みなさん、こんにちは!今年も残すところあとわずかとなりました。ぱんたーぱんたーしどぅうらまずなー?(忙しくしておいでですか?)
今年最後のくま・かまをお送りします。
「バダはどこへ行った?1」
アモイ
私の実家(平良市宮原の東瓦原<あがずかーらばり>部落)の裏には部落の人達から「バダ」と呼ばれている場所がある。日本語に訳すと何だろうと考えて見た。「小川」になるだろうか?場田という漢字から来ているだろうか?しかし「小川」というと川そのものだが、「バダ」は、川以外の全体の場所を指す。
バダがどんなところだったかというと、昔は田んぼの間を流れる小川であり用水路の役目もしていた。バダには色々な表情があった、普通の時は澄んだ水が穏やかに流れ、周りは草があおあおと茂り、蝶々が舞い、鳥が飛び交い、下流の方にいくと田んぼの間を通りやがては森の奥深くへと流れが続いていく。台風などで大雨が降れば水嵩が増し、流れが激しくなりバダに架かっている暗橋が冠水し渡れなくなるほどになる。
暗橋は平良市宮原の瓦原部落と城辺町山田部落を結ぶ橋である。バダの川幅は広いところでも2M位で、深さは、降雨量により違うが冠水時を除き深い時でも1M位だ。バダにはフナやドジョウや蟹やウナギもいた。しかし1ヶ月も日照が続けばたちまち干上がってしまう。バダの水が干上がる直前になるとフナやドジョウが手づかみで取れるようになるが、しかしウナギだけは水が干上がる前に下流の方の湧水のある方へ移動し居なくなってしまう。水が干上がった後はそこに住み着いていた生物が死に耐えて腐ってしまう、これはちょっときつい匂いを発しこのバダが一番いやな時だ。
しかし普段のバダは生活の場所だ。やらびぬきゃーぬ うゆぎすざーんなり(子供達のプールになり)みどぅんぬきゃーぬ服う洗い(部落の女の人達が洗濯をし)、お父たがずーすきぬうもを洗い(親父たちが農耕作の馬を洗い)びきやらびやーふそーかり(男の子たちが草を刈り)というように部落の皆がこのバダの恩恵を受けたものだ。
私がバダで密かに自慢したいことが2つある。一つは、私の知る限りでは宮古島では一番長い流れ川だろう事だ。バダの上流は城辺の成城へと続いていき最後は源流のカーズクへ行き着くらしいのだが、まだ行ったことがない。そして下っていくと森の中の何箇所かの湧水場所(“山田つぶ”と呼ばれ、フナ、海老、ウナギがいる)を通り、“荒明きバダ”“フサガー”と続き宮原小学校の東方で土底部落からの流れと合流し“スナバダ”等の呼称の場所を通ってずっと下流へ続き“ダーシ浜”から海へと注いでいる。城辺町と平良市を跨いだおよそ10kmはあろうかという長?い??川だ。しかし利根川とか、長良川と言うような川全体を呼ぶ統一した名前がないのが残念だ。正式に命名してはどうだろうか?(ちょっと大袈裟か?)そしてバダの近くには“”ヤカランミガー”と呼ばれて昔の人が生活の場として使っていた古井戸が残っていて、今はウナギの住処と化している。
密かな自慢のもう一つは、宮古島の北側の海に見られる海岸の特徴である絶壁の岸の部分が小高い丘となり、それに沿ってバダの流れがあり、そこが昔は海だったんだなーと感じさせることだ。隆起して出来た島の証拠を見せられているようだ。私は帰省する度にこのバダをみにいくのだが、しかしながら先に書いたような昔ながらの色々なバダの表情は今ではうかがい知れない。その変わりようを嘆いた人がいた。
「くま・かま」のサンシンライブで有名な同郷の「ざうかに」が、お袋に聞いたそうだ
「のうてぃがバダぬ水ぬ流りゅーらんんにゃー」
(なんでバダの水が流れてないの?)
お袋さん曰く「敷石の下を流れているみたいだよ」
ざうかに「バダぬ水や石ぬ下うーどぅ流りゅーてぃ?」
(バダの水は石の下を流れてるって?)
「ふざけんじゃねーそこはもうバダじゃねーよ、昔のバダはどこへいった!」
「宮古のことわざ」
〔 食ん食ん 七椀 〕
ファンファン
ナナマカイス
はじめは遠慮していて、いざ箸をつけると次々とおかわりをして食べる人のこと。これは大食漢という意味だけでなく遠慮がちな者に限って人並み以上の行動をとるという意味。
『んきゃーんじゅく』 佐渡山政子/編 より
「ジャン![宮古方言のひみつ]」(投稿)
あったぼうさん
えー、家康と信長、太っていたのはどっち?答え、信長。ウダ信長だから。(ウダは、太っているの意)
沖縄では母音の「あ、い、う、え、お」は、「あ、い、う、い、う」になる。本島、宮古、八重山どこでも、方言はそうなっている、とのことです。例えば、前は、まい、 親は、うや、 声(ko e)は、くい(ku i) と言うように。
又、「万葉集」に出てくるような、古い言葉が、沖縄のあちこちの島に残っていると言います。宮古の例だと
- うぐなあり(集まる)
- すとうむてい(朝)
- まぐ(エッチする)
- かなす(愛す)
- なす(産む)
- まる(排便)
- まずむぬ(魔物)
- こぞ(去年)
- ない(地震)
- つと(土産)
など。
同じ沖縄でも、歴史的によその地域との交流が頻繁にあった所と、そうでなかった所とでは、方言がかなり変わって来たとのことで、その例が、ハ行の発音。例えば、「花」の発音で一番古いのが、「ぱな」その次が「ふぁな」そして「はな」。というように、ぱぴぷぺぽ ⇒ ふぁふぃふうふぇふぉ ⇒はひふへほ、と発音が、変わって来たとのことで、そうすると、
- ぱなす(話)
- ぴい(屁)
- ぷす(星)
- ぷに(骨)
- ぽ(帆)等
未だに盛んに発する宮古は、遅れている分だけ、古語が多いかも知れない。
あるいは、もっと考えると、日本にまだ文字がなかった頃、邪馬台国とかの時代には、ミヤークフツみたいな言葉が、使われていたのではないか…。
ミヤークフツ(宮古方言)が、ヤマトフツ(大和言葉)から来ていることは、次の対応関係からもわかります。
< わ(w)は、ば(b) になる >
- われ(我・吾)→ ばん
- 私達 →ばんた
- 忘れない →ばっしん
- 若い → ばかあばか
- 別れ → ばかあり
- 喚く → ばみく
- 渡る → ばたず
- 悪い → ばず
- 割ってしまう →? ばりかいし
- わた(腸)→ ばた
< く(k)は、ふ(f) になる >
- くち(口) → ふつ
- 食う →ふぉお
- 黒い →ふふおっふ
- 暗い → ふっふぁっふぁ
- 臭い →ふさあふさ
- くわ(鍬) →ふっふぁつ
- 釘 → ふぎ
- くし(櫛)→ ふす
- 汲む → ふむ
- 呉れる → ふいいる
それじゃあ「苦労」は? ん…ふくろう…とは言わないし…。んなまあらくしい ういば くろお ゆばあ すさん!(今は 楽しているから苦労は知らない )
チャン チャン!
参考資料:『古琉球』伊波普猷/著
※「うぐなあり」や「まずむぬ」も古語でしたかー。あったぼうさんの解説は、とても分かりやすく、勉強になります。たんでぃがーたんでぃ。
「お便りコーナー」
屋宜さんより
はじめまして、こよなく宮古を愛して止まない那覇生まれです。最近「くまから・かまから」を読み始めました、と同時進行で「読めば宮古」も読んでいました、東京出張の当日購入して飛行機の中で読んでいたのですがついつい笑ってしまってダウ恥ずかしい思いをしました。
「くまから・かまから」は宮古の友人に教えて貰ってすぐに登録しました。これからも宮古の情報を楽しみにしています
ちなみに私は仕事で年に数回オトーリを回しに宮古に行きます。あんな素敵な習慣を無くそうとしたなんて・・・。それから私は、年代別目盛りのついたオトーリグラスも持っています。
※オトーリについての意見は、宮古でも分かれるようですが、私もオトーリはいいと思いますよ。グラスの底まで愛が詰っているさー。あまり飲めない人は、トウ(そこまで)と言って少なめにしてもらいましょうね。それにしても年代別目盛りのついたグラスがあるとは、知らなかった。
「編集後記」
松谷初美
アモイさんの「バダ」のぱなす(話)。私は全く すっさったんにば。(知らなかったよ)川がないと言われる宮古ですが、ちゃんとあったんですね。しかも、たくさんの生き物が住んでいた様子。今ではなくなっているなんて、まーんてぃ(本当に)残念なことです。この話は今後も続きますので、ご期待くださいね。
宮古では、今月大型のショッピングセンターがオープンしたそうですね。車社会の宮古では、大きな駐車場があり、そこで何もかも用が済めばこんな便利なことはないのでしょう。私もきっと帰れば利用するのだろうけれど、でも、とても複雑な気持ちにもなる。平良の街中はどうなってしまうのだろう。私はあの街中が好きだ。小さい頃から知っている通り、路地裏。金物屋、写真屋、洋品店、薬局、帽子屋、文房具屋、パーラー、本屋、食堂、レストラン、喫茶店、雑貨屋、などなど。その店独特の あず(味)や店主の心意気、そんなものが一軒一軒の店にはあると思います。そんな一軒一件のお店も大切にしていけたらいいですね。お店の方たちもワイドー。
ぱなすっあかーりー(話は変わって)下地勇さんのファーストアルバム「天(てぃん)」12/7に発売となりましたが、もう、お聴きになりましたか?彼の魅力がたっぷり詰ったアルバムだと思います。まだの方ぜひ聴いてくださいね。全11曲入り。¥2625。沖縄、宮古では、お近くのレコード店などで買えます。全国のタワーレコードでも扱っているそうです。また、彼のホームページでは、今後の活動や、ライブレポートなど盛りだくさんの情報を見ることができます。ぜひアクセスしてみてください。
下地勇オフィシャルサイト
https://isamu.arize.jp/
(おしらせ)
来る、12月31日に宮古でカウントダウンライブが催されます。主催者側では、たくさんのご来場を呼びかけています。大晦日は、ぴゃーぴゃーと(早々と)お正月の準備をして、うえのドイツ文化村に行きましょう。
?カウントダウン・ライブ 2002?
(主催:カウントダウン・ライブ実行委員会)
日時:12月31日(火) 21:00?24:30(多少早まる可能性あり)
場所:うえのドイツ文化村キンダー広場
出演:下地勇バンド、くらげ&コウちゃん+かつ吉、のひなひろし、TAG(玉ちゃん&ベギー)、砂川悟、ビートルクラッシャー
入場:無料
問い合わせ:カウントダウン・ライブ2002実行委員会代表
※座るところは、コンクリートとなっているので、クッションとなるようなものを持参すると良いようです。
※お酒を飲んだら、じぇったい車の運転はしないようにしましょう。
最後に、お正月に関する投稿の件。まだまだ受け付けていますよー。ふるってご応募くださいね。実は、んなだ たーからまい くーん。(まだ誰からも来ていない)気軽に書いていただけると、ぷからすです。よろしくお願いします。その他、ご意見、ご感想もお待ちしています。
今年一年、くまから・かまからご愛読いただいて、たんでぃがーたんでぃ。また、来年もどうぞよろしくお願いいたします。(ライター一同)
次回は、1月2日の予定です。良いお年をお迎えください。