みなさん、こんにちは〜。ゴールデンウィーク中、いかがお過ごしですかー?
きょうは「子どもの日」ということで、それにちなんだ話からいきましょうね〜。
子どもの日
かい(伊良部町出身)
子どもの日の ばっしらいん(忘れられない)思い出といえば、もうこれしかないはず。
当時(昭和40年代)、宮古には「丸勝百貨店」の屋上に遊園地があった。遊園地といっても、飛行機や車のような乗り物が数点あっただけで、遊具は大して置いていなかった。いみぃいみぃぬ(狭い)屋上だったから、それで目一杯だったかも・・・。が、宮古では丸勝百貨店にしかこういう遊具はなかったので、子どもの日ともなると、わんさか家族連れで溢れかえっていた。たしか丸勝百貨店は四階建てだったと思うが、三階の階段付近からぞろぞろ並んでいたこともあった。
やっとのことで屋上までたどり着くと、もう押し合いへし合いの世界。子どもの視線からは空さえも見えない状態。母ちゃんとはぐれないように、母ちゃんの服の端をしっかとつかまえて前に進んだものだ。何故だか知らないが、子どものころ母ちゃんと手をつないで貰った記憶がない。周りでも、親子が今の時代のように、堂々と手をつないでいたのを見たことがなかったような気がする。手をつなぐことが、例え親子でも恥ずかしい時代だったのかな?風景の中で、いつも子どもは母親の服の端を掴んで歩いていた。
伊良部から、この遊具に乗るために平良に行って、その後そばを食べに連れてもらうのが、こどもの日の一番の楽しみだった。考えると、宮古の人は待てない人種だ、などと巷ではいわれているけど、ちゃんと待っていた時代もあったんだねえ。
子どもの日には、建物が崩壊しないかと心配するほど人が集まった丸勝百貨店の屋上だが、それ以外の日には閑散としていた。乗り物の代金もたかだいだった(高かった)のかもしれない。子どもの日には、親も特別に奮発してくれたんだろう。やがて遊具も朽ちていき、子どもの日の別の過ごし方を覚えた宮古人からは っすさんふりさりい(見向きもされなくなり)閉鎖された。その後、植物園の入り口の処にゴーカートで遊ぶミニ遊園地もどきが出来たが、これもそう長くは持たなかった。私も宮古を離れて10年以上経ち、宮古の正確な状況は分からない。が、今宮古で子どもたちが乗って楽しむ電動遊具は、せいぜい薬局の前に置いてある「さとちゃん」ぐらいではなかろうか。
丸勝百貨店は、宮古において「子どもの日」の1つの時代を提供してくれた。飛行機に乗り下から見上げている母ちゃんに手を振った日は、写真にもビデオにも残っていないが、私の心に今でも鮮明に蘇る。
外人
神童(平良市出身)
2年前のトライアスロン前日。外人を拾った。
早朝、トゥリバーにドライブした帰り途。パイナガマビーチを通過すると外人がヒッチハイクをしていた。コンビニでもらったダンボールに象形文字のように書かれた図形。「砂山」と書かれてる。まどぅやーば じょーぶんさい!(暇なので乗せた)。
今朝の船で未明、宮古島に上陸。明るくなるまでパイナガマの芝生で寝てたらしい。「ぬーりぃ(乗れ)!」あがいたんでぃ ぷからすき みぱなぬ 外人!(満面の笑みを浮かべて外人が謝意を表す)。荷物は40kgはあるリュックと小さめのリュック。小さめのリュックには泡盛の2合瓶が吊されている。
荷物が、とにかく重い。どうやって背負ってきたんだ。二人がかりでトランクに押し込む。ドアをあけて外人が助手席に乗り込んできた。「おいよ!頼むよ!」砂ぐらい落せ!ちびぐーままーいぬぅ んなぐだり(おしりのあたりが砂だらけだ)!片言ながら日本語が通じる。車載のCDからシンディ・ローパーの曲が流れてる。「映画の主題歌で歌詞が同一でメロディが違う構成の曲なんだよね」と英語で説明してくれた。ま、後で何回も聞き返してニュアンスで解ったんだけどさ。当方、日本人なので英語を理解する能力は皆無に近い。
旅行の目的を聞いてみる。ぱまん てんまくぅぱり、ぴっちゅう うやぎうーくとぅっ つぁ(砂山ビーチで、ひがな一日泳ぎまくり、テントを張って過ごすらしい)。お節介にも、明日トライアスロンだから、見ていけば?アドバイスする。砂山の駐車場で外人をおろした。日本語でビーチの場所を教えて別れる。
翌日、トライアスロンの俺の貼り付けは二箇所!なまじゃーかん うきぃ 東急ぬ ぱまんかい(早朝の5:30に職場に集合してスイム会場の東急へ)浮き桟橋で所定の船に乗り込む。スイムの監視だ。任務は以下のとおり!
スタート前
・スタート前の水温、水流の測定。
・コースロープが夜間、漁船等のスクリューによって切断されたりするので復旧待機。
スタート後
・コースロープにつかまって休んでる振りをしながら、ロープをたぐって前進したりするのを監視。「やみしみんどー(失格になりますよ)!」と脅す任務。
・要救助者の回収。搬送。
・新聞やーぬ ふにぬ いぃーんかいあがいんかい とばしまーいつか 選手ぬきゃーぬ ますぎん うやがいんにば うぬ 新聞やーぬ ふにゅーみぃーーつきぃ うーぬどぅ すかま(報道船が必要以上のスピードで航行すると航跡波に選手が巻き込まれ、競技に影響がでるので報道船の監視)スイムフィニッシュ後
・コースロープの撤収と、こんな感じだ。
過去には、スイムスタート時に外国選手が混雑の中、スタート。前の選手のバタ足で頭部をキックされスタート直後に救急車で宮古病院に搬送された事故があった。トライアスロンは4月後半の小潮又は小潮に近い日曜日に行うことになっている。しかし、前浜周辺は潮の流れが速く、スタート時は佐良浜方面に向けて潮が流れている。慣れた選手はコース左隅からスタートし、潮の流れに乗って第1コーナーでは上手い具合に変針する。不案内な選手は右隅からスタートし、潮流で右に流されコースロープに接触してタイムロスを発生させる。
スイム競技の任務完了が昼前。午後2時からは、北給油所前交差点で交通整理だ。競技ボランティア募集時に間違って2箇所に○を付けたためスイムとランに貼り付けられた。ランの任務はコースに入ってくる一般車両の排除。ランのコースは全線、一般車両の通行が禁止されている。選手の安全を守るためだ。
ランの任務中に、昨日の外人が歩いてきた。とりあえずアドバイスは通じたのだな。しかし、格好が変だ。サンバイザーにバスタオル。イラクの商人か?バスタオルの下は水着だけ。できれば、知らないふりがしたい。外人がにこやかに話しかけてきた。しかたない。話を聞いてやろう。
今日は、路線バスで下地町嘉手刈に出かけ、徒歩で平良市内まで戻ってきたらしい。これから砂山に戻るんだけど暗くなる前に戻りたいとのことだ。ちょっと待て!アメリカ人!今、夕方の6時半だ。徒歩で砂山に到着する頃は真っ暗闇だぜ。夕べは砂山ビーチにテントを張って寝たけど、とにかく真っ暗で、さすがに怖くなったので2合瓶の泡盛を一気のみして寝たらしい。送ってやりたいけど持ち場を離れる訳にいかないし。
提案だ。トライアスロンのフィニッシュは見ましたか?あ、そうですか。見てないですか。幸いにも我が家はフィニッシュ会場のそばなので、ゴールを見て我が家で待機してなさい!任務完了後、送ってあげましょう。外人は快諾だ。妻に電話する。これから外人を家に連れて行くのでゴール会場まで案内して欲しい。任務完了後、砂山ビーチに送ることになっている。本人が了解すればうちに泊めてあげて。
妻が了承した。外人を自宅に連れて行き妻に引き合わせて任務に戻った。任務再開と同時に携帯がなった。妻からだ。怒っている。意味が解らない。日本人の大多数は外人=アメリカ人と考えているのでアメリカ人と言ったけど実際はオーストラリア人だったから、「だまされた」と思って怒っているのか?
あば、うわんな あす°っさったんな 外人な みどぅんやらび どーてぃ(あれー!そういえば、言ってなかったっけ?外人が女の子だって)!外人は国籍オーストラリア。独身。瞳の色が緑。金髪。アメリカ映画よりイギリス映画が大好き。ヨーロッパの発音が「いろぱ」にしか聞こえない。山羊の鳴き声は「めーー」じゃなく「アアア」だと宣う23才の女の子。名前は「やぃぇーる」んーぶぅ いだし あいきぃまーりゅうー うかーす みどんっふぁ(へそ丸出しの水着にバスタオルのぶったまげーしょんな格好)!
任務完了後、自宅に戻った。午後10時半。高1の息子が英和辞典を片手にヤエールと会話していた。結局、ヤエールはうちに泊まることになり、家族で砂山の荷物を回収した。テントは砂山ビーチの洞穴のような場所に張られていて、荷物の大半は本だった。重いわけだよ。やーんなかん ありゅーむぬからじゃーんが かびぃぬどぅ ゆぅーかー(本は引っ越し荷物のなかでも、一番重いんだもの)!
ヤエールは びーるぅ ぬまいだなー っしぃってぃ さきぃゆばー ぬずぅんぬ(ビールが飲めないのに泡盛大好き)。外人のくせに菜食主義で肉を喰わない。以前、長崎に居たけど大好きな「じーまみ・どーふ」を売ってないことに気付き、沖縄に越してきた子だ。(長崎の八百屋で「じーまみ・どーふ」を探し回ったらしい。)
今日一日、しまぞーりで歩きづめだったので、足の裏の皮がはがれている。石垣島へ渡る船が出るまで我が家に宿泊することになった。妻は2日のうちにすっかり意気投合し、火曜日早朝、石垣島向け乗船するヤエールと別れる際、泣いていたのだった。「また、きていいですか?」「いつでも来い!」ヤエールは、短いやりとりの後、船上の人となった。
翌年(去年:くぅどぅ)の夏、ブラスバンド部のレクで前浜でバーベキューをしてる、高1の長女から電話があった。電話の声は、興奮気味だ。「おとーさん、前浜にヤエールが居る」
前浜ビーチでバーベキューしてる高校生グループ。カップルで泳いでいる外国人をからかった。外国人の一人が高校生集団に向かって歩いてくる。外国人が話す。「おうち、どこ!おとさんの名前、なに?」てっきり、からかわれたのを憤慨して、とっちめにきたと思った高校生集団。もとより うすんきゃー(内気)な宮古の高校生、全員、どん引き!しばらくしてサングラスを取った外人が娘に話しかけた。「憶えてない?」「・・・・?」「ヤエールだ!」娘は、大急ぎで自宅に電話をかけてきたのだった。
ヤエールは携帯電話を紛失し、当方の連絡先が解らないのでとりあえず、ボーイフレンドと一緒にチャリンコで我が家を訪ねようと考えていたらしい。翌日はヤエールとボーイフレンドの「チャイン」を自宅に招いてバーベキュー。一晩、うちに泊めて翌日、前浜のテントに帰っていった。
しかし翌々日、来襲した台風により宮古島に閉じこめられ、前浜のテントを引き払ってしばらく我が家に滞在したヤエール達だった。
(後書き)
娘、友達に対するヤエールの説明、間違ってるぜ!「おとーさんがナンパして、うちに連れてきた外人」違うだろ!それと、次女!ヤエールは外人だからひらがなとかカタカナが読めなかったりする。だからといって、保育園のあなたより知識はある。たかびーな態度すんな!ヤエールのエールは「エール大学のエール」って教えてもらった。正しい発音は「イェール」従って名前は「ヤィェール」ってよ!
お店紹介21《 ?オゴエ 》
松谷初美(下地町出身)
?オゴエは、昨年10月に設立された旅行会社だ。「オゴエ」とは、みやーくぴとぅがびっくりした時に、とっさに口にする言葉。会社名もユニークだが、その業務内容もとても新鮮でびっくりするようなものが だう(たくさん)!
オゴエの社長は、くま・かまでも紹介したことのある「オキナワ宮古市場」の玉元武司さん。宮古市場の会員登録をしていたお客さんに、型どおりの観光ではなく、いろいろな宮古を楽しんでもらいたいと思ったのが、旅行社を作るきっかけになったと話す。宮古には宝がいっぱい。それらに触れて、宮古を満喫してもらいたいとのこと。
スタッフは、一般旅行業取扱主任者資格を持つ、チーフ・コンシェルジュ(案内人)の松原琴絵さんとホームページ「OGOE! Concierge(オゴエ!コンシェルジュ)」を担当するWebマネージャー兼ランドOPの宮嶋亜矢子さん。ばかーばかぬ(若ーい)お二人だが、とてもしっかりしていて、この仕事への愛着と情熱がいっぱい伝わってくる。「お客さんが喜んでくれることが、何よりうれしい」「観光客の方に、逆に宮古の良さ、知らなかった部分を教わることも多いんですよ」と話すお二人。
ツアーの内容はバラエティに富んでいて、例えば、先月まで人気のあったのは「アーサ採り&海水仕立てのゆし豆腐作り体験」。川満の海でアーサ採り。専任のガイドさんがついてアーサの採り方や洗い方などを教えてくれる。採った後は、その場で、伊志嶺豆腐(昔ながらの作り方で有名な豆腐屋)のあまゆー(豆乳)に海水を入れて、ゆし豆腐を作る。そして、ガイドさんが作ってきてくれた あわんつ(油みそ)入りのおにぎりと一緒に、いただきまーす。まーんてぃ あんちぬ ツアーてぃや き゜きやみーん。(本当だ そんなツアーは聞いたことがないねー)。
そしてこれからの時季おすすめなのが、「ドリフトシュノーケリング」。少人数で船に乗り、池間島や大神島の周辺、八重干瀬などに行く。ポイントに着いたら船から流したロープにつかまって、水中散歩を楽しもうというものだ。色とりどりの珊瑚や魚があなたを別世界へ案内してくれること間違いなし。泳げない人でも大丈夫だそう。こちらは、オゴエコンシェルジュお墨付き「和剛丸」が案内する。
ツアーの話をするのもとっても楽しそうなお二人。「アーサ採りのガイドさんは、とっても素敵な方なんですよー」「「和剛丸」の船長さんは、池間島に住んでいて、あの辺の海はとっても詳しいんです」とひとつひとつのツアーに自信たっぷり。自分たちがやっていて楽しい事、また、大手ができない細かい部分でお客さんの希望をかなえる旅行社でありたいと語る。
ツアーのほかにも、イベントのチケット販売や、オゴエプロデュース「八重干瀬ポストカード」の販売などもしている。これらは、全て、オゴエコンシェルジュのホームページに紹介されていて、そこから申し込みや購入ができるようになっている。
今後、ますます「オゴエー(びっくりするよう)」な企画が飛びだしそうだ。宮古に観光で来る方も、また宮古在住の方も、一味も二味も違う、宮古を楽しみませんか。まずは、ホームページんかい アクセス しーみーるよー。
《 ?オゴエ 》
住 所 | 平良市下里159-3 2F |
代 表 | 玉元 武司 |
スタッフ | 松原琴江(チーフ・コンシェルジュ) 宮嶋亜矢子(Webマネージャー兼ランドOP) |
電 話 | 0980-75-0058 |
H P | オゴエ!コンシェルジュ http://www.ogoe.co.jp/ |
やらびぱだぬ あすぴ(遊び)
宮国勉(城辺町出身)
その1「がーすとずぃ(蝉捕り)」
宮古島の城辺あたりには蝉の種類が3種いる。まず季節の先頭を切って鳴くのが一番小さい銀蝿ほどの ぬーじがーす(イワサキクサゼミ)。普段はジージーと鳴くが ばんず(最盛期)にはジッジッと途切れ途切れになく。その次に中ぐらいの なかでぃがーす(ミヤコニイニイ)が出てきてニイ〜ニイ〜と、なつまき(夏負け)している人には だず〜(かったるく)と聞こえた。最後に一番大きい なびがーす(クマゼミ)は日の出と同時に鳴きだす。登校する時間にシャウシャウシャウと勢いよくなき、その元気をもらい学校へ行った。
ぬーじがーすは手で捕まえるが、葉を ふぎゃん(イラガの幼虫)が喰ってボロボロの うぎゃすぎー(モクタチバナ)にいるのを捕るときは、ふぎゃんに刺されることもしばしばだった。捕まえてアルミの弁当箱に入れて持ち帰り、油炒めにしてもらい、ふぎゃんに刺されたことも忘れて食べた。
大きさが中ぐらいの なかでぃがーすを捕るには針金などを直径15センチぐらいの楕円の輪を作り 竹やススキなどの先に縛り付け、輪の部分には、ある程度、蝉がばたついても破れないぐらいの、あんぱずぃ(蜘蛛の巣)を輪にくるくると巻き付ける。あんぱずぃはトゲグモが殆どで、ジョロウグモは大きな網を張るが、接着力や網目の大きさに問題が有るので、よほどの時にしか使わなかった。いよいよ仕掛は出来上がり、樹に留まっている蝉が飛び立つ方向を予測しながら輪を当てる。すると蝉は羽を広げ あんぱすぃにへばり付けられて捕れるのである。たまには羽一枚がくっついて、辛うじて捕れることもあった。
一番大きい なびがーすはバショウ(バナナの木)の新芽が円筒状の丸まっている部分やその近くを丸めて竹竿に縛り付けて作った。逃げる方向を予測して、バショウの筒の先をかぶせ、アリ地獄のごとく落として捕った。だが、取り込むときに注意しないと、バショウの新芽は折れやすく筒を傾けるだけで折れたりした。今ならすべすべした大きくて丈夫な紙がいくらでもあるのになあ、と物のない時代がうらめしく思う。なびがーす は樹の高い処にいるので、太い物干し竿を使い、扱いが大変だった。捕れても筒を傾ける時に、傾け過ぎると滑るようにして逃がしてしまう時もあった。取り出すときも なびがーすは爪も鋭く かかっつゃいるば(引っ掻かれるので)覚悟をきめて手をいれた。
なかでぃがーすと なびがーすの料理法は焼くことであった。雌の方が鳴く処がなく肉片が多いので美味しかった。今テレビでアジアの未開地などで虫を食べさせる番組があるが何処か共通するところがあって恥ずかしい気もする。だがカルシュウムたっぷり、お陰で健康に育ったのかも知れない。
その2「ふぎぃぬ びきぃめー(釘の取り合いっこ)」
やらびぱだ(子供の頃)、釘は貴重で一本でも大切だったが、庭にはけっこう曲がり錆び付いた釘が落ちていた。拾い上げて叩きのばし、遊び道具となった。
今でも度々想い出すのは、釘の頭を持って地面に突き刺すゲーム「ふぎぃぬびきぃめー(釘の取り合いっこ)」である。勝敗は単純で、相手の釘に自分の釘をぶつけて倒し自立すれば勝ち、また、相手が倒れていた場合は、接触させて自立すれば勝ちとなり、その釘は自分の所有となる。倒されなければセーフですので、目一杯まで腕を振り上げ叩き付け、土に深く入れるのである。遊ぶ場所も釘を立てるのに刺さりやすく石がない処を選ぶ。少し粘土質の方が私は好きだった。今だから明かせる裏技を粘土質だと使えたのだ。粘土だと先端より頭の方を横滑りさせて接触する距離をかせぐのである。また、力余って手元が狂い自分の足の甲にブスッと突き刺す場合もあり危険が伴う遊びである。
釘の大きい方が強いことは言うまでもなく、勝負も白熱してくると、誰かが5寸釘よりも太くて大きい かすがいや、んーぷりゃ(芋掘りにつかう道具)をどこからともなく持ちだし挑んできた。もちろん叩きのばし、適当な長さに切断したりして加工してあった。辺りは暗くなり釘もよく見えないが、鉄のこすり合う火花はより明るく飛び散り、勝負は終わる気配もない。だが、んーぷりゃが出てきたら、さすがにお開きとなった。
その3「ふさのびきぃめー(草の争奪戦)」
草刈りは子供の頃の主な手伝いの一つであった。当時、希な干魃があり、何処を見渡しても草が枯れてしまい、青かったのは蔦、びう(くわずいも)、蘇鉄、あだんぎー(タコの木)、松、モクマオウ、やらうぎー(テリハボク)等で馬や山羊が喰わないものばかりで、刈るものがない状態である。
すると ふさのびきぃめー(草の争奪戦)をやろうと、誰かが言い出した。遊びとなると誰からともなくゲームの準備。40センチぐらいの真っ直ぐな木杭を5本用意し、鎌の柄の長さ(約50cm)に5本並べて打ち込む。その杭から距離を20メートルぐらいに決めて、そこから鎌をブーメランのように投げ、杭に当てて倒す。掛け金の草を一束ずつ供出し、杭を多く倒した方が勝ち。勝負に勝った者は明るいうちに家路に就く。負けたらゲームの後でなにやら探して持ち帰らなければならないから、馬や山羊が喰わない蔦などを刈り採り帰る。明るい内に帰れば当然質の悪さを親に指摘されるのだ。そこで知惠を働かせ親に気付かれないように暗くなってから、すさんふずやしー(何事もなかったように)帰り着いたとたんに餌を投げる。暗いので餌の種類は判らない、草束を投げる音も同じで難を逃れるわけである。だがしかし、馬は鼻で貶すようにブヒヒーと、くわえて ちぶぐーんかい なぎすてぃ(お尻の方へくわえて投げ捨てた)、きゅうや たんでぃ ぬーま(今日はごめんよ馬さん)と馬にも謝るハメになった。翌朝には、親父が かんちーぬ ふさあ ぬーままい ぴんざまい ふぁーんどおー (こんな草は馬も山羊も喰わないぞー)と咎めるのである。
――ぬーまさん、ぴんざさん たんでぃがー たんでぃ――
(馬さん、山羊さんお許しを)
ところが、びきぃめーの種は今日でも、時折芽を吹いて、幼少の誓いを破り暴走を繰り返す始末である。私の住んでいる埼玉県周辺には競輪、競馬、競艇、オートレースなど色々あるが、競馬だけやったことがない。ギャンブルの怖さは負けて身にしみて二度とやらないと誓ってもなぜかスリルが手招きする。パチンコも今ではギャンブルの仲間になりました。ある公園を歩いていたら「博打(ばくち)の木」と呼ばれている寒そうな樹があった。バラ科の常緑高木で暖地に自生し樹皮が絶えずはがれ落ち、負けなくても裸である。
二度とシマシェーン!!
編集後記
松谷初美(下地町出身)
沖縄、宮古は梅雨入りのようですね。ぴゃーむぬやー(早いですねー)。百合もグラジオラスも んなまどぅ ずぶん(今が時季)ですねー。やまのみーに咲く花を見つけて摘むのもまた楽しいものでした。
さて、vol.99は、のーしがやたーがらー(いかがでしたか)?
子どもの日は、かつての やらび(子ども)も、童心に返ってみるというのは、いかがでしょうか。懐かしく思い出した話もあったのではないかと思います。
私も やらびぱだ(子どもの頃)、丸勝百貨店(平成3年閉店)に行くのは、だいず楽しみだったなー。グルーと回る飛行機に乗るときの昂揚感は、んなままい うぶいうー(今でも覚えている)。
トライアスロンの日にも、どこかでドラマは生まれているんだねー。ばんまい(私も)その人が、女性とは思わんかったさー。先入観とは、恐ろしい。神童の娘さん、あなたは正しいと思うさーね。
ふさぬかざ(草の匂い)や んにぬかざ(土の匂い)まで、してきそうな、宮国勉さんの やらびぱだぬあすぷ ですね。あの頃は、仕事が遊びになったり、遊びが真剣勝負になったりと毎日がスリルに満ちていたような気がしますね。
久しぶりのお店紹介です。ホームページでは、写真入で紹介しています。ぜひ、そちらもご覧下さい。
さて、宮古ペンクラブからのおしらせですー。
〔2005年 エッセイ賞募集〕
■趣旨
いま、本当に大切なものは―。昨年の世相を表す漢字は「災」だった。
字の如く、台風、地震、津波、猛暑、水害と記録的な天災の相次いだ1年だった。
社会的不安は人災を呼び、わが国では児童虐待や誘拐殺人、オレオレ詐欺、集団自殺などショッキングな事件も相次いだ。また、一部の人間の身勝手さから引き起こされた戦争、環境破壊で地球が病んでいる。さらに身近な問題として下地島にもきな臭い動きがあり、住民の間には緊張の糸が張りつめている。こんな時こそ、「本当に大切なものは何なのか」を考えるよい機会にしたい。戦後60年、我々の生活はどう変わり、どこへ向かっているのか、再認識したい。
主 催 | 宮古ペンクラブ・宮古毎日新聞社 |
テーマ | 「いま、本当に大切なもの」、「いたわり−地球家族」 自由選題(各1600〜1800字程度) |
応募対象 | 中・高校生の部、一般の部 |
成 績 | 最優秀賞(各1人)、優秀賞(各2人)、佳作(各3人) |
締め切り | 5月20日(住所・氏名・連絡先を明記) |
成績発表 | 5月下旬を予定 |
宛 先 | メール:miyako-m@m1.cosmos.ne.jp 郵便 :〒906-0012 沖縄県 平良市 西里338 ワイド企画内 「宮古ペンクラブ エッセー募集」係 (ワイド企画:電話 0980-72-8828) |
宮古ペンクラブでは、たくさんのご応募を呼びかけています。
今号の感想もぜひ、お寄せくださいねー。メールでも掲示板でもお待ちしています!
次号は、5月19日(木)発行予定です。つ、ついに100号だー!!
あつかー、またいらー。