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くまから・かまから vol.413

2021 6/02
メールマガジン
2018年7月19日2021年6月2日

こんにちは〜。
全国的に どうりゃーにゃーん(道理のない)暑さが続いていますが、がんづぅかり うらまずなー(お元気ですか)?
vol.413お届けです。ぬかーぬか(ゆっくりと)ゆみふぃーさまちよ〜(お読みくださいね)。

目次

守り神

ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)

実家のお墓は城辺にある。緩やかな傾斜を利用して造られたお墓で、だいぶ古い墓である。同じような造りのお墓はあまり見かけない。掘り込んだ斜面に埋め込むように幅3m奥行き4m高さ2mほどの墓室があり正面は石積みの壁となっている。墓の前には10畳ほどの ながしかくてぃぬ(長方形の)広場があり周囲を石垣で囲い正面に ぱす°ふつ(入り口)の門がある。墓の広場には正面の門から石段を3段ほど降りる形となっている。  

じゅうるくにつ(十六日)になると親戚家族で墓掃除をして広場にご座を敷き うぬ わーびんびじ(その上に座り)ご馳走を ぴすぎ(広げ)墓参りをした。掃除は大人たちが中心になって行い、我々子供は鎌で刈りとった雑草や蔦を運び、周辺に落ちている木の枝を集めるなどの かしい(手伝い)をした。墓の周辺は昆虫や虫も多く、クモを採ったり蝶々を追いかけたりした。   

あれは私が小学4年生頃の十六日だったと思う。墓掃除をしている大人たちが大声をあげて騒いでいた。「ぱう(蛇)が出た。蛇が出た」と叫んでいる。まるで蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。そんな大人たちにおばあは「この蛇を捕まえたらいかんよ。この蛇はこの墓の守り神だから。放しなさい」と諭し「昔から、この墓には神様の使いとして守り神の蛇がいるさー。だから絶対ここの蛇を捕まえたり殺したりしてはならんよ」と話した。   

でも、蛇騒動はあの時だけであれ以来は一度も無かった。そのうち私は蛇の話などすっかり忘れてしまい、大人になり、結婚して内地で暮らすようになると、十六日に島に帰ることさえ少なくなっていた。両親が亡くなった後は、沖縄本島に住んでいる長兄夫婦が毎年十六日には島を訪れ墓掃除と墓参りをして墓を見守ってくれた。   

5年前、会社の旅行で沖縄本島へ行くことになったので、ちょうどいい機会だと思い、一日延泊して宮古島へ墓参りに行くことにした。那覇空港で久しぶりに再会した長兄に墓参りのことを告げると「そうか、それは丁度いい。実は、今年は十六日をしに宮古に帰れなかったので俺の代わりに墓掃除も頼む」とお願いされた。  

4月の宮古島は、曇り空だったが、時折雲間から日が射し青空も顔を見せてくれた。空港でレンタカーの手続きをして城辺のお墓を目指す。途中、サンエーに立ち寄り必要なものを調達する。鎌などは現地の親戚から借りることにして、お供え用の泡盛、果物、平香や作業用のタオル、手袋などを買った。

道路が整備されているせいか、あっという間に到着した。昔に比べ随分と近く感じる。現地に付くと墓の入り口さへ見えないほど雑草に覆われている。まずは入り口を探す。生い茂っている雑草を鎌で刈り取りながらようやく入り口の石垣を見つける。入り口から数段は石段になっているが、敷石の隙間や石垣の隙間からびっしりと蔦や雑草に覆われ、中に入れない。密林を切り開く開拓者のように鎌で雑草を掻き分け進む。うす曇りの天気とはいえ時折雲間から差す日差しは強い。大粒の汗をかきながら入り口、石段、広場と進み、広場の密林をひたすら刈り取る。1時間ほどの格闘の末、ようやく墓前の香炉に辿り着いた。  

かたうきゅーたー(傾いていた)香炉を直して平香を焚き、びらきゅーたー(転がっていた)盃を起こして酒を注ぎ、ミカンを供え長々と手を合わせた。

「とーとうがとーとう」長兄の代わりに墓掃除に来たことを告げ、長い間墓参りできなかった事を詫びた。今度又いつ来ることが出来るのか分からないので、しっかり眼に焼き付けておこうと思い、入り口の石段に腰をおろし真正面から墓を眺め暫く佇んでいた。とその時、墓の正面の石積みの隙間の小石がなにやら揺れているのに気付いた。そして、その小石は暫く揺れていたかと思うとぽとりと落ちた。不思議なこともあるものだと近寄ってみると、なんと今転げ落ちた石の隙間から蛇の子供が顔をのぞかせているではないか。その蛇の子供は暫くあたりを窺うようにしていたが、いつも間にかまた石垣の中に入って姿が見えなくなってしまった。

私は小学生の時のおばあの守り神の話を思い出していた。きっと、あの蛇の子供はあの墓の守り神の子供に違いない。墓掃除をしてくれた私にお礼をいいに現れたのだと思うと思わず「あっがいたんでぃ!」と叫んで手を合わせた。  

長兄が亡くなったのは、墓参りから1年後の事だった。今思えば、あの時の蛇の出現は長兄の死が近い事を私に知らせようとしていたのかも知れない。

【十六日】:旧暦正月十六日。沖縄では後生(グショウ:あの世)の正月とし、墓に詣でて清掃し、墓前祭を行う。
−沖縄文化史辞典より抜粋 −

◇あの話をもう一度

アモイ(平良・宮原出身)

「里の祭祀の話」 vol.292 2013/5/16

5月12日は里(集落)の人総出で、うたき(御嶽)の草刈清掃をした。これは5月19日に予定されている プース゜(御嶽への祈願)の為に御嶽の通路や拝所の周りなどをきれいに清掃するもので毎年1度行っている。

宮原の中の瓦原里(かーらばりさと)は西と東の2か所で総軒数は27軒あり、御嶽は5か所ある。豊作祈願の神様、水の神様、人物の神様(家―ぬ名の由来で、ユヌス、マツガニ、ボーチャン)3か所となっている。

宮原地区の里には祀り事を行う為に、1年の任期で、お金などを集める監事、御嶽内で炊き出しなどを担当する※「サズ」が輪番制にて各里より一軒割り当てらている。各御嶽には※「サス」と呼ばれる御嶽主が居る事になっていて、プース゜などの祀り事が有る時には、サスが祈願関係を取り仕切るしきたりとなっている。

その昔、私が小学生だった45年位前は、プース゜と言えば里中の人が米や肉や食材を持って御嶽に集まり、みどぅんぬきゃーや んんなしー うぷなびゃー むちいき わーや にー(女性たち総出で 大なべを持って行き 豚肉料理の炊き出しを行い)おとーたー ンキス゜ゆ つふぃ(大人達は 濁り酒(甘酒)を造り)びゅーきゃーぬみ(酔う程飲み)子供だった我々もアルコール度数があるにも拘わらず大人達からは「飲め飲め」と勧められた。あの独特な匂いと味は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

昔は里の中には毎月下記のようにいろいろな祀り事が行われていたそうです。

1月ジュールクニツ(家族親戚単位)
2月タテバン(ツカサンマ達が年中行事の計画を神に報告する)
3月麦プース゜(麦の豊年祭)
4月龍宮ウガン(サニツの豊漁祈願、監事とサズがツカサンマと一緒に浜で祈願)
5月プース゜ユーヌタミ(御嶽への祈願とその何日か後に「世の為」と願う)
6月スマフサラ(厄払い、里の入口などの道路に豚の骨などをぶら下げて部落に悪魔が入るのを防ぐ、他の里で近年でもまだ見かける事がある)
7月タナバタ、ストゥガツ(お盆)
8月シートゥウガン(生徒の無事を祈願):クルマウガン(交通安全祈願):十五夜(個人の家の庭などで歌ったり踊ったり、黒豆付きのおはぎを食べる)
9月サーツキヨース(家族単位のもの、干支に合わせて自分の守護神に祈願)
10月ウーハー(ヤーカギタ)火よけ祈願で「ウーハー!ウーハー!」と叫びながら門に備えられたバケツの水に木の枝を濡らして各家の壁や戸を叩いてまわる)
11月カッチヤ―ウガン(昔の農家の共同農機具製造所関係で、加治屋の神への祈願)
12月フス゜ツキヨーカ(冬至の前の旧暦の11月8日に祈願、):トス゜ヌバン(年中行事の終わりを里の神に報告と感謝の祈りを行う)

宮原地区には宮古島市の重要無形文化財に指定されている御嶽が2か所「西銘御嶽」「とびとり御嶽」がある。西銘御嶽を管理しているのは、北増原里(きたますぱりさと)、とびとり御嶽は南増原里(みなみますぱりさと)、と西城地区の「すぅんばり里」が管理、市の重要無形文化財に指定されているので、清掃管理費などの補助が有り、プース゜は毎年しっかり継続しているとの事である。

西銘御嶽のサズが知り合いなので、話しを聞いてみると、昔は御嶽内で炊き出ししていたが、今はさすがに外ではなく、サズの家にみんな集まって炊き出しするとの事。濁り酒は手造りするという事なので、「久々に濁り酒を飲んでみたいね」と話したら、「御嶽に来て少しお布施をすれば飲めるから、御縁があるように5円でもいいよ」と歓迎の返事。あの想い出の濁り酒を飲みに行きたいですが、時間がとれるか微妙。西銘御嶽は炭焼太郎が住んでいたと言われる場所で、仲宗根豊見親の古い先祖にあたる事もあり、宮古島の各地から祈願に訪れる人も多く、その為一日前の18日から始め2日間続けられるとの事です。

それに比べるとわが瓦原里の方はサス(御嶽主)もやる人がいなくなり、濁り酒もミキの缶ジュースになり、炊き出しは廃止され、仕出し料理を頼む事となっている。昔行われていた儀式や飾り物、里の家族人数分をススキの葉で表わす奉納ススキ等もほとんど引き継がれていない状況で、プース゜自体もいつまで続けられるのか、もはや風前の灯となりつつあります。

上記の年間祀り事の中でジュールクニツとお盆は各家族親戚単位で行われるので、今も続いています。「ウーハー」は楽しくて当時の子供達には人気がありました。里単位で今も続けられているのは、5月の「プース」、11月の「フス゜ツキヨーカ」、4月の「龍宮ウガン」。これは現在は海神祭として5月に自治会主催で行われ、公園でグランドゴルフをしてその後、公民館にてみんなで飲食しながら交流をしています。

宮古島全体でみれば各地で昔から引き継がれている伝統行事や祭祀は多いようで、国の重要無形文化財に指定されている「島尻のパーントゥ」「野原のサティパロー」「多良間の八月踊り」等はそ代表的なもので本土の人にも知られており、関係者が保護継承活動にご尽力されている事とおもいます。

近年宮古島の農村地区では人口減少が続いており、生徒数の少ない中学校や小学校の統廃合が実施されつつあります。人口減少の問題は学校統廃合問題だけに限らず、こういった里の祀り事や御嶽行事を行う際にもその後継者不足や行事に参加する人の減少という形で大きく影響しています。うちの里のようにならないように、伝統ある祀り事等は今後もずっと継続していって欲しいと願うばかりです。

※参考資料:≪宮原自治会広報紙みやはら≫
※サズ:炊き出しなどの担当
※サス:御嶽の主で神主のような存在

おわら風の盆とクイチャー

松谷初美(下地・高千穂出身)

富山県に初めて行って来た。北陸の夏も猛暑で あつむぬやたん(暑かった)。富山湾、雨晴(あまはらし)海岸では、海水浴やシュノーケリングをする人たちの姿が見えた。

富山平野の南西部に「おわら風の盆」で有名な八尾(やつお)地区がある。おわら風の盆は、立春から数えて二百十日にあたる9月1日から3日まで民謡「越中おわら節」に合わせて男女が ぶどぅず(踊る)祭りだ。

その ずぶん(時期)ではなかったが八尾に行ってみた。八尾は養蚕や売薬、紙漉き等で栄えた地域だそうで、古い町屋の素敵なたたずまいが落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

「八尾おわら資料館」に入ってみる。入るとすぐ大型スクリーンがあり、祭りで踊っている様子などが映し出された。男女とも編笠を目深にかぶり手のしぐさ美しく、たおやかに踊る。演奏は生演奏で、地方(じかた)と呼ばれる三味線、太鼓、胡弓と唄い手、囃子からなるそうだ。この唄がまた胡弓の音とともに哀愁漂う。踊り手は一言も発せず粛々と踊る。

資料館の2階には「おわら風の盆」についての資料や写真、着物等の展示・解説がされている。

資料によると「越中おわら節は、江戸時代の元禄年間(1688年〜1703年)から始められたと伝えられており、すでに三百年以上の歴史」があるとのこと。

資料を見ながら、頭は、宮古のクイチャーがめぐっていた。賑やかに、くい(声)を ちゃーし(合わせ)ニノヨイサッサイ・・・・・・。おわら風の盆は、顔を見せず、思いを内に込めたように踊る(という印象)。クイチャーは、思いを外に向け、地を鳴らし踊る。その差は北と南という違いなのかどうかは分からないが、民謡が生まれ、踊りが生まれる背景には生活の祈りや願いがあり、とても素朴で美しいものだということを感じた。

おわらの歌詞は、古謡から新作まで、だいず(大変)膨大にあるそうでその数は3千首あまりという。

<おわら古謡>
・二百十日に風さえふかにゃ 早稲の米食て(オワラ)踊ります。
・来る春風氷が解ける うれしゃ気ままに(オワラ)開く梅
・竹になりたや 茶の湯座敷のひしゃくの柄の竹に いとし殿御に持たれて 汲まれて一口(オワラ)呑まれたや

場所や時代は違えども、豊年満作を願う気持ちは、ゆぬぐー(同じ)。又誰かを慕い、思いを唄にするのも ゆぬぐーさいがやー(同じなのですね)
おわら風の盆の頃には、毎年20万人以上の観光客でにぎわうという八尾。この祭りのことを誇りに思っていることが、やまかさ(たくさん)伝わってきた。して、ばんたが(我らの)クイチャーのことを深く知らなくてはと改めて思ったのだった。
「おわら風の盆」いつか、本番を見に来よう。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

台風8号は宮古を通り、過ぎていきました。今回は、あの台風14号(マエミー)に匹敵するかもしれないとの話が、うまかまであり、準備に大わらわ。スーパーやコンビニからは、ローソクや電池、カップラーメンなどが早くから無くなっていました。最近、雨戸や窓柵がない窓には、物が飛んできて当たっても大丈夫なように網を張るんですね。すさったん(知らなかった)見慣れたホテルの海沿いの窓に緑色の大きな網がかけられ、どうしたんだろうと思っていたらそういうことでした。停電はしましたが、そう大した被害はなく、うむやすーうむやす(安心)しています。

夫の両親のお墓が東京にあり、毎年7月の中旬にお盆休みを取って東京に来ています。お盆が無事に終わり、16日、17日と富山県に行ってきました。富山市内も猛烈な暑さで、んびゃーいん(耐えられない)と思っていましたが、立山に行くと20度を下回るくらいの気温で、すだーすーすだーす(涼しい)。標高2450mの立山室堂までケーブルカーとバスを利用して行き散策。立山連峰には、ところどころにまだ雪が残っていて雄大な景色に感動して帰ってきました。

さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

B.サラさんのお墓詣りの様子、目に見えるようでした。墓参りはまず掃除からですよね。思いがけない蛇の子どもの登場は脈々と守り受け継がれてきた証でもあるような気がしますね。それにしても、おばあさんの教えは尊いですね。

あの話をもう一度は、アモイさんの「里の祭祀の話」をお届けしました。昔は、どこの里でも同じように祭祀を行ってきたと思いますが、今は、だんだんと数も減ってきているのが現実です。書いて残す。大切なことだとつくづく思いますね。

富山の八尾地区。とても落ち着いたいい町でした。「おわら風の盆」の時期ではなくても資料館があれば、知ることができてすごくいいなーと思いますね。クイチャーの資料館もいつかできたら・・・と妄想しながら、楽しく見てきました。

今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜〜。


次号は、8月2日(木)発行予定です。
きゅうまい がんづぅやしー うらあちよー(今日もお元気で)!
あつかー、またいら〜。

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