みなさん、こんにちは〜。3週間ぶりのくま・かまです。くとぅっすさ どうりゃーにゃーん(今年はとんでもない)暑さが続いていますが、ぱだーぱだ うらまずなー(お元気ですか)?
vol.81お送りしまーす。
みゃーく んなまずぶん(今ごろ)
さどやませいこ(城辺町出身)
ごぶさたです。あまりにパンタ(忙しい)で、バスキ(忘れ)ていた、とい うのは ダラク(嘘)で、いつも気にしながら、このところの暑さに負けてい ました。年々暑さが濃くなるのは気のせいだろうか。本土から来た人が沖縄の 蝉はあまりの暑さに「しね、しね、しね」と鳴いているということでしたが、 その蝉でさえ、最近はこころなしか元気がなくて「しぬ、しぬ、しぬ」と聞こ えたりします。
なにはともあれ、夏です。祭りのシーズンです。宮古祭りに始まり、オリオ ンビール祭り、城辺町民祭、下地町のサニツ浜カーニバル、そして昨日(1日) は上野村の「ダンケ フェスト」でした。夕方のスダースサ(涼しさ)を求め て万余の人だかりでした。ほとんどの、祭りも終わり、これからは残暑に耐え 忍ぶだけです。ナンダカサビシイ。
夏休みです。子ども達は夏の暑さもお構いなし、元気に遊んでいます。と、 思います。昔のように、夏休みを満喫している光景を余り見かけないのですが、 私の思い過ごしだろうか。やっぱり、私たち(因みに50代)のヤラビパダ(子 どもの頃)は、夏休みといえば、山学校や海学校でした。二学期の出校日に、 どれだき焼けたかでその満喫ぶりが伺えた訳です。昆虫採集、貝殻標本、自然 観察、いろんな宿題があったように思うが、最近はどうだろう、社会全体の価 値観が変わり、多分、昆虫も殺してはいけないんだろうね。
「夏ヌ雨ア、牛ヌ片胴」と昔から言われるように、最近は片降りが多いです。 目の前で雨脚が止まったりすることもあり、アリーと見ている訳です。特に私 の住む上野村では畑のキビが雨を欲しがっているのに、平良にばかり降ったり してやきもきします。でも、さすがにクイチャーは効く、この前、新里部落の 豊年祭があり、クイチャーをいっぱい踊ったら、その晩、どしゃぶり。クイチ ャーを編み出した昔の人はすごいと思った(?) 昔からアンチャークイクイ (そうやってこえたり)してきたんですね。
お店紹介18 南風(みなみかぜ)
松谷初美(下地町出身)
「宮古にハブはいない」というのが定説のように、「宮古にパイナップルは できない」というのも、これまで当たり前のように言われてきた。
あすぅがどぅ うりゅー つふたーぴとぅぬどぅ うーだらよー。(でも、 それを作った人がいるんですねー)
その人は、下地町上地出身の古波蔵明さん。古波蔵さんは、長年勤めた役場 を平成2年に辞め、新しい農業を目指す。もともと琉球大学の農学部出身で役 場でも農業関係に携わってきた。
これまでマンゴーやキノコ(今はエリンギが主流)栽培などをやってきて、 パイナップルもできないものかと考えるようになった。島バナナとパイナップ ルは同じアナナス科で親戚。下地町では昔から島バナナのおいしいのが取れた ので、パイナップルもおいしいものができると確信していた。
しかし、宮古の土壌はPH7.8と強アルカリ。パイナップルには酸性の土壌 が望ましく、PHを下げることが問題だった。初めは鹿児島から火山灰を砕い たものを取り寄せてやっていたが、どうもうまくいかない。試しにエリンギを 栽培したオガクズを使ってみたらPH6.5まで下げることができた。無農薬に こだわり、水管理に注意をし、パイナップルを作り出してから3年目の今年、 1万個を収穫する大豊作となった。
細長い葉っぱの中にちょこんと乗っているパイナップル。果物はいろいろな 実り方をするが、パイナップルの実り方も独特である。見慣れた宮古の風景に パイナップルのぱり(畑)かぁ。ぴるますむぬやー(不思議な感じだねー)。 パイナップルは通常植えてから2年で収穫となるが、古波蔵さんのところでは、 昨年の6、7、8月に植えたものが今年収穫できた。水をあげ過ぎず、かとい って乾燥させ過ぎない徹底した水管理が成功のカギのようだ。9月ごろまで収 穫予定。今後は冬場にも糖度の高いパイナップルを作れるよう年間を通しての 収穫を目指す。
販売所には、収穫されたパイナップルがたくさん並んでいる。贈答用から自 宅で気軽に食べられるものまでいろいろだ。早速、古波蔵さんが試食用を切っ てくれた。芯まで食べられるよーと言われ、口にしたら本当に芯も柔らかく、 果肉もジワっと甘くジューシーな味が広がった。酸味もほどよくて、さわやか な口あたりだ。まーんてぃ んまむぬさいがー(本当においしい)!
早速、買って帰り、家族みんなで食べた。おばぁも小さな子ども達も大人た ちにも大好評。パイナップルにどんどん手がのびる。大きな二つのパイナップ ルはアッというまにみんなの胃袋におさまってしまった。
パイナップルは消化を助け、疲労回復や夏バテにも良いそうだ。肉を食べる 時は特に良い。食物繊維も豊富で、血液をサラサラにする効果もあるのだとか。
広々と広がるパイナップル畑を見ながら、「ある一定期間しか収穫できない ものではなく、周年収穫をめざし、安定した雇用の場を作ることもこれからは 大切だ。宮古でも他には負けないくらいのおいしいパイナップルができるとい うことを多くの人に知ってもらいたい」と古波蔵さんは熱く語った。
古波蔵さんの想いと、自然いっぱいの宮古のぱり(畑)で育ったパイナップ ル、ぜひ一度お試しあれ。ふぁいみーるよー(食べてみてねー)。
※お求めの方は、販売所に直接行かれるか、FAXあるいは、インターネットでお申込ください。
《 南風(みなみかぜ)》
下地町字洲鎌94-1
代表:古波蔵明さん
電話・FAX:0980-76-3323
メール :minami-kaze@tontonme.ne.jp
ホームページ:http://www2.tontonme.ne.jp/users/mkaze/
ミャークフツ講座 路上の会話編
ひさぼう(平良市西仲出身)
モーシィ:あば、 みーだつやーぬ おばあーや あらんな。 おばあ 〜
おばぁ :うばい、うう”ぁ とーがらやー てぃ うむーつかー・・・ とーりゃー うう”ぁー
モーシィ:ばんどーや。 あんぷてぃやーぬ ちょーなん
おばぁ :いー モーシイ なー
モーシィ:おー
おばぁ :あがいー んにゃ、とうっさ とういど のーまい っさいん どーや
モーシィ:あらん しゃんーてぃ うぬすく ぞーかり うらあずさ
おばぁ :あってぃ、うう”ぁ んざぬ っふぉ が さーり まーりゅう りゃあ
モーシィ:だいず おばあ。 ばが っふぁ。 げんぼー どーや
おばぁ :あがんにゃ げんぼー なー のーてぃが あんちいー うぷぎなーん なりゅう りゃあ
モーシィ:やらびゃあ うぷふ ど なずだら おばあ。いみふ なりみーる あとー みーんふど なずすが
おばぁ :ぷりむぬ ゆんましー うう”ぁあ
モーシィ:あってぃ おばあ や んざんかい が
おばぁ :ひこうじょう ん かい。とうきょう んき あっぷが
モーシィ:おごじゃ。
< 平良なまり普通語による翻訳 >
モーシィ:あば、ミーダツヤー(屋号)のおばあ じゃないか おばあ〜
おばぁ :うばい、あんたは 誰かと 思ったら ・・・誰か あんたは
モーシィ:オイラだよ。 アンプテイヤー(屋号)の 長男
おばぁ :いー モーシイか
モーシィ:そうよう
おばぁ :あがいー もう 年とってからに 何にも わからんさ
モーシィ:そんなことないさ シャンーとがまーして こんなに元気だのに
おばぁ :して あんたは どこの子供を 連れてまわっているか
モーシィ:もう おばあは。オイラの子供だよ 玄坊だよ
おばぁ :あがんにゃ 玄坊か なんで こんなに大きくなっているか
モーシィ:子供は大きくなるさ おばあ。小さくなってみい あと見えなくなるから
おばぁ :ばかなことを言って あんたは
モーシィ:して おばあは どこにか
おばか :飛行場まで。東京行って 遊びに
モーシィ:おごじゃ(びっくり)
宮古がある
宮国優子(平良市出身)
「おいよ、宮古が特集されているよ。宮古島楽園生活ってよ」と、宮古の友 人が週刊ポ○トの特集ページを破いてもってきた。切り抜かないところが宮古 人、いや類友である。友人は宮古でも近所、東京でも同じく近所。お互い生活 圏はあまり変わらず半径2キロくらい・・・。平一学区は永遠に北学区まで届 きそうにない。そんなどうでもいい宮古スタイル?が体に染みついているのが 怖い。
話を戻すと「昔はただの観光にくらいしか記事にはならなかったのに、今じ ゃあこがれのライフスタイルと言われるのかぁ・・・。」と感慨深かった私。 5ページにもわたって、三組の男女と二人の男性が記事になっていた。読み終 わって私はおもわず「だいず うらやましゆー」とつぶやいてしまった。
友人がだめ押しで「生活費一ヶ月10万ってよ」と私にささやく。「移住か ね・・・、自分なんかも」15年も前に離れた宮古島に恋をしている。あぁ、 ある意味初恋の彼なのである・・・。初恋の彼は永遠に優しく素朴で包容力が あるのだ。妄想の極みである。自分のシワやシミはおいといて、彼の不細工方 面の変身はありえない、許さない。よく考えてみると根拠のない自信が今も私 を支えている。いや他にも約数名(友人ら)も同じくらいいつまでたってもグ ドゥン(ボンクラ)なかんじである。
上京したばかりの時、宮古の友人との間では「東京はすごいゆ」が合い言葉 だった。あんな人を見た、こんな出来事があった。宮古じゃ考えられないテレ ビみたいさいが。しゃべっている言葉もドラマみたいさいが。まあ、いつも良 いことばかりではないので、友達と始終愚痴っていた。何故だか標準語より宮 古ふつの方が感情をうまく吐露できるのだ。私も友達も彼氏とケンカしては 「宮古島に運命の人がいる。帰ればなんとかる」・・・なるわけないのは明白。 それにしても運命の人は誰だよ・・・いったい。お互い心の中ではそう思って いても、愚痴ってプチオトーリをしているうちに失恋のひとつふたつは乗り越 えられた。
数年後、私も友人らも結婚して、ないちゃー旦那と大喧嘩しても思うのだ。 「いざとなったら宮古に帰ればいい!子供は宮古の方がのびのび育つ」。冷静 に考えれば、こんなメディアミックスされた世の中では宮古も東京も情報量は あんまし変わらんと思う。
実際、私たちは今のところはなんとかやっている。たぶんシリアスな人生の 岐路にたっても考えることは変わらない。「宮古に帰ればいいや」なのである。 受け入れる島も住民も家族も迷惑でしょうが、勝手に妄想しているのである。 昔々あこがれた東京で生活していても「宮古がある。何があっても帰る場所が ある」そう思うことでだいたいのことは溜飲が下る。平穏無事な生活は故郷・ 宮古島のおかげなわけさぁ。
友人が言い出した。「あ、でも思い出した。忘れていたよ。おとうが やど ぅゆん(酔っぱらって暴れること)だったこと。ノスタルジーで馬鹿になって おとうを許すところだった。だいずあっぶない。」今ではその父ちゃんも丸く なっているようだが友人は許せないらしい。他の友人も言う。「一ヶ月10万 ってさ、交際費が少ないからじゃないか?」。なるほど!親戚の多い私たち地 元出身者はあの交際の幅広さを考えると、10万では暮らせないではないか・ ・・・・・。
「とりあえずまっとうしますか、今の生活」電話口で口々に言い合う。「貯 金に励もうね。還暦すぎたらみんなで宮古で住もうね」。旦那より自分たちの 方が長生きすると思いこんでいる。たちが悪いのではなく、あくまでも宮古風 おばさん、そう果てしなく素直!なのである。
お便りコーナー
東京在住 秋田小町さんより
<ギリシャ・コルフ島>
秋田小町です。 東京はあーつ、あーつぅです。
vol.80の原付免許談は抱腹絶倒。何度も繰り返し読んでその度笑えます。ほ んとかね、、と思いつつ、、、、まあ、皆様くれぐれも交通事故を起こさない ようお気をつけくださいませ。
ところで件名のコルフ島というのは、原付免許の話を読みつつ、あれ、これ に似たような話を読んだなあ、と思い出した地名です。
ジェラルド・ダレルというイギリス人博物学者、(長兄は高名な作家のロレ ンス・ダレル)が第2次大戦が始まる少し前に少年時代の数年間を家族と暮ら した島が、エーゲ海に浮かぶ小島、コルフ島。 本の名前は「虫とけものと家 族たち」です。池澤夏樹訳で集英社文庫。コルフ島の住人たちのさまざまなエ ピソードが原付免許談とすっごく似ていて、南の小島で暮らすと人間は似てく るに違いないと思いました。是非一度お読みください。絶対似てる!
7月9日にマイルストーンで下地勇のライブを聞きました。東京からその為 に飛行機に乗ったのですから、完全に追っかけ。 東京でのコンサートと雰囲 気が違ってリラックスムードでとても楽しいライブでした。多分3割以上は宮 古勢がいたのではないでしょうか。内地勢は多分1割未満。新米下地ファンの 私は最初のうちは入り込めない雰囲気ではちょっと緊張していましたが、聞い ているうちにだんだんいい気分になり、はるばるやってきてよかったさあ、と 納得の一夜でした。凄い雷雨だったけれど、下地君のシャウトがはじき返して いました。又行きたいです。次回はやっぱり宮古島でのライブを狙うべき。
※『虫とけものと・・・』は、ゆんたーくとぉー にゃーんすぅが(読んだことはありませんが)、な んだか想像できますね。笑 勇さんのライブは一度は地元宮古で聴くべきですよー。
平良市在住 みゃーくぴとぅさんより
「ダキフガー」
久々に「くまかま・・」を開きましたら仲地のダキフガー隣のがじゅまるの 話が掲載されていました。確かに不思議な「空間」です。ちょうどこの「くま かま・・」発行日の前日私は、字仲地と字伊良部を訪ねる機会がありました。
神秘的な空間にどっしりと腰を据えるこのがじゅまるの隣、ダキフガーでは 早朝からオバーとオジーが井戸に向かって祈っていました。この日は集落全体 で新しい命の誕生と子孫繁栄を祝う「ダツマス」という行事が行われる日でし た。
ダキフガーは、文化財に指定されていて、設置されている説明看板によれば その昔、この一帯に住む人達の「命の水」として大切に使われてきたという事 です。ダツマスの日の早朝、井戸での祈りが行われていた事から推察しますと ダキフガーの水は、この一帯の住民の産湯として大切に使われたことがうかが えます。
さてこの日は、新しく子供を授かった家族(親族)は、集落から数キロほど 離れた高台に位置するアダンニウタキに出向きます。このアダンニウタキには、 地元の皆さんが「ピスゥギヌスヌカン」と呼ぶ子孫繁栄の神が鎮座するという ことです。ウタキではこのウタキの神様に参加者全員で子供の誕生を報告して 健やかな成長を祈っていました。
今年は、字仲地と字伊良部で誕生した子供は、48名ということでした。
精霊が宿るダキフガー隣のがじゅまる。そして井戸へ静かに祈るおばーとお じー。さらにアダンニウタキで祈る人々の姿。
少子化、幼児虐待などが社会問題として大きく取り上げられるご時世。この 日は地域全体で命を育てるという島の文化に出会いました。
※脈々と繋がってきた んぬつ(命)をダキフガーとウタキは見守ってきたんですねー。それらを大切にする伊良部の人たちの気持ちも伝わってきました。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
vol.81 のーしがやたーがら(いかがでしたか)。
宮国優子さんは久々の登場。本当に、最近は雑誌、テレビに宮古が紹介され ることが だう(たくさん)!ぷからす(うれしい)反面、そうかなー?と思 う部分もありで島出身者はいつでも複雑なのだ。
ひさぼうの方言講座は、訳の訳も必要なようなレベル高め?となっています。 宮古では、「空港」という言い方より「飛行場」というのが一般的。
7月18日から24日まで宮古に帰っていました。絵葉書になりそうな青い青い 空と白い雲が浮かぶ天気がずっと続く中で、さとうきび畑では、水不足の為、 スプリンクラーがあちこちで回っていました。
今回は、シュノーケリングで海の中を散策し、さんご礁の中を泳ぐきれいな 魚を見て感動!んざぬ ぴとぅがー うわー(どこの人かよあんた)。いや、 宮古の人はそんなものなのです。本当に。又、保良ガーの上から みーたー( 見た)水平線も っずみ(最高)だったさー。東京にいて地球を意識すること はあまりないけれど、宮古にいると地球を実感するねぇ。漆黒の闇の頭上には、 満天の星さいがよ、宇宙も感じるってものです。
さどやまさいこさんも書いているように、7月はお祭りがやまかさの宮古で した。私はオリオンビアフェストに行きましたが、どこにこんなに潜んでいた かよ、まず。というくらいの人人人でした。こういうライブでは若い人たちが 主流というのが多いと思いますが、下地勇さんが登場するようになってから、 おじい、おばぁ、父ちゃん、母ちゃんたちの姿が多く見られるようになったん じゃないかなー。これはすごいことだと思うさー。大満足の夏の夜でした。
そして19日には、くま・かまのオフ会をレストランたまよせでやりましたー。 内地ぴとぅ、みゃーくぴとぅ 約20名ほど。まーんてぃ くまかまからの参加 でぷからすむぬでした。参加していただいた皆さん、たんでぃがーたんでぃ〜。 東京でも年内にはやりたいなーと思っています。決まり次第、おしらせいたし ますので、ぜひご参加くださいね。
今号のご意見、ご感想、もお待ちしています。
次号は、8月19日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。