みなさん、ぱだーぱだーうらまずなー(お元気ですかー)? 2週間や、ぴゃーむぬやー(早いですねー)。
vol.110お届けしますよ〜。 ゆみふぃーさまちよ〜(読んでくださいねー)。
んみゃーち ふるさとまつり 関東編
宮国優子(平良市出身)
いろんなところで書いているが、言って良いですか、しつこく。
「んぞーさぬむぬ(もったいない)いかんとならんよ、ふるさとまつり」あ、また今日も「ん」から始まってしまった。旅に出ている(島から出た)宮古の人たちが年に一度みんなでお祭りをする、そんな楽しいパーティだ。いわゆる郷友会という県人会の宮古版が中心になって盛り上げている。今年で32回目と言うから素晴らしい。
私だって仕事じゃなかったら行かないかもしれない、郷友会。だって目上の方がたくさんいて、それもかなりきちんとして(何故か宮古の教育者を彷彿とさせる)ビシッと格好いい、そんな人たちを前に「同じふるさとでーす」と言えない自分がいる。
いつお会いしてもこの人たちの雰囲気には脱帽する。懐の深さや宮古の良さを内地で洗練させたんだろう。だいずかっこいい。一緒にいると だいず どぅぐりー(なんだか自分が気恥ずかしく)でチビがむずぅむずぅとする。あ、もちろんそういう人ばかりでもないですよ。念のため。
今回は事務局長が仲本さんという知る人ぞ知る、というかみんな知っていますよね。で、宮古系三線ネットワークのプリンスが企画したふるさとまつり。従来の宮古出身者が多いふるさとまつりにクイチャーパラダイスの生徒のみなさんという二大潮流が会場を埋め尽くした。なんというか、パッチワークのようなふるさとまつりだった。
宮古出身だけどこちらが長い人、宮古が好きだけど宮古の人がいまいち苦手な人、東京に住んでいて宮古好きな友達を持たない人、宮古も宮古の人も大好きな人、老後は東京の娘に面倒見てもらっているおばあちゃんなど・・・。もうありとあらゆる層がたったひとつ「宮古が好き」というだけで五百人も集まってしまった。老いも若きもオトーリを回し、まさにくまからかまから聞こえる宮古ふつ、宮古話になぜか酸欠になる勢いです。
酒は飲め飲め、歌えや踊れの会場。舞台では2時間必ず誰かが立っているという状況。これだけでも見る価値がある。琉球舞踊にエイサー、現代舞踊に何度も行われる乾杯の挨拶。みんな総立ちで少なくとも4回はグラスを頭上に持ち上げました。挨拶もひとつひとつ風刺がきいていたり、思い出話があったり、しみじみ宮古島が懐かしくなりました。ホームシックになるさいがよ・・・。
この文章を読んで、少しは行きたいと思った人がいたら、是非来年は参加して欲しい。一人で行っても必ず二次会はいけると思います。オトーリと友達付きで。でもあんまり飲みすぎるなよ〜〜。んみゃーち、ふるさとまつり。
お店紹介23《宮古木工芸》
松谷初美(下地町出身)
「宮古木工芸」は、三線の作り手として今や全国的に有名な與儀栄功さん(70歳)がやっている木工所だ。
與儀さんは、現在、一年の約半分を沖縄物産展などで北海道から九州まで周っている。與儀さんの作った三線は、全国で鳴り響いているのだ。
與儀さんの三線は、すべて手作りで、ひとつひとつ丁寧に作られている。その丁寧な作りが評判を呼び、各地の会場は、いつも賑わいを見せている。
與儀さんは、もともとは家具職人だった。40年前は、どぅが んまりさとぅ(自分の生まれ里)の、下地の高千穂で與儀家具店という家具屋をやっていた。
子どもの頃から手先が器用で中学生の頃、たぶくぶん(タバコの灰入れ)を作り、町の品評会で入賞したこともあった。20歳のころ、コザ市(現、沖縄市)で建築大工をしていたが、会社が倒産。その後、家具店で働くことになり、そこで家具の作り方を学んだ。26歳でコザに店を持ち、30歳で宮古で與儀家具店を開いた。
與儀家具店は、私の家からもすぐ近くで、やらびぱだ(子どもの頃)、與儀家具店の周りでよーく遊んだものだった。木屑や木の端は、格好のおもちゃになった。キーンという木を切る機械の音、木のかばすかざ(良い匂い)は、今でも忘れない。私が初めて整理ダンスを買ってもらったのも、ここだった。
以前は、三線は頼まれれば作っていたが、最近は、こちらが主流になった。内地の方からの注文も多く、沖縄が見直されていると感じるそうだ。「三線は、沖縄の顔だから良いものを作りたい」と與儀さんは言う。でも、「死ぬまで、これで満足ということはないんじゃないかなー」とも。
三線は、棹と蛇皮の材質によって、値段が変わる。棹は、カリン、紫檀、コクタン、琉球コクタン(八重山黒木)の順で良いそうだ。蛇皮は、人工のもの、ニシキヘビの本皮とある。お客さんのニーズに合わせて作ることもしているとのこと。アフターフォローもしっかりやってくれるので自分の三線を長く愛用することができそうだ。
與儀さんは、與儀栄功民謡研究所で無料の三線教室(月、水、金の午後8時〜10時まで)も開いている。與儀さんが留守の時は、師範の免状を持った3人のお孫さん(小三と高二がふたり)が教えているのだとか。興味のある方は、いきみーるよー(行ってみてね)。
各地での物産展のスケジュールは、ホームページに掲載されています。あなたのお近くで、あるときは、ぜひのぞいてみてください。もちろん宮古の「宮古木工芸」んかいんまい いきみーるよー。
《宮古木工芸》
場 所 | 宮古島市平良字下里2616 |
電 話 | 0980-73-3001(工場) 0980-73-3656(研究所) |
H P | http://www.cosmos.ne.jp/~m-mokko/ |
繋がり
菜の花(伊良部町出身)
仕事から帰るとテーブルの上に小包が置いてあった。91歳になる文通友達の Uさんからのものだ。あがいー!ぷからっさどう!(うわー! 嬉しいなー!) 疲れもいっぺんに吹っ飛ぶ。
のーがーらぁ(なんだろうなー)と思いながら箱を開けると、Uさんの家のものと思われる かざ(匂い)がプーンとしてくる。箱の中には、Uさんからの手紙と折り紙で作った手作りの栞や小物、こーすまい だうてぃ(お菓子もいっぱい)入っていた。袋は終わったカレンダーで作ってある。手紙が入っている封筒も折り紙で作ったものだ。ほっと心が和む。
Uさんからの手紙はいつも毛筆で、くりがどう また かぎずーだら〜(これがまた美しい文字なのだ)。そういえば、70歳を過ぎてから書道を習い、師範の免状を取ったと言っていたなーと出会った頃を思い出す。
9年前、私はUさんの娘さんの受け持ちナースだった。娘さんは、夫を亡く し一人暮らしとなったUさんと同居するために、ドイツから戻ったばかりだっ た。口内炎と思っていたのを病院で診てもらったら、舌癌といわれすぐに入院。 すでに身体中に転移していて、治療の効果もなく娘さんは逝ってしまった。娘の形見にと本を頂いたのを機に文通が始まった。Uさんその時82歳。
あれから9年。Uさんんまい あんまい ゆぬなーさぬ時間ぬどう つまー いたぁ(Uさんにも私にも同じ長さの時間が積み上げられた)。Uさんは、夫 と娘を亡くした悲しみを少し脇に置き、息子のいるメキシコにも、韓国旅行に も行った。旅の便りは、生きていることを前向きに受け止め、在るがままに一 日を楽しんでいるUさんのエネルギーを感じさせてくれた。それでも寂しくな る日には、「寂しい」と私宛に手紙を書いてもくれる。
私が看護師でなければ出会うこともなかったUさん。看護した娘さんは逝ってしまったけれど、Uさんと私とはこうして今も繋がっている。私の内にもUさんは存在し、Uさんの人生のひだの中にも私が存在している。人と人が繋がっていくということはこういうことかも知れないと思ったりする。
みゃーくふつで「出会う」ことを「いでゃあい」という。私はこの言葉の響 きから、自分の内から一歩出て、会う対象に向き合っているイメージを描く。この「いでゃあい」が人が繋がる始まりだと思うと重みを感じる。
「足が痛いのですが何とかだれの助けもかりずいにいます。人を頼らず体の きくかぎり自分でと思っていることがいいのかもしれません」そう書かれたUさんの手紙を読み返しながら胸が熱くなる。届いたものをテーブルいっぱいに全部並べてみた。どの品からもUさんの思いが伝わってくる。
こーっすう ぴてぃーつ(お菓子を一つ)口に入れてみると、和菓子の甘さ が口に広がる。Uさんの つむ(気持ち)をお菓子にしたらきっとこんな味だはずー・・・。
そんなことを思いながら「がんずうやしーぶりよー(元気でいてくださいね)」 と たうきーむぬゆん(独り言)を言ってしまう・・・。
実況パーントゥ
神童(平良市出身)
集落の出入り口に設けるスマフサリ(ばら綱に豚の骨を付け集落の主要な道路に張り、厄災を払う)でパーントゥプナカは幕を開ける。今年は、10月2日だった。翌日から2日間に渡って、パーントゥ祭りが行われる。
パーントゥ祭りは正式な集落行事で、本来自治会が主催するのであるが、実質的には島尻青年会が取り仕切っている。自治会は、祭りの期間中の飲み物の差し入れ、祭りの打ち上げの宴会を受け持つ。差し入れは、青年会員が青年会幹部に命じられて購買店からビール、飲み物等を取ってくる。という形で行われる。万引きではない。「自治会につけといて!」これでいいのだ。
沖縄の多くの集落がそうであるように、島尻集落には共同購買店という店舗が存在する。購買店は自治会が運営し、店主は自治会総会によって決定される。大抵は育ち盛りの子供を抱えた青年会OBが店主となる。店主は自動的に自治会活動を支える自治会役員に組み入れられる。1960年代にスタートした購買店事業が今日まで残っているのは島尻と狩俣くらいの集落ではないのだろうか。いいシステムだ。
購買店は朝早く開店し、午後9時までが営業時間である。ほぼ、年中無休。そのため、購買店が本業となり、兼業が困難な状況となる。今日まで、連綿と続いているのは、協調精神と自治意識の現れと思い、誇りに感ずるところだ。
午後2時にパーントゥ製作現場に集合するのは青年会幹部。前日までにパーントゥが身に纏うキャーン(シイノキカズラ)が集められている。集まるとすぐにビールで乾杯。キャーンを胴体2、頭部1、合計3匹分を手際よく縛りまとめていく。併せて、パーントゥの んまりがー(産まれる井戸)の排水を開始する。井戸の水を取り除かなければ泥が採取できない。昔は、青年会総出のバケツリレーで排水作業をしていた。しかし、現在は発電器に揚水ポンプ。時代は変わった。排水作業が完了すると、本格的に泥上げが始まる。青年会長の指示により泥の選別が行われ、パーントゥに使用される泥が井戸より引き上げられる。
午後4時頃には、パーントゥに扮する面々が出揃う。あいにく、2名しかいない。あと一人だ。仕方なく、集まっているメンバーから無理矢理、選定する。4時半、親パーントゥのオトーリを機に製作開始。手際よく、パーントゥを製作する。3匹の胴体部分が完成した時点で、最年少の青年が一言。「やばい、心臓がバクバクしてる。吐きそう!」気にすんな!最初はみんなそうだ。皆、とりあわない。最年少は続ける。「心臓の持病があるんだけど」「は!?」困った!1匹足りないぞ。早速、ばらして協議に入る。
協議途中に新たに青年が顔を出した。有無を言わさず3匹目決定。「ちょっと、腹をこわして下し気味なんですけど」心配すんな!パーントゥは、どうせ臭いんだ。大したことはない。もし、もらせば「今年のパーントゥは強烈に臭いがある!」と、思われる程度だ。ただし、今日集まっているメンバーに死ぬまで馬鹿にされるだけだ。青白い顔でたたずむ青年に手際よくキャーンを巻き付けていく。一人の青年は、パーントゥに扮する青年宅へ、靴を取りに走る。
製作作業は、マスコミ関係者をシャットアウトして行われる。パーントゥ祭りは、通常午後5時から8時までであるが、初日なのでスタートを5時半に変更する。5時過ぎ、いよいよ泥を塗りたくって完了。しかし、この泥が異常に重い。んまりがー周辺を農地基盤整備したため、くちゃ(粘土)が井戸へ流入しほとんど粘土状態。普通、泥はジャンプすると滴り落ちる程度のねばねば度だ。くちゃの泥はこぶし大の固まりのまま、キャーンにまとわりついている。40kg近いのではないだろうか。
午後5時半、パーントゥ祭り開始。んまりがーより、島尻元島へ向かう。パーントゥの神に祭り開始を報告するためだ。出発に先立ち、打ち合わせが行われる。ブリーフィングだな。
島尻元島への報告を行うこと。集落に3軒ある「とぅまいっしゃー」、「うぷやー」、「すぅとぅむぅと」の3軒のパーントゥやー(家)へお参りすること。新築の家が2軒あるので必ず訪ねること。観光客から自治会へのリクエストがあり「妊婦が丈夫な子供が産まれるようにお腹をなでて欲しい」と要望していること。決して深追いしないこと。等が打ち合わせられる。深追いした場合、子供はとんでもない高さから飛び込んで怪我をするからだ。あと、パーントゥに対して後ろから跳び蹴り等を行う輩がいた場合、容赦なく叩きのめすことが追加として報告された。
元島で報告を済ませ、集落に入る。まず、1軒目のパーントゥやーを訪ねる。パーントゥ行事を行うご老人が集い宴会中だ。ほぼ、全員パゲだ。早速、酒を勧められる。断ることはできない。3匹のパーントゥはそれぞれ飲まされる。お返しに老人にたっぷり泥を付けてやる。頭部に黒く塗りつけることも忘れない。報道陣に取り囲まれて1軒目を終了。
1軒目を出たところで、椎名誠がズームで狙っている。「椎名さんですね。」と、確認しながら右頬に泥を塗りたくり、2軒目のうぷやーに向かう。うぷやーは小学校近くにある。集落の外れだ。早、酒が回り始める。水割りにしてくれよな、老人!ちょっと怒りが湧いてくる。
うぷやーを終了するとパトカーが目に入る。狩俣駐在のお巡りさんだ。始まる前に、パトカーと自分を見逃すようにと、たかびーなお願いを受けている。3匹で示し合わせて取り囲みたっぷり塗りつける。パトカーのツートンカラーが識別できないよう白い部分にも付けてやる。お願いされなければ塗らなかったのにさ。お願いを聞くような素直なパーントゥは自治会から強烈に叱られるんだぜ!
3軒目を終了し引き続き新築の家を訪ねる。パーントゥは、訪問に際して玄関で履き物を脱ぐという習慣を知らない。土足で上がり込んでいく。家主が飛んできてビールを勧める。進めながら壁のクロスに泥を塗らないように懇願する。しかたない。塗ろう!
新築宅を出ると玄関に大量のマスコミ関係者の靴が。3匹で道路に靴を蹴り飛ばす。さ、あと1軒だ。これが終了次第、住民を追い回すのだ。実は、初日のみ、この公式行事を行う。酒を飲まされるので若い青年がやりたがらない。2日目は、んまりがーで製作完了と同時に集落の3方から住民を追い回す。2日目のパーントゥは、酒が入ってない上に、若いから早い。今年は、2日目に泥を攪拌しさらさらのしっとり泥に仕上げ、キャーンも軽量化を図った。
パーントゥには、1匹ずつ青年会のマネージャーが付いている。携帯電話で連絡をとりながら、訪問する家のリクエストをこまめに伝えてくる。また、目に泥や汗が入った場合、パーントゥは自分で拭くことができない。そのため、タオルを準備した青年がパーントゥと並んで行動を共にする。また、パーントゥは、キャーンにより視界が狭いので背後の警備も兼ねている。背後から跳び蹴りを食らい、走れなくなったパーントゥも過去にいるのだ。
午後7時頃、喉が乾くので青年会が詰めている購買店前に向かう。と、いきなり右ブロック塀からダイビングして飛びつく馬鹿がいる。泥が重い上に、この馬鹿はいつまでもしがみついている。抱っこちゃん人形か、お前は!いつまでも離れないので、転げ込みながらアスファルトに背中から叩きつける。うっと呻いて苦しがる青年。起きあがって右足でぼこぼこにする。パーントゥをなめんじゃねーぞ!
当日は、観光客なのか宮古島市民なのか知らないんだけど、幼児を引き連れた親子が多い。魂胆はこうだ。パーントゥを思いっきり怖がらせておいて、これからの1年間、子供を脅す道具に利用するためだ。なかには、嫌がる子供の手を引っ張って無理矢理連行してくる親もいる。また、泣くまで脅して!という、とんでもない母親がいたりする。乳児を抱いた母親も多く、追いかけるのに神経を使う。深追いすると子供もろともすっころぶ可能性がある。
やっとの思いで8時を迎え、無事終了。最早、歩く気力もない。軽トラに乗せてもらって島尻漁港へ向かう。海岸でキャーンを海に流しパーントゥ祭りの初日は終了した。翌日、左肩と右腕が強烈に痛い。左肩は約2時間半、面を持ち続けたためで、右腕は泥を塗るため酷使した結果だ。臭いは1週間はとれない。もうこりごりだ。絶対にやらない!
編集後記
松谷初美(下地町出身)
なんだかすっきりしない わーつき(天気)が続いている東京ですが、宮古では、雨があまり降っていないとか。夏植えの ぶーぎがあまり育っていないさーとお父。自然はままならんねー。
さて、きゅうまいしまいぎー ゆみふぃーさまいたんでぃがーたんでぃどー。(きょうも最後までお読みくださりありがとうございますー)
全国に郷友会なるものがどれくらいあるか、っすさんすぅが(分かりませんが)、他府県は、沖縄、宮古ほど盛んじゃないんじゃないかなー?と思います。しかも、宮古は、各地域ごとの郷友会もあるのだから驚く。優子さんの書いた「ふるさとまつり」は、関東でも大きい会ですね。ふるさとを思う気持ちは、まーんてぃ ふかーふか(深ーい)。懐かしい顔に会えるかもしれませんー。興味を持った方は、ぜひ!
與儀さんには、立川伊勢丹の物産展におじゃましてお話をお伺いしました。20数年ぶりにお会いましたが、昔のままで、優しい栄功おじさんでした。お忙しい中、時間を割いていただいてたんでぃがーたんでぃでしたー。
菜の花の書いた「繋がり」のUさんの娘さんのことは、vol.17(2001年12/6)に書かれています。まだの方、またもう一度読みたくなった方、どうぞバックナンバーからご覧下さい。より深く、Uさんとの繋がりが分かると思いますよ。
パーントゥは、年々、内地でのマスコミでも取り上げられるのが多くなっている気がしますね。いろいろなところで取り上げられても、パーントゥ本人からの実況は、にゃーんぱずゆ(ないはずよ)。
16日のオフ会@東京は、17名の参加をいただき、無事に終わりました。ご参加いただいた皆さん、たんでぃがーたんでぃでした!沖縄料理に舌鼓を打ち、マツカニさん、ざうかにさん(アガイダンディーズ)の三線に酔い、二次会は、カラオケで盛り上がりました!読者の方のことは、掲示板に来てくださるか、メールをくださるかでしか、私は知る由がありませんので、意外と知っている人は、少ないものです。メールのやりとはあっても会ったこともないという方もいます。今回初めてお会いした方もいらっしゃってぷからすむぬでした〜。
「ミャークフツ講座」(今回はお休みでしたが)では、読者の方からの質問も取り上げたていきたいなーと考えています。「みゃーくふつの○○の意味を知りたい」とか、「こんな時、なんと言うの?」など、ミャークフツに関することなら、何でもOKです。どんないお寄せくださいね〜。
そして、vol.110の感想もぜひぜひお寄せください。まちうんどー。
次号は、11月3日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。
きゅうまい ぞう一日ゆ(きょうも良い一日を)!