みなさん、こんにちは〜。
台風23号が大きな被害をもたらしていますが、みなさんのところは大丈夫でしょうか。あみまい、かじまい、んにゃ じょうぶん(雨も風ももういらない)。みなさん、お気をつけくださいー。vol.86お送りします。
みゃーく んなまずぶん(今ごろ)
さどやませいこ(城辺町出身)
タカドーイ、デング。10月になると、私はいつもウキウキしながらアパナキ(上を向くこと)て歩きます。それは、鷹(猛禽類のサシバのこと)が寒露の頃、一年ぶりで帰ってくるからです。普通の人は鷹の渡りといいますが、私にとっては帰ってくるという感覚です。いとおしいというか、身内のようなというか。何でこんなに気になるのか自分でもピルマス(不思議)です。
昔から、民話の中に登場したり、わらべ歌やカニシマ(即興あーぐ)にも歌われているということは、タカも昔から宮古島や伊良部島をふるさとと思っているはずです。一般には、越冬のため本州のタカたちが鹿児島の佐多岬に集結して、東南アジアの島々に向かうその途中で、羽を休めるため宮古に降りてくると云われています。ずっと以前は、鷹柱ということばがうまれたほど、大量のタカが一気に降りてきたということです。
俳句の季語としてもたくさんのタカことばがあります。「鷹の尿雨(しと)」とは、秋がやや深まり、ニスカジガマ(新北風)がさやさやと吹く頃、しとしとしとと降る雨のことです。そして、その頃は子ども達が風邪をひこうとします。そのことを「タカのパナツキ」というそうです。また、仲間に付いていけなかったタカの事を落鷹とか島番鷹とか表現します。タカジューシー(タカ雑炊)は、今では禁句ですが、当時はたんぱく源として貴重なごちそうでした。これほど、生活に密着した鳥がいるでしょうか。
およそ20年前までは、自由に捕獲することができたので、市場や運動会の場外で売っていたという光景を、50代以上のみゃーくぴとなら見たことがあるはずです。男の子たちのペットとして、身近にいました。ところが、20数年前から年々減少しているという調査結果がマスコミで報道され、1972年本土復帰に伴い保護鳥に指定されたわけですが、私の勝手な考えでは、とても遠い存在になってしまいました。
現在、宮古野鳥の会によって、毎日カウントが行われています。今、渡りのばんず(時季)をこえて終盤です。今年は新聞でしか見ていませんが、我が家の近くの森には、毎年、2羽の島番鷹が残ります。その鳴き声を確かめようと、いつも耳をすませています。
ぱーんとぅ・ぷなか
神童(平良市出身)
酷暑の夏が終わりを告げ、風が北よりの季節風に変わり、タカーが渡りを始める頃に、「ぱーんとぅ」が行われる。平良市島尻の行事だ。日程は集落の長老達が決定する。宮古方言で「ぴかずをとる(お日柄を選ぶ)」ということだな。だから、来年はいつ頃にするんだよ!と言えないんだな。コンピュータの時代と思えないのどかさだ。
神童幼少の頃は、狩俣学区の運動会が終了したその日に、いきなり「ぱーんとぅ」が始まったりして、狩俣からの帰り道がわくわくどきどきしたのを憶えている。
「ぱーんとぅ」の起源は、砂浜に流れ着いた仮面にあると言われている。クバの葉につつまれた仮面が流れ着いた砂浜を「クバ浜」転じて「クバマ」と呼んでいる。島尻の原住民居住区は漁港近くの海岸ぺりの高台にある「むとぅずま」だ。むとぅずまは東側に城壁のような石垣がめぐらされ、弓矢を射るような穴が穿たれている。
「ぱーんとぅ」は全身に「きゃーん」という蔓草をまとい泥を塗りたくった妖怪だ。ぱーんとぅの泥は、神経痛、成人病、不惑の年代に羽目を外す不埒な大人等に対する薬効がほとんど期待できない。厄よけの意味があるのみだ。広い意味で驚くほどの効用だな。びっくりだ!ぱーんとぅは三体だ。正式には三匹だ。人間じゃないので数え方も動物扱いだ。それぞれ「うやぱーんとぅ、なかぱーんとぅ、っふぁぱーんとぅ」と呼ぶ。(親、中、子)だ。
仮面は祭り行事以外は、むとぅずま御獄に安置されている。安置されているのは うや(親)の面だけ。「なか(中)」と「っふぁ(子)」の面は古老の自宅にそれぞれ預けられている。
行事に先立って、「すまふさり」という儀式が行われる。粗めになった ばら綱に豚の骨を付けて集落の主要な道路に縄が張られる。結界だな。「ぱーんとぅ」は集落の厄災を結界のそとに追い払うということと、住民に泥を まみる(なすりつける)こと、新築や出産の家庭に出向いて泥をまみることが仕事だ。
「ぱーんとぅ」は傍若無人を信条としており、泥だらけの土足で住宅に侵入し老若男女の別なく泥をつける。「ぱーんとぅ」に扮しているのは青年会の韋駄天野郎だ。ま、年頃なので若い女性に泥を付けた場合、痕跡として胸部を中心に手形が付いていることがままある。違うな!若い女性の場合は手形の位置がほぼ胸部周辺だな。若いからしょうがないのだ。許してくれ。というか許す前に諦めてくれ!ぱーんとぅは神の化身なので腹を立てることは御法度なのだ。
さて、本題に入ろう。
「ぱーんとぅ」は青年が扮して行う。特に人選はない。先着順だったりする。二日間なので計6人のぱーんとぅ青年が誕生する。たいていは足の速い青年が名乗りをあげる。制作は当日の午後3時頃から始まる。集められた きゃーんを青年に巻き付け泥を塗っていく。泥は何でもよい訳ではなくて集落の北側にある んまりがー(生まれ井戸)で行う。少し離れて、もう一つ井戸がある。その井戸は死に水に使用する井戸だ。間違えると大変なことになる。集落から離れている井戸が んまりがーだ。25年前くらいまでは、きゃーんを集めるのは中学生以下の子供達だった。今は青年が行っている。
んまりがーは、沢の下にあり腐葉土が堆積し淀んだ井戸で熟成される。淀んでいるため独特の臭いを放ちながら。今年は んまりがーから大きなウナギが泥とともに引き上げられた。多分、打ち上げの蒲焼きになっているだろう。
「ぱーんとぅ」は青年達の手により、丹念に泥をコーティングされる。重量にすると25〜30kgある。夕方の登場の際は、泥が重くてまともに走れない。仕方なく杖で ボーチラヤラビ(腕白坊主)を すぅふぃたり(叩いたり)する。泥は、投げる。仕方ないんだ。重いから。
初日の「ぱーんとぅ」は、制作終了後、むとぅずまと遠見台のウタキを詣でて神への報告をしなけらばならない。報告終了後、集落内を きぎゃーりて(かき回して)まわる。今年、二日目の「ぱーんとぅ」は、体力のなさを露呈し、なんとママチャリで住民をおいまわしていた。うるぅらっ! 終了は午後9時頃。集落のスピーカからぱーんとぅに終了するようアナウンスされる。25年前までは、午前0時をまわることも珍しくなかった。その頃の「ぱーんとぅ」は、中の青年を3回くらい入れ替えて疲労することなく子供達を追い回していたのだった。
「ぱーんとぅ」は泥がなくなると、購買店裏にストックしている泥を付き人に補給してもらう。泥は一斗缶に2杯ほど、んまりがーから運んである。
「ぱーんとぅ」は、終了後、身にまとったきゃーんを海岸から海へ流し、海水で体を洗って終了する。臭いは一週間取れない。でも、深夜までしなくなって悲しい限りだ。事件があったんだ。顛末は書かない。
宮古で一番有名な高校生
宮国優子(平良市大原2区出身)
「もう恥ずかしかったー」「なー、だいずドキドキしたー」などと、国土交通省のロビーで、浅黒い肌の高校生たちはお互いに言い合っていた。彼らは、今、宮古で一番有名な高校生。宮古農林高校環境班の代表三人。
ついさっき、5分前まで国土交通大臣の前で英語のレクチャーして、たくさんのマスコミのインタビューにハキハキと答えていたのに。霞ヶ関のエリート官僚までもが振り返る、ありえない宮古ふつが妙におかしくて、いろいろ聞いてみた。
「英語、上手だったね」
「先生に教えてもらって、もう丸暗記だよ。だいず緊張する!」
「東京きて観光した?」
「今、観光している気分だよ」
霞ヶ関の官庁街を指差して笑顔で言った。指導者の前里和洋教諭も下地恵吉校長先生も彼らの無邪気な様子を優しいまなざしで見守っている。彼らはいまや海外でも講演を行い、日本の青少年の環境問題のリーダーだ。
皆さんご存知だとは思いますが、彼らの功績を簡単にまとめてみました。開発した有機肥料の名前は「Bio−P(バイオ・リン)」。それは「リン溶解菌を利用した有機質肥料」で、地下水や水質汚染問題解決の切り札として注目されている。今年、8年間の研究の成果が実を結び、「水のノーベル賞」とも呼ばれる「ストックホルム・ウオーター賞」の青少年部門を受賞した。アジアでは初の受賞となった。
先日の取材で、立ち話ついでに前里先生に授賞式や海外での反応を聞いてみた。「この肥料は、宮古だけでなく世界で使える肥料です。毎回、反応は大きいですよ。水の汚染を懸念しない国はありませんから」と話してくれた。こんなふうに一緒に頑張ってくれる先生がいて、彼らは自然に若いうちから社会貢献している。とても素晴らしいことだし、すごくうらやましい。そして、彼らに何度か会ってみて、自然で気負いがない姿は「自分のやるべきことをやっている」「仲間とともに楽しんでいる」という彼ら自身の言葉に重なる。
「水は命だしね」とそのうちの誰かが言っていた。そして私は宮古の知り合いの方から聞いた話が頭をよぎる。彼女のおばあが一年に一回、昔使っていた井戸に今でも拝みにいくそうだ。どうもそれがそのおばあ一人だけではなく、たくさんの人が拝みにいくそうだ。「幸せな井戸ゆ。豊かな風習ゆ」と思った。
足下を見つめる実用的な研究。若い世代が自助努力を、そして「誰かの役にたったらいいな」という気持ちで取り組んでいる。そしてそれが相乗効果を生み、企業、コミュニティが参加していく方向で進んでいる。
夜中に「小さな宮古から世界中に発信できることってあるんだなぁ」と思うと布団のなかで笑いが止まらない。小さな一滴が大きな輪に、水の波紋のように広がっていく様子。そのはじっこに私もいる。凡人なので、彼らのまねはできないが、せめて自分の暮らしの中で何か人のためにできること、身の丈にあった何かをがんばろうと思うのだ。彼らの記事を読むだけで、彼らに会うだけで、そんな励まされた気分になる。ありがとうねー。
ばんたがやーぬつかふ10
ワタリマリ(上野村出身)
「んじい まつがあちい ぷかんかい いじみいる」
(ねえ ためしに外に出てみてごらん)
「きゅうや かんぬゆう ありば かんかい いじゃうがらまいすさるんさ」
(今夜は神の夜だから神様に出会うかもしれない)
どこからともなく聞こえているような呼ばれているような そんな声を耳にしてユヌスはと惑うことなく外へと体を向けていた。後ろから ねえねえが、え?との顔で言う
「ありい んざんかい」(どこにいくの?)
「ぴいっちゃ ぷかんかい」(少し外へ)
「いっ! きゅうやかんぬ ゆうちまいすさん」
(あら!今日は神の夜ってしらないの?)
そのついでに ぷりいなうう(おかしいんじゃないの)とでもいいそうな目でユヌスを見ている
ユヌスは無言で玄関をでた
「あっ!すっさんたんじ」(もう!しらないから・・)
ねえねえはあきれた声を出して母ちゃんに言いつけにいったようだ
外へ出た 夏だというのに空気がひんやりしている 夜露のせい? いいやそれとも違う ユヌスは明らかに今までの空気とは違うのを感じている うまくいえない なんともいえない深く深い闇の中の それでもって自分だけが包まれているような そんな感じ ひんやりとしてはいるけれど とてもきもちいいではないか
何一つ聞こえない
うすまい ぬうままい ぴんざまい わーがみまい(牛も馬もヤギも豚でさえも)声ひとつ発しない 闇はますます深まるばかり
あっ! 風? いや違う 人? 確かめるまもなく きえていく
「かいがな かん ああたあべい」(あれが神だったのだろうか)よくわからない だったかもしれないし ただの風だったかもしれない
「やーんかい ぱい゜しいちい あびり」
(家へお入りとよんで!)
「うまあ かんぬ とぅい゜んつちいまい すさん」
(そこは神のとおるみちですよ)
「かんかい いじゃうっかあ だいずさやあ」
(神に出会ったら大変なことになりますよ)
「はい きゅうや んーな でんきゆ きゃあしい さあちいにゅうっうい
(さあ 今日は電気ゆみんな消して 早く寝ましょうう)
母ちゃんの声 ユヌスは少しばかり顔をこわばらせて家に入った そしてその夜は 決して戸をあけて寝ないこと 決して騒がないことそれを守り 神たちが静かに通れるようにしてあげることを母ちゃんから聞かされ、 半信半疑の体験から まだ体が放たれないまま 母ちゃんとくっついてねるのであった
かんぬゆう(神の夜) 一年のうちに何回かあり 神に畏怖の念を覚えて一夜を過ごす
本当に神を見たと言う人あり 神はいないという人あり ただ 多くの村人たちは その夜の神に対して うとぅるっさ(こわい) という気持ちを持っていることは言うまでもない
ばんたがやぬつかふぬどぅ かんぬんつ
(我が家の近くが 神の通る道)
お便りコーナー
長野在住 武島玄正さんより
vol.85の「まず ぬ あら」、マツカニさんの解説いいですね。「あぐとぅまいな」の理解に苦しむとのことですが、女性が男性に「あぐ」とはいいませんかね。もしよければこの歌を女性が歌っていると思えば問題はないのですが。
この「あぐとぅ まいな」について「沖縄の民謡」杉本信夫では「私の恋人は 世が直れ」と和訳され「宮古民謡 工工四」平良玄幸では「米を粒選りに選った愛人と一晩、、、」と解説されています。
蛇足 杉本さんの解説では「宮古でも昔は一部の地域では米が取れたそうである。人頭税時代には米を手のひらに並べ欠けたものをより分けてから俵に入れて上納させられたという」とあります。
「宮古民謡 工工四」にコトバはほとんど同じでフシの違うと思われる「酒田川」、「崎田川」があり工工四が読めなくて残念。三線は興味があって独習しようかと考えいろいろ揃えたが踏ん切りがつきません。
※武島さん、「あぐとぅ まいな」の情報たんでぃがーたんでぃ。宮古民謡の奥は深いですね。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
今回は、鳥(タカ)から、人(高校生)、妖怪(ぱーんとぅ)、神さま(かん)まで、幅広い話が集まりましたが、のうしがやたーがらー(いかがでしたでしょうか)? お楽しみいただけたんじゃないかなーと思っています。
せいこさんが書いているように、タカの ばんず(時季)になると、大人も子どももウキウキワクワクしていました。くもった空にタカが高く舞い上がり、旋回していた様子は 宮古を遠く離れた今でも ばっしらいん(忘れられない)光景です。
「ぱーんとぅ・ぷなか」は、島尻で育った神童ならではの、ぱなす(話)。ニュースにはならない部分も見えたかと思います。神童は、28歳の時に「ぱーんとぅ」になったそう。少し前までは制作責任者だったとか。そういう担当もいたとは、すっさったんー(知らなかったぁ)。
宮古農林高校の生徒さんたちの功績はすごいですねー。まーんてぃ まいふか しーとぅ ぬきゃどー(本当に偉い生徒達だねー)。報道されるたびにばんまい いずぅう むらいうー(私も元気をもらっています)。優子さんは新聞の取材で彼らに会い、スポットをあびていない時の彼らの素顔に感じるものがあり、今回のコラムに。
「かんぬゆー(神の夜)」は、みゃーぐん(宮国)に本当にあるそうです。御嶽の神さまが集落内を通る日で、通る道も決まっているのだとか。その日は誰も外に出る人はなく、家に静かにしているのだそうです。その日のことをワタリマリは物語風に書いています。
さて、今回もおしらせがありますよ〜。
(おしらせ)
宮古出身で現在、東京で活躍されている画家、久貝清次さんが、素敵なコラボレーション(作曲家と演奏者とダンサーと画家の)に参加されるそうです。お時間のある方、ぜひおでかけください。ばんまい いき゜がまた(私も行きます)。
「Awakening of-覚醒(めざめ)」
(生命の営みと進化、無秩序から秩序へ、やがて訪れる自己崩壊を幻想的に描く空間)
日 時 | 10月25日(月) 午後6時半開場 7時開演 |
場 所 | 下北沢(東京)「北沢タウンホール」 |
料 金 | 前売り3000円 当日3500円 |
問い合せ | ムジマ音楽工房 03-3706-2350 |
ダンス | 星川しょうこ、エレクトーン・西岡奈津子ほか |
作 曲 | 中島克磨、絵画:久貝清次 |
以上。
きゅうまい しまいぎー ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜。(きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました)みなさんからの感想や投稿が次への活力となっています。ぜひぜひお便りをお寄せください。お待ちしていますよ〜!
ミャークフツ講座はお休みしました。
次号は、11月4日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。