みなさん、こんにちは。んにゃ、9月やー。ぴゃーむぬどー(早いですねー)。今回もバラエティ豊かな品揃え どー、お楽しみください!
苗字は妙字?
アモイ(平良市出身)
中国にきて初めて知ったのだが中国では結婚しても女性の苗字が変わること はない、いわゆる夫婦別姓というやつだ。日本と違い女性でも一生苗字が代わ ることはないのだ。日本でも男性の場合は生まれ持った苗字を一生使い続ける 事になる。その場合、いい苗字ならば何も気にする事もないが、ちょっと変わ った苗字だと変な意味に取られたりする事もあり、名乗るのが嫌になる人もい ると思う。
ここで自分の苗字をばらしてしまうが、私の苗字は狩俣(かりまた)という。 宮古島では何番目かに多いであろう位に普通であるが、本土に来ると珍しい苗 字となる。私の母が本土で病院に行って診察を終え薬の受け取りを待っていた ときの話ですが、なかなか名前が呼ばれず、とうとう最後の一人になってしま ったそうだ。処方箋のおねーさんが、猪俣(いのまた)さんいますか?と母に 向かって呼ぶので、「いいえ狩俣ですけどお」というと、ああ、ごめんなさい、 と平謝りだったそうだ。先に猪俣さん、と呼ばれたそうだが母はまさか自分が そう呼ばれているとは気づかなかったのだ。
また、娘がクラスメートの家に電話した時におじいちゃんが電話口にでたそ うだ。「もしもし狩俣ですけど、まりちゃんいますか?」というと、電話に出 たおじいちゃんが、大きい声で「まりちゃーん、ガニマタだか、サルマタさん だかから電話だー」と呼ぶ声が聞こえたそうだ。「いやだもうー」と娘から言 われたものだ。そして学校で世界の地理を習う時にはインドネシアにカリマン タン島があるのでインドネシアの出身なの??とみんなにからかわれたとも。
昔、会社の寮に住んでる時、知人の儀保さんから電話が来たと時の事、管理 人さんから、「おい、継母(ままはは)から電話だ」と呼ばれて、はーっ?、 と思ったものだが、電話に出てみて、あーっ、と納得したものだ。また、逆に 本土の人が宮古へ来て笑われた話もある。本土から宮古へ赴任した人が自己紹 介で「私は谷と申します」というと周囲の人が笑ったそうだ。もう一度「谷で す」というとまた笑うので訳を聞いたそうだ。方言で「たに」といえば「キ〇 〇マ」を意味するのだ。訳を知った谷さんの顔が真っ赤になったという話であ る。今では金メダリストの谷亮子さんが宮古島で名乗っても笑う人はまずいな いであろう。しかし、方言が主流だった頃はかなり可笑しかったのものだ。
平安名(へんな)さんは私のクラスメートだったが、ちょっと気の毒だった。 学校で他のクラスと一緒になった時や、入学式、卒業式等に彼の名前が呼ばれ ると、必ずといっていいほど、くすくすと笑い声が聞こえたものだ。平安名崎 と言えばとてもいい響きである。平安名とう字も歴史的な雰囲気がただよって おりいいのだが、苗字として声に出してしまうと、初めて聞く人にとっては 「えっ??」となる。
女性の人で相手の苗字がいやで結婚をためらう人も居るようだが、そういう 意味では理解できる。苗字を呼ばれてくすくす笑われた時、気の強い人なら気 にしないと思うのだが、気の弱い人だと馬鹿にされているようで嫌になると思 うし、親を恨みたくも成るかも知れない。傷つき易い小中学生の頃にその事で からかわれたりすると、性格にまでも影響するだろうと私は思う。
小学校の同期のNさんと言う人の苗字は方言の意味にすると、女性の恥ずか しい身体の部分の事を指し、友達がそれをからかったりしていた。子供の頃も 本当に嫌だったようであるが、大人に成ってからもしばらくは、うちは何でそ んな苗字なんだ、と両親を責めたそうだ。苗字の変更は正当な理由があれば戸 籍法第107条により変更が認められているそうだ。
内地で宮古の友人同士で酒を飲んだ時の話題として、内地の人の苗字を谷さ んの名前のように宮古の方言風に解釈して、この人が宮古へ行ったらたいへん だな、などと盛り上がる事もあった。当の本人が聞いたら大変気を悪くする事 だろう。今の宮古島で苗字で人を馬鹿にしたりからかう人は少ないと思うが、 宮古から本土にでて苗字の事で得をしたりとか損したとか恥ずかしい思いをし たとか言うような人も多いのではないでしょうか?
ミャークフツ講座 うむっし あーぐがま(面白い歌)編
ざうかに(平良市宮原出身)
今回のミヤークフツ講座は、んきゃーん(昔)若者たちが鼻歌まじりでくち ずさんでいた歌です。
ずうら あんが ぴさらんかい (おねえさん平良へ行こうよ) んばゆ たんでい うとぅるすかりあ (いやよまじで怖いのに) のおゆが たんでい うとるすかりや (何がそんなに怖いの) うぷだにしゅう が んちゃみばな (大きいタ○の男の人につかまるよ)
んきゃーんは、自分の住んでいる部落以外の異性とつきあうということは少 なく、特にひららのような街には、恐い人がいるからと脅かされていたのでし ょう。若い年頃の娘たちに 遊ぶときは家の近くで遊びなさいという事だと思 われます。
うむうが にゃーん(意のままに)
菜の花(伊良部町出身)
臨床から老人施設へ移って5ヶ月が経とうとしているが、毎日繰り広げられ るおじい、おばあの行動に私の つむ(心)は震度3・・・いやそれ以上に揺 れる。
施設入所者の6〜7割が痴呆性老人である。知性や理性は取り払われた状態 にあり)、うむう が にゃーん、どぅかってぃ ん あすう だら(意のま まに本能のまま行動する)。その行動が不可解でありながらも あたらっさー てぃ うむうだはー ぶらいん(愛しさを抱かずにはいられなくなるのだ)。
ある日のこと、おばあのベッドから拳ほどの金属の丸いフタのようなものが 出てきた。何の部品か?どこから持ってきたか?・・・職員には検討もつかず 首をかしげるばかり。しばらくしてトイレで排泄の介助をしていた職員がトイ レのパイプの わーら(上)の部分が無いことに気付いた。「もしや・・・」 金属の部品をかぶせるとピッタリと合う。ネジを回して閉めていくと、違和感 のないパイプに戻った。フー!一件落着。
たうきー しぃ(ひとりで)トイレに入る ういぴとぅ(老人)には注意が 必要である。予測出来ないような行動をとることがあるのだ。便器の水を米を 研ぐようにかき回したり、トイレットペーパーの持ち帰りは日常のこと。それ 以上の要注意の老人にはずっと付いていなくてはならないのだ。
あるときは、ペーパーホルダーが壁からもぎ取られ忽然と消えていた。居室 を見回ったところ、ペーパーホルダーはおじいの部屋にオブジェのように置か れていた・・・。しかし、トイレの壁は んだりぃ にーんにば(壊れてしま っていて)、別の物が頑丈に取り付けられた。その後もおじいは新しいペーパ ーホルダーをじっと みーそぅが(見つめているが)、流石に頑丈に取り付け られたペーパーホルダーは取り外せなかったらしく、今もちゃんと壁に付いて いる。
別の階では一人歩きさえやっとのおじいが保温便座を引っこ抜き、ぱないつ まい あらーあら かたむい゜ゆ わーらんかい すたーらんかい あしー( 鼻息も荒く、肩を上下させながら)便座を引きずって廊下を歩いていたことも ある。なんでまたそんな物を持っていくかよ〜!!と、叫びたくなるが、そん な質問や注意などは のーまい いみ や にーん(あんまり意味が無いのだ) 持って帰りたかっただけのこと。うむうが にゃーん だら(意のままに、本 能のはたらくままに・・・なのだ)
先日もトイレで用を足したおばあがガラガラとトイレットペーパーを引っ張 っているうちに、のーゆが うむぅたー がら(何を思ったのか)そのペーパ ーをマフラーの様に首に巻きつけ、ほっとした表情で言った言葉が「あー、あ ったか〜い」・・・。くりんにゃ んみゃ あー つむや(これには私のハー トは)完全にノックアウト。どん!てぃ かいりー にーん(ドン!と倒れて しまった!!)。愛しさのあまり みー まい(目も)緩んでしまう。
ステーション前でもいろんな事件が起こる。朝早く警備のおじさんが新聞を 持ってきてくれるのだが、起きるのも深夜だったりする年寄りは置かれた新聞 をそろーっと手にしページをめくると思いきや、なんと!ビリビリと破りだす。 それを見つけた別の年寄りは「何するんだ!」と怒り出す。破った本人は「エ ?」・・・。そう。エ?なのだ。なんで破っては駄目なのかと逆質問したそう な目で周りを見る。朝から争いの始まりである。その光景を見ていると、広げ て読むばかりが新聞じゃないことに気付かされたりもするわけ。破れるものは 破り、回るネジだから回し、オムツだってちぎれるからちぎって放り、靴は脱 げるから脱ぐ・・・。そうやって意のままに一日を過ごすことに職員は付き合 いながらも笑いが絶えない。
しかし、これが家族だとそうはいかない。親として、社会人として生きてき た過去がそこには在り、理解しがたい数々の行動を正そうとし、止めようとし て心身共にクタクタになるのだ。健常者にとっての常識のみが正しいと思うか ら、非常識に思えるのだろう。
そう思っているとチラと夫の顔が浮かぶ。小さな体の私にはボケた夫の行動 は制止できないだろうなー。そうなるとやっぱり先にボケるが勝ち!夫よりさ っさとボケて何を言われてもにっこりと笑って一日を意のままに過ごすほうが 楽でいいかも知れない。そうなれば、夫もしょうがないと諦めてくれるかも知 れないし・・・。と、廊下を徘徊しながら見えない誰かと楽しそうに話すおば あの後ろ姿を見て真剣に思ったりする。
お店紹介 19 《楽園の果実》
松谷初美(下地町出身)
んざがみまい(どこまでも)青く輝く海の向こうに、東洋一と呼ばれる下地町前浜の白い砂浜が見える。右には来間大橋。左に伊良部島。絶景のここは、 来間島にある竜宮展望台。
下地町前浜から約1.7キロの橋を渡ると来間島がある。来間島は現在94世 帯208名が住む農業が中心の島だ。橋が9年前にかかってから観光客も増え 展望台は、観光名所となっている。
展望台への入り口には、おみやげ屋などが数軒並んでいて、その中に《楽園 の果実》はある。2003年にオープンしたカフェとおみやげのお店だ。屋根は赤 瓦、壁には宮古トラバーチン(大理石)が使われていて、店内は、アジアンテ ィックで今時のとてもおしゃれな雰囲気。宮古ではおみやげ屋とカフェが一緒 というのを見たことがなかったのでとても新鮮な感じを受けた。
お店は、県外から来間に嫁いできた女性4名で設立、国、県、町の補助を受 けて整備した。代表は、砂川智子さん。(砂川さんは、19年前に内地から来 間島にお嫁にきた。当時の話は、砂川さんの著書『楽園の花嫁』に詳しい。)
同補助事業で、砂川さんたちは、農産物処理加工施設「女性アグリサポート センター」も設立。ここで地元の野菜や果物を使ってジャム、焼き菓子、ゼリ ーなどの特産品の開発を行っている。そこから先のおみやげ屋や、全国に販売 を展開している。
《楽園の果実》に入ると正面はおみやげのコーナーだ。アグリサポートセン ターで作られた加工品や黒小豆、味噌、塩といった宮古の食品から陶芸品、貝 殻細工、Tシャツ、県産本など、とても充実している。
その隣りがカフェとなっていて、オリジナルジェラートや宮古の黒小豆を使 ったぜんざい、宮古和牛ステーキ丼、ゆしどうふ定食などが食べられる。私は ぜんざいとステーキ丼を食べたが、だいず んまむぬやたーどー(すごくおい しかったよ)。
代表の砂川さんは、これまでマンゴーなどを作ってきたが、農家で作った物 を循環できるシステムができないか考えていた。また、働く場所のない来間島 では、若い人は島を出て行く。島を出ずに働ける場所を作りたいという思いも あった。構想してから4〜5年。夢が形になってきた。
島に来た当初は、習慣の違い、方言などにとまどい、大変な時期もあったよ うだが、19年経った今ではおばぁたちの方言もほとんど聞き取れるほど、す っかり来間の人だ。「橋がかかってから宮古ナイズ、日本ナイズされていく島 を感じる。時の流れの中で変わっていくことは仕方のないことで、良い、悪い で言えるものでもない。でも、変わってほしくないことに関しては、ちゃんと 声をださないといけないんじゃないかなーとも思っている。次代の子ども達に キチンと繋ぐためにも。」と砂川さんは話す。観光客の人たちには、ただ何か を見たというだけではなく、島の人たちとも触れ合ってほしいそうだ。
観光で来られる人も、地元宮古の人たちも、日常を忘れ、《楽園の果実》で ゆっくりくつろいでいってもらえればと砂川さんは話す。丹精こめて作られた、 おみやげ品、カフェでの食事。来間島に行かれた際には、ぜひ、堪能して下さ い。いきみーるよー。(行ってみてね)。
《楽園の果実》
〒906-03006 沖縄県宮古郡下地町来間259-2
電話/FAX : 0980-76-2991
代表 : 砂川智子
ばんたがやーぬつかふ 7
神童(平良市島尻出身)
島尻村は、平良市の北部に位置する世帯数110程の集落だ。
この村は宮古の中でも吹き溜まりのような集落である。今から30年前の世 帯数が130世帯であるが、名字の種類が何と42種類ある。2.6世帯に1 名字だ。これはピルマス(摩訶不思議)むぬである。漢字五文字にピルマスの ルビを打つと漢字が1字余る。方言の表現力恐るべし!ちなみに知り合いに我 如古千佳枝という女の子がいる。ルビ1文字に漢字1文字。効率悪い!余談。
島尻では沖縄本島を追われた曰く付きの人種が宮古島の北部でひっそりと隠 遁生活を送っていたのに違いない。
名字を五十音順に並べてみよう。
阿波根、伊山、伊川、石垣、池間、伊佐、伊志嶺、上地、奥平、奥松、奥浜、 大浜、川満、川田、兼島、喜友名、小松、島尻、下里、新里、ここまでで20、 砂川、平良、玉川、武島、手登根、友利、仲間、仲里、仲原、西平、西原、根 間、花城、福原、辺土名、保坂、保良、松川、前里、宮良、山内、湧川と以上 42だ。どうだ、まいったか。別にまいらなくていいです。
ここで気が付くことは、宮古の代表的な下地と隣の集落である狩俣という姓 がないことだ。以前は下地、本永の姓もあったらしいのだが、出ていったとい うことである。
島尻村は16世紀頃に島尻、狩俣、大神、池間の4島を統治していたその名 も四島の主(ユスマノシュウ)の働きでつながりの深い地域である。方言ではス マズ、カイマタ、イキマ、ウガンとなる。
島尻・狩俣・大神では、共通して行う、「うやがん祭」がある。3箇所の集 落で時を同じくして始められる祭は島尻と狩俣からの松明による合図で大神へ 祭終了の報告をして終わりを告げる。
「うやがん祭り」は女性が中心の祭りで漢字で書くと祖神だ。うやがんは集 落の諸々の祈願を行う女性集団である。うやがんは、女性が集団で神の化身と なり昼夜構わず集落を練り歩く行事である。しかし、男性はうやがんを直視す ることを禁じられているため、うやがんの行列が発する祝詞のような歌が聞こ えたら声に近づかないように逃げなければならない。うっかり、うやがんに出 くわそうものなら、うやがんのリーダーに申し出て、こんこんと説教され厄払 いをしなければならないのだ。また、島尻では奇祭として名高い「ぱーんとぅ」 の行事がある。これはまた別の機会に。
お便りコーナー
東京在住 長浜さんより
<思い出します>
毎回、楽しく読ませて頂いています。池間島出身者です。
今回、ひさぼうさんが書かれた「ばんたがやーぬつかふ」を読み懐かしさの あまり思わず書き込みしました。
ひさぼうさんより少し若い世代ですが、私は当時池間島で祖母と住んでいて 兄がお袋とさんばしの近くに住んでいました。(仲宗根豊見親の墓の真下)毎 週日曜と期末毎の休み(夏・冬・春)は、平良に行き兄と兄の友人達と遊ぶの が楽しみでした。
「琉米文化会館・張水ウタキ・仲宗根豊見親の墓・宮古発電所・はいから湯 ・ンキャデュラ」全てが脳裏をよぎります。
ひさぼうさんが、おっしゃっているように現実には、当時の風景は残ってい ないと思うが、ヤラビばたの思い出は、鮮明に残っています。
ちなみに女房も宮古出身で、まわりからは池間・佐良浜の強力タッグだねと 言われています。
みゃーくふつは、多少しゃべれますが文章で表現するのが難しくなかなか投 稿できませんが皆様のエッセイを楽しみにしています。
これからも、楽しい・面白い話で楽しませて下さい。
※長浜さんの池間の話も きき゜ぶすむぬや〜(聞いてみたいですね〜)。
ぜひ、投稿してくださいね。お便りたんでぃがーたんでぃ でした。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
くとぅっすさ まーんてぃ ゆーどぅ 台風ぬ きっすやー。(今年は本当 によく台風がきますねー)。18号もまた しわさいがー(心配だー)。お気 をつけください。
さて、vol.82や のーしがやたーがら(いかがでしたか)?
苗字は、日本全国いろいろありますねー。音によって思わず笑ってしまうも のや漢字を見てびっくりしたり・・・。私は内地にきて「御手洗」さんの字を 見た時びっくりした。(みたらい てぃどぅ あずっつぁ)私の松谷(まつた に)も宮古では微妙か!?おばぁはなぜか発音がにごって(まつだに)と言う。 そ、それも ねぇ!?
宮古には民謡ともわらべ歌とも違う、うむっし歌が だう(たくさん)ある。 して、みゃーくふつではさ、性にまつわる言葉でもあっけらかーんと言うんだ よね。直訳するとすごいんだけど。「うぷだに」よーと。「いんまらだに」な んかはもうどうするべき!?
今でも充分に がーずぅ(強情)で ふがましゃな(わがままな)私は、ボ ケたらどうなってしまうんだろ。菜の花のような看護婦がいるところ希望!
島尻には、あまり行ったことがないので、「うやがん祭り」も「ぱーんとぅ」 も大人になってからが知った。小さい島でも すっさんくとぅちゃーん(知ら ないことだらけ)。「ぱーんとぅ」もお楽しみに。
宮古には、宮古の人と結婚した内地の人、縁者も誰もいないけど、移り住ん だ人など、今やその人口は増える一方のようだ。内地の人といっても、もちろ んひとくくりに語れるわけではない。それぞれの生き方があり、いろいろだ。 宮古はそんな人たちの影響も受けながら、変わっていくのだろうと思う。これ からも宮古で頑張る内地の人 紹介していきたいと思っています。
今号の感想、お待ちしています。投稿もぜひ!
次号は、9月16日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。