こんにちは〜。
全国的に、ぴんなぎ(変な)天候が続いていますが、がんづぅかり うらまずなー(お元気ですかー)?
vol.394お届けです。ぬか〜ぬか(ゆっくりと)お楽しみくださいね〜。
私が思う宮古の暗喩(メタファー)
お世話になっています。宮国です。最近、思っていることをつらつらと。三日坊主気味のブログにも今気になっていることをよく書いています。あるトピックについてまだ気になっている&書き足りないので、今日はその辺を深掘りしたいと思います。
数年前から言われているVUCA(ブーカ)。あば、ぴんなぎ(変な)言葉さいが!ですが、これは「現代の経営環境や個人のキャリアを取り巻く状況を表現するキーワード」と言われています。なんで、宮古と関係あるかよ!なんですが・・・。
ひらたーーーーく言うと、会社の経営の先の見えなさや個人にしてみれば仕事のやっていきかた、とか、かな。と思っています。昔は、職業のために学校行って、ひとつの会社につとめて、案外のんびりとしていたのかも。でも、モーレツに働いていた人は働いていたし、会社が個人を守ってくれてた・・・・と日本のひとは今まで考えていたってことですね。沖縄、宮古とは多分、このベースの質がちがう。
あ、そうだ、VUCA(ブーカ)だよ、ぶーか!
Volatility-変動性-
Uncertainty-不確実性-
Complexity-複雑性-
Ambiguity‐曖昧性-
そういう時代になってきたわけで。これ、意外と宮古島みたいじゃない?と思うわけです。詳しく宮古風にいうと、
Volatility-変動性-
台風があるし、どうなるかわからんし。その時は その時さー。(こうして、約束はお天気次第)
Uncertainty-不確実性-
絶対というのはないさー、運命さー。(人の不幸は、あるものだ。自分だーけですべてを選べないさいがよ)
Complexity-複雑性-
あがい、あれはあんな人さ(人の心や物事の背景はそれぞれ複雑だから口を出すな、という意味)
Ambiguity‐曖昧性-
あとでねー(別れの言葉。またいつか島に住んでれば会える、約束はいらない)
おもいきり離島っぽく解釈しました。暗喩的な表現満載!島はのんびりしていて、島人は優しいというイメージが流布していますが、そんなことはない!おもわず断言口調になってしまう。宮古の社交はハイコンテクストですから・・・。島なりの高度なコミュニケーションスキルが必要なんですよ!外から来ている人でまったく気付いてない人もいるなぁ、とも思うことがしばしば。言わないからって思っていないってことではないんだよ・・・。人はイメージで宮古島をとらえやすいし、日本人だから同じ文化圏で、同じ思考回路だと思っているフシがある。
ここで、ハイコンテクストって何よ、なんですが、ここで言いたいのは「文化違うから、文脈も違うし、表現も違うし、コミュニケーション自体が他文化の人には複雑」ってことなのです。宮古の暗喩(メタファー)は多すぎて、察するっていうレベルを超えている、ことが多いのです。「アレ」で通じる社会なのですよ。いうでしょ、仲のいい人にこそ「アレ」って・・・。でも、それは実は日本文化もしかりかな、と思いますが。問題は同じ日本語を使っているのに、言葉の意味合い違うってことかもしれない。私なんて、標準語が上手なので(自慢か、笑)、日本語が完璧に通じると思われるけど、私の日本語は読み書きだからね、話し言葉はセカンドランゲージなのじゃ!と親しい人には暴れています。
例えばですが、島だとこういうことになりやすいと思う。宮古での別れの挨拶「あとからね〜」は日本語での意味合いは大きく違う。多分「あとからね〜」と言われただいたいの日本人は「あとっていつのこと?」ってことだと思う。でも、島の人は、なんなく気持ちよく挨拶した気になっている。言われた方はその心の違和感を言い出さないので、宮古の人はその気持を知ることはない。ずっと島流の付き合いを続ける。そして、我慢できなくなった人が爆発する、という流れをよく見る。
宮古の人にしてみれば「すぐに言えばいいさー」なのだけど、それは長年身についた習慣だから無理がある。それにまったく反対のことも起こる。意外と宮古の人は宮古馬のように我慢強いので。でも、爆発はしない。ただ心が折れるのだと思う。そこが、文化の違いというか、メンタリティの違いなのかな、と思う。
まぁ、何が言いたいかっていうと、私は「みんないっしょ」っていうのが苦手。あんな小さい宮古島ですら、人頭税のせいか、方言が多岐にわたるせいか、「みんないっしょ」っていう感覚が苦手な人も少なからずいると思う。そして、その「みんないっしょ」がこうじて、人の陰口を複数の人がいるところで言う人が特に。それなら、私に言うな、ここで言うな、本人に言えと思う。
宮古の場合は噂もすぐ回る。だからこそ「あなたはこういうところが良くないと、私は思う」という、直球ストレートな表現になると思う。そのほうが合理的だから。「みんなで陰口言おうぜ」という感覚は同調圧力に似ていて、島だろうが東京だろうが無理。まわりから浮いても、一人違う意見になっても、言いたいことを言いたい、と日々思っている。でも、実は、対人相手だと、最後通牒は絶対言わないし、言えない。言語化することすら頭から振り払おうと思っています。
それは何故かと言うと、宮古には、極端にまったく自分の意見もいわない人もいるのも事実。その振り幅にびっくりすると思う。外から見たら、宮古人が不可解に感じるところだと思う。ここについては、もっと長くなるので、いつかまたブログで書きます!
そして、私は、言葉の裏にある島独自の感覚やメンタリティを日本語にこうやって起こしていくこういう作業が異常に好きなんだと思う。楽しすぎる。例えばこういうこと。翻訳が必要なのだ。
宮古の人は島の人同士では言語を多用しない。もし、あなたが島にはおしゃべりな人が多いと思う理由は、それはあなたに心が向いているのです。島の人が自己開示をするのを「ずうずうしく自分の話ばかりをしてる」と言っていた本土の人がいたのだけど「その人は、きっと自分とまるで違うあなたを見て、まずは自分の自己開示をして、あなたが話すのも受け入れる覚悟していると思うよ」と話しました。でも、そこで調子に乗って悪態をつくと「あなたの問題でしょ」とピシャリと言うのが宮古の人。島だとそれで関係が破綻するわけではないというお約束でもある。でも、反面まったく何も言わない人というのもいるとのです。深いぜ、宮古。
私が思うに、本土の人は自分がマイナスと感じる感想、同調しないことに宮古の人に比べて敏感。指摘すると黙り込む人も多い。はっきり言う人はやや感情的で、そこに実はなんのロジックもなかったりする。でも、これは言葉が標準語化した宮古の若者にも見られる気がする。ちなみに島育ち島メンタルの人は、相手の楽しいこと、良いこと、面白いことは、ウスぼんやりでも話にはのってくれますが、言霊悪い系には敏感です、はい。文句は言ってくれるだけ勇気のある人だと思う。言葉が悪ければ、お伝え下さい。ある意味、きちんと向かってあげてほしい。
「みんなちがって、みんないい」が日本で大流行した頃、私はすごく驚いた。情緒的にスローガンにしないと受け入れられない文言なのか、と。宮古は、人はそれぞれちがうのが当たり前で、もめるのも当たり前で、相性が合わないのも当たり前で、嫌いと言っても良い社会。方言は時に罵詈雑言だらけとも言える。でも、まだそこにはコミュニケーションがある。大人げないのではなく、コントラストがはっきりした社会ということかもしれない。でも、一方カオス的な何も言わない世界というのもある。ただ、無視というノーコミュニケーションは宮古には少ないと思う。さらに最近思うのが、日本のどの地域って言うより、どれくらいの規模、人間の付き合いの濃密なコミュニティで育ったか、多様な人をどれくらい肌身で感じているか、ということのほうが、ニアリーイコールになりやすい気がしています。
なので、意外と宮古の人のコミュニケーションは都市部のひとに似ていると思う。見て見ぬふりも上手にできるのだ。地方の、頼まれてもいないのに勝手におせっかいするニュアンスは少ない。噂話も多いけど、それは情報量の多さではないかと思う。ネットより早い。そして、流言飛語も多く、ツイッターみたいに現実が炎上もする。ネットに悪口を書き込まれた人が怒鳴り込みに言ったという話は結構聞く。
そして、いず(元気)があるから、本土の人にはローコンテクスト(言葉そのものの意味を重視する姿勢)なおしゃべりなアプローチをする。そして、他人には一緒に解決していく覚悟がない限り、他人に余計な事は言わない。売られた喧嘩はガッツリ買うところも、実は江戸っ子気質に相通じるものがある気がします。
これは、実は、家族との関係とか、日本の社会がどうなっているか、と多層的に考えねばいかんことかもしれない・・・・。近代になって多くの人が移動して、違う文化の中に定住するってことは、これからの人類の課題なのかもしれない。日本という枠の中で考えた場合、少子高齢化になるのだったら、沖縄宮古のメンタリティに学べと言いたい。沖縄の人は考えなしに子どもを生むと言うけれど、はっきりいって、対社会で考えすぎると恋愛もできないし子どもも産めないんだと思う。まぁ、都会の子育ての大変さは、私も死ぬほど実感しているけど・・・。
だからこそ同等の平等を与えるのではなく、互いに公平を求めるっていうのが、これから先の人類の求める方向かもしれない。あぁ、話が大きくなりすぎた、笑。これについては素晴らしいイラストがあるので、お時間のある方はぜひ私のブログへ!絵は説明できん、笑。
◇あの話をもう一度
naichar-shima(下地・高千穂出身)
「いろいろ 初めて物語」vol.104 2005/7/21
●初めての日本語
おいらが初めて日本語をしゃべったのは、幼稚園の入園式の自己紹介。
「ぼくのなまえは、とくみねかつや」それまで、方言しかしゃべってなかった。
●初めてのギター
高校入学祝いに、親にガットギターを買ってもらった。
ベンチャーズの にゃーび(真似事)をしたり、吉田拓郎の「東へ西へ」のコードを必死で覚えた。
●初めての電車
おいらは、19歳で東京に初めて出てきた。時間通りに電車が来るのにはうどぅるき゜たー(驚いた)。しかも1時間に何本もあるしよ。して、電
車は、バックでも運転できるわけ?終点に着いたら、どこかぐるーっと回ってくるかーと思っていたら、運転席が後ろにも付いていた。また、電車同士がすれ違う時の音には、びっくりしたね。オゴエーと思わず声が出た。
あと、動いている電車の中で、つり革にもつかまらず、平気な みぱな(顔)をして、本を読んでいる人を見たときは、ぴるますぴとぅぬきゃー(不思議な人たち)と思ったね。それから、自分なりの東西南北の方向感覚というのがあって、行き先案内の何番線というのは、信じないで、自分の勘を頼りに乗ったら、逆方向だったということがよーくあった。宮古の東西南北とは違うらしい?やっぱり表示は、正しいさいがーと思った。
●初めての握り寿司
おいらの やらびぱだ(子供の頃)には、握り寿司というものは、見ーた
くぅとぅまい ふぉーたーくとぅまい にゃーったん(見たことも、食べたこともなかった)!寿司といったら、のり巻きしか知らんかった。初めての握り寿司を食べたときは、ご飯の美味しさに感激したねー。(ご飯にかよー!?)
感動!劇団かなやらび公演『クスムヌドゥムタ〜心の蕾〜』
松谷初美(下地・高千穂出身)
8月13日、マティダ市民劇場で行われた、劇団かなやらびプロデュースミャークファンタジー第2弾「クスムヌドゥムタ〜心の蕾〜」を見てきた。
パンフレットには「これは、宮古島のような、どこか遠い国のような、いつともどことも知れない、小さな島の物語」とある。
うまぁ(そこは)、神族と精霊族と人間が住むミャークと言う島。そこに商船(ロベル帝国商団)が難破し、乗っていた子どもたちだけが流れ着く。その頃、ミャークでは、心を食べる「彌久美(やぐみ)」が恐れられていた。宮古の伝承「創世神コイツノとコイタマ」の ぱなす(話)を織り交ぜ物語は進む。
劇団かなやらびの子どもたちの(小学生から高校生まで23名)のびのびとした演技、大人(3名)の迫真の演技、効果的な音楽、舞台転換の素晴らしい照明、全てが がふ(ぴったり)と合わさり、ぐいぐいと物語に引き込まれていった。
人の心にある猜疑心、誰にもある自分の正義、お互い分かり合おうと努力する心、勇気を持ち人と向き合うこと等々。どの時代でもどこの場所でもどこの人にでも通用する普遍的なテーマのように思った。脚本が素晴らしいので(脚本は彌久美役を演じた「島ピエロのゆずちゃん」こと明石光佐さん)今後も上演されることでしょうね。
夏休み中の子どもたちも やまかさ(たくさん)来ていたが、舞台を食い入るように見ていた。恐怖もあったと思うが、真に迫る舞台は、子どもたちの心にも届いたと思う。舞台が終わると会場からは大きな拍手が送られた。
タイトルの「クスムヌドゥムタ〜心の蕾〜」。気になった方も多いはず。「心」は宮古方言では違う表記になるのでは?なぜこの言い方なんだろう?と私も思っていたところ、ある方が、「宮古島のような どこか違う国のようなということだから、似ているけれど違う言葉という意味で意図的にそうしたかもしれないね」と話していて納得。
「劇団かなやらび」の前身は、2012年設立された「宮古島市こども劇団」2015年に「劇団かなやらび」となった。今後の舞台がますます楽しみ。「クスムヌドゥムタ」が再演されたら、まだの方ぜひ!
お知らせ
■宮古島スイーツコンテストvol.4開催
開催日 | 平成29年10月15日(日) |
応募期間 | 平成29年8月31日(木)まで |
場 所 | JA宮古地区2階大ホール |
問い合せ | 宮古島地域雇用創造協議会0980-79-5288 |
宮古島スイーツコンテストVol.4作品募集のお知らせです
10月15日、宮古島スイーツコンテスト開催に伴い、宮古島を代表する特産物(マンゴー、パッションフルーツ、紫芋)などを使用したオリジナルスイーツのレシピを募集します。応募締め切は8月31日までです。
応募用紙は宮古島地域雇用創造協議会(琉銀ビル4階)、各庁舎に設置してます。沢山のご応募お待ちしております。
詳しくは
宮古島地域雇用創造協議会または
市役所 観光商工局 商工物産交流課HP
http://www.city.miyakojima.lg.jp/soshiki/shityo/kankosyoukou/
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
宮古は、長いことまとまった雨が降らず、キビの葉もまるまってきました。(水が不足するとそうなるのだそう)。かと思えば、東京は雨が降り続き、冷たい夏となっているようですね。(きょうは久しぶりに、てぃだ(太陽)が顔をのぞかせそうだとか)。まーんてぃ わーつき゜やー ままんならんいら(本当に天気はままなりませんね)。
8月6日は、宮古島市総合博物館で開催されているネフスキーの写真展を見てきました。天理大学図書館が所蔵している写真(大正末期から昭和初期のもので鹿児島、奄美、那覇、宮古、多良間など)が展示されていて、ネフスキーが来島した時代、またネフスキーが目にした(興味を持った)ものに触れられたような気持になりました。一部当時の写真と現在の場所の写真もあり、時の流れを実感。写真の他にもネフスキーの本や関連本、略歴のパネルの展示もありました。8月31日までとのこと。まだの方はぜひ!
ゆぬ(同じく)8月6日は、サニツ浜カーニバルも行われました。私は午後から行ったので残念ながら見ることは出来ませんでしたが、今年も ばんたが(我らが)クイチャーマンさんは本島から来て「下地原のクイチャー」「与那覇のヨンシー」を踊ったそうです。素晴らしいですね。どこまでも潮が引いた与那覇湾では、ドッジボールや綱引き、10人11脚競争、人間輓馬などが、公園内では恒例の宮古角力が行われ盛り上がっていました。与那覇湾では潮だまりで子どもたちが楽しそうに遊んでいました。トントンミー(トビハゼ)がたくさんいましたよ。
さて、今回のくまかまぁ のーしが やたーがらやー?
優子さんのお話し、深いですねー。VUCA(ブーカ)の宮古風解釈に確かに!と膝を打ちました。まーんてぃやー(ほんとにそうですね)宮古のことや、宮古に関わる人たちとまっすぐに向き合っていて、また だいばん(大きい)視野を持っている優子さんならではのお話でしたね。
あの話をもう一度は、naichar-shimaの「いろいろ 初めて物語」でした。初めての日本語には笑ってしまいましたが、でもあの時代(昭和30年代)は多かったと思います。この春、進学、就職で宮古を離れた人たちも、いろいろな初めて物語があったことでしょうね。
劇団かなやらびの「クスムヌドゥムタ」、まーんてぃ素晴らしい舞台でした。この舞台に関わった子どもたちは、いろいろなものを吸収したことでしょうね。貴重な経験ですね。観光客が増えている今、こういう舞台を紹介するのもいいかもと思いました。
宮古島スィーツコンテストは、毎年盛り上がっていますね〜。今年はどんな作品が出るか楽しみですね。一般の審査員もこの後、募集するそうですのでまたお知らせいたしますね。いつか、私も作品を出してみようと密かに(?)考えています。
貴方はどんな感想を持たれましたかー?よろしければお聞かせくださいね。
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きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ!
(きょうも 最後まで 読んでくださり ありがとうございました!)
次号は三週間後9月7日(木)発行予定です。
きゅうまい、ぞう(今日も良い)1日でありますように! あつかー、またいら!