みなさん、こんにちは。 宮古は、ようやくまとまった雨が降り出して、うむやすーうむやす
(すごーく安心)しているはずねー。vol.58お送りします。
平良港が宮古圏域に果たした役割について(貨物輸送)
神童
沖縄本島へ行くことになった。妹の母のだんな(父ともいう)が、浦添総合病院で手術を行うことになったからだ。
出発の日、手配していたチケットが、妹によりキャンセルされて、船のチケットにすり替えられていた。平良港出港は午後9時。出港の8時過ぎまで宴会をして乗船した。「もう飲めない、もう食えない」状態で。
出港までデッキで ゆーかじんふかい(夜風にあたり)酔いを醒ましながら夜の平良港を眺めているうちに船は ぬかーぬか(ゆっくり)と平良港の岸壁を離れた。波と風が強さを増したためデッキから客室のラウンジへと降りていった。ラウンジで待っていたのは、航空チケット無断キャンセル犯の妹であった。こいつは、最近250ccのバイクを買ったので、このバイクで那覇方面の道路をかっとんでみたいことから、船にバイクを積み込んで那覇へ向かおうという人物である。
妹はラウンジの中央に置かれたテーブルでなにやら食っていた。そのテーブルの上には配達の寿司を入れる平たいプラスチックの器が3皿広げられていた。
皿には「おでん」「八宝菜」「グルクンの甘酢あんかけ15匹」が乗せられていた。妹はこうのたまうのだった。「夕ご飯だから食べれ」「あのな、今しがた居酒屋でさんざん飲んで食ってきたところだ。これ以上食えないし、大体、なんだ、この量は。二人で食いきれる量か。すまとりゃ(相撲取り)じゃあるまいし」「じゃー飲めば」妹はそういいながらオリオンアロマトーンの栓を抜いたのだった。「だからもう飲めないって」それにアロマトーン?発泡酒だし・・。仕方なく左手に缶ビール、右手に割り箸を持って食べるジェスチャーだけ。し
ばらくするうちに、妹は客室に戻って寝てしまった。
チャーーーーンス。早速おでんをゴミ箱にポイだ。八宝菜もポイだ。ビールもついでに捨てちゃえ。グルクンは なんくる(ともかく)日持ちしそうだから残しておいてと。残ったグルクンを妹の客室付近にうっちゃて、さっさと寝てしまった。
那覇港へは翌日の朝到着した。荷物を持って船を降りる。しかし、ここで問題が発生した。妹の荷物が異常に多いのである。荷物の内訳は空港で売っているキャスターつきのお土産バックが3個。大き目のリュック1個。手提げバックが2個。計6個だ。那覇へ引っ越すつもりか?
妹は荷物をバイクに積み始めた。しかし荷物が全部乗せられない上に、全部乗せると運転手も乗れない無人バイクとなってしまう。2回に分けて運搬することになった。病院の場所が分からないので先発は妹だ。1時間ほど待ってやっと妹が那覇港旅客船ターミナルへ戻ってきた。
引き続き第2陣で病院へ向かう。妹はバイクの後ろで道を指示。しかし、こいつはさっき通ったはずの道を最低でも5箇所は間違えている。多分、直線距離にすると名護に十分届いているのではという距離と時間をかけてようやく浦添総合病院にたどり着いたのだった。(以下次号)
お店紹介10《麻姑山(まこさん)書房》
松谷初美
麻姑山書房は、んなま(今から)21年前にできた古本屋である。「麻姑山」という名前は、宮古が古くはそう呼ばれていたことに由来する。
マクラム通りにあるブーゲンビリアや蔦のからまるお店は、一見、喫茶店かと思わせる雰囲気だ。ドアを開けると独特の紙の匂いと大量の本が迎えてくれる。
入り口からうず高く積まれた本は、ぜんぶで20万冊くらいあるらしい。らしいというのは、店主の田中保一さんもはっきりと把握していないというからだ。今は、コンピューターでシステム化され管理されている所が多い中で(もちろんそれも大切なことだ)なんだかそのアバウト具合が上等。支払いをしておつりが出てくるのも田中さんのポケットからだ。
本の内訳は、漫画、小説、エッセイ、雑誌、趣味本、郷土資料、CD、ゲームソフトと多岐にわたる。仕入れは京都の卸屋さんからで、毎週2000冊づつ入荷するそうだ。
私は帰省すると必ず一回は立ち寄っている。中学生の息子も大好きで、今年は、三回も通った。息子は漫画。私は郷土資料が目的である。漫画などは、新刊の約半分以下の値段だが、郷土資料は定価、あるいはそれ以上の値段がする。発行部数が少ないのと絶版になっている本も多く、値がはるのだ。しかしそれだけ払っても価値のある本が やまかさ(たくさん)ある。
最近は、本を読む人が少なくなってきたことと、宮古にも大手の古本屋が2軒もできて、昔ほどは うわいんふ なりゅうつぁあ(売れなくなったそうだ)
お店は奥さんの雅子さんとの二人三脚。「○○が欲しいんですが、」と言うと無造作に積まれた本の中から「ちょっと待ってねー、たぶんこの辺りにあったはず」と言って見つけてくる。20万冊もの位置を覚えているなんて、商売とはいえ、いぎゃん!(すごい!)
学校図書館の司書をしていた雅子さんは、図書館のように分類して整理したいそうだが、毎週大量に入る本を分類するのはなかなか大変で、思うように進まないとのこと。
しかし、私はこの無造作も「麻姑山書房」の魅力のひとつだと思っている。何か宝が詰っているように感じるのだ。それを見つけるのはお客さん自身。自分に合う本と出合うのは運命のようなものがあって、どぅうしー(自分で)それを見つけた時の喜びは、例えようがない。ここには、見つけてもらえるのを待っている本が やまかさ 埋まっている。
あなたもそれを探しにでかけてみませんか。
《麻姑山書房》
平良市西里587-3
電話:0980-72-7669
店主:田中保一さん
ミャークフツ講座 声に出して読みたい編
ひさぼう
1.まずは、声に出して 読んでみてください
バガ ピーユ ボンテイ ピサバ
ウヴァ カバデイナ
ウヴァ ガ カバダカラー
バガ カバデイ
2.発音
- テイ → 英語 TEACHER(先生)の TEA
- ウヴァ → 英語 VACATION(休暇)の VA を発音する口の形で ウヴァ と一拍で
- デイ → 英語 DICTIONARY(辞典)の DI
3.意味
私が 屁を ボン と放ったら
あなたは 嗅ぎますか ?
あなたが 嗅がなかったら
私が 嗅ぎます
4、八重山 編
バー ピー ポンテイ ピスカ
ワー フォン ?
ワー ファーナカー
バー フォン
※ フォン は 食べる
どうです?面白いでしょう?
八重山がメルヘンティックならば、みゃーく(宮古)はフランス風か英語風?
あるいは、ヒットラー風か!?声に出して外国語風に楽しむ。これ伝統です。
なだ(涙)の理由
松谷初美
とある日曜日のこと。それは、久しぶりに伯母と新宿で会い、あしぁふぁい(ランチを食べ)楽しいひと時を過ごした帰りだった。
新宿から中央線の下りに乗り、座ることのできた私は、読みかけの本を広げながらも伯母との楽しかった会話を思い出しぼんやりしていた。
車内は比較的空いていて、休日のせいか乗っている人の表情ものんびり見える。向かいには老夫婦が座っていて展覧会か のーがらーぬ ぱなす(何かの話)。私の右側では、高校生とおぼしき びきうっわぁ(男の子)が携帯でメール中。左側に座っている若い女性は、風邪ぎみなのか鼻をすすっている。
本を読み始めようとすると、隣りの女性の鼻をすする音が激しくなってきた。どうやら風邪ではなく、泣きうーんぎなり(泣いているようだ)。私は気にしないふりをして、本を読み始めたが、ふっと昔のことが甦ってきた。
今から10数年前、結婚したての頃、義母に呼び出されて説教をされたことがあった。宮古から出てきたばかりで、世間知らず、常識もたぶんズレていたであろう私のすることは、義母にとって歯がゆかったに違いない。今となればそれも分かるが、その頃の私は、一方的に怒られたという印象しかなく、ショックで立ち直れないまま電車に乗った。
電車で泣くたくはなかったが、溢れる涙を止められなかった。その時も、今の私のように すなーしー(だまって)見ていた人はいたのだろう。見て見ぬふりをするというのは、都会の冷たさだと思っていたが、案外優しさもあるのかもしれない。
若い頃は何かつらいことがあると、先の伯母の家に駆け込み、愚痴を聞いてもらっていた。年月が経てば義母の気持ちも分かるようになり、怒られたのでなく、教えてくれたのだと分かってくる。そして私は強くなった。今は強すぎるくらいで、「少しは昔みたいに、涙のひとつも」と夫に言われる。
隣りに びじうー(座っている)女性の なだ(涙)の理由は、知らない。あすぅが(でも)「いつか癒えるから頑張って」と心の中でエールを送った。
野崎生まれの先生(投稿)
いけま さなえ
沖縄に来て、17年。学生としての生活が始まりだった。
構内に原生林があり、一周2キロもある学校に通っていたその頃。4年間の総仕上げのため、野崎生まれの先生の研究室を選んだ。先生は、学生を みどぅん・びき゜どぅん(女・男)の別無く「**君!」と呼んだ。
人と話すときには「子供たち」と呼び、酔っぱらうといつも「先生は、(子供が無いから)仲人ぬ、しーらいん(できない)」と言った。苦学して北海道で学位を得た先生は、絶対泡盛は口にせず、日本酒を飲んだ。夏もビーカーをアルコールランプで炙り、燗を付けていた。泥酔して女子学生に担がれて帰ったりと、武勇伝や、だう(たくさんある)。
いつもワイシャツ姿で腰には手ぬぐいを下げていた。「小使いさん?」と言われそうだったが、正装すると別人のようで、「ネクタイぅば、みどぅんに選ばされん(ネクタイは家内に選ばせない)」と自負していた。
野崎の生家に、一度だけお邪魔した。五勇士の碑にほど近い家には、義理のお母さんが一人で暮らしていた。ニコニコと気の良さそうなおばあだったが、先生は嫌っていたように見えた。
オトーリには反撥していた。ずいぶんと前の事で、よく覚えていないが、「正統な飲み方ではない!」という趣旨のことを言っていたと思う。だからその風習がフォークロアではなかったことを、みゃーくの地を踏んで初めて知った。教えてくれなかったね、先生。
昨年春。先生の退官祝賀会が開かれた。会は盛会で、改めて先生の徳を思った。そして渋い赤のネクタイを締め、晴れやかに酔っていた先生の挨拶は、やっぱりオトーリ、ではなく、オートリバース、だった。
先生、在学中はお世話になりました。でも、燗の一つも付けてあげなかったし、担いでもあげなかった。ゆるしぃ、ふぃーさまち(お許しください)。
優しい奥様と二人、いつがみまい、がんずぅ(いつまでもお元気)でお暮らし下さい。まぁーんてぃ、たぁんでぃがー、たんでぃ。
※いけまさん投稿たんでぃがーたんでぃ。先生の人となりが目に見えるようですね。歳月が経って感じる事、分かる事ってありますねー。しみじみ。
編集後記
松谷初美
例年にない宮古の夏の暑さに比べ、関東より北は冷夏。のーがくーがら すさいんやー まーんてぃ。(何が何だかわかりませんね。本当に)。野菜まいたかふなりきす(高くなってきて)、ます゜ぬ(お米の)出来も今年はどうなるのか。心配な夏ぬ終わり。
みゃーくふつは、なんといってもその発音がうむっし(面白い)。外国語風に言ってみるというのは、私が子どもの頃もよくやったなぁ。英語調で「電気消ーす、暗くなーる うすみ ぱーどぅり 探す マッーチ」(電気を消す、暗くなる、しゃがんで 這って 探す マッチ)など。得意げになー やっていたねぇ。ひさぼうの「ばびぶべぼ」の多い、みゃーくふつ、くいん いだしー(声に出して)ゆみみーるよー(読んでみてね)
神童の硬いタイトルの結末は、いったいどうなるんだ?? 乞うご期待!
皆さんからの「投稿」や「お便り」を楽しみに待っています。
次回は、9月4日の予定です。あつかー またやー。
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