄に話しかけるときは自分にも話しかけていた
 恥ずかしかった
 友達がそっと教えてくれたのは修学旅行の時だった
 ○○君 あんたがすきってよ〜
 そりゃ嬉しかったけど
 そんなことあるわけがないと少し怒って
 はずかしくって 拗ねた
  
 きっと冗談にきまっている
 こんな私のこと好きになるはずがない
 うわっ!どうしよう?と内心穏やかではないのに
 素直になれない私がいた
 まともに目が合わせられないし
 意識しすぎて
 自分の取っている行動をよく覚えていない
 でも
 ずっと後になって
 そのことが勘違いだったことが分かった
 こんどは違う恥ずかしさと
 ホッとしたような 残念なような
 泣きたくなるような
 味わったことのないいろんな感情が交差した
 自意識過剰な自分を恥じてもいた
 自信のない私は
 自分のことを否定するばっかりだった
 兄の事を知らない友達に
 どうやって兄のこと話そうかと悩んだり
 兄がいることで
 きっと誰も自分の事を好きにはなってくれないだろうと
 やけになったり
 うまくいかない事は
 都合よく兄のせいにしたりだった。
 なぜ私の兄がめずらしい人間なんだろう?障害者?
 6年生の私にはそれが分からず
 私は兄に話しかけながら答えを見つけようとしている
 ちがう みんなと違う
 みんなのうちには障害者はいない
 それはだめなこと?
 ダメなのにじゃあどうして兄はいるの?
 誰も答えなんか持っていないのに
 兄の目が語っていた
 うわがぱなすっう きかっちどぅ うまん ううさあ
 (あんたの話を聞きたいからそこにいるんだよ)
 んーな(皆)同じ にんぎん(人間)
 うりゅう ばっしいかあ ならんさ
 (そのことを忘れてはいけないよ)
 兄はそう言っているようだ
 さにつの浜に降りたくないのに友達が呼びに来た
 兄と話したことをそっと胸にしまって
 何にも悩みなんかないよな顔して
 春の浜遊びに歓声を上げた
 あれから20年 春になった
 三月のある日 兄はしんだ
 そして私には小さな命が宿された
 生まれてくる子に出会うことなく
 春のざわめきをききながらそらに上ったんだ
 春の風はやわらかく 兄と戯れながら私の涙をぬぐう

まいにゃー(前の家(屋号))は記憶の中に

松谷初美(下地・高千穂出身)

 まいにゃーには、祖母の妹家族が住んでいたが、那覇に引っ越して誰も住まなくなった。

 まいにゃーは私にとって、家のたたずまい、庭の様子など、こどもの頃のことを呼び起こすものがたくさんあり、時々、庭に入っては写真などを撮っていた。

 まいにゃーは、昭和38年頃に建てられたコンクリート作りの広い家だった。敷地も広く、あさぎ(母屋とは離れたところにあり、若者が住んだり、倉庫として使う)や ぬうまたつ(馬小屋)、西には豚小屋、北には倉庫などがあった。当時、近所にはコンクリート作りの家は、ふたきゅー(2軒)くらしかなかったように思う。(我が家は瓦屋根の木造の家だった)。一番座の東側にはフローリングの部屋があり、そこにはソファが置かれていた。木の枠で、グリーンの布張り。今でも鮮やかに思いだされる。

 また、昭和41年のコラ台風(第2宮古島台風」では、近所の人たちみんなが まいにゃーに避難。私も父に負ぶわれて避難した。翌日、家に帰ると屋根は飛び、骨組みだけになっていたので、避難できて良かったとつくづく思った。

 まいにゃーのおじさんは(祖母にとっては甥)、十五夜ともなると子どもたちのために舞台を手作りしてくれた。その上で、女の子たちは、歌や踊りを披露し、大人たちから拍手をいっぱいもらった。

 私が小学生の頃、まいにゃーには高校生のお姉さんがいた。本好きのお姉さんでよく太宰治の文庫本を読んでいた。お姉さんの部屋の本棚には、本がたくさんあり、好きな本があったらもっていって読んだらいいよと言われ、何冊か借りて読んだ覚えがある。

 それから、何十年も経ち、まいにゃーには誰も住まなくなった。それでも家の佇まいは、そのままで、庭の水タンク、ブーゲンビリアの花もそのままだった。

 それが一年前、売られたことを知った。ショックだった。できれば、このままの姿で住んでくれますようにと願ったが、無理だった。あさぎが壊され、ぬうまたつ(馬小屋)が壊され、庭には重機が入った。以前の面影はどこにもなくなってしまった。全てのものは変わるし、いつまでもそのままのはずはないのだが、何とも寂しい。

 今、宮古はいろいろなものが変わってきている。空港周辺も大きく変わりそうだ。うれしいと思うこともあるが、戸惑いのほうが先行し、茫然としている。

 思い出深い「まいにゃー」は、心の中と写真の中だけになってしまった。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 だいぶ暖かくなってきた宮古です。晴れると夏のよう。タンポポや、ルリハコベの花も、あちこちで見かけるようになってきました。キビの収穫も進んで来て、そーきー(広々)とした畑が目立っています。

 沖縄県立高校の入試が昨日、今日とありますね。宮古では恒例の家族揃ってお弁当を広げる姿が見られたようですよ。県内のニュースでは、必ず話題になりますね。私が高校の頃もありました。でも、年々、にぎわってきている感じがしますね。

 前号のお知らせコーナーでお伝えした、第13回宮古島市民総合文化祭・一般の部「宮古を謳う」は、脚本、出演者の皆さん、とても素晴らしく大好評でした。再演を望む声も多く、ぷからすむぬどー(うれしいです)。

 第2回「宮島文学賞」の入賞作品も決定し、今月3日には、授賞式と祝賀会を開催いたしました。一席には、宮古出身の森田たもつさん「みなさん先生」が、佳作に東京都ご出身の佐鳥理(さとりさとり)さんの「紺碧のサンクチュアリ」が決定しました。お二人の作品は、(一社)宮古島市文化協会のホームページ http://miyakobunka.com/文学賞のページで読むことが可能です。ぜひご覧ください。

 さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

 B.サラさんの「あかすみゃー」面白かったですね〜。懐かしく読まれた方も多かったのでは。「あかす」と「みゃー」の解説にも納得!そして、最後のあかすみゃーはお分かりになりましたでしょうか。ぜひ、答えをお寄せください。下記のメールでも掲示板への書き込みでも大丈夫です。正解は、10日(日)ごろに掲示板で書き込みしてくださるそうです。お楽しみに〜。

 あの話をもう一度は、ちょうど3月ということもあり、ワタリマリのお兄さんの詩(春になった)をお届けしました。お兄さんとの関わり方にいつも心打たれますね。

 私の住む、小さな集落は、変化のほとんどないところだと思っていたけれど、やはり変わっていくものなのだと実感をしています。お世話になったまいにゃーへありがとうの気持ちを込めて。

 今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜〜。
 (今回も最後までお読みくださりありがとうございました)

 次号は、3月21日(木)発行予定です。
 季節の変わり目です。お身体大切に。ぱだーぱだうらあちよ〜。あつかー、またいら〜。