みなさん、こんにちは〜。 がんずぅやしーうらまずなー(お元気ですかー)。 んなまとぅ(現在と)んきゃーんぬ(昔を) 行ったり来たりするタイムマシン、くま・かまです。
さぁ、きょうも飛びますよ。
ばんたがやーぬつかふ 8
宮国優子(平良市大原2区出身)
子供の頃は「南給油所(宮古ふつ的にいうと みなみきゅうゆうしょ)」と いえば誰でも「あー」というくらいガソリンスタンドは限られていた。私の実 家はそのあたりなのだが、なんというか、平一から近いにも関わらず少しうっ そうとしていて、夕方は怖かったです。今じゃ住宅街だけど、公園まであるけ ど、昔は空き地や資材置き場が多かった。道もメイン通り以外はガタゴト道で ありました。
それからあの知る人ぞ知る「がんぐるゆまた」もすぐそばでした。その名前 の由来は賛否両論あるのですが、それはさておき、うっすらと寂しい場所では ありました。
旧花笠空港に港から向かう一本道であのころは本当に車の往来が激しかった。 今ではすっかり まてぃだ通りにおはちを奪われている感もあります。あのあ たりはやまのみー(山奥)だったのによー。ちなみに がんぐるゆまたの片足 ぴんざを見ることもなく大人になりましたが、今でも実は見てみたいと思って います。
とにもかくにも、彼のあたりは子供の出番であった。秘密基地はいくらでも 作れた。かなり大ががりなままごとがあらゆる場所で行われていた。同性の同 級生は周りに少なく、少し年上のにいにいやねえねえ、弟や小さな子供(プラ スマイナス5歳以内)で野球をしたり泥沼で泳いでいた。あまりにも野蛮すぎ てここには書けないことも多く、今思えば、不衛生きわまりなく卒倒しそうで す。
今も忘れないのは、野球をしていて、釘を思い切り踏んだこと。かなりの大 けがだった・・・。靴も履かない私も悪いが、釘のついた材木がだう(たくさ ん)転がっている広場もどうかと思う。泣いたら少し上の近所のにいにいが一 升瓶をもってきて、足の裏を叩いて血をだしてくれた。私はその一升瓶が割れ んかどうか気が気でなかった。「はしょーふー(破傷風)にならんってよ」と 言っていた。そのはしょーふーになると死ぬとにいにいは言っていた。怖くて 親にはいえず、痛みが無くなるまでドキドキの数日であった。
それからもうひとつ。放置されているバスのバックミラーにぶら下がって遊 んでいたら、それが折れて落下。鉄骨が下に無数にしいてあって、頭が割れる かと思うほどぶつけた。家に泣いて帰ったような気がするがはっきりと記憶に ありません。ぷてぃ(ハゲ)はできるわ、意識は朦朧とするわ、さんざんであ った。でもやっぱり親にはいえなかった。今ならCTスキャンものである。ポ ニーテールやまとめ髪がうまくできないのは、そのときぶつけて頭の形がいび つになったせいだはず。物忘れが激しいのもそうだはず。
上記の話はまるで幼い子供の頃のように書いてあるが、実は小学校の中高学 年でした。あぁ恥ずかしい。今時のその年頃の子らはお化粧までうっすらして いるのに。山猿でした、はい。環境が山猿を作るのですね。たかだか20年く らい前の話である。炎天下、帽子もかぶらず、影のないところで朝から晩まで 遊んで、誰も日射病にもかからんかったのが今も不思議である。
ミャークフツ講座 助詞編1
ひさぼう(平良市西仲出身)
助詞「は」と「を」の使い方
共通語の助詞「は」と「を」は、その前の言葉が何であれ、変化することは ない。ところが、ミャークフツの場合、これが変わる。場合によっては、前の 語尾もいっしょに変わったりする。
1.「は」が、その前の主語の語尾、によって変化する例。
◆前の語尾が、あ(A)の場合。以下( )の中は宮古方言のローマ字表記。
花(PANA)は〜 ⇒ ぱなあ(PA NA A)〜
親(UYA)は〜 ⇒ うやあ(U YA A)〜
私の家(BAGA YA−)は〜 ⇒ ばがやー や(BA GA YA- YA)〜
◆前の語尾が、い(I)の場合
酒(SAKI)は〜 ⇒ さきゃあ(SA KYA A)〜
大根(UPUNI)は〜 ⇒ うぷにゃあ(U PU NYA A)〜
手( T )は〜 ⇒ てぃ(T YA)〜 ※ T はローマ字と同じ発音
木(KI−)は〜 ⇒ きー や(KI− YA)〜
◆前の語尾が、う(U)の場合
箱(PAKU)は〜 ⇒ ぱこおー(PA KO−)〜
蛸(TAKU)は〜 ⇒ たこおー(TA KO−)〜
石(ISU)は〜 ⇒ いっさ (ISS A)〜
星(PUSU)は〜 ⇒ ぷっさ(PUSS A)〜
◆前の語尾が、む(NM)の場合
神(KANM)は〜 ⇒ かんま(KA NM MA)〜
波(NANM)は〜 ⇒ なんま(NA NM MA)〜
◆前の語尾が、ん(NN)の場合
お金(JINN)は〜 ⇒ じんな(JI NN NA)〜
犬(INN)は〜 ⇒ いんな(I NN NA)〜
◆前の語尾が、ZZの場合
頭(KANAMAZZ)は〜 ⇒ かなまっざ(KA NA MA ZZA)〜
米(MAZZ)は〜 ⇒ まっざ(MA ZZA)〜
2.「を」が、その前の語尾、によって変化する例。
これは、上記「は」の場合の例をそっくり当てはめることにする。
◆前の語尾が、あ(A)の場合。
花(PANA)を〜 ⇒ ぱのをー(PA NO−)〜
親(UYA)を〜 ⇒ うよをー(U YO−)〜
私の家(BAGA YA−)を〜 ⇒ ばがやー ゆ(BA GA YA- YU)〜
◆前の語尾が、い(I)の場合
酒(SAKI)を〜 ⇒ さきゅうう(SA KYU U)〜
大根(UPUNI)を〜 ⇒ うぷにゅうう(U PU NYU U)〜
手( T )を〜 ⇒ てぃーゆ(T YU)〜(注)Tはローマ字と同じ発音
木(KI−)を〜 ⇒ きー ゆ(KI− YU)〜
◆前の語尾が、う(U)の場合
箱(PAKU)を〜 ⇒ ぱくううー(PA KU−U)〜
蛸(TAKU)を〜 ⇒ たくううー(TA KU−U)〜
石(ISU)を〜 ⇒ いっすぅ(ISSU)〜
星(PUSU)を〜 ⇒ ぷっすぅ(PUSSU)〜
◆前の語尾が、む(NM)の場合
神(KANM)を〜 ⇒ かんむ(KA NM MU)〜
波(NANM)を〜 ⇒ なんむ(NA NM MU)〜
◆前の語尾が、ん(NN)の場合
お金(JINN)を〜 ⇒ じんぬ(JI NN NU)〜
犬(INN)を〜 ⇒ いんぬ(I NN NU)〜
◆前の語尾が、ZZの場合
頭(KANAMAZZ)を〜 ⇒ かなまっずぅ(KA NA MA ZZU)〜
米(MAZZ)を〜 ⇒ まっずぅ(MA ZZU)〜
3.以上のことから、たとえば、地名や人名が、言葉の頭にきた場合は、次のようになる。
平良は ⇒ ぴさらあ
平良を ⇒ ぴさろお
下地は ⇒ しもじゃあ
下地を ⇒ しもじゅうう
城辺は ⇒ ぐすくびゃあ
城辺を ⇒ ぐすくびゅうう
上野は ⇒ うえのお
上野を ⇒ うえぬうう
小泉は ⇒ こいずみゃあ
小泉を ⇒ こいずみゅう
吉田は ⇒ よしだあ
吉田を ⇒ よしどお
老婆心ながら、人名を「さん付け」で呼ぶときは、次のように定型になる。
小泉さんは ⇒ こいずみさん な
小泉さんを ⇒ こいずみさん ぬ
吉田さんは ⇒ よしださん な
吉田さんを ⇒ よしださん ぬ
■参考文献『宮古古諺音義』新里 博 著
お店紹介20 taka’s parlor
松谷初美(下地町出身)
場所は久松と聞いていたんだけど「んざんがありゃー(どこにあるのー?」 ちょっと どぅまいう”ぃ(迷い)ながら行った「taka’s parlor」。久松の集 落からは少し離れた、まがりくねった坂道の先、高台にあった。しかし、到着 してみてびっくり。眼下に、与那覇湾が こんなにーと(ダーっと)広がって 一望できるのだ。はぁ〜、こんなところがあるとは、すっさったん(知らなか った)!
「いらっしゃーい!」元気な声で迎えてくれたのはオーナーの「タカさん」 こと、井上孝子さん。ショートヘアにこんがり陽に焼けた肌。ポンポンと出る 関西なまりが心地いい。
タカさんが宮古に来たのは、今から4年前。以前大阪で飲食店をしていたが、 建て替えの為、お店を休むことになり沖縄へ自転車の旅にでる。沖縄のいろい ろな島を回る中で宮古にも来島。久松の友人宅でしばらく過ごすうち、宮古が 気に入り、縁あって住む家も見つかり、その年の暮12月に引っ越してきた。
宮古でも飲食店をしたいと考えていたが、なかなか貸してくれるところが見 つからず、どうしようかと思っていたところへ、現在の場所に住んでいた人が 出ることになって、借りられることに。
2001年12月にオープンした店のテラスからは、何層にもなった与那覇湾の海 の色と海に浮かぶパナリ(小さな島)や夕日を見ることができる。海風を感じ ながらの食事やお茶の時間は、至福のひとときだ。
食事は宮古の食材とアジアンティストをミックスしたオリジナルカレーが大 人気。宮古産の新鮮卵を使ったカレーオムレツ(ふっわふっわ)もたまりませ ん!ソフトドリンクにビール、お酒、カクテル、手作りのアイスクリームやシ ャーベットもある。
地元久松の若い女の子たちや、観光客とおぼしき女性二人組み、仕事のお昼 休みに来たお兄さん・・・とお客さんがひっきりなし。タカさんひとりで対応 していたが、その手際の良さにびっくり。慌てるわけではなく、かといって待 たせるわけでもなく、流れるような動作だ。その間、お客さんとの会話も楽し んでいる。
タカさんは、宮古に来て、お店を出し、結婚し、お母さんになった。その辺 のことを自身のホームページでいろいろ紹介している。ホームページを見てい ると、地元の久松をはじめ、宮古が大好きだということがいっぱい伝わってく る。お店からの風景や子育て日記も楽しい。タカさんはお店の他に、赤瓦やー の自宅で素泊まり民宿もやっていて、これまでに約1000人のお客さんが泊まっ ている。
ご主人の井上博基さんは、「うみあそび INOCCHI」というカヤックやダイ ビングのショップをしている。融通の利くプランは、小さいお子さんがいて、 なかなか思うように海で遊べない家族などに人気だ。
それにしてもお店がこんなに海に近いと台風の時大変だろうなーと思ってい たら、やはり、台風が来るたび被害を受けるとのこと。去年の台風14号の時は、 窓のないテラスはもちろんのこと、厨房の中までメチャメチャになった。台風 のたびに片付け作業や修理で大変だが、それでもやっぱり、ここが良いのだそ う。
バイタリティいっぱいで、でも力みがなくてゆったりとしたタカさん。タカ さんの笑顔とおいしい食べ物とそしてとびっきりの景色に会いに「taka’s par lor」へぜひ! いきみーるよー(行ってみてね)。
《 taka’s parlor 》
〒906-0014 平良市字松原839-4
店主 井上孝子
電話 090-2102-6190
営業時間 12:00〜日没まで 不定休
HP http://www1.odn.ne.jp/~cck18790/
メール taka0809@nyc.odn.ne.jp
ぷてぃと自転車とぬうま
クイチャーマン(下地町出身)
私の頭には、真中から右寄りのところに小さな ぷてぃがある。ぷてぃとは、 宮古島の方言で、傷あとや にぶた(おでき)が治ったあとにできるつるつる のハゲのことである。
私が幼少のころの我が家では、農耕用の ぬうま(馬)を飼っていた。畑の 帰りに ぬうまにまたがった兄の前に私も座らされ、ぬうまの鬣(たてがみ) をつかんで小さな体を安定させるようにしていたことが何度かあった。鶴田浩 二の「赤と黒のブルース」など、兄が歌う流行歌を子守唄のように聞きながら、 夕暮れの道を馬の背に揺られて家路についた。
小学校低学年になると、憧れの自転車に乗るために、かいばまふきゃー(公 民館の前)の道で猛練習をした。当時、子供用の自転車は皆無に近く、子供た ちはどこの家でも大人用の自転車を使って練習に励んだ。
はじめは立ち乗りと言って、ペダルに左足をかけて、右足で地面を蹴って前 に進む。そのときに自転車がバランスよく倒れないで進めば第一段階は終了。 次は、中乗りに進む。自転車の三角形の骨組みの中に右足を入れ、反対側のペ ダルにその足をかけて、右腕でサドルを抱いて体を安定させ、左手でハンドル を持ち、ぎこちないながらも両足でペダルを漕いで前進する。これで第二段階 終了。最後は、何とかサドルに座り、足が届かないので、ちびたず(お尻)を 左右交互に上下に振り下ろすようにしながら、ペダルを踏み込み、ペダルが1 回転して戻るころ、また足を振り下げて漕ぎながら進む。そこに至るまでには、 あがんにゃ、しまい(ああ、おしまい)と言いながら何度も何度も転び、自転 車も体も痛めつける。しかし、乗れるようになったときの喜びと達成感は、そ れまでの人生で最大であった。
自転車に乗るコツについては、練習をした方ならどなたもご存知だと思うが、 自転車の車体が傾く方向にハンドルを切れば、自転車は安定して転ばずに前に 進む。進行方向を変えたい場合は、曲がる方向に体の重心を移して、車体を傾 けるようにして、その方向にハンドルを切る。私は小学校4年のころ、自転車 に乗れるようになった。ところが、この自転車に乗るコツが馬に乗るときのコ ツにもあてはまると勘違いしたために、私の頭の右側に ぷてぃが出来てしま ったのである。
小学校6年生のころ、姉の嫁ぎ先の馬に一人で乗って帰ることになった。一 人で乗るのは初めてなのに、しかも他人の馬とあって緊張してまたがっている うち農道の右に折れるカーブに差し掛かった。私は、自転車乗りの体験から、 体の重心を右に移すべく、体を右に傾けた。すると次の瞬間、私の体は回転し て頭から地面に落ちた。幸い馬が道路の右端を歩いていたため、私の頭は畑の 土に突っ込んだ。そのとき、運悪くそこに小石があり、頭から出血するはめに なった。
だいずんにゃ あかつぬどぅ いでぃゅー(大変だ 血が出ている)と驚い たが、その後どうやって家までたどり着いたのか、覚えていない。仮に左に折 れるカーブに差し掛かっておれば、私は左に回転して転落し、ぷてぃも頭の左 側にできたはずである。そして、私が自転車よりも先に乗馬の練習をしていた のであれば、この ぷてぃとは縁がなかったに違いない。このことを先に挙げ た「それなりの理由」として理解してもらえるだろうか。
方言で星のことを ぷす、太陽のことを てぃだ と言う。二つ関連させて くっつけると ぷてぃになる。語源がその程度のものであるか定かではないが、 直径1センチ足らずの私の ぷてぃは、今でも星のように丸く、太陽のように 明るく輝いている・・・。いやいや、今では頭全体がハゲかかっており、ぷて ぃめーぱぎんどぅ ぬまりにゃーんようかむ(ぷてぃもハゲに飲みこまれてし まったようだ)。
思い出(宝のとき) (投稿)
あば本舗さん(西原町在住)
下地町にある沖縄製糖工場近くを流れる崎田川周辺は、綺麗な湧き水が流れ る川や池があり、私の大好きな場所で宮古で過ごした子供の頃、それはもうよ く遊んだところだ。ぴじじょーとーな すだーす とぅかまやりば んま大将 やしー あっぴちゃーなうたー。(すげー上等な 涼しい場所なので じゃじ ゃ馬になって遊びくるっていた)その崎田川での、ばっしらいん(忘れられな い)思い出がある。
中学2年か3年の夏休み、いつものように幼馴染4〜5人と連れ立って水遊 びにやってきた。すると、沖糖工場横の大きな溜池の岸辺で数名の子供たちが、 悲鳴をあげている。近寄ってみると、小学生とおぼしき男の子が一人、池の真 ん中で両手をバタバタさせている。おごぇ〜!こ、子供が、溺れかけているさ いがよ!私たちは、うかーすきなり(すごく)慌てた。
すると、一緒に来た連中は、「あんたが行って助けてきて!」と身体をおす ではないか。へっ?だってたいして泳げないのに・・・と抵抗する間もなく背 中を押されて池にドボン!犬かき(これしか出来ない・・・)で少年に近づき 自分の肩につかまらせた。少年の なかってぃーぬみぱな(泣きそうな顔)に ぴっちゃがま(ほんの少し)安堵の色が浮かんだ。と、ここまでは良かった。
どだい、犬かきで子供を連れて前へ進もうというのが無理だった。泳いでも 泳いでも前に進まないさいがっ!ばやー、のーすぅでぃばがじょうぶんやりゃ ー!(私は、どうすればいいのー!)池のド真ん中で、少しでも前へと焦りま くる私・・・。二人して溺れ死ぬのかと思ったそのとき、浮き輪がひとつ投げ 込まれた。やっとの思いで少年を浮き輪につかまらせて、自分も岸へと向かう。
しかし、もはや全身の力を使い果たした私は、時どき水の中に沈みながら、 イヤ、溺れながら嫌というほど水を飲みヘロヘロになり岸にたどり着いたのだ った。その場にいた皆は、少年に駆け寄り「だいじょーぶねー?」「水は吐い てよー」と心配そうに取り囲んでいたが、ゲーゲー水を吐きゲッソリしている 私には誰も見向きもしなかった・・・。 あの時の少年は、今はどうしてるだ ろう。もう立派な大人になっているだろうな〜。
あのころ、ゲーム機やパソコンやらお菓子なんてものは何も無かった。海や 川や畑が遊び場で、大自然の中を駆け回り野生の果実を食べ色々な小動物が遊 び仲間だった。星や月の綺麗な夜は屋根に登り、寝そべって眺めていたっけ。 崎田川の綺麗な湧き水の池や川で、歓声をあげながら遊んだ夏。少年と溺れか けた思い出。
下地勇さんの標準語の歌に「宝のとき」という歌がある。ライブハウスで初 めて耳にした時、不覚にも胸が熱くなり涙がぼろぼろあふれた。私の「宝のと き」も、宮古島で過ごしたあのかけがえの無い時代なのだということにそのと き気づかされた。
宮古島を住まいとしなくなり長い年月が経つ。でも、こころの中の「宝のと き」は今もキラキラと輝き私を励ましてくれる。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
去年の台風14号から1年やー(ですね)。1年経ち、復旧して良かっただ けではなく、これからの課題としていろいろな取り組みもされているようです ね。その中で内閣府沖縄担当部局の2005年度予算に、電線地中化事業が盛り込 まれたことは、ぷからす(うれしい)ニュースでした。まだ一部でのことのよ うですが、これから先、全島に行き渡るといいですね。
さて、vol.84は のうしがやたーがら?
あば本舗さん、投稿、たんでぃがーたんでぃでした。気持ちが伝わってきて ホロリときました。宝のときを持っている幸せ、何事にも変えがたいものです ね。
優子さんの やーぬつかふ(家の近く)、特に空港までの道は私もよーく通 ってました。(上野バスを使っていたので)しかし、今では上野バス停もなく なり、空港も東に移動し、通りは寂しくなっているんだねー。考えたら時代と ともに使う道も違っていくんだと実感。
みゃーくふつの助詞の変化は、うむっし(面白い)。特に今回の語尾の後の 発音と同じ音になるというのは、すごい特徴だと思う。ひさぼうさんは、ます ますみゃーくふつの奥深さにせまっていきますよ。次号のpart2もお楽しみに。
あの頃は、ぷてぃも自転車もぬうまもとっても身近なものでした。クイチャ ーマンさんと同じく、自転車の3パターンの乗りかたは、かならーずやりまし たね。ばぬんまい(私にも)あちこちに ぷてぃが・・・。笑
お店紹介は、ホームページでも写真入りで紹介しています。こちらも合わせ てごらんください。
しまぎーゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜(最後まで読んだくだ さり、ありがとうございました)。みなさんからのご意見、ご感想、まちうん どー(待ってまーす)。投稿も気軽に出してくださいね〜。
次号は、3週間後の10月7日(木)発行予定です。季節の変わり目です。 お体気をつけて〜。あつかー、またいら〜。