みなさん、こんにちは。
ぴんがん(お彼岸)ですねー。んにゃ うまがまぎー(もうそこまで)春は来ているはずねー。くま・かまにも温かい話はつきもの。 はい、きゅうまい お楽しみくださいねー。
みゃーく んなまずぶん(今ごろ)
さどやませいこ(城辺町出身)
パダーパダウラマンナ(お元気ですか)。製糖期も終盤を迎え、心なしか、 島がピソゥーピソゥ(広ーく)感じられます。収穫後の畑は、パーガラ(キビ の枯れ葉)の間からタイワンミャーツキ(和名・紫カタバミ)がかわいい顔を 覗かせています。
高校入試や卒業式のシーズンといえば、昔は友だちとザウカニ(グミ)を採 りに行ったものですが、最近はその名前さえ聞きません。寂シー。ところで、 変わらないものがありました。入試のお昼風景です。宮古では、昔からフツー のことですが、余所から見ると不思議な光景だそうです。最近はマスコミが面 白がってデカデカと報道するものですから、すっかりみやーくの風物詩になっ てしまいました。
もう一つ、ところで。今年は閏年で、旧暦の2月が二回あるんですね。3月 20日の春分の日が2月30日で3月21日からまた2月が始まるんです。ピ ルマスムヌヤー(不思議なことだね)。そのせいかどうかわからないけど、す っきりしない天気が続いているよ。晴れたかと思うと、ウムティフフン(不機 嫌そうに)と雨を降らせたり、ニンガチカジマーイ(二月風廻り)を吹かせた り、デリケートなんです。でも、確実に春は近づいています。それは、セータ ーが要らなくなったのです。ストーブも要らなくなったのです。土の中からは、 虫たちが首を出したり引っ込めたりしています。
プジカリクーヨ、ハル(早くお出でよ、春)。
マタヤー、ウスカ(またね、終わり)。
宮古島南静園
神童(平良市出身)
宮古島南静園(ハンセン病療養所)は、平良市字島尻にある。番地は字島尻 888番地だ。正式名称は国立療養所宮古南静園である。去った行幸啓のおり、 両陛下が訪れた地である。復帰前は完全に隔離されており、入口には堅牢な門 扉が設置されていた。
入所者は園外への自由な出入りが禁止され、大浦集落の背後から闇に紛れて 園を脱出し、園外の友人知人親戚を訪れるという行動を余儀なくされた。入所 者は用事を済ませて明け方、園に戻るのだが別れの際は、大浦集落の背後で泣 き崩れたという。今でも大浦の古老達は大浦の集落背後での入所者達の抑圧さ れた生活に対する慟哭が忘れられないと話す。
復帰前の南静園には、小中学校があった。稲沖小中学校だ。南静園は綺麗に 管理され緑あふれる芝生、刈り込まれた樹木というイメージである。何故、立 ち入り規制のされている南静園の状況を知っているかというと、島尻のガキ共 は門番の目を盗んで園に不法に入り込んでいたからである。方法は、園の西側 の崖から樹木の蔓を垂らし、ターザンよろしく侵入するのである。
島尻の子どもは南静園の小中学校で卓球のゲームを行い、戦利品としてラケ ットやボール等をゲットして村の公民館の備品とするのだった。また、園内に はロードショー公開の映画館があり、無料で映画鑑賞をするのだった。
まばゆい初夏の日差しのなか、友人と連れだって草刈りに出かけた。目的地 は南静園である。入口は頑丈な鉄製門扉に門番が監視しているので正面突破は 無理である。南静園を迂回して大浦集落の背後より侵入することにした。侵入 はスムーズに行われた。あとは、施設職員が来るまで大急ぎで草を刈るのみで ある。園内は施設管理が徹底されていることから目的のススキでさえ、見たこ ともないような瑞々しさである。園内に馬車を乗り入れひたすら草を刈る傍若 無人なガキ。しかし、施設職員に発見される頃には荷馬車に山のような草が積 まれていたのである。
発見された不法侵入のガキ共は、正面入口から施設職員に見送られて園外に 出された。しかし、それまでが大変だった。施設はほぼ、海抜2メートル地帯 なのに対し、正面ゲートは標高(海抜は?)30メートルである。(今、調べた んだけど、すると何か、普段の侵入ルートの西の崖は約30メートル近いのか。 そんな場所を降りたのか。命知らずのガキ共だ。)結局、馬一頭では荷馬車を 引ききれないものだから、全員降りて馬を手伝って馬車を押すのだった。二度 と来るんじゃねーぞ。職員の暖かい言葉に見送られ園を後にするガキ共。大勝 利だ。
園では、ほろ苦い思い出もある。
南静園の医師住宅(看護士含む)はゲート脇にあり、周囲を約2メートルの塀 に囲まれている。ある一件の庭に見事な台湾バナナが植えられていた。ガキ共 は樹形から台湾バナナ(島バナナじゃない)と素早く判断し、早い段階から目を 付けていたのである。バナナはある程度までその木で成長させ、時期が来たら 切り離して追熟させるのが収穫の基本である。これは、鳥やヌストゥ(泥棒) 人間の被害を考えて行われていると思う。ガキ共は見事に育った台湾バナナの 房を盗んだのであった。それも2房。一段につき6〜8個のバナナが整列し、 上から下まで10段程の房だ。2房なのでゆうに100個を超える本数だ。ガ キ共は、ゲットして追熟させ頃合いを見計らって見事に黄色に変色したバナナ を食い始めたのだった。しかし、ガキはガキである。門扉脇のテニスコートの 木陰で盛大にバナナパーティーを繰り広げ、結局施設職員に見つかり大騒ぎし ながら逃亡した。もちろん、残りのバナナを抱えて。
行幸啓で気付いたんだけど、両陛下の車両には登録ナンバーの代わりに菊の ご紋が設置されている。もちろんナンバーはない。車検はどうしたの。宮内庁。
余談だ。
南静園一帯は戦前に父方の曾祖父(祖母の父)が所有しており、琉球瓦を焼い て手広く商売を行っていた。祖母は旧姓は池間で佐良浜から島尻へ嫁いできた のだと思う。祖父は名前を「沖縄」という。(従兄弟に「大和」と「唐」もい た)しかし、祖母の親に改名を要求され、「定吉」となった。そりゃーそうだ。 多分こうゆうふうに言われたのだと思う。「佐良浜の池間の娘が島尻の沖縄に 嫁いできた」まるで、オツムの弱い中学生の英和訳文だ。まるで意味が解らな い。するとこうなる。
「佐良浜から池間氏の娘が島尻の沖縄さんに嫁いできた。」 やはり、解りにくい。改名しかない。
ミャークフツ講座 やらび(子ども)編
松谷初美(下地町出身)
・おぶ ・・・水のこと。幼児語。
・おちょう ・・・これも幼児語。「ちょうだい」のポーズ
・しーしーしー ・・・子どもを寝かせるとき、トントンと背中をたたく時に使うことば
・あざんき゜ ・・・機嫌をとること
・ぷんだい ・・・わがまま、自分勝手。(あ、これは子どもだけじゃないね、大人にも ぷんだいな人はいるさいが)
・ぎつ ・・・指図すること、監督すること、面倒を見ること。ぎっつあしらいん(面倒みきれない)
・くなす ・・・わがままなどを言って困らせること。
・うすんきゃー ・・・人見知り
・とぅぶぅてぃふっふぁ・・・おっちょこちょい、落ち着きのない子ども
・ぼうちら ・・・腕白
・まいふか ・・・おりこうさん(ありがとうの意味を含むときもある)
太平洋を往復した さたぱんびん
クイチャーマン(下地町出身)
アメリカの大学の大学院で勉強を続けている池間島出身の親しい女性がいる。 昨年、彼女の友人たちが さたぱんびん(砂糖てんぶら=沖縄の方言ではさー たーあんだぎー)を食べてみたいと言っているというので、私が送ってあげる ことにした。
職場の同僚にも事情を話して、少しでも美味しく、それでいて甘さ控えめの ものをなどと情報を集めた。市販のさたぱんびんを幾種類も試食して品定めを し、黒糖製品20個、白糖製品40個を小包にして彼女の住むサンフランシスコに 郵送した。ぱんびん代(てんぷらの代金)は2千円程度だったのに、送料は9千 円もした。市販のさたぱんびんの賞味期限は長くても大体3週間である。着く までに1週間から10日かかると郵便局の係は教えてくれた。私はその旨彼女に 電話しておいた。
10日ほどして彼女から電話があった。「おいしかったよー。ありがとう」と いう声を期待していたが、物語は新たな展開となった。今か今かと待っている のに、まだ届かないと言う。「何かの都合で遅れているはずだから、あと2、 3日待ってみて」と伝えた。しかし、その後も、同様な電話が2度あり、とう とう賞味期限も気になる頃、4度目の電話。彼女が「念のため、送付書の控え で私の住所を確認してください」というので、見てみた。「オー、マイガット !」住所の番地が違っているではないか。2735とすべきなのを2375と 書いてしまっていた。しかも、彼女の電話番号を記入することも忘れていた。 私のミスであった。あがいー、んぞーなむぬやっさー(ああ、口惜しいものだ) と反省した。
その数日後、仕事から帰るとわが家の玄関に、どこかで見かけたような、懐 かしい雰囲気を漂わせた段ボール箱が置かれていた。「あがんにゃ、むどぅり どぅきしゅー(なんと、戻ってきている)」、とつぶやきながら、私は宛名書 きを両手でなでた。感心したのは、サンフランシスコの郵便局員があの手この 手で宛名人を捜し当てるために努力したあとが、ラベルに書き込まれた数々の メモで分かったことだ。私が彼女の電話番号さえ記入しておれば、こんなこと にはならなかったのである。
気を取り直した私は、同じさたぱんびんたちが太平洋を横断し、往復して無 事に(?)戻ってきたのは、さたぱんびん史上初めてだろう、うばいがうばい (すごいすごい)と、興奮しながら箱を開いて彼らと再会した。賞味期限はそ の日だった。すぐ、ばたぱずきゃがみ(腹いっぱいになるまで)4個食べた。
翌日、私はこのさたぱんびんを30個職場に持参した。いきさつを細かに知 らされていた同僚たちは、賞味期限が切れて間もないさたぱんびんを「特別お いしいさ」と言いつつほおばってくれた。その後、間もなく別のさたぱんびん が無事彼女の手元に届けられた。
クリスマスに、彼女から妻へマフラー、私にソックスが贈られてきた。全盲 の彼女が、優しい心の目でかなりの時間をかけて毛糸の手編みで仕上げたもの であった。この冬は例年になく寒さの感じられる沖縄であったが、私の心と体 は温もりに包まれていた。
お便りコーナー
長野県在住 武島玄正さんより
vol.71の感想です。
「なー坊、ひさぼう」
宮古方言の長文ご苦労様でした。ワイフに「さたぱんびんとたんなふくる」 って書いてあるよ」と誘ってみたが、「ひらがなばかりで読みづらいネ」と。 宮古方言は表記がむづかしいネ。
憲法9条を方言で書いてみませんかと方言指導の大原穣子さんの呼びかけに 例として大阪弁があったので、それを宮古方言にして宮古の友人へ送りました。 大原穣子さんの「方言憲法9条」が本になったようですが沖縄の分は本島の方 言のようです。宮古方言は本当はとはこんな音ではないよなと思いながら表記 するうちにいやになってしまう。 だから「なー坊、ひさぼう」は2人とも優 秀だと感心しています。私は年賀状に方言を書き添えている程度ですが、いい 加減な表記でも結構理解して貰った人はうれしいらしいです。
「初美」さんのオジイイヤーはシュウヤー、オバーヤーはンマヤーと私達は言 っていました。
「菜の花」さんの一粒の種について
ワイフが「まるで「千の風」みたいな詩ネ、涙が出てしまった」と感動してい ました。「厚生年金が出るようになって、自分で本やCDを買うようになった ね。」と「千の風」やお気に入りの「新垣 勉」のCDを手に入れてワイフは 喜んでいます。
※武島さん、奥さんとメルマガを楽しんでくださっているんですね。
たんでぃがーたんでぃ。これからもどうぞよろしくお願いします。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
3月まい中旬、卒業のずぶん(時季)やー。高校を卒業する大部分の しー とお(生徒は)、進学、就職の為に みゃーくう ぱなりすぅが(離れるが)、 宮古では ういがどぅ 普通。あすぅが、どぅうが ぴとぅぬ うやんなり また内地んうーつかあ 18しい っふぉお やーからいだし 生活しみとぅぬ くとぅお だいずなむぬ てぃどぅ うむうだらよー(しかし、自分が人の親 になり、また内地にいると18歳で子どもを家からだし、生活させるという事 は大変なことだなーと思うわけさ)まーんてぃ(本当に)宮古の親はすごい。 仕送りも大変なことなのに、兄弟姉妹みんな大学卒業というのも珍しくないか らねー。
また今ごろの宮古空港は、友人を見送る高校卒業生の姿が見られるさーね。 これから新天地に向う友人にお互いガンバロウねとエールを送らってぅぬばー さーい。その昔、私も何人かの友人をそうやって見送ったさー。前は、飛行機 のタラップに登るまで外のデッキで見る事ができたから、デッキは見送りの人 であふれてなーいたよー。飛行機が離陸するまで手を振ってね。して今度は自 分が見送られ、生まれ育った島を後にしたさー。この時は、親の気持ちを慮る 余裕はなかったねー。四十を過ぎて知る親心どー。
さて、きゅうぬ くま・かまぁ のうしがやたーがらー?(きょうのくま・ かまはいかがだったでしょうか?)ご意見、ご感想まちうんどー。
ところで、くま・かまはこの3月で創刊から丸3年てぃなず(となります)。 来月から4年目のスタートです。4月からは、「ばんたがやーぬつかふ(私達 の家の近く)」と銘打ち、自分の生まれ育った地域の紹介をするコーナーまい ぱずまずがまたぁ しーどぅうー(始まる予定です)。今後ともどうぞご愛顧 のほどよろしくお願いします。
「遊び」の投稿も引き続き募集しています。どんない うくりふぃーさまち よー(どんどん送ってくださいねー)
次号は、4月1日(木)発行予定です。お楽しみに〜。あつかーまたやー。