こんにちは〜。新年度の始まりですね。おかげさまでくま・かまも丸11年。12年目に突入です。
皆さんに支えられてのくま・かまです。すでぃがふー!これからもたかさーしーふぃーさまちよー(ご愛顧くださいね)vol.265お楽しみください〜。
駅伝
大和の宮古人(城辺・長南出身)
私の出身地である宮古島市城辺西城学区内の長南部落は、7つの班から成り立っている(現在は戸数約100、人口300人弱と減少している)が、10年ほど前までは戸数約130、人口360人強だった。この小さな所で数年前まで毎年1月1日に班対抗の駅伝大会を開催していた。
前年の11月下旬頃から各班で選手選考をする事と若者たちとの交流を目的に会議と称して週2回は集会を持ったらしいが本当の狙いは飲み会にあるような気がしないでもない。
駅伝大会は、正月早々の朝9時に公民館に集合し、開会式の後、10時頃からスタートする。18区間もあるので選手の数も100人を超える。普段は歩いている人も殆どいない部落内もこの日ばかりは、沖縄や本土から帰省した人達で大変な賑わいとなった。ワザワザ呼び戻された人もいるとか。
小学生男女、中学生男女、高校生男女、一般男女、30代、40代、50代は混成で部落周辺を2周しタスキを繋いでいく。150メートル、300、500、最長で1.5キロと様々な距離を競い、アンカーは各班長宅から出る決まりになっていて、この区間だけは年齢性別に関係なく走ったようである。
班長宅から若い子が出ることもあり、一人で2区間を受け持つ事もしばしばあったようで50代や60代と一緒に走ると最後尾でタスキを貰っても一位になり、競技が終わった後には抗議が出ることもあったようだが、酒を酌み交わしているうちに和気藹々となったようだ。
ごぼうぬきしているのは、見ている側は気持ちがいいが、高齢者の地区には気の毒になり、最後尾であまりに離れているときは伴走者に「はい!つんだらーすぬむぬ(可哀そうだ)とーまい みーん ときゃんな(誰もいないときには)車ん ぬうしぴり(車に乗せていけ)」と声をかけて睨まれたりした。
駅伝には選手だけでなく伴走も忘れてはならない。普段は黙々と農業に従事しているおとう達がピックアップやバイクに乗って太鼓を打ち鳴らしマイクで やぐいしながら(大声で)伴走している姿はなんとも うむっしで(面白く)選手よりも惹かれるものがあった。
正月の支度に忙しいおばあたちのためには、走者が近づいた事を先導車が知らせて回る。放送を聞いたおばあたちは沿道に出て応援だ。「うわーあすきどううなー、ぬがいなよう ぴゃーかりとぅばし」(貴方は歩いているの?抜かれないで早く走って)
我が部落は競争心が強い地域である。何事にも対抗心むき出しで挑む。おばあたちの声援も半端ではない、そこまで云うかと思うくらいに夢中になる。
最近は高齢化が進み、残念ながらグランドゴルフになったが、駅伝大好き人間の私としては、んぞうさーだ(残念だ)。ぜひまた始めてもらいたいが走る人がいなければ仕方がない。
一番の楽しみは終了後の反省会及び新年会だ。公民館で飲んだ後、班長は各班長宅を順番に回る。それが終わると今度は自分の班に戻って班員宅を回るのである。
我が家は毎年最後の家となる。全員大トラに変身しているので解散は午前様だ。居眠りしながら接待しているがこの時にしか会えない20、30代の若者との交流が大好きで楽しみでもある。
この習慣は現在まで続いており、毎年暮れになると あんな(母)は 「のうゆが いださでぃがら」(何を出してあげようか)と しゅわ(心配)している。
ニコライ・ネフスキー パネルセッション
松谷初美(下地・高千穂出身)
前号でおしらせした、「復帰40年沖縄国際シンポジューム」の「ニコライ・ネフスキー パネルセッション」に3月29日、菜の花と行ってきました。
その日は、春の日差しいっぱいの雲ひとつない、ぞうーわーつき(良い天気)で、会場には50名あまりが うがなーり(集まり)セッションは始まりました。
司会はあの『天の蛇〜ニコライ・ネフスキーの生涯〜』の著者、加藤九祚さん(国際シルクロードアカデミー)。
まず、ネフスキー研究者の田中水絵さん(沖縄文化協会)から報告。「ネフスキーを宮古諸島に導いた人々:ポリワーノフ、ウィルト、伊波普猷の知らざれる軌跡」と題して話されました。
ウィルト(ドイツ人)は、「まとまった数の琉球方言(特に宮古方言)を記録した最初の人物」だそうで、1897年に沖縄と奄美を回り、首里に来ていた宮古出身の中学生から宮古方言を採集し論文に収めたとのこと。(田中さんは、ウィルトの論文「新しい琉球諸方言」(1900年)をドイツから入手し、その論文の冒頭部分をご自身で日本語に要訳したものも紹介)
ポリワーノフは、ネフスキーの大学の先輩で先のウィルトの論文を引用して「日本語、琉球語音声比較概観」という論文(1914年)を発表。ポリワーノフからネフスキーにこの論文が1917年に贈られ、この論文はネフスキーに「言語学的に大きなインスピレーションを与え、焦点を宮古諸島に絞らせた」と田中さんは話されました。
ネフスキーが宮古出身の上運天賢敷に宮古方言を学んだのは1919年(または21年)ということですので、その後ということになりますね。私はこれまで、ネフスキーが宮古に来たのは、上運天賢敷から宮古方言を習ったからだと単純に思っていましたが、それ以前に上記のようなことがあったのですね。驚きでした。
またネフスキーと伊波普猷が親しいつきあいをしていた様子が年を追って語られ、1930年にはネフスキーとポリワーノフについて言及している文章も書かれているということでした。
そして「ネフスキーは自らの足で宮古諸島に渡り、自らの耳で5千語に及ぶ方言や民俗学的資料を集め、記録した最初の人物」と話されました。まさにいろいろなことが繋がって、宮古に来たんですね。
続いて、エフゲーニー・S.バクシェエフさんは「ニコライ・ネフスキーと宮古島:琉球民俗・フォークロア・言語の未発表資料について」と題して日本語で報告をされました。バクシェエフさんは宮古に滞在しながら、ネフスキーの研究をされているロシアの方です。
古い宮古の写真や絵などをパソコンを使いながら、スクリーンに映し、ネフスキーが宮古に来た当時の軌跡を紹介したり、ネフスキーの未発表の資料についての紹介などがありました。
ネフスキーが慶世村恒任から聞いたという「月のアカリヤザガマの話」を原文(宮古方言)で紹介する準備もされているとのこと。私たちは、慶世村恒任の方言(音声記号による)をネフスキーを通して(そしてバクシェエフさんの取り組みを通して)知ることになるわけですね。バクシェエフさんは、辞書編纂にも取り組まれているということで、こちらも楽しみです。
ロシア科学アカデミー東洋学研究所のウラジーミルM.アルパトフさん、獨協大学のパトリック ハインリッヒさんの話もとても興味深いものでした。
今年は、ネフスキー生誕120年だそうです。ネフスキーは、1929年にロシアに帰国し、1938年に亡くなったとのこと。亡くなって70年あまり経ってもなお、こうやって多くの方が彼について研究をし、彼の研究したものを引継ぎ、伝えようと努力している。本当にすごいことだと思います。ネフスキーも草葉の陰から ぽからすーとしているはずね。
みなさんのお話を聞いて、改めてネフスキーの偉大さを実感し、私たち宮古の人は、彼のやったことについてもっと興味を持って知るべきだと感じました。
北アフリカ アルゼリア紀行 (投稿)
山雀タヌキ(下地・上地出身)
くんど ぱずみて北アフリカぬアルゼリアんかい 1月から2月んかいかき いきってきすたい。(今度初めて北アフリカのアルゼリアに1月から2月にかけて行ってきました)
アルゼリアは東西をチェニジアとモロッコに挟まれ、北は地中海に面し向い側はヨーロッパ・スペインに近い北アフリカにあります。ついこのあだ独裁政権が崩壊したリビアも東側で接しています。首都アルジェの緯度は北緯37度付近で新潟市とほぼと同じです。1962年にフランスから独立した、アフリカ大陸で最大の面積を有するイスラム教を信仰し、大統領制を取っている共和国です。
アルゼリアで皆さんになじみがあるのは、映画などで知られる“カスバ”でしょうか?“カスバ”は、首都アルジェにある小高い丘に16世紀頃築かれた階段状に折り重なる古い街並みで、世界遺産に指定されています。
北側の地中海沿岸ベルト地帯は地中海性気候で温暖な気候、南側はサハラ砂漠が広がるため、国民の約90%が地中海沿岸ベルト地帯に住んでいると言われています。地中海沿岸ベルト地帯では農業も盛んで、小麦、ブドウなどの果物、チーズ、ワインなどが生産されています。
ばが くんど いっきてぃ きすたい とくろや オランてぃーぬ とくるやたん。(私が今度行ったところは、オランと言うところでした)このオランはアルゼリアの第二の大きな都市で、海岸線に巨大なコンビナートが広がり、現在も豊富な石油資源で潤い、さかんにコンビナート建設が続いています。
日本からアルゼリアに行くには、フランス・パリ経由がもっとも便利なようです。フランスは旧宗主国のため、パリからアルゼリア各都市へ頻繁に飛行機が飛んでいます。パリから約2時間でオランに到着、入国審査を済ませエックス線透視装置をくぐって、会社から派遣された出迎えのガイドとエスコート(憲兵隊)とともにホテルへ移動。
非常事態宣言が昨年の2月に解除されてはいるが、アルゼリア全土には地域によって外務省から渡航の延期や再考を促す危険情報が流されている地域があります。
到着したホテルは5階建の部屋数60程度のファイブ(5)・スター??部屋は案外広く、ダブルベッド、エアコン、テーブルなどが備わっていました。
ベッドメーキングは金曜日(イスラム教国の休日)を除く毎日案外丁寧にやってくれていましたが、ベッドのシーツが赤や緑で、これはこれで結構楽しめました。お風呂は浴槽とシャワーがあるが、シャワーを浴びている時、突然水温が下がりだしたり水が出なかったりで、石鹸の泡が体についたまま温水が出るまで待つことを何回か経験しました。新潟市とほぼ同緯度で結構寒くて震えるシャワーでした。
朝食はパン、コーヒー、茹たまご、ジャムなどとごく普通ですが、夕食はスープ(1種類のみ)・サラダとメインディシュはビーフ、チキンとマトンから選ぶしかなく、食事時間に少しおくれると、スープ・サラダは無く、メインディシュも評判の悪いマトンしかなかった。
デザートはバナナ、リンゴやミカンでしたが、これも出たり出なかったりでした。マトンは食べられないと言い張ると、チーズ付きのオムレッツを作ってくれました。ホテル代は約5000円、夕食は2000円、この国の一般的な1日の賃金1500〜2000円から見ると、法外な値段?と言わざるを得ませんでした。アルゼリア産のパン、ワイン、ミカンやオリー ブは美味しかったです。
街への外出は治安の面から困難で、仕事場と宿舎の往復時も憲兵隊によるエスコート付きでした。街は車窓から眺めるだけでした。警察のチェックポイントではカーテンを閉めさせられました。夕方、住宅の窓から光がもれることが少なく廃屋かなと思ったが内情は分かりません。
もれ聞くところによると、さだかではありませんが、家を完成させると税金がかかるため、どこかを工事中かのような未完成状態のまま放置されている家が多く見受けられました。アルゼリアも日本と同様に地震国ですが、家の造りはレンガ(中がスカスカ)積みで、古い家屋の上にレンガを無造作に積み上げています。
アルゼリアはイスラム教国ですが、イスラム原理主義ではなく、世俗主義のイスラム教国なので女性が働いています。私たちの事務所でも数多い女性が働き、朝は女性同士で頬を交互にくっつけ合ってチュチュと挨拶している光景はほほえましかった。
昔からオスマントルコ、スペイン、フランスの支配が続いたため混血がすすみ、彫の深い、あぱらぎ みどんぬど むちゅーたい。(美人が多かった)
言葉は義務教育で第二言語としてフランス語を教えているため、公用語のアラビア語とフランス語を話せ、私たちの事務所で働く女性陣は、そのほとんどが英語の読み書きもこなしていました。
地中海の向いにある寒いスペインから吹き込む北風が身にしみ、私が居たオランでも雪がチラッと舞いましたが、首都アルジェでは10cmくらいまで雪が積もったとか、いままでに訪ねた国の中では一味違った制度と国民で案外寒い国でした。これから原油などの資源を生かし、成長力のある国になると思いました。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
東京では、やっとがま桜が咲きだしましたが、宮古では4月1日に海開きが行なわれたようですね〜。本格的な海のシーズンの始まりですね。
宮古の海といえば、先日、宮古の知人から「アオサ」をもらい、天ぷらにしたり、味噌汁に入れたりして食べています。生のアオサの柔らかさとうぷす(潮)の香りのいいことよ。やらびぱだ(子どものころ)は、当たり前にあるもので、ありがたみもありませんでしたが、今はこういう自然のものが食べられることが幸せなことだなーとしみじみ思います。
さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
大和の宮古人さんの出身、長南地域は、だいばん(大きな)集落やー。駅伝大会が開かれていたとはびっくり!すごいことですね。熱の入った応援や、参加するみなさんの一生懸命さ、楽しさなど雰囲気がよく伝わってきました!これぞ、宮古〜という感じですね。
「ニコライ・ネフスキー パネルセッション」については、掲示板に書き込みしたものに加筆しました。菜の花もパネルセッションについて掲示板で書いています。ご覧くださいね。
山雀タヌキさんのお話し、街の様子や食事など、国によってホントにいろいろですね。興味深く読みました。山雀さんは、これまでもサウジアラビアやポーランドなど海外でのお話しを投稿してくださっていますが、何をしている方?とお思いの方も多いと思います。そこで、ご本人に伺いました。「20代のころは外国航路の船乗り、40歳代からは、海外の化学製品工場を建設する機械屋です。還暦をとっくに過ぎていますが、外国一人旅大好き、山登りも大好きなおっさんです」だそうです〜。宮古出身の人が海外をまたにかけて活躍している様子、うれしいですね〜。今後の投稿もお楽しみに〜。
あなたの感想もお聞かせくださいね。
投稿もぜひ、お気軽にお寄せください〜。
今回も、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は4月19日(木)発行予定です。
皆様にとってきょうも佳き日でありますように〜。あつかー、またや〜。