こんにちは〜。
3週間ぶりのくま・かまです。 がんづぅかり うらまずたーなー(お元気でしたか)?
vol.440お届けです。お楽しみくださいね〜。
『みゃーくふつの会』の発足と課題
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
去る6月30日、約半年間の準備を経て「みゃーくふつの会」(宮古語の会)の結成総会を浦添市てだこホール多目的室で開いた。定員50人の会場に40人の参加を見込み、50人分の資料を準備した。あんすぅが(しかし)参加者は80人を超え、立ち見の方も多く、準備委員はそれこそ「おごえー」と感激するやら、席や資料が足りないことを詫びるやら、喜びと反省の船出となった。事前に宮古の二つの新聞が大きく報道、沖縄の二つの新聞もきちんと報道してくれたのはありがたかった。
結成総会前の記念講演では旧上野村野原出身の野原優一先生(宮古高校・琉球大学卒、高校教師を退職後沖縄国際大学・琉球大学非常勤講師、沖縄国際大学大学院南島文化修士課程修了)が「宮古語の音韻と表記法」と題してお話しくださった。宮古語独特の発音の仮名表記法については、研究者のあいだでも定まっていないのが現状であると話し、具体例とご自身の試案なども示して解説されたことが印象に残る。
総会では、経過報告、活動計画、予算、会則、役員について提案通り承認された。会則では目的について「沖縄本島内におけるみゃーくふつ(宮古語)の保存・継承・普及・学習などの取り組みを楽しく進めること」としている。
また、事業として(1)みゃーくふつで語る会、みゃーくふつ大会等の開催(2)学習会、講演会等の開催(3)故郷宮古島および他の地域における方言継承等に関する団体等との連携(4)その他、目的達成に必要なこと、とうたっている。
役員は、宮古全域の出身者で構成することを重視し、多良間、伊良部、池間、大神の離島と、平良、城辺、下地、上野の出身者で構成し、私が会長を務めることとなった。相談役と顧問も選任した。事業年度は1月から12月の暦年としており、今年度は12月までの約6カ月である。偶数月に役員会、奇数月に定例会を開くことを決め、8月31日(土)に第1回定例会をほしぞら公民館ホール(那覇市安里・国際通り沿い)で開催したところ56人が参加した。資料は100人分準備したので十分間に合った。
定例会では大神島出身者の「んまりずまぬぱなす(生まれ島(大神島)の話)」、平良出身者の「ゆびぶえぬぱなす(指笛の話)」飛び入りの同期生男女の漫談、宮古のあーぐ(歌)タイムでの「ばんがむり」「なりやまあやぐ」の解説と歌・三線披露、加者全員のクイチャーなど、楽しく有意義な2時間を過ごした。
9月2日の役員会では、第1回定例会の総括をしたあと、次の定例会は10月25日(金)に浦添市ハーモニーセンターで開き、多良間ぬぱなす(多良間の話)、久松ぬぱなす(久松の話)などを予定することになった。
役員会では早くもこれからの活動について「映画をつくろう」「『みゃーくふつの日』を制定しよう」「楽しい企画で『みゃーくふつまつり』を開こう」などの意見が飛び交った。それらについては次年度の方針討議に反映させることにした。会計担当からは「じんぬどぅたらーん(お金が足りない)」との報告もあり、協賛寄附金を募ること、「会報」を発行することも決めた。
また、9月14日の第25回「しまくとぅば語やびら大会沖縄県大会」に宮古島代表で参加する天久富雄さんの応援のために、うるま市民芸術劇場に行くことも呼びかけることにした。
あんしー かんし―ばしいーどぅ(そうこうして)あーき゜ぱずみたー(歩き始めた)みゃーくふつの会である。夢や希望は大きく、歩みは着実に、そして楽しく続けながら、今後の課題についても触れたい。それは、宮古の各地域のことばを残していくことに特化した活動を忘れてはならないということである。例えば、私の場合「ゆなぱふつ」(与那覇語)に向き合ってきたが、その保存・継承等の活動をどのように具体化するかが大きな課題である。個人として努力しつつ、与那覇出身者に呼びかけて共同作業として進めなければならないと考えている。
2013年7月14日付の『沖縄タイムス』に琉球大学の狩俣繁久教授が寄稿した「弱小方言消えゆく個性」と題した文章がある。狩俣教授はその中で「個性的な特徴をもつ方言の多くは弱小で、周辺の大方言の影響をうけやすい。個性的であるほどその個性は平準化されやすく、大方言に吸収されやすい」と述べ、次のように結んでいる。
「今必要なのは“琉球語”と総称される抽象的な言語の継承ではない。ましてや琉球語あるいは沖縄語=ウチナーグチと称して特定の方言を押し付ける事でもない。“ウチナーンチュ”と総称される、顔のみえない集団ではなく、個性を持った個々人の生まれ育った土地のシマクトゥバの継承だ。」
狩俣教授のこの論説は示唆に富み、貴重な提言で、私の心を突き動かした。みゃーくふつの会のでは、会の活動の充実・発展とともに、各地域ごとの取り組みにも反映させていくことが大切だと思っている。
◇あの話をも一度
マツカニ(上野・高田出身)
「どぅかってぃ解説 多良間シュンカニ」 vol.113 2005.12/1
今回は宮古と石垣島ほぼ真ん中に位置し独特の芸能文化が花開く島、国指定重要無形民俗文化財の、8月踊りでも有名な多良間島の「多良間シュンカニ」を取り上げたいと思います。
この歌は、首里から来た役人の赴任先の妻が、主を想って歌った唄です。
1. 前泊(まいどぅゆます゜)道(んつ)がまからよ マーン
下(う)りゆ坂(ざかま) すぅうゆずからよ スゥーリ
主(しゅ)が舟(ふに)迎(んけえ)がよ スゥーリ
すが下(う)りよ
(意訳)
前泊の小さな下り坂を下り主の船を迎えに
すがの浜にいきますよ
2. 片手(かたてぃ)ゆ しーや ぼうずがま さうきよ マーン
片手(かたてぃ)ゆ しーや瓶(びす゜ん)ぬ酒(さき)むちよスゥーリ
主(しゅ)が舟(ふに)うしゃぎがよ スゥーリ
すが下(う)りよ
(意訳)
片手では子どもの手をもう一方の手には
瓶の酒を持って迎えにいきます
1.2番だけを見てみると るんるん気分で主の舟を迎えに行くように思われます。しかし3番以降の歌詞からすると、与那国島の「どぅなんスンカニ(与那国ションカネー)」がそうであるように、任期を終えた島役人を見送る絶望的な悲しみのうたのようです。
3. かぎ旅(たびす゜)ぬ あやぐどぅ すぅうずよ マーン
ちゅらゆ旅(たびす゜)ぬ 糸音(いちゅに)どぅ すぅうずよスゥーリ
糸(いちゅ)ぬ上(うい)からよ スゥーリ ちゃ かりうしよ
(意訳)
いい旅路になるよう唄いましょう 航海が安全であるよう
4. 東(あがす゜)ん立つ 白雲(しらふむ) だきよ マーン
わあらんゆ 立つ ぬり雲(ふむ)だきよ スゥーリ
うぷしゃなり わあらだよ スゥーリ主(しゅう)がなすよ
(意訳)
東方に立ち昇る白雲のように偉大な人になって下さい
5. 島(すま)わーらば 島(すま)とぅぱい わーりよ マーン
国(くに)ゆわーらば 国(くに)とぅぱいわーりよ スゥーリ
うぷしゃなり わーらだよ スゥーリ 主(しゅう)がなすよ
(意訳)
島と共に国と共に栄えて大きな人になって下さい
6. 片帆(かたふん)持つば 片目(かたみ)ぬ涙(なだ)うとぅしマーン
諸帆(むるふむ)持つば 諸目(むるみ)ぬ涙(なだ)うとぅしスゥーリ
主(しゅう)が船(ふに)うしゃぎでぃよ スゥーリ
かなしゃよ
(意訳)
舟の片帆が揚がれば片目から諸帆が揚がれば両の目から涙があふれ出る
7. 戻(むどぅる)る 道中(んつなか)んなよ 又(また)
降(ふ)らん 雨(あみ)ぐりゃ わーら上(うい)どぅ
立つ雨(あみ)ぐりゃあ あらん
うえんまぬよ スゥーリ 目(みい)ぬ 涙(なだ)どー
(意訳)
道中で雨が降るとすればそれは私のなみだです
残された彼女は再婚もできず、回りからはさげすまれたそうです。この唄の悲痛な感じがわかる気がしてきます。曲調はかの有名な下地勇さんがライブでしみじみと歌い上げるのを聴いて感動したかたも多いと思いますが、ゆったりとした名曲です。与那国のそれよりは多少明るいと思います。
それにしても、名曲といわれてる唄は、ゆっくりなのに 難しいものばかりです。この「多良間シュンカニ」も例に漏れず習得し難い唄のようです。私の場合、三線もその日その日でポジション(勘所)が微妙に変わりどこを押さえても合ってるような日もあれば どこを押さえても狂ってるような日もあり、なかなか大変です。
ぴたやいばどぅ あんちうーぱずやっすぅが あららがま んなまからだら
(下手だからそうなんだろうけど、なにくそ これからだぜ)
想い出のポケットを持ち寄って
松谷初美(下地・高千穂出身)
やーに(来年)、ばんたー(我達)昭和35年生まれは、還暦を迎える。うちの あんな(母親)は最近よく「いつどぅ とぅずてぃにゃーん うすきなーとぅっす とぅりにゃーん(いつ取ってしまったのか、たくさんの年をとってしまった)」と口にするのだが、私も、まーんてぃ(本当に)と実感する。(若い頃は自分が還暦を迎えるとは思いもしなかった。笑)
宮古では、卒業した中学校ごとに還暦同期会を開催するのが恒例だ。私たち下地中学校卒業生(28期)も、同期会に向けて実行員会を立ち上げ動き始めた。
私は、記念誌担当。早速、あぐたち(同級生)たちに、幼稚園、小・中学校の写真を提供してくれるよう頼んだ。私も7月に東京に行ったときに昔のアルバムを引っ張り出してきて、写メを撮って帰ってきた。
先月の同窓模合(女子のみ)で、撮ってきた写メを皆に見せると「覚えていなーい」や「そうそう、覚えている」「この人誰?」など大盛り上がり。気持ちはアッと言う間にあの頃へ。当時の先生の話や、運動会の話、体育館落成式の話、修学旅行の話などなどつきることがない。
私たちは、小学4年生までは3クラスだったが、5年生の時に2クラスになった。当時、大干ばつがあり宮古を離れる農家が多く、転校していくクラスメイトも多かった。2クラスになり、クラスメイトとの時間は、ますます濃密になったのだと思う。
あれやこれや話がでる中で、ひとり、当時のとをこと細かく覚えている友人がいた。「ほら、5年生の時に先生に数名怒られ、なぜそんなことをしたんだとその理由を訊かれたら〇〇は、○○○〇と答えたでしょう。私はそんなふうに答えたことにすごく関心したんだ」とか「あの時は、誰それがこんなふうにしたよね」などなど盛りだくさんの話に皆、うぷあまい(大笑い)。それにしても驚くほどの記憶力だ。
彼女ほどではないにしろ、みんなそれぞれ覚えていることがあり、同じ時間を過ごしていても、記憶に残るのはそれぞれであることを実感。当事者はまったく覚えていないことを誰かがしっかり覚えていたりするから、うむっし(面白い)。
良いも悪いも恥ずかしい想い出も嬉しかった、楽しかった想い出もこの年になれば、みな等しく愛おしい。今思えば、可愛らしい悩みもあの頃は、苦しかった。でも、それだけ一生懸命その時を過ごしたのだと思う。
来年、私たちは、それぞれの想い出のポケットを持ち寄り、還暦同期会に参加する。2日間、大いに盛り上がることだろう。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
台風13号が宮古に近づいています。雨風も つぅーつぅ(強く)なってきました。昨日は、午後から台風対策をする姿が、うまかま(あちこち)で見られました。スーパーも夕方には品薄に。作物が心配ですね。被害が出ないことを願うばかりです。
クロヨナの紫の花が今、満開です。海端や、街路樹でも見られます。昨日気づかなかった花が突然、現れると驚くのと同時に季節の変わりを感じますね。今日の朝は、少し涼しかったので、台風が去ったら ぴっちゃがま(少し)秋の風が吹くかもですね。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
クイチャーマンさんたちを中心に「みゃーくふつの会」の発足、ぷからすむぬやー(うれしいですねー)。たくさんの方が参加されて、関心の高さがうかがえますね。最後に書かれていた狩俣繁久先生の言葉は、深いですね。自分の地域ならではの方言。それをどうやって繋いでいくか。考えていきたいですね。
あの話をもう一度は、マツカニさんの「多良間シュンカニ」をお届けしました。悲しい歌のようにも聞こえますが、解説から凛とした女性も浮かんできました。多良間といえば「八月踊り」。今年は、明日から3日間行われるそうですよ。それにちなんで今回の再掲載となりました。
50歳になるときは、ジタバタしたのですが(笑)、60歳を目前にした今は、還暦同期会があるせいか落ち着いた気持ちです。(人生)ずいぶん遠くまできたなーと思いますが、ひとつの区切りとして振り返る時期なのかもしれませんね。そんなこの頃の話でした。
貴方の感想もぜひお寄せくださいね。まちうんどー(待っていますよ〜)
投稿もお気軽にお寄せください。
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー。
(今回も最後までお読みくださりありがとうございました)
次号は、9月19日(木)の発行予定です。
今日も、良い一日を!ぱだーぱだ うらあちよー(お元気で)!
あつかー、またいら〜。