くまから・かまから vol.52

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 皆さん、こんにちは!沖縄はやっと梅雨入りとなったようですね。
 やっぱり、そのずぶん(時季)には ずぶん なりの わーつき゜(天気)が落ち着きますね。くま・かまvol.52お送りします。

最近の子ども達を考える〜食生活編4〜

なー坊

 どぅす とぅ 学校から やー んかい あす゜きぃういばどぅ「はい、ばんたが やーんかい ずぅー」てぃ ういば「じょうぶんさい」てぃ いきばどぅ あば やーなかから ぴぃぐろーぬ こーりゅー むつきすだら。(友達と学校から家に歩いていると「おい、僕の家に行こう」と言うので「いいよ」と行ってみたら、あれおかしなものだ、家の中から冷たい氷を持ってくるんだよ。)

 「のーりゃー うぬ こーりゃー」「ばんたが やーんな 冷蔵庫ぬどぅあー」「すぅんざ あら こーりまい アイスポンポンまい アイスケーキまいいつーまい ふぉーたーぬ とぅきゃん ふぁーいーさー」「んーだら」。(「何かそのその氷は」「僕たちの家には冷蔵庫があるんだよ」「うらやましいなぁ、じゃー 氷もアイスポンポンもアイスケーキもいつも食べたい時に食べられるわけか」「そうさー」)

 「はい、冷蔵庫おーばるんまい見しる」「じょうぶんさい」てぃ みーがいきばどぅ とーわぬ かどぅん すそ−ぬ ぱくぬあーだら。「ういがどぅ 冷蔵庫なー いぎゃん ぴぅぐろーぬやー。あば こおりばー あんしどぅ つふなー」やどぅあきー みぱなゆ 冷蔵庫ぬ なかんかい いす゜「おごえすだーすーぬやいば」(「冷蔵庫を僕にも見せてくれ」「いいよー」と(言われ)見にいくと、台所の角に白い箱があった。「これが冷蔵庫か、へぇー 冷たいねー。なるほどー 氷はそんなふうにして作るんだ」(と)扉を開けて顔を冷蔵庫の中に入れた。「おおっー 涼しいぞー」)

 てぃ どぅすとぅ 冷蔵庫おーしい あっぴゅーいばどぅ 「うわたーや のーゆがっしゅー」てぃ うまぬ かーちゃんが きしば ぴんぎー やーんかい いき゜たー。(などと友達と冷蔵庫で遊んでいると「あんなたちは、何をしているかー」とそこの母ちゃんが来たので、逃げて家に帰った)

 やーんかいいきー「かーちゃん かつぼうたが やーんな 冷蔵庫ぬどぅあー 冷蔵庫 買いゆー」てぃ あす゜ばどぅ「ぷりっふあ 電気代や つんぱたらかいん」「おごえ 電気ふぁいやさー あら」(家に帰って「母ちゃんかつ坊たちの家には冷蔵庫があるよ、冷蔵庫を買ってよー」と言うと「バカな子だねー 電気代さえも働けないんだよ」「えっ! じゃあ 電気をたくさん使うものなんだ」

 何年かし 冷蔵庫お こーたーすぅが ばんたが 母ちゃんな びょうすんしか 冷蔵庫ぬ スイッチやー いす゜ったー。冷蔵庫お あーたーすぅがぴす゜ぐろーふぁ にゃったー。(何年かして冷蔵庫を買ったが、僕たちの母ちゃんは 時々しか冷蔵庫のスイッチは入れなかった。冷蔵庫はあったが、冷たくはなかった)

 ばんたーや ぴょーすんしか ぴぃぐるむぬ(アイスクリームまいアイスケーキまいアイスポンポンまい)ふぁーいったー。(僕たちは、たまにしか冷たいものは食べられなかった)あすが んなまぬ やらびゃー ぜいたくんなりー のーてぃにゃーん アイスクリームまい ふぁーん。(だけど今の子ども達はぜいたくになって、どんなアイスクリームでもいいとは食べない)ぷりやらびぬきゃー。(まったく今の子ども達ときたら。)

お店紹介4《丸平せともの店》

松谷初美

 丸平(まるひらと読む)せともの店は、西里通りにある創業約47年のお店だ。お店に入ると、まずその品物の多さに驚いてしまう。壁側の棚は天井まで商品が積まれている。ご主人の平良博彦さんによると、「全部で3500種類くらいあるはずよ。」とのこと。「本当はもっと置きたいけど、もう入りきれんさぁ」

 宮古の行事や日常に使われるものは何でも揃っている。50人分くらいは作れるだろうと思われる うぷなび(大きな鍋)。重箱、お膳やお盆、仏壇や神棚に使うちゃばん(湯のみ)。(宮古ではたいていの家庭で、朝は、たちょう(仏壇や神棚にお茶を供えること)をする、そのちゃばん)。それから、塗りの蓋付き、お盆付きの菓子皿(これも宮古ではよく見るものだ)などなど、やまかさ(たくさん)ある。

 その数、量にすごいなぁと思いながらいろいろ見ていると、洗ったお箸を入れておく、お箸の水切り(?)を見つけた。懐かしい〜!!ほら分かるでしょ?アルマイトでできた、小さい丸い穴がたくさん開いていて、流しの横あたりにかけておくやつ。それそれ。今でもあるんだねぇ。

 それから石油コンロも発見!これもまた懐かしいものだ。ばんたがやー(我が家)でも 昔、使っていた。コンロのつまみを持ち上げて、マッチで点灯し、カチャカチャと右に左に揺らして点けていたんだよねぇ。その時の灯油の匂いまでも思い出される。石油コンロは、ガスの三分の一くらいの灯油代で済むそうで、今でも売れ続けているという。ちなみにお店には、古いものだけでなく今時の電磁調理機器もあーどう(あるよ)。

 10年くらい年前まで宮古には、せともの店は6軒くらいあったが、今は、2軒のみだそうだ。最近食べ物関係のお店を始めたというある人は、お店の備品を求めて久しぶりに来たとのこと。思いがけない物に出会うので、わくわくしながら何回も通っているよーと話していた。

 私は、新しいものも好きだが、懐かしいものはそれ以上に好きだ。何故懐かしい物に出会うとこんなにうれしいのだろう。この感情の効用は、計り知れないものがあるなぁとこの頃思う。

 丸平せともの店には、あなただけの掘り出し物が見つかるはずよ。いきみーるよー(行ってみてくださいね。)

 《丸平せともの店》
  平良市西里244 電話:0980-72-2336
  昭和30年頃開店  店主:平良博彦さん(二代目)

ミャークフツ講座 オキナワと似ている言葉編

ひさ坊

共通語宮古オキナワ
オーオーオールー
明日アツアアチャ
暴れん坊ボーチラボーチラー
いたずらワチャクワチャク ガンマリ
いとこイツフイチフ
ンヌツヌチ
美味しいンマーンママーサン
おからトーフカストーフヌカーシー
同じものユヌムヌイヌムン
おもしろいウムッシウムッサン
ガザンガジャン
かかとアドゥ、アドゥグルアドゥ
カラズカラジ
亀頭パンキハンキ
気分が悪いアンマースアンマサン
きゅうすチューカチューカー
今日キューチュー
去年クズゥクジュ
くしゃみするパナピスハナヒーン
げんこつコーシャーコーサー
強情ガーズウーガージュー
こげナンツキナンチチ
こころククル キムククル チム
こどもッファ、ヤラビックア、ワラビ
怖いウトゥルスウトゥルサン

いでゃあい(出会い)2 <青い炎>知念正勝さん

宮国優子

 知念正勝さんは「らい予防法」違憲国家賠償請求の宮古南静園原告の一人である。初めてお会いしたのは2001年の首相官邸前でのデモだったと思う。当時、国側の全面敗訴で原告団は勝訴を手にしていたが、国が控訴するのではないかと関係者はやきもきしていた時期だったのだ。その控訴反対のデモに知念さんらは参加していた。

 私は病気についても裁判についてもあまりにも無知だった。そんなこんなで始終緊張していた私は、お馬鹿な質問を連発したが、皆さんは笑顔で対応して下さった。その中の一人が知念さんだった。ぎえっと声が出そうになるほど、辛い話が多かった。

 彼は優しい笑顔で言葉が少なで、宮古の上等おじさんという感じ。ああ、どうも、お久しぶりです、と声をかけそうになるほど身近に感じた。しかしデモの時は表情が、がらりと変わった。先頭あたりで硬質な瞳としっかりと結んだ唇の知念さんは静かな表情で印象的だった。

 炎は青い部分が一番熱いんだと小学生の頃、習ったことがあった。それを思い出した。

 裁判は一応の決着がつき、しばらく連絡をとることもなくただの取材する側とされる側に戻った。それでも日々ふとしたことで、あの日を思い出す。時代や国の政策、一部の知識層によって闇に引きずり込まれた人たちのことを。戦争のときも置き去りにされた人たちのことを。「時代が悪かった、国の認識が甘かった」という一言では片づけられない。でも他にどんな言葉があるんだろう。ずっと答えを探している。

 今年の初め頃、私の出産を伝え聞いたと知念さんからお電話を頂いた。「おめでとう、それだけを言いたくて」と知念さんはおっしゃった。「ありがとうございます」私は嬉しさで胸がつまって妙に浮ついた返事になった。ヘラヘラと笑ったら、涙がこぼれそうになった。数分間話したが、内容はあんまり覚えていない。もっといろいろ気のきいた事がいえたらいのに。そればかり考えていた。自分の事ながら、ここ一番に弱いのが情けない。

 この文章を書くにあたって熊本地裁での知念さんの陳述を読み直した。他にも衝撃的なのはいろいろあるのだが、私がとても驚いた事柄の一部をここに紹介したい。

 「らい予防法の下では、妊娠すれば堕胎させられていました。(中略)自分の子は必ず生んで育てたいと思いました。しかし、園は胎児に注射針を刺す手術を強行しました。妻は泣きながら、堕胎手術をされたことを、私に告白しました。私は強い衝撃を受けました。しかし、毒の針は娘に当たりませんでした。そうして娘は誕生しました」

 「怒りや嘆き、悲しみの中からも人間は希望を持ち続け強く生きる事が出来る」知念さんは言葉ではなくその姿で教えてくれた。それなのに私は自問自答を繰り返すばかりだ。私だったら、こんな苦渋の人生を受け入れられるだろうか?こんな風に強くなれるのだろうか?人の幸せに寛容でいられるだろうか?そして静かに熱く燃える心を持ち続けられるだろうか?

 たぶんきっと彼の静かな青い炎は今日も燃え続けているだろう。私はその意味を今日も考え続けている。

「らい予防法」
 明治40年(1907年)に公布され、昭和28(1953)年に施行。平成8(1996)年4月1日 廃止された。感染源対策としての患者の隔離を主体とした法律。患者とその家族は「らい」の語を用いて偏見や差別にさらされてきた。今回の法令改正で病名を「ハンセン病」に改め、世間一般により深い理解をうながしている。現在ハンセン病は感染しても発病することは極めて希な病気であることが明らかになっており、また、仮に発病しても、治療方針の確立している現在においては、適切な治療を行うことによって、完治する病気である。その隔離政策、断種政策は諸外国に比べ日本だけが数十年も遅れた。苦しみをより深いものにしたと言われている。

「宮古南静園」
 昭和6年(1931)に沖縄県宮古保養院として平良市字島尻に設立される。このような療養所は県内では本島を含め2カ所のみ。離島では唯一の療養所であった。

お便りコーナー

yukiさんより

 こんにちは!楽しくメルマガ拝見しています。宮古在住の本土出身のyukiです。今年の4月に広島から引っ越してきて、1ヶ月になります。

 最近、仲良くなったおばぁがいまして・・・。そのお友達も皆さんご高齢で、綺麗なみゃーくふつを話されるので一緒にしゃべりたくて勉強したいと思っています。

 ただ、おばぁたちは、私には標準語で話してくれ、おばあ達同士は、みゃーくふつ。話の輪の中にいても、話の内容が見えてこない(笑)

 メルマガを拝見していても、言葉が分かっても発音がーー;効率よく、純粋なみゃーくふつを勉強するにはどんな方法があるのでしょうか。おばぁたちは「覚えなくても大丈夫サー」と言って笑っていますし。

 ぜひ、何か方法がありましたら教えてください。お願いします。

 ※yukiさんお便りたんでぃがーたんでぃ。おばぁたちのきれいなみゃーくふつをたくさん聞くことが一番上等と思いますよ。それから、下地勇さんのみゃーくふつの歌も良いです。聞いてみてくださいね。

編集後記

松谷初美

 うちに冷蔵庫がやってきたのは、テレビより後どぅやたーびゃーや(後だったかなぁ)。あの頃は電気製品のひとつひとつが家に来るたびに興奮したものでした。最近そういう喜びが減ってきたことが、なんだか淋しい。

 私は「ハンセン病」について詳しいことは何も知らずにきました。「らい予防法」の89年の歴史の多くはまだまだ語られていないと言われています。知念さんの ぱなすん(話に)胸が痛みました。

 沖縄本島の方言とみゃーくふつをこうやって見ると、やはり元は同じ日本語なのだと実感します。私はこのメルマガをやるようになって、本島の方言も分かりやすくなったような気がしているが、気のせいかね。

 きょうは5月15日。沖縄が本土復帰をして31年になりました。でもまだまだ多くの問題が山積みです。こればっかりは時間が解決する問題ではないですね。

 次回は、6月5日の予定です。あつかー またやー。