4月になりました。2周年を迎え、あたらす(新しい)コーナー「お店紹介」まいぱずまりば、(始めまりますので)またよろしくお願いします。ぬかーぬか(ゆっくりと)ゆみふぃーさまち(読んでください)。
「貴方も何処かでピサを蹴りましたか?」
アモイ
宮古島を離れて何年か経って帰省した人なら殆どの人が感じる事と思うが、近年の宮古島の道路は舗装がよくなり道幅も広くなり、車で走っていると、振動も少なくて心地よいドライブが楽しめる。宮古島に住んでいた30年前のなうさうんつ(砂利道)や泥道、草道、等は今ではあまり見かけなくなってしまいましたが、昔の道路事情の悪さには大人から子供までそれぞれの立場で苦しめられたものだ。
その1>昔、宮古島の農家では各家庭で自家製の豆腐をつくる家が多かった。我が家もそうだったのだが、豆腐を作るニガリの代わりに うぷすう(海水)を使用したのであった。ニガリを買うお金も惜しむほど貧乏だったのだ。そこでお袋は長間浜(長間田とも長間バーとも呼んだ)まで海水を歩いて汲みにいった。家から長間浜までは1.5Km位で海までの道は山道で細くておまけに凸凹道だ。特にヤマガー(部落名)の方から長間浜に下りる道は登山道のようで険しく何も持たずに歩いてもそうとう難儀な道だった。その道をブリキの空き缶に海水を入れて頭に載せて転ばないように、こぼさないように細心の注意をしながら数ある難関をクリアーして、ようやく家の近くまでたどり着いた。いやたどり着くところだったのだ。くまがみきしからきゃーうむやすむぬ(こ
こまできたらもう安心)と気を抜いたその時、
“やーぬまいぬ んつぬ ぶったてぃー まんでぃぬ いすん、ピサーきりってぃかいり、うぷすぅみっずぅ、じょったてぃー んーな おおぎすてぃんゃーん。”
(家の入り口の道路のぽこっと出ている石につまづいいて転んでしまいブリキ缶の海水をバシャッと全部こぼしてしまった。)
しかし豆腐作りをやめるわけにもいかないので再度汲みに出かけたそうだ。
その2>昔は、母親が忙しそうに歩いて居るのを子供が泣きながら後を追いかけていく光景を時々見かけたのものだった。この光景を詳しく分析すると、仕事に急ぐお母親はまともに子供の相手をする暇がない、そして畑に急いでいくのだが、母親に遅れをとらじと早足で追いかけていく子供が、目の前から離れていく母親ばかりを見て歩く為、目の前の凸凹道の石の出っ張りに注意が行かず、つまづいて転んでしまう。今時の母親なら戻って起こして上げるのだろうが、当時、子沢山で忙しい宮古の農家の母親は振り向きもしない、子供は泣きながら起き上がりまた歩きだすが、足の親指や人差し指の爪の間が裂けて血を流している。サバを履いているので爪先が防御されず爪の間が裂けてしまう。このつまづく様を宮古ふつ(方言)では「ピサ(ソ)ーを蹴(き)す」という。つまづくのではなくてサッカーボールのようにピサ(足の平)を蹴るとの表現である。冬場にピサを蹴るとこれが痛くてたまらないのだ。急いで居る時にピサー蹴り転んで手をついて手の平までも擦りむけたりするとほんとに痛くて泣きたくなるのだ、アスファルト舗装道路では、ピサーきり あすきぬ やらびぬいきゃーや みーらいんぱず、(最近では平を蹴って歩いている子供を見かける事もないはず)
その3>ピサを蹴って怪我した時の治療法、みゃーつきす(という薬草)ぬぱーゆ、むみってぃ(葉をするように揉んで)汁を出して つきるばどぅ すーんすん やーすが(つけるとしみるのだが)びすった てぃのーすたーばよ。(ケロっと治ったものだった)
「お店紹介?《筑登之屋商店(つくどんやしょうてん)》」
松谷初美
「筑登之屋」と言えば、昔からやっているお店なので、ピンとくる人も多いはずね。主に化粧品関係を扱っている。西里通りの んつ(道)からぱい(南)にあって、あがずどぅなず(東隣)は、「山市商会」(つい最近コンビニになった)斜め向かいには「のづ文具店」がある。
私はその昔、中学生のころ(1970年代)、よく「筑登之屋商店」に行っていた。お目当ては、ロゼットの洗顔石鹸!(四角い固形のやつ)思春期していた私は、友達にロゼットの洗顔石鹸を教えてもらい、買いに行ったものだった。
のうてぃあぃじやーまい(なんて言ったって)、それまでは、体を洗うのも顔を洗うのも、あのミツワ石鹸の肌色のものを使っていたのだ。顔専用の石鹸があるとは!カルチャーショック!お店に行ってみると、ロゼットの石鹸だけでなく、他にもいろいろな種類が棚に だう(たくさん)飾られている。あれやこれや見ているだけでも楽しく、世の中にはこういう世界もあるのかと田舎者の私は、目をみはったものだった。そして、テニス部だった私は、平良中で大会があった後は必ず筑登之屋によって、ロゼットの石鹸とカーマインローション(日焼けの後に良いとその頃大評判)を買うのがお決まりとなった。あの頃のお店の棚の雰囲気まで、アリアリと目に浮かぶ。
「筑登之屋商店」は終戦後、西仲の畑を売り、今の「とんかつ一番」のある場所で開業した。現在の場所になったのは昭和36年頃のこと。昭和30年代の西里通りは、風呂屋やタクシー会社、タンス屋などもあり、今とはまた違う雰囲気があったようだ。
昔の「筑登之屋商店」は、衣類や雑貨類、化粧品の外、たねもの等なんでも扱い、今でいうところのホームセンターのような感じだったらしい。私が通っていた1970年代には、主に化粧品関係が中心となっていた。おしゃれに興味のある、ハイカラな中・高校生から大人の男性、女性たちで賑わっていた。その頃の商品には、チャールズブロンソンのCMで一世を風靡した「マンダム」やピンクレディの「エメロンシャンプー」とか、あとおじさん、おばさん御用達の「丹頂ポマード」、「大島椿油」、「せんす」、「キセル」、それから中学生のニキビの友「スキンライフ」等々があった。そして現在は、昔からある商品から今流行ものまで扱い、近所の方や、よその店で探せないものを聞きにくるお客さんたちに利用されている。
《筑登之屋商店(つくどんやしょうてん)》
平良市西里246番地
創業昭和21年頃。
店主 下地信輔さん(三代目)
「ミャークフツ講座?うとぅるすふつ(怖い言葉編)」
ざうかに
- まやーし すてぃる (投げ捨てろ、放っておけ)
- みんぎ とぅらし (なぐってやれ)
- すぅっう”い (しばけ)
- どぅみる (こぶしで突く)
- うちゃあし (叩け)
- たいつきる (たたきつける)
- ふす だすからん (役立たず)
- んた がなまりゃ (直訳:土頭 意味:バカ垂れ )
- ふす がなまりゃ (直訳:クソ頭 意味:最上級のバカ垂れ)
- うわが しゃこー (この野郎)
- くぬ、やかずまーりゃ ぱき゜ぶにぁ ぶりーとぅらさでぃな (この風来坊め、足の骨を折ってあげようか)
最近は、あまり使われないかもしれないが、特に んきゃーん(昔)のお父たぁや、うぅとぅるすむぬ(怖いもの)だった。高校生の頃は、夜もあまりやー(家)にいないもんだから、お父に↑の言葉は、よく言われた。言葉だーけ聞くと だいず、うとぅるす(すごく怖い)けど、本当にやるわけじゃないよー。
「ミャーグンヌ アニガマ(宮国の姉小)どうかってぃ解説」
マツカニ
今回は、ドイツ村のある上野村宮国の、おしゃれなおしゃれなお姉さんを唄った唄を紹介します。
- ミャーグン ヌ イキ゜パティ ヌ アニガマ ★ウヤケンナウレ
- アニガマガ サウナギ ヌ カラッツゥバ ★
- ピス゜キ゜フカシ サンザラシ ニャアンニバ ★
- ウキ゜ナー カラ クダリ ンミャアス゜アウワツブ ★
- ツブ ナガナ カミ ナギナ アミカウヴィ ★
- ヤマトゥ カラ クダリ ンミャアス゜ツヌフッシイ ★
- マイ カラヤ チビンカイ ナディワアシ ★
- ンキ゜カラヤ ピダス゜ンカイ ナディワアシ ★
- マグヌ プイ グフヌ プイ ユイビシ ★
- ヤマトゥ カラ クダリ ンミャアス゜ナンザ ギス゜ーパ ★
- ミンヤライ ツヌヤライ サシバシ ★
- バガ キ゜ンヤ フタイフギ トゥリキシ ★
- バガ タマヤ アウダマヤ トゥリパキ ★
- バガ カウス ウヤカウス トゥリカミ ★
- バガ カミヤ ンタガミヤ トゥリカミ ★
- ウプスゥ フマ スゥカラ フマ イキバ ★
- ニーマヌシュウ ガ ナカヌ ッファヌ ムサウヤガ ★
- イン マアリ パマ マアリ ウーティ ★
- ハイユ ハイユ ミヤーグンヌ アニガマ ★
- ナウグトゥガ イキャグゥトゥガ ムサウヤ ★
- ムムティ ウス゜ダンカ ユドゥ スゥディ ★
★は繰り返し
- アミカウウ゜イ = 液体の入った物をひっくり返してずぶ濡れになる様
- マグヌプイ = マグとは、穀物などを入れる丸い籠。プイは大きさを表す
- カウス = 頭に物を乗せて運ぶ時、安定を図るために物と頭の間に入れる輪っか
- ニーマヌシウ = 時の権力者。「根間の主」という有名な民謡もある
(解説)
この唄は長い曲ですので、途中省いてあります。内容は、宮国の村はずれのお姉さんが長い髪をほどいて、沖縄から入って来た香油を髪にいっぱいつけて、大和から入って来た櫛で前後左右へと梳かして、大きく結い、大和製の銀のかんざしでセットし、二重のいい着物を着て、青玉のネックレスをし、土でできた瓶を頭に乗せて海水を汲みにいくと、根間の主の次男の武佐親が、海を廻っていて「ねぇねぇ宮国のお姉さん」と呼ぶので、「何ですか、何事ですか」と尋ねると「百年一緒に住む相談をしよう」と言われた。という唄です。
おしゃれなお姉さんがナンパされているせいかどうか、軽快なノリの曲調もなかなか良いです。城辺の唄だと思いますが、「ユナンミヌアニガマ」という似た歌もあります。宮古島の民謡は、沖縄や八重山には負けているだろうなと漠然と思っていた僕が、宮古民謡を見直すきっかけになった曲です。三線は初心者にはちょっと難しいかもしれませんが、頑張り次第でものにできますよ。
アンッカラ マタ クヌツギ ガミ(それではまた次回まで)
「前号(vol.48)のπ里生さんへ」
アモイ
前号のπ里生さんの「アンナーイ」を面白く読ませてもらいました。「んもーい」は宮古全土で使われていると思っていましたが、知らない(使ってない)人が多いのを知ってびっくりしました。
「んもーい」は親戚や友人、隣人を訪問するときは殆ど使いませんでした。その時はπ里生さんの言われる通りアンナーイ、とぅんがらーい、あざーい、等等その人の愛称や敬称を呼びます。しかし、知らない家へいくときは誰がいるかわからないのでそこで「んもーい」と誰にでも当てはまる呼び方をしたものです。店屋へいって呼びかけるときも「んもーい」でした。しかし、決まりがあるわけじゃないので、知ってる家でも「んもーい」と尋ねていくと、なじみの声で冗談っぽく「かもーい」と返事があったりしました。
π里生さん説の「んもーい」が「んまーい」から変化したのでは?もなるほどです。そこで、私なりに勝手にこじつけて想像してみました。
まずは宮古ふつ側から
「んみゃーち」はいらっしゃいです。いつがんめいたりゃー?(何時いらしゃったの?)と言いますから、「んめい」はいらっしゃる、来られる、との意味になります。家を訪ねるときは、誰かがいらっしゃってるんだよ、誰かが「んめい」ているよと家の人に知らせなければなりません。その時に「んめい」では呼びかけにならないので「んめーーい」と大声で叫んで居るうちに「んもーい」に変わったのではないだろうか?んめい、んめーい、んもーい、・・・?
もう一つ日本語側から
日本語では「御免下さい」といいますが、時代劇の武士達はよく短縮して「御免」と尋ねていきます。御免を宮古的発音にすると、んめん、んめーん、んもーい・・・・?。この勝手なこじ付け解説はいかがでしょうか?かなり苦しみますね??しかし「んもーい」を使ってる地域が?どのくらいあるか判らないので今度宮古へ行って知らない人の家を尋ねる時は是非「んもーい!」と尋ねて見てください。
「編集後記」
松谷初美
子どもの頃は、本当によく ピサを蹴ったものだ。足の親指は、しょっちゅう ふくつくん(血が固まって黒くなること)でいた。そういえば、痛い時は「あがっ!」とも言うけど、「すーっ」(息を吸いながら)とも言わないか?思い出しただけでも、あがい、やんむぬ。(ああ 痛い)
「うとぅるすふつ」は、主に身内に向けられる言葉だと思うけど、まーんてぃ(本当に)容赦がない。こんなに直球を飛ばすのは、宮古だけなのかねー。
「ミャーグンヌアニガマ」は、いず(元気)が出てくる唄だねー。ハヤシの「ウヤキンナウレ?」の部分は耳に残りやすくて、覚えやすい。
「お店紹介」は、今後もいろいろなお店を紹介していきます。ホームページでも紹介しています。(写真入り)合わせてごらんください。
「んもーい」今度私も使ってみようっと。
しまいがみ(最後まで)読んでいただき たんでぃがーたんでぃ!あなたのご意見、ご感想、投稿 まちうんどー(待っていますよー)
次回は、4月17日の予定です。あつかー またやー。