じきに大寒。じゃーなぬ ぴしどぅき゜(最も寒い時期)ですが、皆さんお変わりありませんか?くとすぅ(今年)二回目のくま・かまお送りします。
「病院の正月」
菜の花
とうとう新しい年が明けましたね。くまかまの読者の皆さんもそれぞれに、今年のスタート地点を出発し始めていることでしょう。
私は大晦日から、三が日までずっと仕事でした。元日から連続の夜勤はさすがに堪えました。去年の正月は術後で静養中のため、私の勤務表はずっと真っ白でした。それを思えば去年の分まで働けることをありがたいことと受け止めなくてはならないのでしょうが、あがい!やっぱりきつかったさー。
正月の休日体制で人手不足の上、救急車で搬送されてくるのは緊急性も高く気が抜けない。世間ではお祝いムードで賑わっているけど、病院じゃ壮絶なドラマの連続!箱根駅伝なんてメじゃない位走ったかも。しかも、箱根駅伝にはゴールがあるけど、医療にはゴールがない・・・。そう。白衣の天使はタフでないと勤まらない。
生まれてくるもの、逝くもの、命を救われるものと病院という建物の中では、生と死がひしめき合っている。その真ん中に私達医療者がいるのだ。私のケアの全てはそこに横たわる者の命に直結していることを思うと責任の重さを感じる。
そんな反面、人の生へ向き合う姿を穏やかに見つめたりもする。ただ流れていく時間の延長上で、日付けや年号が変わり元旦となっていくだけなのに、新しい年を迎えたということは特別な気持ちになれるものだ。余命がいくらもないと自分で気づいている患者さんにとっては尚更だ。年が越せた、新年を迎えられたという喜びが支えとなって、生きる力になったりもする。
正月は出来るだけ外泊を許可するが、入院した時はぴったりであっただろうジャケットやズボンが1サイズくらいダブついて見える姿には、何とも言えない切なさを感じる。今年が最後の正月だろうと思うと、自宅へ向かう背中にかける声にも力がこもる。「よいお正月をお過ごし下さい」と。
病院には正月も盆もない。私は二人の患者さんの最期を看取った。その患者さんの生き様は家族が知っているのであり、最期に関わった看護者が一部見て知っているのだ。弱っていく者は、何をも隠さず在りのままの丸裸の「自分」をさらけだすしかなく、生まれてきたままの「無」から「有」の人生を得て天に還っていくのだと思う。「死」に向き合うことは、「生」を見つめ直すことだと患者さんからまた学ぶ瞬間だ。
今年は「生きる」ということが、大きなテーマのようにも感じる一年の幕開けだった。
くまかまの読者のみなさんの一年が、がんずうでぞうとぅす(元気で良い年)になりますように!
「宮古のことわざ」
[ 後玉どぅ 大玉 ]
アトゥダマドゥ ウプダマ
あわてず、ゆっくりと福を待つほうが賢明だという意味。子どもの頃、食べ物を配られる時によくこのことばを聞いた。
『んきゃーんじゅく』 佐渡山政子/編 より
「ミャークフツ講座 あまり使われなくなった言葉編」
ざうかに
- むとぅ → 墓のこと。「むとぅ」とは「元」という意で、人が死ぬと元に返る。土に返るということから墓のことをそう言うようになったのかもしれない。
- たちょう → 仏壇、神棚にお茶を供えること。これで朝が始まる。
- たむぬ → 薪のこと。これでご飯をたくのが僕の仕事だった。
- つきだき → マッチのこと。
- ふす゜ → トイレ。昔は豚小屋の近くにトイレはあって、人間の排出物は豚の餌となった。
- とーに → 家畜の餌をあげる台。餌の草刈も大変だったさぁ。
- うむぐや → 子牛のうちは、鼻に穴をあけられないので、顔に縄で編んんだもの(うむぐや)をかけていた。
- しぃら → まとめてあるもの。例えばサトウキビの束など。ぴぃとぅしぃら(一束)ふたしぃら(二束)と数える。
- しーとーやー → サトウキビを搾って黒砂糖を作る小さな工場。昔は各集落に一箇所はあった。
- くばずがに→ 柄杓(ひしゃく)のこと。
- たらいく → 今でいうところのシャンプー。成分は知らないが、紙の袋に入っていて砂のような感触。もちろん泡は立たんよぉ。
- ずぅり → ホステス。バーぬ みどぅんさーい(バーの女性のことさー)
皆さんは、いくつ知っていましたか?時代とともに無くなる言葉は、やまかさ(たくさん)あるけど、こういう言葉には味ガマがあるよねえ。
「お風呂のぱなす」
松谷初美
宮古では、「風呂に入る」という言い方よりも「水を浴びる」という言い方が一般的だ。浴槽はあっても、使うのは冬の短い期間だけではないだろうか。近頃は、冬も風呂ではなくシャワーだけという人も多いようだ。
実際、私の実家でも近年は、風呂にお湯を張ったことはほとんどないという。しかし昔は、宮古島内に銭湯も何軒かあったし、風呂に入る習慣がなかったわけではない。
私のやらびぱだぁ(子どもの頃には、1960年代)冬になると家でお風呂を焚いていた。今より昔はぴしむぬ(寒いもの)だったなぁ。寒い期間も長かったかもしれない。霰(あられ)も何回か降ったし・・。おばぁやー(母の実家)には、五右衛門風呂があったが我が家は、鉄でできた筒状のボイラーと呼ばれるものでたむぬ(薪)を燃やして温め、温水を出していた。
この風呂焚きは、子どもの仕事で、外で遊んでいると「ふろーふかしー(風呂を沸かせ)」と呼ばれるのが常だった。たむぬは、母ちゃんか、おばぁがいつも集めてあって、ボイラーの近くに置いてあった。(余談だが、昔は料理をするにもたむぬ(薪)が必要だった。それを集めるのは、みどぅん(女性)の仕事で、毎日たくさん集めなくてはならず、大変だったそうだ。集落によっては、たむぬにするような材料が乏しいところもあり、そういったところに住む親戚の家に行く時、たむぬをおみやげにすると喜ばれたそうである)
さて、風呂の沸かし方である。まず最初は古雑誌を破り、マッチでうまつ(火)をつけ、燃えやすいモクマオウの枯葉に移す、(このモクマオウの枯葉を燃やすと、きばがりて(煙が立ち込めて)んにゃ(大変)となーしていた。そのあと小枝をくべ、うまつが落ち着いてきたら大きいたむぬを入れる。うまつはバチバチを音を立てて勢いよく燃える。このうまつが燃えるのをとぅりばりー(ぼーっと)見ているのはなんとも心がなごんだ。友達とケンカしたことも宿題のことも何も考えず、黙って見ているだけでいい。今でもキャンプで焚き火をするととぅりばりていつまでも見ている。
今は電気やガスでポンとお湯は出るけれど、うまつで焚いたお湯は、柔らかで優しかったような気がする。シンシンと冷える東京の空の下で、遠い昔、たむぬでお風呂を沸かしたことを懐かしく思い出している。
「正月の思い出」(投稿)
π里生さんより
やらびぱだ(子供のころ)、新築後初めての正月祝いを、隣近所の大人達が大勢集まって我が家で行なっていた時のことです。酒が入った近所のおじぃが突然トーガニ(※)を歌い出した。うやたー(オヤジ達)は「あんしぃさいが」(そうだなー)とか「まんてぃー」(ほんとうだ)などと歌にあいづちをうちながら感心して聞いている。
新築を祝い、我が家の繁栄を願っているとは、なんとなく解るのだが、傍で聞いている自分にはさっぱり聞き取れなかった。即興で朗々と歌うおじぃを見て、すごいと子供心に尊敬するようになった。ただ、うやたー(オヤジ達)の歌うトーガニを聞いた覚えが無く、自分にいたっては聞き取れなかったことの世代間の断絶も感じる。正月の懐かしい思い出です。
※to:gani(トーガニ、アーグの略)
宮古群島と八重山群島で歌われている。ともがら(輩)歌の節(調子)の一つ。アーグ(歌)若い男女がうたい掛けたり、うたい返したりするともがら歌は恋歌であるが、中年以上の人たちが祝いの場所でうたう歌は、祈ぎ歌や祝ぎ歌で、男達が集まる酒座では、古くから伝わる恋歌の民謡などもうたう。『宮古群島語辞典』下地一秋/著より
〔トーガネ〕はすべて短詩形のもので近代に起ったアヤゴである。「座敷様」(ざしきやう)と「金島様」(かねすまやう)との二風調に分かれてゐる。「座敷様」は音韻悠長、多く祝儀冠婚の宴席に歌はるゝもので雅辞でめかし創意を交ぜて歌ふ。『宮古史傳』慶世村恒任著 復刻版より
上記の様にトーガニには、いろいろな形があるようですますが、π里生さんが書いているのは、祝いの席の即興歌のことですね。昔の人たちは、この即興歌が大変上手だったようです。自分の気持ちをその場で歌にするなんて情緒があってすごくいいですよね。もう見られなくなったのは淋しい限りです。
「編集後記」
松谷初美
1月まい んにゃ中旬(1月ももう中旬)ぴゃーむぬ(早いもの)です。それでも年賀状がまだポツポツと届く。今では年賀状だけの関係の人もいるけど、唯一の便りはいろいろなものも運んでくれたりしますよね。そこにお決まりの文章が並ぶよりも伝えたいものを書いてくれると、読む方もだいずぷからすさーね。(すごくうれしいものですよね)
先日電話連絡が取れなくなっていた友人から年賀状が届いた。そこには音信不通になったことの詫びと、生きていく環境が今までと変わったこと、でも自分も子どもも元気でいることが書いてあった。それはたった2行の言葉だったけれど、私はとてもうれしかった。長い人生の中では、誰でもいろいろなことがある。今年一年、元気に過ごせたらそれでいいと思ったのでした。
しまいぎぃ(最後まで)読んでいただき、たんでぃがーたんでぃ。皆さんからのお便りをお待ちしています。くま・かまに関するご要望、感想など何でも結構です。お気軽にお寄せください。お待ちしています。
次回は、2月6日の予定です。あつかーまたやー。