くまから・かまから vol.88

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 みなさん、こんにちは〜。
読むと何か良い事ありそう 末広がり88号どーやー(ですよー)。 さー、ぱずみっとー(始めましょうねー)。

あり、うわどまいろ(あれ、あんたたちもねえ)

かい(伊良部町出身)

 声のする方向を見て おごえっ(びっくり)。宮古島伊良部の実家のまいばら(南側の家)に住んでいる、みさおにいにいの家族が笑って立っている。ここは沖縄本島の南風原(はえばる)町という所にある、県内唯一のアイススケート場。夏休みを利用して伊良部から来た甥っ子が何よりも一番に行きたがる所だ。アイススケートは宮古では絶対に出来ないスポーツだから、沖縄本島に来たときはとっても楽しみにしている。
 
 夏休みともなると、ここのアイススケート場には涼を求めてたくさんの家族が集まる。滑り出した弟があちこちで何回か会釈している。どうやら、くまんまい かまんまい(ここにもあそこにも)宮古の知っている人が何人か来ているらしい。
 
 夏にアイススケート。なんて素敵な組み合わせだろうと思う。私が小学生の頃にも、天久という所にアイススケート場があった。夏だというのに、リンクの周りには石油ストーブが置かれていた。氷の状態が悪く、転ぶとすぐビチョビチョになった。そのビチョビチョになった服や手袋を乾かす為に必要なものなのだ。たった一回しか連れて行ってもらえなかったが、私の中にアイススケートは夏にするものだという固定観念が残った。
 
 私が二回目のアイススケートに挑戦したのは大学生になってからだ。この時初めてアイススケートは冬のスポーツだと知った。本土では、冬の間の限定した期間しかアイススケートは出来ないのだ。これを知ってまたまた感激。沖縄では一年中アイススケートが出来る!!あの猛暑の夏の時期など、アイススケートは最適ではないか!
 
 息子は今アイススケートにはまっている。もう夫から教わるものは何もないとわかったのか、スケート場のスタッフや周りの上手な大人をつかまえて、教えてもらったりしている。常連の中に、いつも頭にタオルを巻いて滑っている人がいる。私達が行くときはたいてい見かけるから、彼はほとんど毎日曜日はそこにいるのではないだろうか。いつ頃からか、息子はその彼にたばりて(くっついて)滑るようになった。
 
 子どもは本能的に子どもを好きな大人が分かるらしい。彼も子どもたちが自分にたばりるのを別段いやがる様子も無く相手している。おいかけっこしたり、かけっこしたり。先日、これ程いつも相手して貰っているのに、そういえばまだ名前を知らないことに気づいた。息子が帰る間際に聞きにいってきた。そして、ばらうばらうしながら(にやにやしながら)戻ってきてこう言った。
「ヨン様とよんでって」
 
 わざわざ韓国まで出掛けなくても、南風原のアイススケート場にいけば「ヨン様 」に会える。うわまい、いきみーぶすむぬ ?(あんたも行ってみたい?)

ミャークフツ幻想曲

ひさぼう(平良市西仲出身)

 宝石も、もとをただせば、どこかの鉱山を、掘って砕いて磨き上げたもの。同じように「日本語」も、段々に辿っていけばミャークフツになるのではないかと、日頃思っている“妄想”だか“幻想”だかを、聞スキフィール(聞いて下され)
 
 ミャークフツは、まず「文字」に馴染まない。
 
 人間の歴史を辿れば、文字が出てくるのは、人間が話すことを始めてからずっと後のことである。さらにその前は、声帯が言語をしゃべれるように発達するまでは、ずっと長いこと歌を歌っていたものらしい。もちろんこの場合の歌は、ア〜 とか ウ〜 とかいうだけで、それに感情がこもるうちに、だんだん言葉が出てきたらしい。だから順序からすると、歌があって、言葉が出てきて、それから文字である。それで、ミャークフツが文字に馴染まないということは、文字ことばに混じらないで、原始のままで来ているのではないか、ということである。
 
 宮古の遺跡のほとんどは、12〜13世紀以降のものらしい。それ以前のことはわからない。それと、そもそも学校で習った日本の歴史の「時代区分」、旧・新石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代→奈良・平安時代→鎌倉時代→ こういう発展段階が、沖縄の歴史にはあてはまらないという。しかも、800年から千年は、時代が遅れている・・・。さらに、宮古・八重山は、奄美・沖縄本島よりもっと遅れた歴史になっている。何のことはない、宮古は原始時代が長かった。
 
 「古事記」などの古い文献にある「古語」は、日本あちこちの方言に見つかるらしい。また、各地の地名の由来が、アイヌ語で解明できる例が多いともいう。奄美、オキナワ、宮古、八重山の方言と地名も、その中に出てくる。確かに、いろいろ本を読んでみると出てくる。たとえば、「夜」は、ミャークフツだと、「ゆさらび」、大阪では「よさり」、「枕草子」でも「夜さり」、地名の例だと、平良のヒラは、古語やアイヌ語では「坂」とか「崖」の意味(これは、昔の張水桟橋から見上げる景色の印象からきているらしい。確かに、坂、それも急な坂が多い)、八重山の「祖内(ソナイ)」とか「比川(ピナイ)、ピナイ川」は、それぞれアイヌ語で「滝のある沢」「石のある沢」という意味になる、という具合。
 
 これらのことから、つぎのような考えがだんだん拡がってくる。
 
 むかしむかし、琉球列島が、大陸とも日本四島ともつながっていたころ、人類は、地球上各地を移動していた。沖縄本島には、「港川人」、宮古島には、「ピンザアブ人」がやって来ている。沖縄諸島が、孤島になり始めた頃、島の中で最も低い宮古島は、二回沈んでいるという。なぜに宮古にハブがいないかの理由がそれだともいう。その頃、本土では、縄文時代が始まっている。
 
 日本の先住民はどこからやって来たか、地理的条件からすれば、北方、南方、大陸方々からその可能性はある。ただ、日本語の成り立ちからすると、文法は北方系、単語は南方系らしい。そして、1万年以上続いた縄文時代に、列島各地で話されていたことばを「縄文語」だとすると、今の日本語のもとは、その縄文語であり、それは、日本各地の方言に残っている。今、アイヌ語が日本語の系列に入ることが、着々証明されつつある。単語が全然違うとか言われ続けられたのが、「単語家族」という考えで、つながってくる。又、日本語の語源が、日本語だけだとわからないのが、アイヌ語で説明できる。要するに、日本語の一番古い層が、アイヌ語には残されているということがわかってきた。
 
 沖縄人・沖縄方言も、前は、日本人ではない、日本語ではないと言われ続けた。どうも、同じ経路を辿っているようなのである。
 
 「縄文語北海道アイヌ方言」と、「縄文語沖縄方言」は、どこで別れただろうか。先に挙げた、北方系の中にモンゴル語があって、モンゴル語には方言はないのだという。なぜかというと、遊牧民全体で方々移動するから、共通語にならざるを得ないのだという。それに、文化の発展がほとんどないから、あの、ジンギスカン時代の歌とか言葉がそのまま今、通用するという。このことから、「日本語の原形」は、日本列島で、先住民の移動(その前段階は人類の地球上の移動)の最中に、「共通語」として成立した、と考えられる。その後、引き続く渡来人のもたらす文化やら言語の影響、地域性の高まりに、人口増大が相俟って、方々に方言が形成される。(そのとき、「日本語の原形」は失われない)。決定的な渡来は、稲の文化と鉄製の農具・武器をもたらした「弥生人」であり、日本史に弥生時代という区分を作ってしまう。縄文人の子孫であるアイヌ人は、東北・北海道に追われる。
 
 ばんた(我々)沖縄人は、この“襲来”に、どう対処したのだろう。いや、これとは関係なく、南下していたかも知れない。「共通語」の「原形」だけは、もっていた。そして今、人口一千万の東京で、群れを成して行き交う人の顔を見ると、縄文系と弥生系に区別できる。“混血人口の群れ”である。私の場合、親の三代前に、島尻から添道に来て、親が平良市内に移っている。私は、オキナワに渡って、東京に来て、長野のミドゥン(女性)と一緒になっている。その親を見ると、父方が典型的な弥生顔で、母方は、眉毛の濃い典型的な縄文顔になっている。さて、私の子供の正体は、「何人」でしょう。
 
 ミャークフツの中で、よその島人・県人が一番、発音しにくいと思う単語は何か、自分で発音してみて選んだのが「魚のウロコ」、これである。文字で書けないけれども、強いて表示すると、「イズ ヌ イズキ」 である。古語辞典を見ると、魚は、「いを」である。オキナワでは、「イユ」という。「うろこ」を何というか全国方言を調べると、イラ、イリコ、イロコ、イーコ、コケ、コケラ・・等出てくる。分布でいうと、東日本がコケ系で、西日本はイロコ系らしい。これは一つの例で、ミャークフツが“原石”で、だんだん磨かれて、イズが、イユになり、「いを」になり、イズキが、イリコ、イロコになり「ウロコ」になったのではないかと考えるわけである。
 
 ヤマトピトからすると、宮古の特色は、その古代性だ、みたいなことを言われる。大神、狩俣、島尻あたりの風習やら、方々のカンカカリャ(神に願いごとをする人)の存在の見聞からかそんなことを言う。あしば(そうなんです)よ、実は2000年前あんたがたがしゃべっていたのは、ミャークフツなんだよ〜、といってみたいのである。
 
#参考文献:片山龍峯著「日本語とアイヌ語」すずさわ書店刊,鈴木 健著「縄文語の発掘」新読書社刊

宮古的標準語

松谷初美(下地町出身)

 標準語だと思っていたのに、内地で使ったら通じなかったとか、または、内地の人が宮古に行って、こう言われたんだけど、何のことか意味がよく分からなかったなど、宮古的標準語(沖縄本島とは共通のものが多い)は、意外とだう(たくさん)ある。

 よく知られているところでは、「べき」が一番かね。義務づける意味の「○○するべきだ」ではなく、「○○するつもり」という意味。あと「ひざまづき」ね。「ひざまづく」という動詞はあっても、「ひざまづき(正座)」という名詞は、内地には、にゃーんどーり(ないらしい)。子どもの頃は、「ひざまづきしなさい!」とよく言われたけどねー。(「ひざまづき」が内地では通用しないというのが知られるようになったのは、今から15年ほど前にだされた『おきなわキーワードコラムブック』で書かれてからだと思う。この衝撃は大きかったなー。)それから「行く」を「来る」、「来る」のも「来る」というさーね。

 最近、宮古に行った内地の人が、「いいはずよー」や「そーなわけ?」がよく分からなかったと話していた。これは「いいなー、うらやましいなー」、「そういうことなの?」の意味。あまりにも普通に使いすぎて、何が変なのかも気が付かなかったりする。

 「だ はず」とも言うよーね。これは「そうであるはず」を縮めたもの。相槌を打つときなどに使う。「あれなんかは、恋人同士だはずよ」「だはずよー(そうだよねー)」。沖縄本島でいうと「である」かな。最近は「だある」まで進化しているとか。

 それから、人を呼ぶときに、「おいよー」「おい」と普通に言う。

 言葉のつなぎには「して」や「してから」、「してからにが」。「そして」や「それから」の意。

 つきそいで一緒に行くことを「ともだちして行く」という。「ともだちして行っておいで」。方言では「どっさしー いきくー」。

 「イシャイラズ(医者いらず)」は、「アロエ」のこと。固有名詞だと思っていたら、違うんだ。

 「知ったふり」。もちろん「知ったふりをする」という意味だが、これを言い放つ。「えげー、知ったりふり!」。「知ったふりさいが」など。

 宮古的標準語もまた あずーあずぬ(味わい深い)ものなり。

アスターの思い出

アモイ(平良市出身)

 私の神奈川にある家の近くに花屋さんがある。歩道の横が直ぐ店になっている。間口は広いが奥行きが狭く、お客さんが多いときは歩道の方まではみ出たりしている。私はまず自分の為に花を買う事がなかったので、世の中には花好きな人が多いもんだなーと考えたりしていた。
 
 今年の夏に帰国した時だった。店を通りかかった時に何気なく鉢植えに書いてある花の名前を見ながら歩いていると、「アスター」と書いてある花があった。えー、アスターか、懐かしいーー、と思わず立ち止まって見取れてしまった。そんなに小さかったっけ?と感じながら、遠い小学校時代を思い出していた。
 
 小学校の4年から5年生の時の担任は、新しく赴任してきた「下地朝雄」という教育熱心な先生だった。先生は園芸の方面にも知識が豊富であった。あまり花の少なかった当時の宮原小学校の校庭の花園には、先生のおかげで色とりどりの花が咲き乱れるようになっていた。しかし、花が咲き乱れる迄には先生に受け持たれた2年間というもの、我々クラスの生徒のちょっとした苦労があった。
 
 放課後になると順番で花植え当番が回ってくるのだった。学校の運動場の角に畑があった。元は幼稚園児の為の建て物があったのだが、取り壊して畑として使うように成っていた。そこに色々な花の苗を下ろして発芽させ育てるのであった。畑とはいっても痩せた土地であった。苗床を耕すときは肥料が必要だが化学肥料を買うわけではなく馬の糞を入れた。当時の農家では馬や荷馬車が活躍していたときだったので道路のど真ん中でさえ馬の糞が落ちている、「ぬーまぬ ふすーう ぴすいくーっざー、あば、ちーらーあら、」(馬の糞を拾ってこいってよ、じゃあ行ってこうようか)バケツを持って馬糞を拾ってきて花園にまき土壌つくりする。学校の横の道を2〜3百メートルも歩くと何頭かの馬の糞があるので適当に拾ってくる。農家の子供にとってはそれは農作業の手伝いの延長に過ぎずあまり苦になることはない。
 
 しかし花を青々と育てる為には苗から芽をだしちょっと大きくなる頃にもっともっと栄養を上げなくてはならない。この栄養の高い肥料として利用するのが、先生や生徒達が使用する汲み取り式トイレの肥溜めのスーリ(水肥)だった。先生からスーリを汲みあげてかけるように指示を受けた。これは男子生徒限定の作業だった。肥溜めからスーリをくみ上げブリキ缶に入れて、花園まで運んでいくのだった。ブリキ缶中央には取っ手のような棒が取り付けれていて、それに紐をつけて丸たん棒に差し込み2人で前と後ろになって担いでいく、重さはそれほどでもないが、2人の息が合わないとブリキ缶がゆれて中のものがチャップンとはねてくる事があり身体にかかることもあった。まさか学校で、そんなーー、今なら周辺にスーリの臭いが立ち込め周りから苦情も出るかもしれない、当時の農家ではほとんどの家で家畜を飼っており、臭い関係にはちょっと鈍感であったが、しかし、この掛けはだけは臭くていやな作業だった。今の子供にスーリを担がせるなど想像もできないことですが、そんな苦労をして育てた苗を鉢植えや花園へ植え替えるのであった。
 
 色々な花を植えさせられたのだが、記憶に残ってる花の中で一番多かったのは金盞花であった。主に通路沿いの花園に植えた。一つ一つはそれほど綺麗な花でもないのだが、一面に黄色く咲いてる金盞花の花園は見事なものであった。その他にはスミレ、パンジー、菊、そしてアスター、などがあった。もっと色々な花を植えさせられた筈なのに記憶に残っているのはそのくらいしかないのだ。
 
 先生がクラスのみんなに一番好きな花は??と聞くと、殆どの生徒が、迷わずに「アスター!!」と答えていた。植えた花のなかでは色の綺麗なアスターが一番人気だった。そしてクラスの男子生徒の一部の間では、それを文字って、うわーアスターなー(お前やってしまったのか)?、うわまいアスター?(あんたもやったな)?、ばんまいアスターゆ、(俺もやってしまったさ)と言うような、ちょっと理解しにくい、花言葉ならぬ、アスター語を使う冗談が飛び交ったものだった。

かんかかりゃ かんにがい(神願い)法事 (投稿)

あば本舗さん(西原町在住)

 去年2003年の夏。長患いで病院へ入退院を繰り返していた母の甥にあたるユヌスカニ叔父さん(つまり私の従兄弟)が亡くなった。母はたびたび宮古へ電話しては、涙ながらに親戚達にその場へ駆けつけられないことを詫びてはまた泣いていた。
 
 あがい〜、ぬーしゃー きゅうまい あちゃまい すんぶすぬむてぃうず がばむぬうばー すなさだなしってぃ かんしぬ ばかむぬぬさき゜ん すなだかーならんにゃー(あぁ、どうして今日も明日も お迎えがくるのを待っている年寄りは死なせてくれずに若い人が先に逝ってしまうの)。
 
 たんでぃやりゃー、ばがだいやしー みゃーくんかい いき゜ふでゃーん?(お願いだから、私の代わりに宮古へ行ってくれないかい?)という母の泣き落としに逆らえず、私は仕事をどうにかこうにか工面して宮古にやってきたのだった。
 
 しかし実は、ユヌスカニ叔父さんには怒られそうだが今回私には、別のネライもあった。前もって親戚から今回の法事には伊良部島から、かんかかりゃを呼ぶってな事を耳にしたからだ。かんかかりゃの存在は知っていても、どんなことをするのか?どんな風に祈るのか?実際に見たことがないの興味津々、珍しいもの見たさ、あっいや、知的好奇心?がうずいたのも理由だった。
 
 そして当日、法事の日の準備を手伝ったり料理を運んだり、親戚や近所の人たちと会話を交わしたりと結構忙しい。午後になりいよいよ、かんかかりゃのお出ましである。背が高く着物を着た気品と威厳のあるオバアが仏壇の前に座った。手前には大きい金タライに山盛りの灰が盛られている。で、沖縄線香を直径20センチくらいに丸め紐で縛り火をつけタライの灰に差し、煙がぼうぼうのなか祈り始めた。風下の席にいた私は、んもう〜煙にまかれゲホゲホであった。
 
 東京から駆けつけた実の娘は、興味なさげに一番後ろで、お餅なんかぱくついている。しかし私は、ミネ叔母さん(ユヌスカニ叔父さんの妻)のすぐ後ろに座り、かんかかりゃの一挙手一動を見つめていた。その祈りは朗々とした即興の歌でつづられ、死者に対し、また残された者を慰めるような優しさと力強さに満ちている。家の中に静かに響く、かんにごぅああぐ(神願い歌)は荘厳な雰囲気があり、のーてぃまいあずざるん、かぎさまいどぅあたー(何ともいえない美しさもあった)。伊良部ふつなので半分くらいしか意味が分からないが、はるか悠久の昔に聴いたような?旋律に私は不思議な懐かしさを覚えていた。
 
 かんかかりゃはトランス状態になり、死者の言葉を語っているらしい様子で高ぶった感情を語るように歌うように祈り続けている。私はかんかかりゃの祈りを聞きながら叔父さんの明るくてさっぱりした人柄を偲んでいた。叔父(従兄弟)は、どんなに苦しい状況でもカラッとした笑顔で決して弱音を吐かず、あにゃー うぬあたいぬ くとぅがまぁ のーまいあらん!(なーに、このくらいの事は何でもないさ!)とやせ我慢と強がりをいう典型的な、ういずびきどぅん(上地の男)だった。心のなかで、「ユヌスカニ叔父さん、いつもさりげない思いやりをありがとうね」と呟いた。
 
 長い祈りも終わり、死者が思い残しているらしいことや伝えたいことを静かに伊良部ふつで語りはじめた。うむむ。何しろ伊良部ふつなので私には分からない言葉があったりする。でも親戚達は、何度かお願いしているらしく慣れている様子で かんかかりゃのいう言葉にふむふむと聞き入り時には涙している。何とか意味を理解したい私は、気がつくと身内を差し置いて席の最前列にいたのだった。法事も無事に終え、かんかかりゃを車までご案内したところ、彼女が私に向かい伊良部ふつで「☆▲◇X○★」となにやら神秘的な?言葉を残して去っていった。呆然と車を見送る私。の、のーてぃが あずぃうたーがら?(な、何て言っていたんだろ?)あわてて皆に聞いてまわったが誰もが、っさんるんゆ〜(分からないよ)と首をかしげている。そんなのないよ〜!
 
 あれから一年が過ぎたが、かんかかりゃのかんにがい(神願い)法事をしっかりこの目で見届けた満足感と、最後に一体何を言われたかがどうしても気になって、伊良部ふつを勉強しようと考える今日この頃である。
 
(注)かんかかりゃ:神に願いごとをする人、ユタ

 ※あば本舗さん、投稿、たんでぃがーたんでぃー。私も、かんかかりゃの言葉は理解できないだろうなー。でも、あの歌うような旋律の言葉だけで癒されるのかも!? 

編集後記

松谷初美(下地町出身)

 vol.88や のーしがやたーがらー(いかがでしたかー?)

 沖縄のスケート場。そういえば私もずーっと前に行ったような覚えがあるなー。沖縄(本島)に行くと宮古にはないものがたくさんあって、私達の やらびぱだ(子ども時代)もあこがれだったよね。
 タイトルの「うわどまいろ」は、独特の言い方ですね。私たちのところでは「うわたまいなー」という(それも独特か!?)。小さな宮古島だけど、そこには小宇宙が だう(たくさん)!

 くま・かまのライターのほとんどが、ふるさと宮古を離れて暮らしているがその中で、一番 あがーた(遠く)にいるのが、中国にいるアモイさんだ。しかし、メールとは まーんてぃ(本当に)便利なむぬ。あがた中国からまい、ジャってぃ(サッと)届くんだもの。
 学校の花園、うちらのところにもあったねぇー。花の「アスター」と方言の「あすたー」が結びつくとは!「あすたー」も「すーり」も、懐かしく思い出された方が多いのでは? 

 ひさぼうさんが書いているように、みゃーくふつは、文字に なじまない。確かにそうなのである。なのに、それを文字だけのメールマガジンに載せようというのだから、どこかの誰かさんは、ぷりむぬ(アホ)なのである。あ、私ですね。はい、すんません。声に出して読んでみて、これは違うさいがー、じゃ、なんと書くべきかー、と毎回、ジタバタしている。

 ひさぼうさんが書いているように、みゃーくふつは書き言葉として、発達してこなかったから、文字にできない言葉も残ったともいえるかもしれないねー。悠久のかなたから、変わらずに、たくさんの人の口から口へ伝わってきたかと思うと、感慨深いものがありますね。そして、みゃーくふつの道筋も見えてきた気がします。ますます冴えてきたひさぼうさんのミャークフツ解説に今後もご期待くださいねー。

 宮古的標準語は、ほかにも だう(たくさん)あると思います。お気づきのものがありましたら、ぜひ 投稿してくださいねー。最近はまた投稿も増えてきてぷからすむぬです。皆さんもぜひお気軽に、お寄せください。

 感冒ぬどぅ はやりーうーどおり(風邪が流行っているようです)。皆さん、
気をつけましょうねー。がんずぅーやしーうらまちよー(お元気でー)。

 次号は、12月2日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。