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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 260

2024 7/15
メールマガジン
2012年1月19日2024年7月15日

こんにちは〜。
みなさん、がんずぅやしーうらまずなー(お元気ですか)?みやこーみやこの vol.260お届けで〜す。
お楽しみくださいね〜。

目次

中学生の方言大会

さどやませいこ(城辺・新城出身)

がんずぅーがんずぅーうらまんな(お元気ですか)!

久しぶりの投稿、クイチャーマンさんが、私に振ったので、んにゃ、書きみゅーでぃさい(書いてみますね)。

正式には「方言お話パフォーマンス大会」。宮古地区中学校文化連盟の主催で、あらぱずみ(第1回)の行事。会長の宮国敏弘しんしー(先生)が、島の文化を大事にする んまつまー(おもしろい)人で、若者たちから方言が失われようとする昨今、中学生たちに方言で、ぱなす(話)や民謡、郷土劇などを指導して大会を盛り上げた。

市中央公民館の大ホールで、12校45人が出場、宮古民謡「とうがにあやぐ」の幕開けから、方言のコント、意見発表、宮古民話、詩の朗読、劇など、見事なミャークフツを聴かせた。それぞれの地域の方言が聞けて、私もとても勉強になりましたよ。

14の演目の中で最もよかった3校に「豊見親(とぅゆみゃ)賞が贈られたが、「地域は心の応援団」というテーマで あずーあず(濃ゆい)の話を聴かせた、西辺中の池田怜奈ちゃん、「伊良部トーガニ」を大人顔負けで歌い込んだ鏡原中の与儀直樹くん、「うぷぉーうぷぅぬうぷに」(大きな大根)と題した郷土劇を全校生徒23人で演じた福嶺中が受章しましたよ。

審査員の5人(下地智先生、渡久山春英先生、与儀千鶴子先生、垣花譲二さん、そして方言のしゃべれない私)に与えられたテーマは、座談会「んきゃぎさまち バンタガスマフツ(召し上がれ、私たちの島言葉)」でそれぞれの地域の方言を紹介しました。

智先生が城辺新城、渡久山先生が多良間、与儀先生が池間、垣花さんが下地与那覇という独特な すまふつを聴いているうちに、私は眠ってしまいそうな心地よさを感じました。それはそれは、歌を聴いているような優しい気持ちになりましたよ。その中で私だけ浮いておりました。

そういうわけで、子どもたちの第1回すまふつ大会、成功裏に収まりまして、大人の懇親会では「来年、再来年と続けようなー」ということになりました。絶滅危惧種といわれる方言を何とか子どもたちに残そうという気運が学校現場でも出て来ましたよ。

宮古スピリチュアル考 2012

宮国優子(平良・下里出身)

宮古の友達がサンエーに行くかんじで、ユタのところに行っている。なんだか自然に足が向くらしい。正しい宮古のおばさんさいが、と勝手にほくそ笑んでいる。ユタに行かない友人もそんなにハードルが高いわけではなく「あぁ何かあったらいくかもよ」とだいず軽い。

私も宮古に帰ると顔を出すユタさんの家がある。たいして深刻な悩みもないのに行くので、ただのお茶のみ友達になりさがっていますが。その人はとっても うむっし(楽しい)で、いい人だと思う。

毎度の事ながら、私のことなどきれいさっぱり忘れているのもいい。そしてお茶ついでに見てもらうが、私自身のことはほとんど言われず、兄弟のこととか周りのひとのことばかり言われる。なので「たまには私のこともみてもいいんじゃないな」と無理矢理お願いする。しかし「あがぃ別にいいさいが」とにべもない。たいがい(だいたい)そんな扱いです。

でも、私はそのユタさんのそのいい加減なところに一番好感を持っています。「私は少し先のことしかわからんみたい」という全能感のかけらもないところが大好きだ。「人の話なんかできれば聞きたくない」とまじめな顔でよく言っているのも人間くさすぎる。なので、その人らしいから、その人だから、その人の内的世界がまっとうに豊かだから、人間として信用できるんだなぁと思う。その豊かさにふれると、また会いたいなという気持ちになる。

前置きが長いゆ・・・ある日、その方にぽつりと「あんたはマウガンをもてばいいさ」と言われた。何のことかさっぱりわからなかったが、白い香炉と線香が並んでいる棚を指でさされ、目が丸くなった。自分で神様をもつわけ?んばよ、そんな恐れ多い!とおののいた。まかりまちがって、ユタになったらどうするかよ、と心の中で叫んでいた。人にいろいろ言うなんてめんどくさいさいが、と。

数ヶ月後、別の有名なユタさんに会う機会があった。ユタ研究をしている方たちとご一緒させていただいた。そのユタさんはすごく自然ですごく普通の宮古のおじさんで(私から見たら)楽しくお酒を飲んでいた。そのユタさんが言うことに、研究されている方たちは、ヘェ〜とかホウッ〜とか深い相づちを打っていました。確かに含蓄のあるさーね、ユタさんのお言葉。私はといえば、宮古人的な明朗会計的な発言にとても親近感を覚えておりました。いや〜、とっても普通にナイスでうむっし人さいが!と感動しつつ。

その場で「いや〜マウガン持ったらと言われましたよ〜」と言ったら、満面の笑みで「あ〜そ〜な〜」と返された。だいずかる〜く。続けて「いいんじゃないか〜」とほほえんだ。そうか、いいのか・・・いよいよ私の悩みは深くなり、数ヶ月後、実母に打ち明けた。

「マウガン持てば、と言われたよ」。母は、料理の手すら止めず「あぁ、そう。いいんじゃないの」「んばよ、なんか大変になるんじゃないわけ?」「ならんさ」「なんでよ」「だって○○おばさんも○○おばさんも○○おばさんも(みんな親戚か知り合い)みんな持っているのに」「え〜!!!まっじでなぁ(初耳の私)」「あ、でもさ、神ごとはゆっくりあとからやるねーとニガイ(祈り?)はしてあるから」「で、どうなるわけ」「あば、どうもならんさ。今、できんかったら、あとでやるね〜神様よろしくというニガイだのに。あんたがやりたかったら言えばいいよ。自分がユタを紹介してあげるから」「いや、でもさ、でもさ」「あがい〜、あんたはアホーか、人はだれ〜も神の子さ〜」「え〜(おいよ、いままで、そんな宗教的な?こといったことあるか、母よ)」心の声は飲み込んでおいた。

何ヶ月も結構悩んでいたのに、母の「誰でも神の子」発言で、マウガンの悩みは消えた。なぜか、こういうことは流れのなかで、一番いいときがあるんだはずと思ったから。んだーはず(そうだと思う)、絶対。そぉーよ、よくよく考えてみたら、マウガンは「その人本人(個人)の守護神」。そんなおどろおどろしいものでは決してありません。もしかしたら昔の人たちはお気に入りのマイマウガングッズとかあるくらいかもしれない。実際、道具は大事にするらしいので。

まぁ、なぜこんな事を年頭に書いているかというと、ユタのもとを訪れて衝撃を受けたり人生の方向転換をしているというのを耳にしたから。

あの世から責められているという話も聞くけど、あの世の幸せより現世の幸せさ〜。なんで子孫を困らす先祖がいるべきかよ。ユタの人が言うことは絶対じゃないし、あんまり真に受けるなよ〜と思う。 

受けた私がいうのもアレですが、ユタが言うことはご神託じゃない。どちらかといえば、ユタと自分との個人的な世界なんだと思う。秘密にしといたほうが うむっしそうだ。何か少し心配事があったら、違う側面から見てくれる経験豊かで風変わりな友人がいるというレベルでユタさんとおつきあいするのが適度で上等な距離かと思う。

最近、宮古はスピリチュアルスポットと噂?されている。ある人が言っていた。「宮古のおばさんは閉経したらみんなユタっていうことにしよう」おいよ、いくらなんでも極論さいがよ。でも、わかる。まわりのおばさんたち、みんな魔女みたいだ。黒い服は着てないしだいず派手だけど。

まぁ、東京でいろんな人にその手の話をたずねられる。ユタの人とかは普通にいるよ〜とは話す。相手に雰囲気がまともに伝わっている気がしない。絶対視するのはなしね、というコンセンサスはとれない。悩んでいる人は悩みで頭がいっぱいだはず。悩むな、酒でものめ〜。なんならオトーリでも回すけど!(ここで1時間消費)。私のあんぽんでパニパニすぎる対応に悩みも忘れてくれればいいけど、そんな簡単じゃないさーね。(ここで2時間は突入する。そのまま飲んでエンドレスになること多し)

エンドレスでもしつこく「私の知っているユタ世界には流行の香りがしない。文句とか言って人間くさくて、泥臭い。言い方も絶対的でないし、それどころかとらえどころもない人も多い」と夢を打ち砕いている。だいずひとよ、私。「もちろん、きちんとした人?もいるかと思うけど、おごそかでご神託というイメージはないよ〜。どっちかといえば、カウンセラーに近いはずよ〜」とフォローはしているから、許して。

ユタさんたちは、スピリチュアルど真ん中にいる人たちだと思うけど、別にかっこよくもない(す、すまん)。ある意味、大変な人生だから話を聞くとズミだけど。個人的には生活と地続きで、文句をいいながらも かんにごぉ(神願い)をするユタさんに気持ちがなじむ。

宮古のユタの世界は、あくまでイーブン。自分対ユタさんにプラス神様。三つどもえで、まーつき(一緒に)将来のことを考えてもらう。もちろん自分でも考える。それが正しい宮古的ユタ世界じゃないか(大声)と最近思う。マウガン持ちじゃない私が言うのもなんですが。なので、私はとりあえずは宮古に向かって手を かみて(合わせて)います!

ここまで、読んでくださって、たんでぃがーたんでぃ〜。
あなたの分まで手ぇ、かみておくから!

ぶらふきゃぬ ぱなす

根間郁乃(平良・久貝出身)

最近とあるところで、「人に自慢できる経験」は?という“お題”があったので、なんだったっけ、と考えているうちに、はっと思い出しました。私、子供の頃に、ほら吹きでした。もとい、ほら貝を吹いていたのです。

私の実家は市街地のはずれで、むかしは周囲に家もそれほど多くはありませんでした。3歳のときに城辺の加治道から平良に越してきたのですが、幼い頃の記憶では、家の前は細いナウサ道で、真ん中には雑草が生えていました。ときどきウズラも通るような、のんびり〜とした環境でした。

そこに家を構えた近所の家族同士で「南原(なんばる)会」という隣組がつくられました。お月見や海遊びなどの計画を立てては、みんなで遊んでいました。

小学校高学年だった夏休み。ラジオ体操に毎朝集まることになりました。私の家の前には建設会社のマンションがあり、下は駐車場兼広場になっていたので場所はそこに決定。さて時間を知らせるにはどうしようか・・・となったときに、一人のおじさんが「これがいいはず」と出してきたのが、ほら貝でした。

先端の切り口を試しに吹いてみると、最初はスカスカと息がうまく込められなかったものの、あれれ?しだいに音が出てくるではありませんか。

「…ヴォ、ボボボォー〜…」

貝を支え持つ手のひらいっぱいに、振動が伝わります。予想以上にすごい音です。おお、吹けたよ〜!と私は嬉しくなり、できるようになった子たちと、ほら貝を吹く係を務めることになりました。

そして誰よりも早くラジオ体操に来た係は、朝いちで近所中にほら貝の音を響かせるのです。ボボボォ〜ッと。すると子どもたちは、眠い目をこすりながら家々から出てきて、広場に集まってきました。ほら貝は、その年の夏休みが終わると、持ち主のおじさんの家へ帰りました。

あれから約30年、ほら貝を吹く機会はもう巡ってきませんが、その様子は本当に楽しい記憶として今も残っています。

大学生のとき、新しい友人たちと子供時代の話をしたときに、「わたしラジオ体操で、ほら貝吹いてたんだ〜」と精いっぱいのナイチャーふつで話すと、即座に「いくのちゃん!また話つくってるでしょ」とたしなめられました。

なにしろ、高校の合格祝いに牛をつぶした話をしたら「どこの酋長の娘よ〜!」と信じてもらえなかったので、私はあの子たちには、相当な“ほら吹き”と思われていたかもしれません。

嘘をいう、というとイメージがよくないですが、ほらを吹く、というのは、何かユーモラスでスケールの大きい感じがします。昔、全国規模の「ほらふき大会」があって、宮古島の方が入賞されたこともありました(宮古でも開催されたかも?)。

調べてみると、全国では今も北海道の「国際ホラ吹き大会」、青森の「万国ほら吹き大会」などなど、各地でイベントが開かれています。壮大なほらを吹き夢を語り、みんなで笑いあうなんて、楽しいはず〜。

2年前の6月、世界海洋デーには、海岸クリーンアップ活動を呼びかけるために、ハワイ・スペインのカナリア諸島・ニュージーランドなどと同時に、大神島でも川満シェンシェーたちが、ほら貝を吹いてアピールしたそうです。

宮古とほら吹き。何か、親和性がある気がしませんか。宮古の人は良くも悪くもビッグマウスだと言われることもありますが、それを逆手にとって「ほら吹きの島」として世界に名をとどろかす、なんていかがでしょう。

まず、一家に一ほら貝の推奨。小学校の音楽の必修科目は、ほら貝吹奏。人を楽しませる話術を身につけるために、ディベートではなく、ほら吹きを学ぶ。土産菓子は、おなじみの商品と並んで「ほら貝形うずまきパン」。極め付けは、城辺の保良(ぼら)で海を眺めながらの、全世界ほらふき大会in保良!・・・ああ、妄想は尽きません。

こんなことを書いている私も、やはり、たいがいな、ぶらふきゃー気質なのでしょうねー。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

今年もぶーき゜なき゜(キビ倒し)の季節がきましたね。台風や日照不足の影響で昨年に比べると生産量が いきゃらふ(少なく)なる予想のようですが、1月15日付けの宮古毎日新聞によると、一昨年(10−11年)の宮古のキビの生産量は、沖縄県全体生産量の約40パーセントを占めたとのこと。宮古が沖縄の中で一大産地となっているとは知らなかったのでびっくりでした。すごいことですね。

収穫はハーベスターに頼るのが多くなってきているようですが、まだまだ人の手によってされていますよね。大変な重労働です。農家のみなさん、頑張ってくださいね。

さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

「方言お話しパフォーマンス大会」のことはクイチャーマンさんより掲示板に書き込みがあり、そのバトンを受け、さどやませいこさんからレポートが届きました。会場の盛り上がりが伝わってきましたね〜。素晴らしい取り組みに読んでいるこちらもぷからすーと(うれしく)なりました。生徒達は見事な方言を披露したとのこと。宮古方言の未来に光が射した感じがしますね。今後も楽しみです。

宮古のユタのことは、内地でも知られるようになってきましたね。優子さんが書こうと思った気持ち分かります。私も現世に生きる人が幸せになることが一番かと。優子さんのお母さんの「人はだれも神の子」の話し、胸にストンと落ちますね。うちの母は、よく行くわけではありませんが、何かあったときにユタの家に行き、かんにごー(神願い)をして安心しているようです。

それから、優子さんのブログを読まれた方はご存知だと思いますが、今年は『読めば宮古リターンズ(仮題)』の発行が予定されているそうですよ〜。これまでの読めば、書けばの総集編に新しいのをプラスして、夏ごろまでには。ということです。楽しみですね。詳細が決まったらまたおしらせしますね。

郁乃さんの ぶらふきゃの話し、うむっしでしたね〜。やらびぱだ(子どもの頃)ほら貝を吹いたというのは宮古といえども貴重な経験ですよね。ほら吹きは、ホントに人を明るく楽しく元気にしてくれますね。「ほら吹きの島」構想に一票!「一家に一ほら貝の推奨」「ほら貝形うずまきパン」もウケるはずよ〜。

郁乃さんは、もともと旧姓の幸地郁乃さんというハンドルネームでしたが、わたしのまつがいで、これまで本名の根間郁乃さんとなっていました。大変失礼しました。今回は子どもの頃の話しということで、両方のお名前での登場となりました。

あなたの感想もぜひ聞かし ふぃーさまちよー(聞かせてくださいね)

今回も、しみゃーがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)

次号は2月2日(木)発行予定です。
きゅうまい 上等一日でありますように〜。あつかー、またいら!

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