明けましておめでとうございます。皆様には、ぞう そうがつゆ(良いお正月を)迎えていらっしゃることとお喜び申しあげます。くとぅすまい(今年も)くまから・かまからをどうぞよろしくお願いいたします。
「正月ぬあやぐ」
マツカニ
あけましておめでとうございます。皆様方のガンズウサァ ニゴウガッチャーン(健康を願いながら)年初めの民謡どうかってぃ(自分勝手)解説、多良間の「正月ぬあやぐ」をお届けします。
- 正月ぬわーちゃりゃよホーイ
みるどぅすぬわーちゃりゃよ - あばすでぃるしゃくどうむうよホーイ
ぱにやうぃとぅびすしゃくよ - うぷしだき ばがうやよホーイ
にびしだき ばがんまよ - みゃあくとぅなぎ ばがうやよホーイ
島とぅなぎ ばがんまよ
<解説>
1.2. 正月が新年がやってまいりました。脱皮して若返った気がする。羽が生えて飛んでいきそうな感じがするくらい(すがすがしい)
3.4. 大きな根石の如く、宮古島がある限り、私の父よ母よ(長寿ならんことを)
テンポは、琉球古典音楽のようにゆっくりですが、メロディは宮古民謡そのものという感じです。書かれている本などにより、歌詞に多少の違いがありますが、内容はほとんど同じです。お嫁さんが心を込めて歌った歌だということです。聞けば聞くほどに味が出てくる名曲です。あんつかーまた。(では、また)
「宮古のことわざ」
[ 五ぬぅ 指あ内ん かいどぅ折らい ]
イツヌゥ ウイビァウツン
カイドゥブライ
五本の指は内に折れる。このことは身内のことをさし、同時に同胞の結束を表現している。
『んきゃーんじゅく』 佐渡山政子/編 より
「新年に思う」
宮国優子
あけましておめでとうございます。くま・かまの読者の皆様、今年もよろしくお願いします。
さて、新年と言えば「新年の抱負」(?)です。毎年、今年の目標は!とか考えるのだけど情けないかな年末までおぼえていた試しがない。数年後、書類の整理をしてたりすると、今年の目標と書いたメモが出てきたりする。じっくり読み返すと、私の夢は結構叶っていたりする。夢が小さいのかも知れません。だからというわけではないが、最近、実は願望は叶うんじゃないかと思うようになった。『読めば 宮古!』もそういった意味では最大の願望だった気がするし。
「クローン人間が生まれた」とニュースで伝えられた日にこの文章を書いている。だからと言うわけではないけど、昨年は「生」に関することを考える機会が多かった。個人的で恐縮なのですが、去年の十二月にすっかり忘れていた夢のひとつでもあった「新しい家族(娘)が増える」という一大イベントを迎えた。生活は一変し、頑固王の私が今までのあらゆる主義主張を翻しそうな勢いの毎日を過ごしている。
今は娘の寝顔を見つめるたびに、命が命を産み出す事の不思議さや小さな生き物が凝縮してもっている「生きる力」に圧倒される。新しい命を喜ぶ気持ちも大きいが、それよりも「私は大きな流れの中の一部なんだなあ」と思った。原始的に血を次々に伝えていくという当たり前の大きな流れやうねり。宮古の血族信仰は私にとって重荷だった頃もあったけど、今はほんの少し肯定的に感じる。しかし…たかが一代しか伝えていないのにこの衝撃度。妙な産後ホルモンが作用しているとしか思えない。
子供の頃は「生」や「死」を受け入れる事が容易だった。知らず知らずに「流れ」を体感しながら育っていたんだと思う。それにしても(子どもを生むという)新しい経験をして、再び足下を見つめ直すとは思っても見なかった。私まで脈々と血と共に続いてきた「何か」をどう残せるだろうか? 答えはすぐに出そうにない。あきらめて、一年と言わず十年かけようと思う。
で、今年の目標は「自分の中の宮古とバランス良く共存していく。見つめ直して自分の言葉で語ってみる」と、結局、毎年かかげる目標と何ら変わりない。成長していないのかも。とほほ。でも、この目標が次回作(?)『書けば 宮古!』にいい形でつながっていけばいいなぁと思っている。来年の春頃には出版を予定しているのだが、今度は幅広い年代のたくさんの人に関わってもらいたい。特に宮古に住む中学生や高校生に参加して欲しい。自分の言葉が活字になる快感を共有したいと思う。
「お便りコーナー」
< 凧 >
東京在住 大山さんより
くまから・かまから”ミャークフツ マガジン”を読み始めて2ヶ月目になりました。最初は 「くま?かま」も熊?鎌?釜?と ピンときませんでした。方言と接することの無かった3?40年の時の流れはミャークフツボキャブラリーの殆んどを脳の海馬の奥深くに仕舞い込んでしまったようです。
ぱなすっさかーり(話は変わって)正月に揚げる「凧」ですが、子供の頃、正月には自分で作った凧を揚げに平一校の運動場とか ”がんぐりゆまた”とか電柱の無いところへ、アグらー(同級生たち)と出かけたものです。
長男がまだ小学生の頃 ヤマトゥ凧は尻尾が幅広の紙テープが下両端に2本だったのを細長いわら綱長短2本にして、安定させ、高く高く揚げたことがありました。
そんなことがあって「何れの時か、両脇に三角の黒羽を重ね付けして、ブンブンの鳴りを付けた半畳位のミャーク凧を大和(江戸川区江戸川)の空に高々と揚げてみたい」そんな夢を見続けています。息子の小さい時には出来なかったので 孫でも生まれたら と心に決めている次第です。
くまから・かまから 今年も楽しみにしています。
※お正月には、手作りの凧を上げる姿があちこちで見られたものでしたね。江戸川でミャーク凧を!ぜひ実現してくださいね。
<バダの話興味深く・・>
埼玉出身 funasokoさんより
こんにちは。
前回の「バダはどこへ行った」は大変興味深く読ませていただきました。かつては宮古にも川があったんですね。毎年宮古に行っている割には、今まで川らしきものってのは入江湾に続くとこくらいしか知らなかったので、とっても意外でした。
ウナギは古井戸にいるようですが、フナやドジョウなどの淡水魚が生息できる場所ってのも宮古島にも少しはあるんでしょうね。以前、どこかの掲示板でブルーギルやブラックバスなどの外来魚が繁殖してるとのハナシを読んだ覚えもあります。
釣好きなのでどーしても魚のことへと思いはめぐりますが、いつも気持ちは海に向かっていたので、とても興味深いハナシでした。
タイトルがNo.1となっていたので続編もタノシミです!
※バダの話はこれからもまだまだ続きそうですよ。次回の話もどうぞお楽しみに!
「編集後記」
松谷初美
皆さんの正月ぁのーしーりゃー。(お正月はいかがですか)年々、正月の新鮮さ、清々しさというのが薄れてきている感があるのですが、やーぬ中ぬ(家の中の)あちこちのカレンダーが新しいものになっていること、鏡餅が飾ってあること、玄関に門松を飾っていること、それから年賀状が届くことで、やっぱり新年なんだなーと感じます。
それにしても近頃の市販の鏡餅は、周りはプラスチック、中味はすでに切り餅状態のパック詰め。何だか味気ないですね。くぱーくぱぬ(固ーい)餅を切るのは、なんき゜かーすぅがどぅ(難儀だけれど)いかにも鏡開きって感じがしますよね。鏡開きの日は、私の実家では、揚げ餅にして砂糖をかけて食べるのが定番でした。東京で醤油をかけて食べたり、大根おろしで食べるのを知った時は、まーんてぃ うどぅるき゜たーどー(本当に驚きました)
さて、ここで今年から新しく、くまから・かまからのレギュラーライターをして下さるお二人を紹介したいと思います。もうすでに何度も投稿されているのでおなじみのお二方ですが、これからはレギュラーとして書いてくれることになりましたので、紹介いたしますね。
[ざうかに] 1956年 平良市生まれ 神奈川県在住
[ひさぼう](あったぼう改め)1945台湾生まれ 平良市育ち 東京在住
どうぞこれからもお二方の活躍にご期待ください。よろしくお願いいたします。
2003年が皆様にとって、幸多い一年でありますことをお祈り申しあげます。