10月になって、秋ですねー。読書の秋にも上等「くま・かま」どー。 最後まで読んだら、ばたんちる(お腹いっぱいになる)はずよ〜。
食欲の秋にも上等さー。vol.85お楽しみくださーい。
ます゜ぬあら(米のあら)どうかってぃ解説
マツカニ(上野出身)
昔むかし、宮古島で稲作華やかなる頃に生まれたと思われる名曲がこの「米のあら」です。タイトルは米・・・ですが、豊年や豊作を唄ったのではなくて熱い恋の歌です。宮古民謡らしいメロディーと宮古民謡に多くみられる整然として韻を踏んだ歌詞がなんとも気持ちのいい歌です。
ます゜ぬあら(米のあら) ます゜ぬあらよう い くみぬゆ あらよ いらび にゃあん ユヤナウレ (米の籾がらを そう米の籾がらを選ぶように) 2 いらびやうきよう い すぅすぅりや うき゜よ あぐとぅまいな ユヤナウレ (選んで 選び抜いた ・・・・と) 3 ぴとぅゆがぱなりよう い かたゆが ぬき゜ よ しらりうんな ユヤナウレ (一晩でも片時でも離れたくない) 4 ぴとぅゆうんどぅよう い むむてぃぬ いんまい よ つき゜やむぬ ユヤナウレ (一晩で 百年の縁も 付くらしい) 5 ふたゆうんなよう い いふてぃぬ いんぬが よ つかでぃがら ユヤナウレ (二晩では 幾年の 縁が つくのだろう) 6 ぴとぅゆてぃみだからよう い とぅかゆ ぱつか よ みゅうんしゃく ユヤナウレ (一晩会わないと 十日も二十日も会わないほど) 7 ふたゆてぃみだからよう い かゆたす゜ んつまい よ まみぎしゃく ヤナウレ (二晩見ないと通っていた道も 忘れてしまうほど)
民謡には、なかなか分からない古いことばも多くみられますが、この「米のあら」の2番の歌詞「あぐとぅまいな」は 分からないと言うより理解に苦しむ部分です。宮古島では男同士の同級生のことを「あぐ」といい、お姉さんのことを 「あんが」といい、唄の事を「あーぐ」といいますが、どれもあてはまりません。もしかして男と男の恋の・・・・・ま・まさかねえ、それはないよな。さてさて困ったもんだ。そこで「ドゥカッティ解説」では、「あぐ」の所を思い切って「かぬしゃ」にしてみようと思います。「愛しい人」「恋人」つまり彼女です。どうでしょうか。ぴったっり しっくりきますよね?誰か「あぐとぅまいな」のなぞを解いてくだされ。少し三線が弾ける方は、この「米のあら」が唄えるとちよっとかっこいいかも。
きゅうや んにゃ とう (今日はもうおしまい)。
よなくに島
神童(平良市出身)
昭和60年7月から10月にかけて約4ヶ月与那国島に滞在した。久部良集落にある久部良小学校の体育館を建設する作業員として。
与那国には3の集落があり、それぞれ、祖納(ソナイ)、比川(ヒガワ)、久部良(クブラ)の集落である。比川については去年、テレビドラマ(Dr.コトー診療所)の舞台になったのでご記憶の方も多いだろう。
建設現場なので、男同士10名の2班に分かれて民家を飯場として作業を行っていた。楽しみと言えば日々の食事と祖納集落にくり出してのスナック巡りくらいであった。しかし、その唯一の楽しみである食事についても、時化等により貨物船が就航しない場合は食う物にも事欠く有様だ。飯場の賄いのお姉さんの子供が当時2・3歳の五つぐす(五つつむじ)君であった。名前もしっかり覚えているが敢えて記さない。
結局、動物性タンパク質(肉)が島から消えることとなる台風時期(船が来ない)に、肉欲しさに同僚とコウモリ打ちに出かけた。道具は飛び道具の通称「ごむかん」である。通常、小石を弾として用いるのであるが、いかんせん、石は形が不揃いなため途中でカーブしたりして獲物から逸れてしまう。現場を物色すると細い鉄筋の切れ端が山のように余っている。切断機で約1cmに切断すると世にも希な高性能弾の出現である。早速、西表野良猫を対象にテストを試みる。
案の定、鉄筋の高性能弾は直進性に優れ、その殺傷能力も石ごときは足下にも及ばないのである。宮古方言でいうと「いすがまぅ まとぅ しぃやー むぅぬぅ ふぁーいん(石を当てにしていては ごはんは食べられない)」というくらいの優れものである。同僚との腕試しの結果、夜半に行われるコウモリ打ちの射手から外され獲物を照らす照明係を受け持つことになった。与那国島のコウモリは通称「オオコウモリ」で羽を広げるとゆうに1mはあろうかとの大物である。このコウモリはフクギ・モモタマナ・ヤエヤマアオキの実を主食として生活しているため、夜はこれらの木にコウモリが鈴生りにぶら下がっているのだ。曲がりなりにも空を飛ぶのだから鶏肉に似て美味であろうとの結論だ。
さて、コウモリ打ちだ。照明係の誘導により上里射手が狙いを付けたオオコウモリは見事、頭部を吹っ飛ばされるズミーズミの大命中だ。しかし、このバカコウモリ ぶら下がるのが商売なので頭が すきゃーりてもぶら下がったまま落ちて来ないのだった。えげーーーーーーっ。
ミャークフツ講座 助詞編2
ひさぼう(平良市西仲出身)
助詞「が」と「の(ぬ)」の使い方
ミャークフツの場合、「が」は、GA と発音されて、共通語と同じであるが、「の」は、NO の O が U となって、NU「ぬ」と発音される。したがって、共通語の「の」はミャークフツでは、「ぬ」となる。
さて、ミャークフツの場合、所属・所有関係を表わす「が」と「ぬ」は、その前に来る名詞・代名詞によって、どちらを使うか決まってくる。 例えば、「わたしの子供」は、「ば が っふぁ」とは言っても「ば ぬ っふぁ」とは言はない。逆に「天の星」は「てぃん ぬ ぷす」とは言っても「てぃん が ぷす」とは言はない。 さらに、この区別は、「が」と「ぬ」が、主語を表わす場合も出て来る。
これを、グループに分けると、次のようになる。
1.「が」と言う、グループ。※( )の中は、ミャークフツのローマ字表記
◆一人称、二人称、三人称、不定称
(例)
私の(BAGA)本、君の(UVAGA)本、彼の(KAIGA)本、誰の(TO-GA)本
※ 共通語の例 わが母校、君が代、鬼が島など文語的表現
◆人名
(例)
太郎の(TARO-GA)本、花子の(HANAKOGA)本
◆兄、姉、父母、祖父母など
(例)
兄の(AZAGA)本、姉の(ANNGAGA、NE-NE-GA)本、父の(UYAGA、OTO-GA)
本
◆これ(KUI)、それ(UI)、あれ(KAI)
(例)
これの(KUIGA)主(NUSU)、それの(UIGA)主、あれの(KAIGA)主
2.「ぬ」と言う、グループ。
大ざっぱに言うと、上の例以外は、全部「ぬ」と言う。
◆身体、自然、動物、植物、
(例)
目のくそ(MI-NU FUSU)、山の上(YAMANU UA-BI)、馬の糞(NU-MANU
FUSU)
◆神(KANM)、魔物(MAZUMUNU)、
(例)
神の助け(KANM NU TASUKI)、魔物の住みか(MAZUMUNU NU YA-)
◆人名以外の固有名詞
(例)
日本の旗(にほんNU PATA)、トヨタの車(トヨタNU くるま)、秋田の
米(あきたNU MAZZ)
◆子供、弟、従兄弟、親戚など
(例)
子供の家(FFANU YA-)、従兄弟の家(ITUFUNU YA-)、親戚の家(UTU
ZANU YA-)
◆この、その、あの、どの ここの、そこの、あそこの、どこの
(例)
この(KUNU)、その(UNU)、あの(KANU)、どの(NNJINU)、ここの(K UMANU)、そこの(UMANU)、あそこの(KAMANU)、どこの(NNZANU)
3.ミャークフツは、「が」と「の(ぬ)」を、上のように使い分けている。
これからすると、「豆の花」は、MAMI NU PANA となるはずである。と
ころが、宮古民謡「豆が花」では、はっきり MAMI GA PANAと歌ってい る。これは、どういうことか。
(1)民謡「豆が花」の歌詞は、次のようになっている。
朝ぬ豆が花よ サーサー
明きしゃるぬ 露が花よ イラユシ
イラユシマーヌ 露が花よ
日常の、会話では、「豆の花」は、MAMI NU PANA であって、MAMI GA PANA ではない。なぜなら、例えば、豆と同じような次のことばを言い比べてみる。
大根(UPUNI)の葉 ⇒ UPUNI NU PA― × UPUNI GA PA―
ざうかにの種 ⇒ ZAUKANI NU TANI × ZAUKANI GA TANI
大豆の花 ⇒ DAIZU NU PANA × DAIZU GA PANA
(2)また、「が」と「ぬ」は、所属、所有関係を表わすほかに、次のような言い方 NU→ NUDU、GA→GADU で主語を表わす。
「ぬ」のグループ
大根の葉が枯れている ⇒ 大根 NU 葉 NUDU 枯りうズ
ざうかにの種が落ちている⇒ ざうかに NU 種 NUDU 落ちうズ
大豆の花が咲いている ⇒ 大豆 NU 花 NUDU 咲きうズ
「が」のグループ
太郎が本を読んでいる ⇒ 太郎 GADU 本ぬ読みうズ
母さんが笑っている ⇒ あんな GADU あまいうズ
(3)これらの例から、「豆が花」なら、「豆の花が咲いている」は、
豆 GA 花 GADU 咲きうズ となるはずである。しかし、日常会話では、豆 NU 花 NUDU 咲きうズ と言う。
(4)以上のことから、「豆が花」という言い方は、歌詞のリズムとか、ことばの調子を整えるため、あるいは、後ろの「よ」という感動詞とのつながりで「が」になっていると思われる。
4.ミャークフツの「が」と「ぬ」の使い分けは、共通語にもあるのか、調べたところ、「古語辞典」(小学館 中田祝夫編)に次のように書いてある。「一般に、代名詞・固有名詞には「が」が付き、普通名詞には「の」が付く。多く官職名(普通名詞)を用いて人を表わしたから、本名など固有名詞を用いるのは、身内や目下の場合で、「が」に親愛または軽視が、感じられる・・」 また別の辞典では、この区別は、中世末期まであった、とある。これで見ると前に挙げた、自分を中心にした身内グループには「が」を、その外のグループには「ぬ」を、という使い分けと大体同じに思える。
ばんたが宮古では、奈良・平安時代の「が」と「の(ぬ)」の使い分けを、未だにやっているわけである。
ばんたがやーぬつかふ9
松谷初美(下地町出身)
ばんたがやーや(我が家)は、下地町の中心地(上地ままーず)からは遠く離れている。どちらかというと平良市や上野村に近い。高千穂てぃあっじゃーまい(といっても)、範囲は広く、三つの集落に(ツンフグ、ツンマー、カザンミ)分かれている。
ばんたがやーやその中のカザンミにある。カザンミとは、たぶん風の峰という意味なのだろうと思う。ちょっと小高いところにあって、風が吹きやすいとの ばーかもしれん(ことかもしれない)。川満部落の北側にあり、地盛(平良市)に近く、飛行場(宮古空港)からは、5分とかからない場所にある。
カザンミは、20軒くらいの いみーっちゃぬ(小さな)集落で、ほとんどが農家だ。今から200〜300年くらい前に、平良の大親や役人の家に奉公していた農夫たちが移り住んできたとも言われている。姓は、村吉、恩川、与儀、荷川取、徳嶺の5つの姓しかなく、何かしら皆、親戚関係にある。うちのおばぁは、カザンミで生まれ、村吉家から同じカザンミの徳嶺家に嫁ぎ、その妹も又同じように村吉から徳嶺になった。二人とも500mくらいしか離れていないところへの嫁入りである。今じゃ、そのおばぁの孫たちは、内地や外国へと嫁ぎ、その血は、地球規模になっている。
カザンミの北側には、御嶽(うたき)があり、やはり、カザンミの人たちの大切な場所となっている。ぷーず(節)の時には、必ずお参りをし、家族の安全と発展を願う。カザンミから嫁いで他所へ行った人たちもこの日には、お参りに来る。その時、必ず んき゜(お神酒)も供えるのだが、んきゃーんな(昔は)、どこの家でもこの んき゜を自宅で作っていた。今はお米が主流だが、おばぁたちの頃は、粟で作っていたそうである。粟を煮たものを口に含み、よく噛んでそれを吐き出し、残りの粟と混ぜ、2〜3日発酵させる。甘酒のようなもので、子どもたちも好んで飲んだ。もっと日にちが経つと酸っぱくなってくるが、これがまた んまむぬどぅやたー(おいしかった)。
御嶽から少し南に行った、集落の真ん中あたりには、古井戸がある。水道が通る1960年代まで、カザンミの人たちの生活を支えていた。私が小さい頃、断水したことがあり、この井戸に水を汲みに来た記憶がある。四角い缶を竿の両端につけて、水がこぼれないように、木の葉っぱをかぶせながら運んだのを覚えている。今ではもう使う人などいないが、おばぁたちはここにもお参りを欠かさない。「水が枯れることなく、溢れるようにでて、自分たちの生活を豊かにしてください」と昔、井戸への願いと感謝を込めて祈っていたものが、今なお気持ちの中にあり、それを表すのだった。
この古井戸のある場所は、ぬーがま(小さい野原)といって、みんなが集うところでもあった。昔、サニツ(旧暦の三月三日)の時は、そこで、ぬーまぴらす(馬の競走)をしたそうである。カザンミは内陸のほうにあるので、インザニツ(海でのサニツ)より、こちらの方がメインだったようだ。
それから集落の南側には、こんもりとした松林がある。100年以上経っていると思われる古木が立ち並び、ばんたがやーからも見ることができる。私の子どもの頃の記憶の中には、欠かせない場所であり、風景でもある。
カザンミにはこれといった名所や建物は、のーまいにゃーん(なんにもない)お店すらなかった時もある。見渡せば、畑、山、だけだ。やらびぱだ(子どもの頃)は、そんなド田舎なカザンミが好きではなかった。しかし、今 やー(家)に帰ると心底、ホッとし、安らいでいる自分がいる。とりたてて何もないように見えるこの地から、人から、私はたくさんのものをもらい育ったんだと気づく。
宮古の人の中でも、カザンミぃ?それはどこにあるか?と言われるほど、あまり知られていないところだ。でもそこは、そこで育った人たちにとって何にも変えられない宝の場所。今では、ういぴとぅ(年寄り)が多くなってしまったけれど、いつまでもあり続けてほしいと思う。
お便りコーナー
宜野湾市在住 屋宜さんより
今回も楽しく読ませて頂きましたよ。
優子さんの釘踏み事件は僕も同じ経験をしました。違っているのは、僕は雨靴を履いていた事と小心者なので直ぐに病院に連れていってもらった事です。傷口を開いて残っていた錆を取り出された記憶があります。花笠空港や給油所の通りなど「あは〜あの辺だな〜」とか読んでいて楽しくなりました。
自転車の三角乗りも経験ありますよ、ちなみに久茂地では”中乗り”と呼んでいました、乗りながら題名も知らない民謡を口ずさんでいました。「木曽のなぁ〜〜ぁ なかのりさぁ〜ん 木曽の御岳さんはなんじゃらホイ なぁつでも寒いヨイヨイヨイ・・」ってね、ただなぜあの頃から自分がこの歌を知っているのか今でも謎です。
あば本舗さんの人命救助も同じ経験があります、場所は本島中部の現ハンビータウンです。当時はヘリの飛行場で発電船と呼ばれていた大きな黒い船が横付けされていました、一緒に泳いでいた友人が溺れかけて助けに向かった僕もあば本舗さんのように溺れかけて死ぬかと思いました。
さいきんFM沖縄のハッピーアイランドに「がんぐるゆまたのピンザ」というペンネームで投稿してしてるんですよ、さすがに「片足」は付けきれんかったさぁ
※屋宜さん、だんだんと宮古に染まってきてますねー。(笑)場所は違っても皆同じような経験をするんですね。お便りたんでぃがーたんでぃでした。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
10月ん なりにゃーんいらー(なってしまいましたねー)。前号から3週間あいて、余裕ゆーと思っていたら、やっぱりいつものように締め切り日はあせりまくっております。
さて、vol.85は、のうしがやたーがら(いかがでしたか)?
宮古民謡で恋の歌は多く歌われているが、「ます゜ぬあら」もまた、だいず情熱的な歌ですねー。聴いている時は、あまり歌詞の内容は気にとめていなかったけれど、解説を読んで 熱い恋の歌にびっくり。私も若い頃、この歌を歌ってもらいたかったなぁ。あ、その頃三線を引く人は周りにいなかったさいが。
よなくに島には、あんちぬだいばん(そんな大きな)こうもりがいるんだねー。結局、「鉄筋ぬ まとぅしーや むぬぅ ふぁーいん(鉄筋を当てにしてごはんは食べられない)」!?神童ワールド次回もお楽しみに!
言葉(みゃーくふつにしても日本語にしても)をしゃべるのに、普段意識してしゃべるということはない。しかし、今回のみゃーくふつ講座の「が」と「ぬ」を意識して考えるとまーんてぃ ぴんなぎむぬ(本当に不思議な感じがする)。今回ひさぼうは、何回も自分の舌で言葉をくり返し、ルールを見つけ、たどっていったとのこと。文献を調べるのも大切なことだが、自分の感覚で言葉を吟味してみることも大切だと実感。それにしても、奈良、平安時代の使い分けを今もしているとは!みゃーくふつは本当にすごい!
<おしらせ> がありまーす。
昨年の10月に東京上野で行われた「アララガマフェスタ」が今年も行われるそうです。宮古や沖縄本島からたくさんのアーティストの方たちが出演します。また宮古の風が吹きそうですよー。ずぅ いきみーでぃー(さぁ行ってみよう)
出 演 | 国吉源次・義子、下地勇バンド、アヤメバンド、かぎ花バンド、ヒルギ |
場 所 | 上野水上音楽堂(03-3828-9168) |
料 金 | 前売り3000円 当日3500円 高校生以下1500円 |
チケットは下記まで
琉球センターどうたっち | 03-5974-1333 |
銀座わしたショップ | 03-3535-6991 |
宮古郷土料理ラッキー | 03-3682-9676 |
みなさんからのvol.85の感想、お待ちしています。投稿まい ぜひぜひ。
次号は、10月21日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。