みなさん、のーしーりゃー?(いかがお過ごしですか?)3週間ぶりの「くま・かま」です。今回も、しまいぎー ゆみふぃーさまちー(最後までお読みくださいねー)。
学校がない 宮島小学校編
神童
前号までのあらすじ
校庭に石を置くのだった。石はどこにあるのだろう。
沖教組の迷走は続く。沖教組のメンバーはガコー校長、北京原人(6年担任)、どすこいショージロー(5年担任)の3名だ。こいつらは児童の安全について毛ほども案じていない教職員なのだった。学校教育法を遵守しろよ。いい加減にしないと教育委員会にちくるぞ。
石は学校の裏山の麓に鎮座していた。花壇まで約150m、標高差20mの位置だ。で、この石じゃなくて岩を運ぶ方法がすばらしい。全て人力だ。危険な作業ということで5年(16名)6年(14名)の高学年男子児童30名が戦士として選抜された。選抜試験なしに。国家総動員令だ。
さて、問題の岩は斜面のわーび(上部)から児童生徒30名の手で押されるのだった。しかし、岩といっても30名が同時に押せないものだからちっとも動かない。で、動いたと思えばとんでもない方向に転がって、校内緑化で植樹した樹木をなぎ倒しながら転がるのである。まるで北朝鮮かイラクの大量破壊兵器もかくやとの大活躍である。とても目的が校内緑化であると思えない所業である。国連の査察を受けさせるぞ。作業はとん挫してしまった。一計を案じた教職員組合は鳩首会談を始める始末。まるで悪巧みを仕掛ける悪代官だ。悪代官の協議の結果、運動会で使用する綱引きのロープが体育用具室から持ち出された。
児童生徒は不安な面持ちでと遠巻きに見守るのだった。悪代官はロープを岩搬出現場まで運搬した後、かねてからの手筈に従い岩にぐるぐる巻き付け、ロープの一端は斜面の麓下方に延ばされるのであった。説明によるとこのロープを児童生徒30名で引けば岩は転がるとのことである。「そらー転がるだろうよ、ロープは下で引いてるから引力と引っ張る力で間違いなく転がる。それも下でロープを引いてる児童生徒30名に向かって転がるだろうよ」危ない話である。子供の人権とか生命の安全とか考えないのか。助けてくれ、ユニセフ。
作業は再開された。しかし、いくら小学生といえ命は大切なのだ。最近では健康ブームで「健康の為なら命は惜しくない。命より健康が大事」との風潮であるが当時は命が大事なのだった。子供たちは悪代官の「セーノ」の声に合わせてロープをひかされるのであった。しかし、皆、逃げ腰で引いてるのでちっとも動かない。また、岩がちょっとでも動けば蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのである。一向に進まない作業に手を焼いた悪代官は、こう叫ぶのっだった。「先生が逃げろと言ってから逃げなさい」まるで戦争の前線部隊で敵前逃亡は軍法会議にかけて銃殺刑と脅す鬼軍曹もしかりである。悪代官の脅しにより岩は所定の花壇近くまで転がされて来たのだった。「セーノ」「逃げろー」「セーノ」「逃げろー」の繰り返しで。しかしまだ安心できない。花壇の近くはダイナマイトによる敷地造成作業で元地盤より約7mほど掘削され、なんと傾斜40度くらいの斜面である。岩は最終の斜面上部まで転がされあと、一引きで斜面を止めどなく転がるはずである。児童生徒は岩が転がり始めると同時に四方へ飛んで逃げるのである。「ごっ ごっ ごっ」と鈍い音を立てて転がる岩の音を背後に聞きながら。ちび(後ろ)を振り向く余裕はない。ただひたすら逃げまどうのである。
岩は1個ではなく5個くらいは運んだ。平良市荷川取に人頭税石というのがある。わが級友達は思っている。人頭税より人頭税石を運んだり建てたりすることが大変なんだと。人頭税はたいしたことないよ。多分。
お店紹介5《うえすやー》
松谷初美
《うえすやー》は、2001年5月に店主の高嶺郁子さんが草木染めをした織りものと紙のお店としてオープンした。のれんやタペストリー、洋服などが宮古の植物、福木や月桃などで染められ、展示・販売されている。
場所は平良市下里にある元の高嶺歯科医院だ。郁子さんのお父さんがやっていた医院を改装して使っている。筑50年ほど経つという建物は、昔の歯科医院としての面影も残っていて、それがまたなんともいえない味わい深い空間を作り出している。
オープンからしばらくしてギャラリーも開催するようになった。これまで、のひなひろしさんの水彩画展や東松照明さんの写真展、キミ子方式を楽しむ会主催の三原色で描く草花展など6回開催している。私が訪ねた時は、垣花隆夫さんの写真が展示されていた。沖展で賞をとった「月照」というタイトルの写真は、幻想的で吸い込まれるような不思議な世界を映していた。
郁子さんは、これからも沖縄、宮古関係の個展を中心にジャンルにこだわらず数多くやっていきたいと話す。(もちろん、沖縄以外の方でも大丈夫)高校生たちにも大いに利用してほしいそうだ。
今年の2月には、かねてから計画していた喫茶の方も始めた。ギャラリーを主体としながら、見にくる方たちの「ゆくい(休み)処」となればということだ。天然木のテーブルに大きな一枚ガラスの向こうには、緑豊かな庭が眺められ心を和ませてくれる。ゆっくりしていってと言われなくても、ながちび(長居)になるはずよ。
宮古では、右を向いても左を向いても、親戚、友人、知人がいる。それはすごく良いことではあるけれど、一方、ストレスがたまることでもある。たまには人知れず静かにすごしたいなあと思う。《うえすやー》はそんなあなたにもぴったりだと思う。ひとりででも、気の合う どぅす とでもゆっくり過ごすことができる穴場的存在になること間違いなし。
もの静かだけど、熱い心とユーモアを持った郁子さんが入れるお茶で、ゆるやかな時間を過ごしてみれねー(みてね)。
ギャラリーでは、8月に石垣在住で染色家の「加勢本 多代子展」。秋頃に2回目の「のひなひろし水彩画展」を企画しているとのこと。ぜひおでかけ下さい。
《うえすやー》
平良市下里574 電話:0980-72-2101
2001年オープン
店主:高嶺郁子さん
みゃーく んなまずぶん(いまごろ)
さどやませいこ
梅雨の真っ直中だというのに、雨が少ない。農家は「クトゥスャ(今年は)ピャーリ(日照り)ビャーヤーティ(か、ねーと)シュワーシーウー(心配している)。春植えのキビが成長期にあり、多くの水分を欲しがる頃。畑は地下ダムのスプリンクラーが躍起になって回っている。所によっては勢い余って道路までビショビショにしている。車の私は勿体ないので暫くそこに止まって無料の洗車をしてもらった。5百円モウカリー。
葉たばこ農家は最後の収穫に精を出している。今や、キビに次ぐ宮古の産業となった葉たばこ。皮膚の過敏な人にとっては合わないといわれながらも、生活のため完全武装で立ち向かう農家の姿は我が身を犠牲にする「ツル女房」を想わせる。ムズフイ(作物)をつくるということは本当に大変なことだとつくづく思う。
たばこといえば、ンキャーン(昔)のおばあたちは長いキセルで刻みたばこをゆったりと吹かしていた。小さい頃はあの姿に憧れて、70歳になったらたばこを始めようと真剣に考えていた。今もその考えは変わらない。生きていればの話だが。
梅雨と言えば、ツマグロゼミ。通称梅雨蝉ともいう。梅雨の時期に出てくるからだ。方言でヌスピガーラという。羽の色が緑系、青系、橙系と三種類あって、とても美しいことから付けられたといわれる。昔、ヌスピというアパラギ(美しい)青年がいたそうな。美しい蝉もそれにたとえられた。因みにガーラは蝉。この蝉がまたこだわる奴で、ユスキャギー(和名・イスノキ)にしか泊まらない。地域も限定されていて城辺町の砂川、上野村の新里ときている。美しい物はやはりクキンマリ(気取り屋)なのかなー。ウスカ(おしまい)。
ミャークフツ講座 母ちゃんからよく言われた言葉編
松谷初美
・あんちー やつかー あんちー てぃどぅ あずだら
(そうならそうと言うんだよ)
・しわ っすとぉ かまーん
(心配することはないよ)
・どぅが ぱかふつーばー かぎっちゃなー しーうり
(自分の手がけた(仕事などの)入り口はきれいにしておけ)
・むぬぅばー なかーりどぅ ふぉ
(物は分けて食べるものだ)
・ぷじ うむがーにゃあん っしみいる
(どうぞ 思うように やってごらん)
・まさーがん とぅみ みーる
(よーく 探してごらん)
・ふつぶにゃ ぶがりでぃす
(口が疲れるよ(何回も同じことを言うものだから))
・うながーぶんぶん
(それぞれ、自分、自分の分(物、個性))
・まーんてぃ おおかた んまり
(本当に大雑把な性格だ)
くんぎぴらいたー(担いでいかれた)初恋
アモイ
5月に帰省したときに久しぶりに小型耕運機で ずーすき゜(畑を耕す)をした。さすが宮古島、5月でも日差しは強烈だ。おかげで露出していた皮膚の部分は真っ黒に日焼けし腕時計の後もくっきり浮き出た。そうです、我々宮古の百姓上がりは今でも実家に帰るとしっかり畑仕事を手伝わされるのですよ。
しかし小型耕運機での ずーすき゜は暑いのを除けば苦になりません。新鮮な土が現れると何処からともなく、綺麗な小鳥がとんできて虫をつっついてくれてバードウオッチングもできました。その ずーすき゜も昔は農耕馬でやったものでした。宮古の農耕馬にとっても宮古の暑さは厳しかったのでしょう。ずーすき゜、馬車引き、草積み等でこき使われ、中でも ずーすき゜では、息さ はーはーてぃ あびきかいり(鼻息も荒く、ばて気味で)汗をかいた後ろ足が擦れて白い泡が吹き出し、それが滴り落ちるほどハードでした。今では大事にされている宮古馬も昔は苦労が絶えなかったものです。
しかし僕は逆に馬に苦しめられたものでした。馬にも馬それぞれの性格があり、ばんたが やーぬ ぬうまー かわりぬ ふしぱぬーまどぅ やーたー、(うちで飼ってた馬はほんとにクセ馬だった)んまばく(馬商人)うすばく(牛商人)かまばく(かまぼこ、失礼)というが、豚商人は「わーしゃー」と言う。くぬ商人ぬ きゃーやあんだっしってぃ やなざいむぬ やーたーば(その商人達はおしゃべりでずるがしこかったので)うちの ふしぱぬーまは今は亡き父が、んまばくに騙されて飼わされたか、クセ馬だから安くたたいて買ったかだと思う。
兄貴の方はその七癖もあるクセ馬をうまく乗りこなしていたが、僕は臆病で苦手にしていた。それでも兄貴不在で馬仕事をしなければいけない時があった。ぶうぎなき゜時期にはキビの すぅら(葉)を馬で運ばなければならないのだ。あれは昭和42年小学6年生の時だった。学校から帰ると早速馬仕事だ。今日はおとなしく付き合ってくれよ、と祈りながら たつ(馬小屋)から馬を出して手綱を引き、首をさげて馬乗りになって(当たり前か)キビの葉を うーし(運び)に出かけた。よしよし快調、いいぞいいぞ、と家を出て目的地の畑へなうさ(じゃり)道をかっぱかっぱてぃリズムがまを取りながら気分は馬上のヤラビアンナイトだった。(ヤラビとは子どものこと)
ところがぁ、来たあっーーー!!!前から白い車だ!しまった!!あがいたんでぃ きゅうや いすぱぎぃさいが(なんてこった、今日は運が悪いな)そうです、この馬は車に出会うとロデオゲームを始めるクセもあるのです。僕は馬に振り落とされて横の ぱりぬ なかがみ むつくんぎらい(畑の中まで馬に引きずられ)それでも手綱を放さずに格闘しながら車の方をみると、な、なんと車の中は僕が密かに恋しているクラス担任の美しいK子先生ではないか、いつかデートしたいと夢みていたのにこんな所で??。K子先生は「アモイくーん大丈夫?」と言いながらクラクションをピッ!と鳴らしてブゥーと走り去っていきました。
当時K子先生は若くて綺麗で車で通勤していて、おしろいや かばすーかばっさし(香水の香りをただよわせ)男子生徒の憧れの的であり、僕の初恋の女性だったのだ。それだけにかっこ悪いところは見せたくなかったのだが・・・。
翌日学校へいったら「アモイ君って馬に乗るのね、あの後大丈夫だった?」僕は恥かしかったが話しかけられるのは嬉しかった。
それから5年後、偶然にも高校の時の担任のA弘先生とK子先生が結婚すると聞いてショック!、その結婚式の余興に友人と2人で呼ばれ、結婚披露宴で別れの一本杉を熱唱してしまったが、初恋のK子先生をA弘先生に くんぎぴらい(担いでいかれ)くんぎられた初恋となってしまいました。
編集後記
松谷初美
台風5号は宮古をそれて行ったようで、葉タバコ、マンゴー農家は、うむやすーやす(すごく安心して)いるはずねー。あすぅが(でも)空梅雨となっているようなので、まーんてぃ(本当に)旱魃がしわ(心配)さいが。
「わーしゃー(豚商人)」で思い出した。子どもの頃の遊びで、小さい子を横にして腰の部分に抱き、「わーゆ かーまちー(豚を買ってください)」というのをよくやっていたけど、っしどぅ?(知ってる?)。
「みゃーくぬなまずぶん」の さどやませいこさんの紹介が遅くなりました。いろいろなところで活躍のせいこさんなのでご存知の方も多いと思います。
「さどやませいこ」城辺町新城生れ 現在上野村在住。よろしくお願いします。
お店紹介は、ホームページで写真も掲載しています。合わせてご覧下さい。
はい、最近な、感想ぬどぅ いきゃらかいばどぅ さぶすかー(最近は感想が少ないので淋しい限りです)いだしふぃーさまちー(出してくださいねー)お待ちしています。
次回は、6月19日の予定です。あつかー またやー。
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