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くまから・かまから vol.57

2021 6/02
メールマガジン
2003年8月7日2021年6月2日

みなさん、こんにちは。台風10号や のーしーがらやー(どうでしょうか)雨をやまかさ(たくさん)むたらし ふぃーじゃーんびゃー。(もたらしてくれないかなー)
くま・かま vol.57 ぱずみっとー(始めますね)

目次
  1. みゃーく んなまずぶん(いまごろ)
  2. お店紹介9《レストラン銀座》
  3. 骨からの報い
  4. ミャークフツ講座 すぅとぅがつ(お盆)編
  5. お便りコーナー
  6. 編集後記

みゃーく んなまずぶん(いまごろ)

さどやませいこ

今日も空がアオい。海は凪。頭上には炎帝が誇らしげに島をなめ回している。

ノーティヌバーガ(なんたることじゃ)。夏が暑いとは解っているつもりだが、こう毎日続くと太陽に石を投げたくなる。ウダって何をする気にもなれない。もう、いい加減に手を緩めてくれよ、とお願いしても知らん顔。かえって、コレデモカコレデモカとアツトロトロの息を吹きかけてくる。大地は乾き、餌をさがすサギたちは、その割れ目に足を取られ、アガイタンディと羽をばたつかせている。おまえも犠牲者か。

「うわー、アオい海、アオい空」と観光さんは大喜び。たまに逢うから新鮮なんだよ。毎日ここで暮らしてみろ、自然がいかに残酷かということが解るから。贅沢?そうかな、でももう、アオい海、アオい空は飽きたよう。そう、飽食(色)なのよ。毎日ビフテキだけでは人間もたないよー。たまにはスルスルとネギだけの冷やしソーメンが欲しいよー。

お店紹介9《レストラン銀座》

松谷初美

レストラン銀座の「宮古そば」は、だいず んまむぬ(すごくおいしい)。

レストランで「宮古そば」?と うむいー うーがらまい すさいんすぅが(思っているかもしれないが)そうなのだ。

なんせその前身は、大正の終わりにできた「前里そば屋」。今でも当時と変わらず薪で作るスープは、あっさりしていて、最高だし、何時間も煮込んだ豚の軟骨肉もトロトロで、上等さー!

創業当時「宮古そば」は珍しかった。しかし、すぐ大人気となり、近所にも次々と「そば屋」ができた。「ぴとぅん まきゃあならん(よそに負けてはいけない)」と「前里そば屋」では、すぅいぶん(添え分)をするようになった。

他店よりうちは、そばをおまけしてありますよと、出来上がった宮古そばの上から、又麺を上乗せしたのである。そうすると具は見えなくるが、麺が山盛りとなる。あ!もしかしたら、「宮古そば」の具が隠れているのは、この為!? 今だ諸説ある「宮古そばの隠れた具のなぞ」は、これかもしれないなぁー。

「レストラン銀座」と名前が変わったのは、今の店主前里長三さんになってから。若い頃行った東京の銀座にいたく感動し、40年前に鉄筋3階建て(地下1階地上2階)にして名前に銀座を入れた。料理も伊勢エビを使ったものを取り入れたりして、会合や模合いなどの団体の利用が増えていった。

しかし、名前が変わっても、「宮古そば」は変わらなかった。近所の人はもちろんのこと、買い物帰りの人や、労働者の人たちに今も愛され続けている。値段も400円とは、うれしいじゃないですか。

あ、場所を書いていなかったさいが。
下里通りを港方面に行くと市場通りにぶつかるさ。そこを通り越して、昔ながらの路地に入ったら右側にあるよー。

この建物がまた古くてさー、いい味しているわけ。「レストラン銀座」と言う名前からは、少しズレるけどね。でも40年もたっているからしょうがないさね。しかしこれがまた、昭和の匂いが だう(たくさん)あって、いいんだ!

お店のおばちゃん鏡子さんも人が良くて、面倒見がよくて、とても朗らかな人でさ。いい空間が迎えてくれること間違いなしだよ。

この辺りの路地といい、「レストラン銀座」といい、変わってほしくないなーと思うけど、いずれここもまた変わっていくんだろうなー。

「レストラン銀座」は、すぐ斜め向かいで民宿もやっている。冷暖房完備で安い宿を提供している。市内の真ん中にあり、便利で上等だはずよ。

ぴょーすんな(たまには)市内ゆまい(をも) ぷらぷら てぃ あずきーーみー(歩いてみて)疲れたら「レストラン銀座」の宮古そばをふぁいみーるよー(食べてみてね)

《 レストラン銀座 》
平良市下里10番地
電話:0980-72-2234(民宿の申込もこちらへ)
店主:前里長三さん(二代目)

骨からの報い

アモイ

 実家の南東側に更竹病院がそびえたっている。帰省した或る日、更竹病院側から家がどのように見えるか写真をとってみた。家は良く見えるのだが、しかしどうやっても家と更竹の中心位の距離にあるセメント造りの墓がくっきりと写ってしまい良い写真にならない。そこでお墓と言うものについてちょっと考えてみた。

 沖縄や宮古島では人家と見間違うほど大きな墓を見かける。お墓は亡き人への尊厳や感謝を表す象徴とも言え沖縄の文化の一つでもある。しかしそんなに大きくする必要があるだろうか?少し小さくして景観をそこなわず目立たないようにしていけないものだろうか?

私の父は本土での生活が延べ年数で10年以上あった為か、生前、自分の墓は本土の墓のように小さく作って欲しいと話していたし、家族のみんなもその意見に賛成だったので、亡くなる直前に大工さんに頼んで本土の墓のようにと簡単な図を書いて渡したのだが、立ち会う事も出来ず、出来あがったのはそのまま宮古式墓になってしまっていた。父は墓の中でちょっと文句を言ってるかも知れない。

 子供の頃、実家の裏山の西方の岩場の奥まった所に骸骨(人骨)が何体か晒されるように放置されている場所があった。子供の頃一人で近づくのは怖かったが、そこは子供だ、近所のどぅす(仲間)で肝試しのような事になり、骨を持ち上げたり、撫でたりして遊んだ事があった、仲間のすぅざ(先輩)達はエスカレートしてしまい一人が鎌の柄で頭蓋骨をたたき。一人が足の骨を叩いてみたそうだ、そしたらその夜には頭を叩いた人は頭が痛くなり、足の骨を叩いた人は足の骨が痛くなったよ。と自慢とも後悔ともつかぬ話を聞かされた。その話を聞いたあとはみんな骨遊びはしなくなった。さわらぬ神に祟り無し、死者へ鞭打つ事は悪い事だよという警告だったのだろう。

しかしその骸骨の正体はいったい何だろう?その頃は気にもしなかった。高校生の頃と記憶しているが、戦死者の遺骨収集の事がマスコミで話題になったときは,きっとあの骨も宮古島に駐屯した戦没者の遺骨だろうと思って、両親に聞いてみると、あの骨は戦争前から存在し兵隊さんのものでは無いよとの事、それじゃーいったいあの骨達はどこの馬の骨か??との疑問に「んきゃーんなぴすとぅぬすんすかー あんちどぅ 野−んき あにぎな さらしゅぅーきすたーざ」(昔の人は人が死んだら、そんな風に野山に晒しておいたそうだ)馬の骨じゃなくてやはり、りっぱな人骨なのだった。

 何年か前に又吉栄喜氏の「豚の報い」という小説を読んだ。その中で沖縄の間謝島(久高島がモデルとされている)の葬式の話がでてくる、そして「何世紀も前は海岸に晒して風葬にした」という一節がある。あの裏山の骨は昔風葬にされたものだったのだ、その後、先祖を大事にする沖縄では大きなお墓造りが主流になったのだろう。葬式のしきたりは世界的にも風葬、天葬(チベットが有名)土葬(埋葬)、火葬と変わってきているようで葬式とお墓はセットになっていると思うが日本の葬式は「墓理法」と言う法律で規定されているようである。

 今私が住んでいる中国では現在、葬式の方法が改められ火葬にして納骨堂に預けるのが主流になっているそうだ、散骨といって骨を灰にしてしまい海や山に撒いて何も残さない方法をとる人もいるらしい、国からの指導として死んだ人の為に土地を無駄に使用しないようお墓もつくらないというほど超現実的な考えなのだ、世界的にもお墓を小さくしていく傾向は顕著のようである。ましてやゴミ一つ捨てるにも条令が必要な時代なのだ、大きいお墓は景観を損なうだけでなく土地使用の面やお金の面からも無駄ということらしい。

 しかし本当にそうだろうか?大きなお墓がなくなるほうが本当に沖縄の人にとっていいのだろうか?しーみー(清明祭)、お盆、じゅうろくにち(十六日際)等のお墓に関連する伝統やしきたりが大きなお墓を中心に守られており、島を出て遠くで暮らす親戚や家族達を呼び寄せ、その家族や親戚の絆を深める絶好の場所や機会となっているのだ、お墓を小さくしたり集中方式にしていくことに依り伝統を守り育てたり先祖を大切にする、うき゜なーぴとぅ(沖縄の人)の心まで失われてしまうのではないだろうか?お墓は小さいほうがいいと思いながら色々考えて見たのだが複雑な気持ちになってしまいました。

沖縄で生まれ育った貴方ならどう考えますか?

ミャークフツ講座 すぅとぅがつ(お盆)編

ワタリマリ

宮古の すとぅがつ(お盆)は、旧暦の7月13.14.15日に行われる。

この三日間は、ご先祖様が家に来るので迎える準備をする。まず7月7日にふきゃぎ(宮古風おはぎ)を かんたな(仏壇)にすき(差し上げ)、あともう少しで すとぅがつ だから来てくださいねーと おしらせをする。

んかいび(迎え日)には、かんたなに うさぎむぬ(お供えもの)をたくさんする。

あだんの実、ばんちきらー(グアバ)、ぶーき゜(さとうきび)、すいか、こーす(お菓子)、たくぬ(タコの)刺身や あさず(アサリ)などなど。刺身は、他のところではあまりやらんみたいだけど、いんばた(海の側)のばんたがやー(私達の家)では、やっていた。

こう ゆ たき(線香をたき)、「きしー ぞー すとぅがっつゆ っしー ぬかーぬか うらさまちよー。」(来て いいお盆をして ゆっくりしてくださいね)  と てぃーゆ かみる。(手を合わせる)

離れて住んでいる姉妹家族も親戚もお中元を持って集まってくる。(宮古ではこのお盆の時にお中元をする。そしてそれは仏壇の前に供える)

ご先祖様がいらっしゃる間は、あさむぬ(朝ごはん)、あし(昼ごはん)、ゆず(夕ご飯)を ちゃんと すきる(差し上げる)。3時ぬ ちゃーゆまいちょうきまい(おやつも) ばっしやー ならん(お茶も忘れてはいけない)。

三日間は、うまかまぬ(あちこちの)うとぅざ(親戚)が てぃーゆかみ が きす。(手を合わせに来る)

そして うくずびー(送り日)。みゃーぐん(宮国)は綱引きがあるため、早めに見送りをする。かびじん(紙のお金)を焼き、(ご先祖様があの世でお金に困らないように、お金を持たせるのだ)。たてた こう(線香)がぜんぶ消えると、ぞー(門)の所に行き、西南に向って、ここでもまた こう(線香)をたいて送る。そのとき、かんたなに お供えしてあったもの全部から 少しずつ ばきがまーしー(分けて)、それをおみやげとして持たせる(下に置く)最後は、みんなで てぃーゆ かみ 家の主が 見送りの言葉を言う。

「うわたが やーんかい きす゜たー うかぎん 内地からまい んざーからまい んーな やーんかい きし ぷからす すとぅがつ ゆ んかいたーまいふか。うり やまかさぬ つとぅ むちいき とぅなずんかいまい なかーり ふぁいよー。また んなまからまい くぬやーぬ ぷからす くとぅう守り ふぃーさまち たんでぃがーたんでぃ。」
(あなたたちが(ご先祖様が)来てくれたおかげで、内地からも どこからもみんな家に来てうれしいお盆となりました。ありがとう。どうぞ たくさんのおみやげを持って行って、お隣りさんにも分けて食べてください。またこれからもこの家の幸せをお守りください。ありがとうございました)

お便りコーナー

ニューヨーク在住 白百合さんより

くま・かまのスタッフの皆様初めまして。
ばたぬ んにゃてぃーすっきゃー あまーさりーぬ うむっしサイトを見つきってぃ ぷからっさしています。(お腹が痛くなるほど笑えるサイトを見つけて喜んでいます。)  
 
83年に宮高を卒業して早20年の歳月が経ち、今は遠くのニューヨークに住んでいます。地球の裏側に住んでいてもインターネットを通して宮古島の情報や写真その他色々を瞬時にして入手する事が出来るので、便利な世の中になったものだ・・・と感心し喜んでいます。 
 
此処にいると文化、生活様式、人種間の摩擦など様々な問題があり(何処でも一緒でしょうが・・・)、時々挫けそうになってしまいます。でも私の心の中にはいつまでも宮古の「アララガマ根性」が活きずいており、例えば仕事で行き詰まった時など、「あがいたんでぃ うすきーがまぬくとうや のーめーあらん、ぷかんぴぃとうん でぃきぃってぃ みゃーくぴぃとうぬ ばぬん でぃきん くとうてぃーや にゃーん!!!」(これくらいの事はどうってことない、他の人に出来て宮古人の私に出来ない事があるわけない!!!)と自分自身を叱咤・激励し押し寄せる荒波の数々を乗り越えています。この言葉のお陰で んざんかい うてぃーまい(何処にいようと)「七転び八起き」を繰り返し、がんずーしー(頑丈に)生きていける気がします。
 
読む度に勇気とパワーそして笑いを与えてくれるこのサイトを応援し、スタッフの方々の健康と繁栄を遠い空の下よりお祈り致します。

※白百合さん、ニューヨークから たんでぃがーたんでぃ!改めてインターネットのすごさを感じますねー。ばんたまい まさり いずゆ むらいぷからすむぬどー(私達の方こそ、元気をもらえてうれしいです)。 これからも応援よろしくお願いしますね。

編集後記

松谷初美

7月20日〜26日まで宮古に帰っていた。帰る前から、今年の宮古は暑いよ、暑いよと言われて、帰ったら、まーんてぃ(本当に)どーりゃーにゃーん(道理のない)暑さやたー。心配されていた旱魃もここのところの雨で、少しは解消されたようで うむやすむぬやー(安心ですね)

アモイさんの墓のぱなす(話)
墓についてあまり考いたーくとぅお にゃーんすぅが、(考えたことはないが)昔みたいに一門が一つの墓に入るのは、少なくなっていると思うから、これからは増えていくばかりだろうなぁ。そしたら、やっぱり小さくしていった方がいいのかねー。私も複雑な気持ちだー。

最近、田口ランディ著の『旅人の心得』というエッセイを読んだ。冒頭に宮古島に行った時のことが書いてあって「同じ島でも、たくさんの顔をもっている。小さな島であっても、その文化と歴史に触れないと大切なものは見えてこないのだ」と書いてあった。まーんてぃ あんちーやー てぃどぅ うむう。(本当にそうだと思う)。

今度の帰省で感じたことは、まったくもってそういうことで、つくづく宮古は数え切れないくらいの顔を持っているなーと思った。そしてそれは宮古出身者でさえ全てを把握できるものではない。いろいろなメディアで紹介される宮古や自分の目で見る宮古もほんの一部に過ぎないのだと思った。文化と歴史は、きょうも積み上げられている。

帰省中の7月22日に、和風レストラン「たまよせ」でオフ会をした。宮古や内地の、くま・かま読者の方たちと、ライターたち20名が集まり交流を図ったさー。うむっしどぅ やたーどー(面白かったよー)ご参加いただいたみなさん、たんでぃがーたんでぃ。

さて、東京でもオフ会を予定しています。
●2003年8月23日(土)午後6時30分〜
●沖縄料理の店「ちむ屋」(東京中野)
●電話:03-3387-5855
参加希望の方は、下記のメールアドレス(松谷)までご連絡ください。
お待ちしています。

来週は、すぅとぅがつやー。やまかさぬ ぴとぅぬ(たくさんの人が)里帰りをして、賑やかな宮古になるはずね。やらびぱだあ(子どもの頃は)送り日に遅くまで起きて、お供えが食べられるのが、だいずな楽しみだった。

次回は、8月21日の予定です。あつかー またやー。

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