みなさん、こんにちは〜。んーな がんずぅやしー うらまずなー(皆さんお元気ですか)。
懐かしいぱなす(話)から、うむっしぱなす(面白い話)がみ(まで)、取りそろえてのお届け。vol.89お楽しみくださいー。
ジョンの思い出
クイチャーマン(下地町出身)
「おごえー、うばいがうばい。 あんしーぬ うぷいんてぃーや んにゃだみーやみゅーん」(おお、おそれいった そのような 大きな犬は まだ 見たこともない)隣近所の人達がやってきて異口同音に話していた。50年前、当時宮古島を離れ沖縄本島で働いていた21歳の兄が、ジョンという白い毛並みの犬を連れて帰ってきたときのことである。
兄は、米軍人の住宅の庭に芝の植え込みをする作業をしていた折に、帰国することになったアメリカ人からジョンを譲ってもらったという。「3年近く沖縄で過ごしたものの無一文の帰郷でね、ジョンだけが土産だった。船の客室に入れてもらえないため、甲板でジョンと一緒に一夜を明かしたよ」と兄は振り返る。
ジョンはおとなしく、ほとんど吠えなかったが、生まれて初めて見る大型犬のため、私は親しみよりも恐怖を覚えた。じゃれて遊んだ記憶はない。でも、ジョンという名前は好きだった。私の名前と似ていて「ジョン、ジョン」と連呼すると尻尾を振って寄ってきた。馬にまたがった兄を、ジョンが追いかけて畑に通う日々が続いた。
そんなある日のこと、「ジョージ、ジョンぬばー みゅーったんな」(ジョージ、ジョンを見かけなかったか)と兄が私に訊いた。「あーい、みゅーったん」(いいえ、見なかったよ)と答えた。その後ジョンの姿が見えなくなったと大騒動になり、みんなで捜した。ジョンは畑の入口の雑木林で死んでいたという。当時各家庭に配られていた「ニクリン」というネズミ駆除用の薬(団子状に丸められていた)を、ジョンが誤って食べてしまったのだろうということだった。
沖縄では兄がレストランの残飯などをもらって食べさせていたというのに、貧しいわが家では十分な餌にありつけなかったため、ジョンはニクリンを食べてしまったのだろうか。6歳の私にとっては、半年ほど一緒に過ごした身近な生き物との最初の悲しい別れだった。
不幸な運命だったが、半世紀前の宮古島に、日米親善特使とも言うべき、ジョンという犬がいた。ばるんな いつがみめー ばっしろーん(私にはいつまでも忘れられない。
ミャークフツ講座 ま(真)編
松谷初美(下地町出身)
「真」(接頭語)のつく日本語が(真人間や真上、真下など)多いように、みゃーくふつにも「ま(真)」のつくものが結構ある。
広辞林には、下記のように出ている。〔真〕(名)まこと。ほんとう。(接頭)「正しい」の意を表す。「まじりものがない」の意を表す。
みゃーくふつの場合も同じ意味。
「まてぃだ」
てぃだとは、太陽のこと。真の太陽。真の太陽とは?? 神聖なものとして称えている言葉のように私は感じる。宮古民謡「トーガニアヤグ」にも「まてぃだ」とでてくる。“うぷゆーてぃらしうず まてぃだーだーき・・・”。「まてぃだ市民劇場」もこれに同じ。
「まーぴとぅ」
真人。「まひと」とは、偉い人のことを言うらしい。偉い人みたいにふるまう人のこと。うちのおばぁは、4歳の孫が大人顔負けのことをすると、「ま−ぴとぅがまー」とよく言う。
「まいふか」
真に偉い。私のところでは、子どもや年下に対して使う。ありがとうや、おりこうさんの意味をこめて、「まいふかー」
「まないむぬ」
真直(まなお)なもの。おとなしい、おだやかな者。 赤ちゃんが泣かずにニコニコしているのを見て「まないむぬがまだねー」
「まーん」
真(まこと)に。ほんとうに。
(例)まーん、あんちどぅ やたー(ほんとうにそうだった)
「そういえば」というニュアンスもあるような気がする。
「まーんてぃ」
上に書いた「まーん」に、てぃ:(格助の「と」)がついたもの。
「まんがーまーん」
「まーん」を強めた言い方。漫画が好きな男の人じゃないよ。
「まさがん」
真剣に。一生懸命に。充分に
(例)まさーがん とぅみるよー(充分に探しなさいよー)
下記の辞典によると、「まーす(塩)」も、真潮(ましお)が「まーす」に
なったと書かれている。まーすまーす うむっしだね!?
#参照:「宮古群島語辞典」下地一秋/著
阪急近鉄沿線
神童(平良市出身)
おしっこの出が悪い。心なしか熱もある。体もだるい。 今年の夏のことだ。洋風居酒屋「サウスパーク」でビールジョッキをあおりながら体調不良に気づく。2時間で居酒屋を出て、翌日に備える。明日は所用で那覇だ。大事をとって風邪薬を規定量の2倍飲む。たぶん効き目も2倍だはず。
翌未明、風邪薬の効果が薄れて再び発熱する。風邪薬を服用する。起床する。午前8時を回っている。というか、9時に近い。遅刻だ。大急ぎで職場に出勤し、チケットをゲットして宮古空港へ向かう。熱は退いたものの、依然として、おしっこが出ない。一抹の不安を抱えながら30分の空の旅。
那覇空港到着。到着ロビーのトイレへダッシュ。少し出る。モノレール駅へ移動。パレット久茂地で下車。取引先に顔をだす。おしっこは出ないくせに脂汗が吹き出る。なるほど。排出先が汗腺と尿道の違いこそあれ、体内の水分を排出して体温を下げたい我が体の健気なことよ。かなすんまりがま(なんて愛しいやつ)!
もはやこれまで。取引先を早々に辞退し、急ぎ病院へ向かう。待つこと、2時間。診察タイムの始まりだ。それまでに、断水時の蛇口のようなまどろっこしい採尿を済ませている。
医師が問いかける。「どうしました」。回答する「おしっこが出ないんです」医師黙考。「背中は痛みますか」。答える。「やまん(痛みません)」医師がいう「とりあえず、腎機能のチェックを行います。ついては少々血液を採取します」。提出した尿の3倍くらいの量の採血をされる。尿検査のデータが届く。「尿が血だらけですね。白血球の数も最大値です。明らかに異常値です」。うなずいてみせる。「ほーう はっけっきゅう」ウグイスの鳴き方に似ている。
医師は血液検査のデータを待つことなく、ほぼ病名を特定できたような表情を浮かべる。そして指示する。「ズボンをおろして横向きになって尻を突き出して下さい!」嫌な予感がする。医師が背後でゴム手袋を装着する音が聞こえる。「やめてくれー」祈る。
祈りは通じない。医師は「この辺が前立腺であなたの場合はこの部分が炎症を起こしていると考えられます。どうです。痛いでしょう?」。ちょっと、まてー!おめーの見立てはわかった。でもさ、おれの生活のなかで食物の出口の前立腺なるものの位置を知ってることがこれからの人生に有利になるような状況があったりするのか。てめー!それとだ!痛い部分を必要以上にぐりぐりしてるのは治療なのか?虐めなのか?えっ、どうなんだ?返事次第じゃー、すなしてやるぞ!っうわが しゃくー!(やっつけてやるぞ!このやろー!)
言えない。歯を食いしばって痛みをこらえるのがやっとだ。触診を終えて医師が病名を告げる。「近鉄沿線です!それも急行です」なんだ、何だ?難波には何時に着くんだ!ちがう、ちがう。正確な病名は、前立腺炎で急性の症状ということだ。薬を処方してもらって、ホテルへ向かう。医師は、とりあえず炎症を抑制する薬を出しましょう。そして、安静にして下さい。とのことである。PM7時前、宿泊先のホテルに到着する。とりあえず食事を済ませ、カプセル2、粉薬1包、錠剤2を服用する。安静に努めて就寝する。
午前1時30分、背中の痛みで起きる。右脇腹から背中の部分が猛烈に痛い。冷や汗が出る。腎機能に障害があった場合、背中が痛むと医師が言っていたからだ。とりあえず、昼間の病院に電話をする。30分後、病院より電話が入る。2時を回っている。至急、病院へこられたい!とのこと。フロントに事情を話してホテルを後にする。電話の説明では泌尿器科の医師が居ないので別の医師が対応する予定だ。
医師に病状を告げて治療が始まった。治療は膀胱に排泄されない尿が満タンなのでとりあえず尿を排泄する作業を行う。方法は出口付近が不通状態なのでホースを膀胱に入れて排水管路を確保するという工事だ。いや、治療だ。「ちょっと痛いあるけど、痛み止めのゼリー、注入する!大丈夫、思います。」そんな内容のことを聞かされる。
下水道工事が始まった。ゼリー5cc 医師が看護師に告げる。今まで経験したことのない不快感を伴ってゼリーが注入される。医師が下水道管を挿管し始める。カテーテルとかいうオランダの宣教師みたいな名前の管だ。10cmくらい射し込んで、「ここからちょっと痛い思います」などとほざく。ちょっとじゃねーよ!んびゃーいん(耐えられん)!
しゃれにならん痛さだ。声も出ない。下水道管は全長40cm程。5cm程度を残して工事を終了した医師はおもむろに膀胱部分を手で押してきやがった。でも、出ない!本人は素直なのに膀胱はガーズー(頑固)だ。医師は下水道管を引き抜いて看護師に告げる。下水道管をサイズアップしましょう。それからゼリー5cc追加。おいよ!またやるのかよ。一回やって駄目なら諦めろよ。
工事はサイズアップされた下水道管をもってしても成功しない。いたずらに痛みを増やしただけだ。結局、鎮痛剤の座薬を入れるように看護師に告げて医師は舞台上手にフェイドアウト。那覇の街は怖いところだ。本来出口であるべき部分にいろんなものを入れられる。もう、宮古島に帰りたい。早朝4時の病院のベッドで望郷の念に駆られる。
鎮痛剤は15分で効き始めるとの説明なのに5時頃にやっと効いてきた。痛みが和らいでうとうと仕掛けた耳に老人の元気な声が聞こえてきた。「くるしいぃー!う○こがしたーい!浣腸してー!」どうやら、重度の便秘で搬送されたらしい。さきほどの医師が再登場し、付き添いの老婦人らしき女性に説明する。
「本人は便秘だといってるけど、痛みの症状から虫垂炎の可能性があります。浣腸は逆効果になり得ますので精密な検査後でないと浣腸治療はできません」この老人はその後30分も浣腸を要求し続け、寝静まった院内で妙に甲高い元気な声で「かんっちょうっ おっねがいっ しまーすっ」と叫び続けたのだった。なぜか、復帰前の「沖縄を還せ」の言い回しに似てるなと思ったりして。7時頃、ベッドで目覚めるとの件の老人は念願叶って浣腸が施されたのか、盲腸がビンゴだったのか、姿を消していた。
午前9時から始まった精密検査は医師の診断を終えるのに3時間もかかり昼前にようやく、病院から釈放されたのだった。飯が食えなくて困ったりするけど、出口に不具合が生じて詰まるということは想像を絶するほど大変なのである。皆さん、くれぐれも気をつけて下さい。
トンベンはお酒でしたか? (投稿)
宮国勉(城辺町出身))
トンベン(リュウゼツラン)はメキシコが原産の単子葉植物である。英語では100年に一度咲く幻の花という意味を込め、「センチュリープラント」と呼ばれている。実際には日本では10〜20年くらいで開花する。一度咲いたら枯れてしまう一回結実性の植物である。また、蒸留酒のテキーラの原料である。と新聞等で紹介されている。
昔は道を塞ぐように道端にずいぶん生えていた。「ぱりぬぱたーらんまい、やますき、ういゆうたー(畑の脇にもたくさん生えていた)」。パイナップルの木に似ているのだが何にもならない邪魔なものだと思っていた。大きな花茎に花が咲きカラスがよく止まりうるさく鳴いていたのを覚えている。宮古の各地で見られていたこの植物は、今は開発などにより激減したようである。それではトンベン君の名誉復活を願い記すことにする。
葉の先のトゲを折りそれで葉に字を書いたら何ヶ月も痕が残っているので、学校からの帰り道などで色々なことを書き道草をした。また、新芽の髄の円錐状の部分は切り取って「あだんぎーぬぱー(アダンの葉)」で作ったかざぐるまの心棒としてよく使った。
生活の用具としても色々な使い方をされていた。まず、井戸水を汲んで運ぶための天秤棒や物干しなどに使われていたのを想い出す。葉の先端の突起はトゲを刺したときに抜く道具「ぴづ(針)」として使った。枯れた葉や花茎は良い薪になった。「たむぬしーど、んーむにーゆーたー(薪で芋を煮ていた)」
そのトンベンが環境に優しいプラスチックの材料として脚光を浴びようとしている。土に返るプラスチックを千葉工業大学の3方の博士が開発に成功したそうである。リュウゼツランの繊維に特殊な加工を施しプラスチックに混ぜ強化プラスチック(構造用プラスチック)になるらしい。それはユニットバス、小型船舶等に利用されるとのこと。「ぴるますむぬやー(ふしぎだね)」
山火事で焼けたリュウゼツランから何ともいえない良い香りが漂っていた。それの茶色の液体を集めて、蒸留したら酒(テキーラ)になったそうだ。今はメキシコだけでなく世界的に代表的なお酒の1つになっている。トンベンを宮古に持ち込んだ昔の「しゅー(おじい)」はテキーラを作るつもりでいたんでしょうかねー。「ぬんぶすむぬやー(のんでみたいね)」
書いている内にいろいろ昔のトンベンの面影(シルエット)が目に浮かぶようだ。トンベン君、いや、トンベン様を認識新たにしました。夏の青空に真っ直ぐ向うリュウゼツランの花。あっという間にぐんぐん伸びて一世一代の花を咲かせ、枯れていく、潔く、かっこいい、トンベンに会いに浜離宮に行こうかな。
※リュウゼツランは、いろいろなものに役立つものだったんですねー。土に返るプラスチック上等ですね。リュウゼツランは、私達のところでは、トゥンビャンと言います。これも地域によって呼び名が違うのでうむっしですね。宮国さん、投稿、たんでぃがーたんでぃでした。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
なんだか、気持ちは、9月ごろのまま12月んかい なりにゃーん(なってしまった)。お正月特集は、のーゆがすぅでぃがらー(何をしようかなー)などとのんきに考えていたら、もうすぐさいがー。
さて、vol.89は、のうしがやたーがら(いかがでしたか)?
クイチャーマンさんの「ニクリン」。あまりの懐かしい言葉に、時代がいっきに遡った人も多いはずねー。そういえば、ばんたが まゆがままい(我が家のネコも)見えなくなって、ニクリンで死んだはずーと言われていたなー。
歴史に残る大事件などとは対極にある庶民の暮らし、身近な人たちを語ることで浮かび上がる時代背景や歴史がありますねー。
「ミャークフツ講座」はいつも悩みますねー。参考にしている本はあるが、わたし的ミャークフツ講座だなーといつも思う。同じ下地町でも違うし、また兄弟などでも、接してきた人間によって多少言葉は違ってくる。方言が話せると過程して、平良の母ちゃんと佐良浜のお父を持った子どもの言葉は果たして何ふつ(方言)でしょう? そんなことを考えると「方言」「言葉」というのは、つきつめていくと、「個人」ということになるのかなーと思います。
神童は、ネタの宝庫です。これまで掲載されていない原稿も数知れず。一歩外に出たら、必ず何かがおこると思われます。病気になっても ただしーうきつかーならんどー(ただでおきちゃーいけません)!笑いは、精神安定剤!?、いや精神活性剤です。苦しいときー、悲しいときー神童のコラムをぜひ1錠。
先週の土曜日(27日)に東京中野にある沖縄料理の店「ちむ屋」にて、新潟中越地震応援チャリティ三線ライブを行いました。当日は、埼玉や千葉、神奈川、東京、遠くは名古屋からもお越しくださり、大盛況のライブとなりました。マツカニさん、ざうかにさんの三線と歌。そして宮古からジョルジュさんも特別ゲストで盛り上げてくださいました。お越しいただいた皆さん、応援してくださった皆さん、本当にたんでぃがーたんでぃ〜。義援金はライブの収益金や寄付金などと合わせて、105.841円になりました。ご協力ありがとうございました。みなさんからの善意は昨日、新潟県災害対策本部宛送らせていただきました。ここに報告させていただきますね。被災されたみなさんが、一日も早く元の生活に戻れますように心からお祈りしています。
下記にて、義援金の受付状況や分配について知ることができます。
「新潟県中越大震災に関する情報」
http://saigai.pref.niigata.jp/content/jishin/jishin_1.html
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次号は、12月16日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。